2016年10月10日月曜日

死刑廃止なんかになるとは思えないのですが・・


とうとう日弁連も「死刑廃止宣言文」を採択し、旗色をより鮮明にするようです。
どういう手続で採択するのか知りませんが、当然反対の先生もおいでになります。
日弁連は日弁連、俺は俺!っていまから嘯いておられます。

どんな制度であっても、すばらしい制度であっても、運用するのは誤謬と欠陥だらけのヒトザルですから、
存続しようが廃止しようが、劇的に事態がよくなったり悪くなったりするものでもない。
一方で、国民感情論的には大方の倭人が死刑廃止に賛成していない。
世界の大勢は死刑廃止らしいことも知っているが、多数意見が正しいとも限らない。

存続にせよ廃止にせよ、その理由付けはそれぞれですが、どれをとっても決定的でもない(・・・・と思っています)
死刑制度がなくなると、終身刑(仮釈放がない終身刑務所暮らし)を新たに設けるって事のようですが、それがどうした。
一生涯、雨風のしのげる個室で三食昼寝付(懲役刑ではないので苦役に服する必要がないと思われます)で
相応の医療(高度治療までは無理でしょうが)も受けてってことですので、
多くの国民のもつ老後の不安から一切解放されるって、実にすばらしい人生ではないですか。
娑婆では被害者の遺族が塗炭の苦しみの中で日々すごしているかもしれませんし、
重犯罪者が己の罪科と向き合い、反省の日々ってアホかいな(笑)


廃止の最大理由が「誤審」にあるとされますが、
間違った政治判断や政策決定で、国民を死に追いやる事例は枚挙にいとまなく、
それはそれとしてこれはどうなるんですかねえ?
死刑判決の罪の比ではないと思いませんか・・・
死刑囚一人当たりの収監コストが6百万円(年間)くらいだそうですが、確度の高い情報かどうかはわかりませんが、まあそんなものかもしれません
別に死刑を廃止しようがしまいが、刑の執行が法律に従い粛々と行われているわけではなく、この費用が増えるとも思えません。
死刑がなくなり、終身刑が最高刑となれば、裁判官の心理的プレッシャーが減り、結果的にそういう判決が増えるかもしれませんが、
これは裁判官に聞いてみないとなんともいえない。
なお、新憲法制定後、違憲裁判が頻繁したが、最高裁においては、制度的、方法的に全員一致で合憲とされ、
更に少数意見に、国民が必要と思うから存置しており、要らないと思えば、法改正を行うと
なんとも大胆です。


言える事は、人権派団体なる死刑廃止運動推進派がおとなしくなり、
いつ果てるとも知れない再審請求も含め死刑回避に向けた奇天烈な弁護活動や支援活動が無くなる事は確からしいが、
これはこれで別のところでまた騒ぎを起こすだろうから、これまた社会的にいいか悪いかわからない。


じゃあ、お前の意見は?って問われるが、
サイレントマイノリティは見解表明をしないことにしています。
・・・っていうか、反対ですか賛成ですかって単純解答できる問題ではないから・・・


法学部で教えてくれる(今は知りませんよ)刑罰論の基本は「応報刑か教育刑か」ということに尽きますが、
いずれか一方に偏した考え方はとっていないように思えます
つまり、改悛の情が認められれば、罪の大きさ次第ですが、死刑判決は出し難い。

判決要旨的に書けば

被告人は十分に反省しており、改悛の情を認める事はやぶさかではないものの、
犯した罪の重さあるいは社会的な影響に鑑み、死刑判断を躊躇するまでには至らない...ムニャムニャ

言い換えれば、死刑廃止とは「応報刑」理論の放棄ってことになります。
一方で、犯罪類型にもよりますが、再犯率をみるに刑罰の教育効果ってことにも疑問がある。
終身刑が応報刑なのか教育刑なのか分類的にいささか微妙ですが、どっちとか言えば教育的なのでしょう?






実のところ、蝸牛庵は、死刑存続から死刑廃止論に見解を変更しています(いろんな前提条件付ですので、人によってはさらに過激って言われます)
それなりの論理構成はあるつもりですが、一般的な廃止論とはあまりに隔絶してますから
披露はしません。
人権擁護派なるもの、大激怒必至でしょうねえ。














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