2016年10月19日水曜日

ハルキストよりもミユキスト




平和賞や経済学賞が人類の未来に貢献する業績の証明であると
両手を挙げて賛成はしかねる。
平和賞だと片手だってあげにくい。
自然科学系の賞については、知見のない世界なので論評しませんが、
確定的な学問的成果から選別してますから、ますハズレがないはずだ。
もっとも、精神医学系ともなれば、ちょっと危ないみたいです。
文学賞は、毎度冷ややかなので、実のところ齟齬感がないではない。
今回の受賞者の業績を讃えることには人後に落ちないが、その讃え方が「文学」賞で
なければならないのか?

かつて、チャーチルが受賞した際は物議をかました。
理由はちょっと理解しにくいのですが、彼がプロ作家でなく
政治家であったからのようです。
価値のある「文学」であれば、誰が書こうがと思いますがねえ。

文学の定義は、実のところ難解なのです。
言語表現による芸術とされますが、この言語表現という言葉もまた難しい。
単純に「文字」なら簡単ですが、手話も言語表現です。
形式の確立された口頭、身振り、手振りを含めて「言語」ということになりそうです。
音楽や演劇は、言語表現をその一部とする芸術ですから、文学の一分野ではない。


今回の受賞は、あくまで音楽としての業績ではなく、詩文への評価てある。
演劇の一部である戯曲や謡曲が文学として鑑賞されることは
常識化されているが、楽曲から演奏と音階部分を抜きにして味わうという事の提唱という
画期的なイベントが今年のキモ!


確かに、作詞家なる存在の書籍形式の著作物は稀である。
あってもライトエッセイ程度。
詩集として刊行されている例は.........皆無とは言わないが
極めて少ない。
アマゾンで探すに「彼」の作品集は、あります。


この路線で今後とも文学賞の選考がなされるのであれば、
倭国の吟遊詩人で最短の位置にあるのが「歌姫」だ!!(笑)

まず、長年の吟遊詩人としての活躍
ナンチャッテ詩人としての評価の高さ。全作品が詩集として刊行されている例は
寡聞にして彼女以外には知らない。
文科省(文化庁)の役人の能力には懐疑的ですが、彼女を国語審議会委員に選んだ時には
喝采!
その事を快挙と話題にしないメディアの眼力のなさ。
世の中、メクラ千人目あき三人(蝸牛と選考した担当官とその上司)と嘯いたものだが
当然に歌姫の詩を高く評価する文芸評論家は僅かながらいたことはいた。
それから、最近のリリックは、かならず英語版が付いてますので、
普遍性も担保されつつあります。
いささか残念ですが、メッセージに政治性や社会性に乏しい。


歌姫とは同世代
ノーベル賞は、物故者はもらえません。
世間が評価するまで時間がかかるから、健康に留意して
長生きしてもらわないと.........
ぼくもあの世で栄典をお祝いするよりもこの世の方がいいから酒を控えよう(笑)




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