バサラと読みます。
今の教科書に登場する歴史用語かどうかは知らないが社会学用語かもしれない。
ありていに言えば負の概念規定語であり、決して褒めているのではない。
しかし、今時は、あまり否定的に使われることがなく
自由
独創的
華美華麗
というプラスのイメージである。
しかし、南北朝の時代では、
贅沢な衣料に装身具
夜な夜なのグルメ狂い
傾城(六本木のキャバ嬢だと思えばいい)に入れ込み
邪恋や横恋慕は当たり前
田楽(能楽の濫觴ですが、昭和ならデスコ)三昧
違法カジノでの方外な賭金
に加えて、義理人情もへったくれもない無礼違法等の傍若無人な振る舞いをよしとするアウトローあるいはアウトロー志向だと思われている。
当時の伝統的な中世的価値観からすればとんでもない話なのです。
だから、対極にある卜部兼好や鴨長明的な簡素にして清廉(・・・かどうか分かったものではないが)な生き様が持ち上げられきた。
心底清貧ならば、権力者の邪恋の片棒を担いだりはしない(^^)
今の世相、徒然草や方丈記人気がイマイチとは時代の変化なんだなあ。
古代からの中世的な価値観の転換が太平記の時代であり、それをシンボリックに「バサラ」という。
その時代の雰囲気って、現在まで脈々と肯定的に持ち込まれた・・・
多少振る舞いが矮小だが、江戸の町奴や旗本奴てなものもそういうことなんだ。
さて、現代の婆娑羅大名(いまなら専門職ビジネスマンとか経営者だなあ)や如何。
一時期のヒルズ族ってそういう存在なんだろうが・・・・太平記に登場する佐々木導誉なんかの
振る舞いと比較すれば、自由狼藉さにおいてチイサイチイサイ(笑)
当時のバサラ大名の狂気的なるふる舞いの背景には、当然財力がつきまといますが、
その原資は、凄まじいまでの皇室や公家の不法な財産横領によるものと思われます。
お大尽様みたいに何も考えず(なくなればまた強奪すればいい)後先なしに浪費しまくるのと、床下の壺に小判を隠し、毎夜数えて悦にいる・・・のとどっちがより生き様がスカッとしているのか?
おカネって使うものであり、その気になれば地獄の沙リゾート地で預金通帳のゼロの数数えてほくそ笑んでるって・・・なんとも貧しいねえ(笑)
浪費は美徳だ。
アタシがいうと軽薄だから、ゾンバルト先生の卓見を引用するに、、、、
資本主義(消費社会)の胎生は非合法恋愛の合法的な子供である贅沢による。
マックスウェーバーが喝破したような禁欲勤勉だけで商業主義社会が生まれたんじゃない。
三田「ばさら」という店がありまして変わったすき焼きを出すんですが、この考案者が正に婆裟羅そのもの。多数の弟子がミシュラン店になっていますが、誰も彼のことを語りません。何故なら婆裟羅だからです(笑)いまはロシア大使館の近所でひっそりと料亭をやってるそうですが…信長を語るまでもなく、婆裟羅は革新的な価値を世に問うのが素晴らしい!
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