三大随筆の作者のひとりとして「著名」であるが、本業は下鴨神社の神職。しかし、一族内のポスト争いで敗退し、この世界での出世は断念。
歌人としての研鑽も積み名声も期待したが、与した流派が御子左一門ではなかったせいか歌人としては一流とは看做されず、鎌倉での就活(実朝の歌学師範)にも失敗。
その後は、京伏見あたりに隠棲し、駄文を書き生涯を終える。
位階は従五位、最下級の貴族であった。
歴史を騒がすようなさほどの事績がない凡庸の人生。
山川日本史では歌人として登場しますが、新古今の世界では一流でもなく、逆に方丈記の著者としては無視されているが、これ如何に?
ドナルドキーン氏の著作によれば、日本人は日記や随筆、、、はやい話がブログを書くことを異様に好む民族らしい。昨今のブロガーのようにベストセラー期待ではなく(読まれる事を主目的とせず)ただただ身辺雑記を書き綴る事が楽しいそうな
私小説の伝統の濫觴かしらねえ
最近は災禍ルポルタージュとして方丈記が再発見されているって、、、しかし、そんなことははるか昔に堀田善衛さんが「方丈記私記」で触れています。
むしろ、災禍ルポルタージュとして未だに方丈記を凌駕する作品はないということかも。
鎌倉期初期だから紙の値段はまことに高価。レディムラサキだって、道長から大量の料紙のプレゼントなかりせば、源氏物語は完成しなかった。
隠遁時の鴨長明の恒産や収入の程はよく分からない。道長のようなパトロンもいなかったと思う。
東に地震、西に台風、南に大火と聞くたびに我が脚とメモ帳だけを頼りに現地探訪。狭隘な陋屋に帰り、ルポをひながにまとめる、、、
結構贅沢な暇の過ごし方ではないか(^^)
國分功一郎先生ならどんな評価をするかな?
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