2024年5月31日金曜日

暇と退屈の哲学

 




これは哲学の本だ
しかし哲学(の定義)とはなんだ?
少なくとも哲学者の数だけの定義がある事だけは確かだ!くらいは解る。

だっから、、、暇とか退屈とか下世話な事(実はかなり人生の根源的でもあるようだ)だって学問の研究対象になり、過去からも「退屈論」は論じられており、それなりのイコン(アイコン)である。


暇と退屈は似て非なる、、、どころが全くの別物

お手軽に四象限マップで概念整理をすれば


①暇で退屈

②暇だけど退屈でもない

③暇じゃないが退屈

④暇じゃないが退屈でもない


まず「暇」とはなんだ?

時間に余裕がある事だ。

仕事や家事で忙しくしている状態を暇とは言わない。

貧乏暇なしとはけだし名言。

長いヒトザルの歴史の大半は、遊動社会(ノマド暮らし)でロクにはたらかなくとも採取だけで食うには困らず、ご先祖はその日暮らしながら有り余る余暇を楽しんでいたらしい(暇ながら退屈はしなかったと人類学者は断言しますが、、、)

安楽安逸な生活は形而上学とは無縁だが、退屈は哲学を産む、、、けだし、哲学は定住生活の産物

儒教の聖典には「閑居し不善を為す」とあるし、コーリンウィルソンが殺人の哲学で喝破したように「今や犯罪は貧困ではなく退屈から生まれる」

かかるが故に「退屈」は重要な哲学上のイシューなのです。

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