衒学的なトップがいると、社史編纂なんて言い出す。
始めると会社の存続の間はやめるわけにはいかないが、辞めると世間から小馬鹿にされる。
アタシの最初の奉公先には、ご当主さまの旧宅の一角にある古びた洋館が、社史編纂室だった。
社業への貢献と言われると、、、これは傾国の大業と轟然と言い放つ、、、そんなメンバーならば立派な社史をだします。
大抵の場合ロクデモナイが多くのですが、狭い知見の範囲ですが「郵船百年史」なんかは、近代海運史の基礎文献である、、、かなりな学恩に感謝
つまり、ゼロ一銘柄企業なんかは、社史すなわち業界産業史と思うくらいの自負心があります、あったはず、あるべきだ。
ない企業は、、、多分ノタレジに、、まあいいわ
実のところ歴史編纂とは、統治の正統性の証しである。
中国の正史が最たるものであるが、自分が討伐した前政権の歴史を編纂する事で初めて、王権の正統性が担保される。
その前提には、盤石の統治体制がある。
どの企業だって、不況のドン底で、社史なんか公表しない。明日がしれない状態で自分のクビが危ないのに、、、輝く未来に躍進、、、なんて書きようがない。
生きているうちに、清朝正史が読めるとおもっていたが、洞察力がなかったようだ。でも今世紀末には、、、?
でも誰が編纂をするんだって基本的な問題がある。
辛亥革命後、中華民国(袁世凱)が正史編纂事業を始めましたが・・・・これは清史稿として残っていますが、あくまでも「案」です。
台湾に逃れた中華民国は、清史稿をベースに完成はしましたが、未だ定本には至らない。
中共北京政府は、、、、未だ作業中。
中南海内部の権力闘争なかで揺れているのだろうなあって、当然に思います。
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