2015年4月9日木曜日
沢山あると嬉しいですが、実はそんなことでも・・・
昨日の続編です。
ちょっと気になって調べてみました。
これがまあ、実に面白いし、結構背景探査で楽しめました。
仏教系 儒教系 回教系 耶蘇教
---+---+---+----+---+
日本
韓国 ◯ ◯
台湾 ◯ ◯
中国
香港 ◯ ◯
タイ ◯
ネシア ◯ ◯ ◯
インド ◯ ◯ ◯
主要な宗教の開祖のお誕生日を「国家として祝祭日」制定をしているかどうかって話題です。
西洋の各国はクリスマスを祝日にする傾向は同じですが、
昨今のグローバル化の中で、それだけで済むのかどうかが問われそうです。
アメリカのように「メリークリスマス!」が禁句で「ハッピーホリデー!」と言い換え
普遍的な休日色を醸し出すことで軋轢をさけようって知恵もあります。
逆にキリスト教団体が反発し、軋轢が深まっているって言われる方もいます。
今後、多宗教国家らしく祝日を増やすのか、祭政分離を徹底するのか・・・選択が実に面白い。
共産中国は「宗教は阿片」だと考えるのか、宗教系の祝日はない。
しかし、二十四節や七十二候に従った季節の移り変わりの節目をお休みにすることを
廃絶するまでには至らなかった。
ロシアでは、ちゃんとギリシア正教のクリスマス祝日があるようですが、
共産ロシアの崩壊によるものかもしれません。
韓国は面白い。
本家以上の儒教国家を自負すると思っているのですが
その割に「孔子の生誕祭」は歯牙にかけない。
その意味で、儒教の本家は台湾に移転したようです。
さりながら、中国でもソフトパワーの世界展開の一環で孔子記念日を祝日にする動きがあるそうな(苦笑)
最後に倭国ですが・・・
世界に冠たる無宗教国家の面目躍如ってところですかねえ(笑)
2015年4月8日水曜日
本当は、今日は大切な日なのです
・・・といわれてもねえ。
なんとも流行らない「聖人の生誕日」
釈尊は(旧暦ですが)この日がお誕生日らしい。
お寺さんでは「灌仏会」を催しますが、いまいち盛り上がりに欠ける。
本当に在家仏教徒は不信心である。
イエス様と偉い違いなとりあつかい(苦笑)
イスラムでも、マホメッド(このような言い方はいまや一般的でないが)の
お誕生日を盛大に祝います。
預言者生誕祭というそうですが、ヒジュラ暦なもんで、一般的な暦法だと・・・よく知りません。
もっとも、原理主義的な一派では、コーランに書かれていない祝い事ということで無視するらしい。
釈尊ですが、実在性を疑うまでのことはないが、生没年が定まらない。
諸説紛々、百家争鳴のありさまで、主な推定生没年は・・・
紀元前624年 - 紀元前544年 : 南伝(上座部仏教)説
紀元前566年 - 紀元前486年 : 北伝「衆聖点記」説
紀元前463年 - 紀元前383年 : 中村元先生説
なんと二世紀あまりもブレがあると、お誕生日に至ってはまさに藪の中。
かような有り様ですから催し物だって、流行りはしないし、教義的にも興味をもたれない。
つまるところ、釈尊の教えって・・・よくわからない
というか、後世あまりに換骨奪胎というか擬制変異を繰り返してしまったために
原始仏教と現在の大乗仏教は似て非なるものになってしまった。
煎じ詰めれば簡単な話で・・・・
有りもしない(あるいはあるかどうかもわからない)来世(あの世)の話はしない。
大事なのは現世。
しかし、人生は苦であり、苦の根本的な原因は「無知による迷いと執着」
このような煩悩な境遇から脱却する方法が・・・
別に難行苦行なんかは必要ない。
正しい行動原理に基いて修行さえ行えば、煩悩をなくし、苦を克服できる。
八正道というそうですが・・・
正見 (正しく物事を見る事)
正思惟(正しく物事の道理を考える事)
正語 (真実のある正しい言葉を語る事)
正業 (間違った行いをしない事)
正命 (清浄な生活をする事)
正精進(正しく目的に向かって努力する事)
正念 (邪念を離れて正しい道を思念する事)
正定 (正しく精神を集中して安定させる事)
煎じ詰めれば・・・どってことないのですがねえ。
狂言綺語を弄しているうちはダメみたい(その程度はわかります)
2015年4月7日火曜日
ポーランドの「誤解」
なんだか近親感を覚える国です。
西洋の辺境ですが・・というか、辺境なるがゆえに西洋文化の精華が見られる。
興亡の歴史が切なく、その思いまでもが芸術を昇華する。
高名なピアニストが首相に就任したお国というのが、キャラを表す。
ショパンなんて言うに及ばず。彼だってピアノの詩人と呼ばれるよりも「愛国ピアニスト」なのです。
辻邦生さんの「樹の声 海の声」
白樺派の周辺にいたらしい一華族女性をモデルとした長編ですが、彼女の生涯の伴侶は
亡命ポーランド貴族の末裔だった。
激動の歴史を背景に「ポーランド映画」は、
不安
苦悩
絶望
とてもじゃないが、明るいってイメージは全くない。
そんな映画ばかりでも無かろうって思うのですが、なんせ体系的な「ポーランド映画史」本は
あるにはあるが、ちょっと手が出ない稀覯本。
定本を読まずしてポーランド映画をネタにするのはエチケット違反ですが、まあ固いことを言わず(笑)
ポーランド派と言われる一群の映画作家を中心に世上の評価は高い。
しかし、オスカーの外国語映画賞とポーランド映画の相性は良くない。
1963年以降毎年出品していますが、ノミネート(最終の五本に残ること)は、過去9回。
やっと、第87回で賞に輝きました。
カンヌやベルリン、ベネチアでも、最後のところで手が届かない。
やっぱり映画は優れて資本主義的な娯楽なのですよ。
一般大衆の支持があってなんぼの世界。
そんななか、稀な東京での休日です。
映画後進圏ではスクリーンにかかりようのないポーランド映画三昧。
イーダ
パブーシャの黒い瞳
ずっしりと胃が重くなった。
歴史に翻弄されるポーランド現代史の光と影の狭間で・・・って定番惹句は聞き飽きた。
ユダヤ人やジプシーを迫害したのは、ファシストとスターリニストだけじゃない。
ナチスにシンドラーがいたように、ポーランド人のアイヒマンもいたのです。
2015年4月6日月曜日
名月をとってくれろと泣く・・・のは子供の証明
欲しければくれてやってもいいが、
もらってもどうしたら良いか途方にくれるだけでしょう(嘲笑)
桜の起源は・・・ヒマラヤ近郊というのが定説
中国の学者は「中国で生まれ日本で花開いた・・・」といいます。
漢の武帝時代の領土はたしかにあの近くまであったかも・・・
韓国人は・・・なんでもかんでも「韓国起源説」ですから、論ずるに値しない。
何事も「氏より育ち」
文化の高みにまで育て上げた美意識、あるいはその美意識の体得が崇高なのである。
桜文化のデカダン的な美意識の極みは・・・
根元には屍体が埋まっているという発想
梶井基次郎の傑作(櫻の樹のしたには)に由来するが、特段彼だけの「美の発見」でもなかろう。
強欲な隣人に惨殺された愛犬は桜の根元に植えられ、
こぼれんばかりの爛漫とは「花咲翁」の説話にもあるとおりである。
我が家の愛犬・愛猫だって、代々天寿をまっとうすれば、
陋屋近くの川辺りの所有木(桜木)に根元に埋葬されている。
駄犬・駄猫のたぐいですので、そこいらを掘り返しても金銀小判が出てきた試しはないが
今どきには紅涙あるいは紅血を絞らんばかりな桜花が、天空を舞う。
実のところは、雨風にさらされて可哀想だから、せめては大樹の陰でって気持ちの現われ。
彼の作品をよく読めば・・・散文詩のような難解さであり、冒頭の一句だけが有名で
ちゃんと読まれているのかどうか疑わしい。
実のところ、中段辺りのこの部分こそがこの作品の肝だと思うのですが・・・
そこまで論じた向きは寡聞にして知らない。
--
水のしぶきのなかからは、あちらからもこちらからも、
薄羽蜉蝣がアフロディットのように生まれて来て、溪の空をめがけて舞い上がってゆくのが見えた。
彼らはそこで美しい結婚をするのだ。
溪の水が乾いた磧へ、小さい水溜を残している、
その水のなかだった。
思いがけない石油を流したような光彩が、一面に浮いているのだ。
それは何万匹とも数の知れない薄羽蜉蝣の屍体だったのだ。
隙間なく水の面を被っている、
彼らのかさなりあった翅が、光にちぢれて油のような光彩を流しているのだ。
そこが、産卵を終わった彼らの墓場だったのだ。
胸が衝(つ)かれるような気がした。
墓場を発いて屍体を嗜む変質者のような残忍なよろこびを俺は味わった。
--
なるほどねえ・・・
ちょっと意味は違いますが、美は乱調にあって階調は偽りなのですよ。
2015年4月5日日曜日
職業に貴賎・・・「あり!」
改めて「司馬遷の史記」を読んでいます。
百三十篇、五十二万字あまりの超大作ですから安直に「七十編の列伝だけ」・・・(笑)
列伝とは「個人の伝記」の類いである。
一国の総理大臣格から市井の一市民まで・・・貴賎都鄙の区別なく
義と情をを重んじ
持てる能力を最大限に生かし
時節時流をうまく掴み
功名を天下と青史に轟かせたさまざまな人々。
人生と世間のすべてがこの中にある。
物事には順番があり、やっぱり「巻頭」というのは重要であり、
司馬遷の生き様の本音みたいなものがにじみ出る。
伯夷列伝・・・利よりも義を重んじた二人の隠人
管安(正確には日と安)列伝・・・覇者をサポートした政治家
老子韓非列伝・・・老荘思想の老子と法家の韓非子
が巻頭の三編
眼光紙背を見るに彼の人物哲学なり歴史に対するたち位置が見えてきます。
しかしながら・・・巻頭も大事だが「巻軸」も無視してはいけない。
悼尾の一振って巻頭同等に「大事」なのですよ。
史記百三十篇の巻尾を飾るのは「貨殖列伝」。
賎業ともいうべき「工人・商人」の類である。
列伝一編の分量はせいぜい短(中)編小説程度ですが、この伝はかなりの力作です。
広い国土全般を網羅して多種多様な商人・・・流通業者が登場します。
司馬遷は「老子が理想とする小国寡民国家」を否定はしないが、
理想の産物としてその実現には否定的。
採集経済のような理想郷でもなければ成り立たず、
正当な交換を主とする自由主義経済こそがリアリズムだと断じる。
財を愛する「我」とは、釈尊、王侯貴族に限らず万民共通である。
財を追求する方策(選んだ職業)に貴賎なんかはあろうはずがない。
財は能力あるところに集まり、不肖の手からは散逸する。
統治の妙とは
民衆の傾向のままに従うこと
利を餌に民衆を方向付けること
民衆を説教すること ・・・ってな手練手管の使い分け
愚策は・・・統制経済と国家独営の民業との張り合い
・・いいえて妙であるが、
これって、二千年前の著作物であって多くの人々に読みつがれてきたものですが、
本当にヒトザルは「歴史から学べない」
太史公司馬遷は、草葉の陰で泣いているだろうなあ
ちなみに、司馬遷は・・・
マネーゲーム(金銭貸付業)も否定してませんが、お金の使い方の巧拙には厳しい
褒められた方法でないお金の稼ぎ方にも同情的ですが、きれいなお金の使い方を賞賛します。
2015年4月4日土曜日
やっぱり泣かないで、凛として!
大方の不安をよそに、大好評のうちにかの「朝ドラ」が大団円。
有史以来初めての金髪のヒロインが良かったのか
ハイボールブームを背景にハードリカの小道具が受けたのか・・・
でも、やっぱりあの歌姫の佳作が良かったって思うのですよ。
朝っぱらからじっとり湿っぽいミユキブシなんかお呼びでもないのですが
その気になれば、
魔女
妖女
鬼女
狂女
驕女
笑女
・・・・なんでもできる才女ですから、時代の表徴を見事に切り取った
詩人の魂を見せつけてくれましたってそこまで思うのは、
大昔からのファンとかみゆきフリークくらいかもしれません。
嵐吹く大地
嵐吹く時代・・・であっても
泥に伏せるときにも 歌は聞こえ続ける
そこを超えておいで
くじけないでおいで ・・・・今時流行りませんが「疾風に勁草を知る」
しかし、この曲がリリースされた際に、歌姫は何を思ったのか・・・
違うなあ・・・(笑)
確信を以って思うところが有り、ももクロ提供曲をこの時期あえて
異例ながらカバーしたのですよって深読みまでするのは、もはや病的かも(苦笑)
男時の生き方だけが立派で正しい生き方じゃない。
逃げ道のない闘いの日々が
いつか人類を疲れさせてゆく
危ぶみながら見ぬふりの未来が
いつか本能をしび痺れさせてゆく
→ 24時間働くジャパニーズビジネスマンみたい(苦笑)
こんな約束を 僕たちはしていない
泣き虫な強い奴なんてのが いてもいいんじゃないか
→ 就業規則上はそうなんですが・・・
全然泣けなくて 苦しいのは誰ですか
全然今なら 泣いてもいいんだよ
→ 女々しいとはいわさない(・・キッパリ!)
2015年4月3日金曜日
ネーミングライツは誰のもの?
公共施設だとネーミングライツの売り出しは今や当たり前。
阪神間に「◯◯女学院小ホール」って命名した小洒落た音楽ホールがあるのです。
すぐ近くなんですが、とうの女子大のキャンパスに観客が押しかけてトラブルになったってありました。
ある意味人騒がせだったかもしれません。
関西の某市ですが、財政再建策として「市名をネーミングライツとして売りに出す」ってアイデアが出された。
さすがに賛否両論・・・・というか市民は呆れ果てて多分闇沙汰になったと思われます。
特段悪い話ってことでもないと思うのですが、数年(あるいは十年程度)で市名がコロコロ変わるのも
如何なものでしょうかねえ。
市町村名なんかは平成の大合併で大きく変貌し、結構しらない(あるいはふざけた)市名があります。
それを思えば、カネに変わるんだったらまあいいじゃないって思うかもしれません。
しかし、都道府県名ともなれば、憲法九条並みに「変えてはならないもの」って思い込みも有ります。
さりながら、知名度の低い県名なんか、さっさと捨ててもっといいものに変えればいいじゃない。
現行の県名は、明治政府時代の産物で長い日本の歴史からすれば寸の間である。
島根より出雲
滋賀より近江
はるかに知名度は高いし、ブランドイメージ(例:出雲大社、近江牛等)もあるし、
なんちゃって日本語として実に美しい。
島根県では聞き及んでいませんが、滋賀県議会では、かような動議だか意見が田舎議員から出たそうです。
意図はわかりません。
改名利権でも狙っているのでしょうか?
滋賀県の云われはよく知りませんは、律令時代の「志賀の都」にちなんだんでしょう。
栃木・群馬なんか関西人の土地感覚でいえば、真に失礼ながら十把一絡げですから、律令制の時代に立ち返り
上野と下野って命名するほうがエレガントですがねえ・・・・・
仮に変えるのであれば、セットでやってください。でないと意味がない。
何事も民意である。
県民が変えたいと思えば、いささか面倒ですが、特別法を制定して変更はできるようです。
煩わしい変更手続き(システム対応はまあしれてます)とか変更コストを考えると本当に効果があるのかって
疑問もないではないが、悠久の日本の歴史とともに生きながらえてきた古い地名に変えるのであれば
それはそれで意義のあること。
しかし、個別事情を言えば、複数の旧国名がひとつの県になったところなんぞは、
いまでも旧国意識があっていがみ合っているようですから、まず無理(笑)
奈良県なんかは「大和」という方がかっこよさそうですが、「平城」でナラと読ませることもできます。
万葉仮名風に「寧楽」って書くと実に素晴らしいが・・・・
和歌山県なんかも改名してはどうですかねえ。
当然ながら「紀州県」なんていいですよ。
和歌山は、イヌは可愛いが、ヒトが悪いって言われなくなる(笑)
2015年4月2日木曜日
赤門を目指すための高校選びとは?
開成高等学校
筑波大学附属駒場中・高等学校
灘高等学校
麻布中学校・高等学校
駒場東邦中学校・高等学校
桜蔭中学校・高等学校
聖光学院中学校・高等学校
渋谷教育学園幕張中学校・高等学校
海城高等学校
東京学芸大学附属高等学校
あるブログを読んでまして・・・なるほどって。
今年のランキングです。
言わずと知れた「赤門大学合格者ランキングベストテン」
一見してわかることですが・・・
名門と言われる常連校揃いと言ってしまえばそれまでですし、
別に赤門大学に入学することが人生の到達点でもなく、赤門以外でも人生の成功者はいくらでもいますが
やはり「一定の集団における期待値の具現」であることは確か。
眼光紙背して思うべきことは
・男女別学高
・中高一貫学校
・国立あるいは私立校 ・・・だらけ
さらに「組員教師」も影響している可能性はあるのですが、定量数値がないのであえて触れない。
只々言えることは「戦後学校制度の基本フレーム」ではエリート(赤門卒業生程度はエリートだとは思わないが)は
育たないってことは確からしい。
三年ではなく六年かけてじっくり子供を育てるとか
文科省の軛から比較的自由であるほうがよいことだってのは
まあ、社会常識的にはそうだと思うのですが・・・
ジェンダーフリー論者が聞けば、怒髪天をつくような話であるが、
共学校って、少なくとも中高時代においては利点とはなにか?いささか疑問が残る。
メリット・デメリット論をサーチしても、ろくな意見がない。
かの「ブログの筆者」によればですが・・・・(かなり換骨奪胎しますよ)
男女間に優劣があるわけではないが、集団としての男女には理由は定かではないが「差異」は存在する。
集団(・・組織といってもいいが)のアクティビティは、
男子は「命令」により、女子は「共感」により行われるらしい。
組織はそれぞれ「たて型」であり、「横型」となる。
前者はついては激しく同意しますが、
後者は体感できないものですが、外から見てるとそんなもんかって。
一般論的に女性が指導者(指揮者)の適性がないのはそういうことなのです。
多くの場合は、組織は「タテ型上意下達」でできてますから・・・
さて・・・普通は以上をマクラに「ジェンダー論者」を粉砕する過激論を展開すると思うでしょうが
そんな火中の栗を拾うような真似は他人様にお願いする(笑)
少なくとも・・・
男女別学は憲法の男女平等原則に違反するとかってお馬鹿な裁判をやるような真似は
やめた方がいい。
国費の無駄使いだし、NET上で性癖が変態だと揶揄されるのがオチだ。
2015年4月1日水曜日
今日は「四月サバ」の日です。
四月の魚
万愚節を仏蘭西では斯様に言うらしい。
この季節ですから、さかなとは「鯖」のこと。
鯖にちなんだお菓子を食べたり、嘘をついても許される日なので、
お魚にちなんだ悪戯をしたりもするそうであるが、知人のフランス人に聞くに相当に廃れ気味らしい。
しかし「サバを読む」って言葉があるくらいだ。
どうも、語源に関係があるのかも・・・って、実のところはまったくなさそう(苦笑)
通常「数を誤魔化すこと」をサバ読みっていう。
語感からして、悪い意味のようですが、
様々な由来を読み比べてもどうもなるほどってものはない。
というか、NETの世界では、原典をちゃんと確認をせずに孫引きを繰り返し、
いつの間にか、俗説が真実に化けてしまうので、多数意見ほど危ないものはない。
三度炊く 飯さえ硬し 軟らかし 思うままには ならぬ世の中
魯山人&三度炊く で検索すれば、ざっと一万件程度ヒット
ネット上では、魯山人作が「定着」しちゃってるのでしょうか?
西新宿にある常円寺の歌碑(新宿区指定史跡)によれば・・・
文政二年に建てられた大田南畝の筆になる江戸時代中期の狂歌師「便々館湖鯉鮒」を刻んだ碑に
この狂歌が刻まれている。
ちゃんと自分の目で確認しました(きっぱり!)
この狂歌って、彼の快作なんだなあ(笑)
まあ、世の中メクラが千人、目明きが数人ってことですよ。
・・・もっとも、 三度炊く+便々館で検索すれば・・・こっちのほうがよくヒットする。
世の中、目明きの方が多いか(笑)
話を戻して・・・「サバを読む」って、賤商の悪しき商慣習のように思われては迷惑至極である。
明石散人(・・なる正体不明の博覧強記人)によれば・・・
腐りやすいサバに鑑み、注文数よりも多めに納入するという当時の鮮魚商人のうるわしい商慣習に
由来するとされる。
あるいは・・・
若狭であがった鯖を京都までの「鯖街道」を行く間に塩が利いて、
京都に着いた時に丁度良い塩梅になっているように塩をふることを「鯖を読む」という
後者は水上勉先生が言ったことらしいが、出典を思い出せないもんで
割り引いて読んでおいてください。
万愚節を仏蘭西では斯様に言うらしい。
この季節ですから、さかなとは「鯖」のこと。
鯖にちなんだお菓子を食べたり、嘘をついても許される日なので、
お魚にちなんだ悪戯をしたりもするそうであるが、知人のフランス人に聞くに相当に廃れ気味らしい。
しかし「サバを読む」って言葉があるくらいだ。
どうも、語源に関係があるのかも・・・って、実のところはまったくなさそう(苦笑)
通常「数を誤魔化すこと」をサバ読みっていう。
語感からして、悪い意味のようですが、
様々な由来を読み比べてもどうもなるほどってものはない。
というか、NETの世界では、原典をちゃんと確認をせずに孫引きを繰り返し、
いつの間にか、俗説が真実に化けてしまうので、多数意見ほど危ないものはない。
三度炊く 飯さえ硬し 軟らかし 思うままには ならぬ世の中
魯山人&三度炊く で検索すれば、ざっと一万件程度ヒット
ネット上では、魯山人作が「定着」しちゃってるのでしょうか?
西新宿にある常円寺の歌碑(新宿区指定史跡)によれば・・・
文政二年に建てられた大田南畝の筆になる江戸時代中期の狂歌師「便々館湖鯉鮒」を刻んだ碑に
この狂歌が刻まれている。
ちゃんと自分の目で確認しました(きっぱり!)
この狂歌って、彼の快作なんだなあ(笑)
まあ、世の中メクラが千人、目明きが数人ってことですよ。
・・・もっとも、 三度炊く+便々館で検索すれば・・・こっちのほうがよくヒットする。
世の中、目明きの方が多いか(笑)
話を戻して・・・「サバを読む」って、賤商の悪しき商慣習のように思われては迷惑至極である。
明石散人(・・なる正体不明の博覧強記人)によれば・・・
腐りやすいサバに鑑み、注文数よりも多めに納入するという当時の鮮魚商人のうるわしい商慣習に
由来するとされる。
あるいは・・・
若狭であがった鯖を京都までの「鯖街道」を行く間に塩が利いて、
京都に着いた時に丁度良い塩梅になっているように塩をふることを「鯖を読む」という
後者は水上勉先生が言ったことらしいが、出典を思い出せないもんで
割り引いて読んでおいてください。
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