2015年4月8日水曜日

本当は、今日は大切な日なのです





・・・といわれてもねえ。
なんとも流行らない「聖人の生誕日」
釈尊は(旧暦ですが)この日がお誕生日らしい。
お寺さんでは「灌仏会」を催しますが、いまいち盛り上がりに欠ける。
本当に在家仏教徒は不信心である。
イエス様と偉い違いなとりあつかい(苦笑)


イスラムでも、マホメッド(このような言い方はいまや一般的でないが)の
お誕生日を盛大に祝います。
預言者生誕祭というそうですが、ヒジュラ暦なもんで、一般的な暦法だと・・・よく知りません。
もっとも、原理主義的な一派では、コーランに書かれていない祝い事ということで無視するらしい。


釈尊ですが、実在性を疑うまでのことはないが、生没年が定まらない。

諸説紛々、百家争鳴のありさまで、主な推定生没年は・・・

紀元前624年 - 紀元前544年 : 南伝(上座部仏教)説
紀元前566年 - 紀元前486年 : 北伝「衆聖点記」説
紀元前463年 - 紀元前383年 : 中村元先生説

なんと二世紀あまりもブレがあると、お誕生日に至ってはまさに藪の中。
かような有り様ですから催し物だって、流行りはしないし、教義的にも興味をもたれない。



つまるところ、釈尊の教えって・・・よくわからない
というか、後世あまりに換骨奪胎というか擬制変異を繰り返してしまったために
原始仏教と現在の大乗仏教は似て非なるものになってしまった。

煎じ詰めれば簡単な話で・・・・

有りもしない(あるいはあるかどうかもわからない)来世(あの世)の話はしない。
大事なのは現世。
しかし、人生は苦であり、苦の根本的な原因は「無知による迷いと執着」
このような煩悩な境遇から脱却する方法が・・・

別に難行苦行なんかは必要ない。
正しい行動原理に基いて修行さえ行えば、煩悩をなくし、苦を克服できる。
八正道というそうですが・・・


正見 (正しく物事を見る事)
正思惟(正しく物事の道理を考える事)
正語 (真実のある正しい言葉を語る事)
正業 (間違った行いをしない事)
正命 (清浄な生活をする事)
正精進(正しく目的に向かって努力する事)
正念 (邪念を離れて正しい道を思念する事)
正定 (正しく精神を集中して安定させる事)



煎じ詰めれば・・・どってことないのですがねえ。
狂言綺語を弄しているうちはダメみたい(その程度はわかります)






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