2015年4月6日月曜日
名月をとってくれろと泣く・・・のは子供の証明
欲しければくれてやってもいいが、
もらってもどうしたら良いか途方にくれるだけでしょう(嘲笑)
桜の起源は・・・ヒマラヤ近郊というのが定説
中国の学者は「中国で生まれ日本で花開いた・・・」といいます。
漢の武帝時代の領土はたしかにあの近くまであったかも・・・
韓国人は・・・なんでもかんでも「韓国起源説」ですから、論ずるに値しない。
何事も「氏より育ち」
文化の高みにまで育て上げた美意識、あるいはその美意識の体得が崇高なのである。
桜文化のデカダン的な美意識の極みは・・・
根元には屍体が埋まっているという発想
梶井基次郎の傑作(櫻の樹のしたには)に由来するが、特段彼だけの「美の発見」でもなかろう。
強欲な隣人に惨殺された愛犬は桜の根元に植えられ、
こぼれんばかりの爛漫とは「花咲翁」の説話にもあるとおりである。
我が家の愛犬・愛猫だって、代々天寿をまっとうすれば、
陋屋近くの川辺りの所有木(桜木)に根元に埋葬されている。
駄犬・駄猫のたぐいですので、そこいらを掘り返しても金銀小判が出てきた試しはないが
今どきには紅涙あるいは紅血を絞らんばかりな桜花が、天空を舞う。
実のところは、雨風にさらされて可哀想だから、せめては大樹の陰でって気持ちの現われ。
彼の作品をよく読めば・・・散文詩のような難解さであり、冒頭の一句だけが有名で
ちゃんと読まれているのかどうか疑わしい。
実のところ、中段辺りのこの部分こそがこの作品の肝だと思うのですが・・・
そこまで論じた向きは寡聞にして知らない。
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水のしぶきのなかからは、あちらからもこちらからも、
薄羽蜉蝣がアフロディットのように生まれて来て、溪の空をめがけて舞い上がってゆくのが見えた。
彼らはそこで美しい結婚をするのだ。
溪の水が乾いた磧へ、小さい水溜を残している、
その水のなかだった。
思いがけない石油を流したような光彩が、一面に浮いているのだ。
それは何万匹とも数の知れない薄羽蜉蝣の屍体だったのだ。
隙間なく水の面を被っている、
彼らのかさなりあった翅が、光にちぢれて油のような光彩を流しているのだ。
そこが、産卵を終わった彼らの墓場だったのだ。
胸が衝(つ)かれるような気がした。
墓場を発いて屍体を嗜む変質者のような残忍なよろこびを俺は味わった。
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なるほどねえ・・・
ちょっと意味は違いますが、美は乱調にあって階調は偽りなのですよ。
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