2015年7月31日金曜日
声だけで登場
オンザハイウェイ
チャイルド44
マッドマックス
主演作品が3本も同時公開とは、稀有の事。
英国人ですが、RSCでも、オックスブリッジ、グラマースクール出身でもないので、
エリート映画・演劇人は無理っぽい。
大スクリーンでの公開作品は、なんとか共演者の力量に支えられていた。
忸怩たるものがあったのか、一人映画に挑戦(笑)
一人芝居は、真っ当な演劇のジャンルとして確立しているが、
一人映画?ネットでくぐれば、アホたらしい(苦笑)
お一人様で映画を観にいくことの是非。
映画は一人で見るものです。
デートに映画鑑賞なんて、最低のコース。
まあ、そんなことはさておき、登場人物が一人だけって映画は探せばあるもの。
しかし、まったくのモロローグだけってさすがにシンドくて、大抵は電話の相手方が登場するという設定です。
主人公の「トムハーディ」は、高層ビル建築の現場監督。
とあるアクシデントが発生し、彼は全てを投げ出して、ロンドンに車を飛ばす羽目となる・・・・
問題の彼女から
現場の部下から
家庭から、妻と子供がかわるがわる・・・
それぞれに、難題やトラブルが降りかかる。
主人公は、BMWで86分間、運転し、モバイルフォンで会話をするだけ。
閉じ込められた密閉空間でのサスペンスという設定は脚本の妙味です。
しかし、フォーンブースから出られなくなったコリンファレル主演の映画が
かつて有りましたなあ。
どっちも、電話が命綱だったり、生死の分かれ目だったり・・・マクガフォンとして巧みな使い方です。
大昔は、宅電だったし、ダイヤルMを回すような暗喩だけだった。
だから、リメイク版はこれ以上もなくつまらなかった。
エンドロールでは、出演者の配役が並ぶのですが、一応「声だけの出演」も。
声だけの出演って、映画人のキャリアとしてどう評価されるんでしょう?
2015年7月30日木曜日
入谷の里の侘び住まい
何故だか箱根の向こうは「谷」を 「や」と発音する。
真っ当な和語の世界だと「たに」に決まっているが、多分に夷の言葉なのだ。
唯一的に例外は「鴬谷」であるが、これには理由がある。本論とは関係ないし、
毎度話題にしていますから、再掲はしない。
入谷という以上、かつては低湿地帯だったにちがいない。
平成の世では、普通の下町で、鬼子母神と朝顔市くらいしか名物はない。
大層な由来でもないが、江戸後期での、下級武士のアルバイトで始まった変わり朝顔の栽培。
いまとなっては、近隣に朝顔栽培農家なんか影も形もなく、江戸川区あたりから持ち込まれるそうだ。
鬼子母神界隈の朝顔市は、なかなかの活況であるが、別に鬼子母神が朝顔との
縁があるわけでもない。
蜀山人に由来する「・・・おそれ入谷の鬼子母神・・・」なる地口でちょっと
名がしれているって程度ですので名刹っていう風情もない。
更に言えば、雑司が谷もそうですが、鬼子母神の「鬼」にツノをつけるのは
仏典の記述に従い、間違いです・・・そういう漢字がないので致し方ないが、
その程度の説明すら正確に書かないウエッブサイトは困りもの(笑)
まあそんなことはいいのですが、この地口が蜀山人に由来するとは
まったく知らなかった。
蜀山人私家集を紐解くに・・・放歌集なる歌集にありましたねえ
いまさらに 恐れ入谷の きしも神 あやうく過ぎし 時を思えば
背景説明がないので、状況がわかりませんが、なんか霊験新たかなことがあり、
鬼子母神様の御利益に恐れ入ったが、いままではそんなことは露知らず、あらためて・・・ということのようです。
ネットの知ったかぶりでは・・・
恐れ入谷の鬼子母神
びっくり下谷の広徳寺
なんだ神田の明神様
とかなんとか親父ギャグが延々と続きますはが、これも蜀山人の作だとか?
多分ですが・・・巷間のダジャレが先で、それを蜀山人が援用したという方が正しいように思えます。
この手の物言いは
あたり前田のクラッカー
その手は桑名のアンルイス
嘘を築地の魚市場
嫌じゃ有馬の金のお湯
いくらでもありますからねえ(笑)
2015年7月29日水曜日
ふるさと納税をやって、田舎議員になろう!
実のところ「ふるさと納税」自体が、奇妙でテクニカルな制度であり、あまりにお気に召さない。
寄付金税制と所得税額控除を組み合わせた奇形児であり、
すんなりと寄付金税制の抜本改革をやるほうが気が利いている。
寄付金を沢山受けたいって思う地方自治体が地元名産品を寄付額に応じて寄付者に贈呈するのは、
それは勝手というものです。
しかし、制度が多少使い勝手が良くなったからか、
プレゼントがマーケットニーズに合致するからか知らないが、
年間150億円近くの寄付金があるらしい。
制度がある程度定着し、疲弊する地方財政に一定の下支え効果があるってことより、
奇天烈な瓦解寸前の地方議会支援策が一部で話題を呼んでいる。
曰く・・・ふるさと納税議員制度
簡単にいえば、ふるさと納税をすれば、その地方自治体での選挙権と被選挙権を与えるという
仕掛けである。
はっきり言えば・・・バカバカしい(笑)
詳細な制度設計は、今後議論されるのかもしれないが、
これまた選挙法制の不備に起因するものであり、そっちを改正するのが王道だろう。
改めて「被選挙権の要件」を眺めていて、ちょっと驚いたのですが・・・
国籍条項
年齢条項
非適格条項(犯罪歴等) 等は公職選挙法に記載されてることは了知しているが、
居住条項の縛り・・・つまり「その選挙区内に住民票が一定期間登録されていること」
までは気が付かなかった。
以下「居住条項」の適用の有無(多分間違っていないはず)
衆議院議員総選挙 :無
参議院議員通常選挙:無
都道府県議会議員 :有
都道府県知事 :無
市区町村議会議員 :有
市区町村長 :無
どうして地方議会の議員だけに「居住条項」が必要なのかよく分かりません。
地方自治の精神からすれば、非居住者が選挙権を行使することは如何と思うが
非居住者であっても居住者がその見識・能力を認めて議員活動をやってもらって何が不都合かと
思うのですよ。
そもそも有為な人材が不足し、人口減の中でなり手がおらず、四苦八苦している現状を見れば
新制度をあれやこれやと今から議論するより、公職選挙法をちょこっと改正するだけでいい。
なにか「反作用」があるだろうか?
なくはないだろうが、瑣末な問題でしかない。
都会から片田舎まで非居住者議員が議会活動をやるための交通費なんかどうする?
議会は土日とか夜しか開催ができなくなる?
この程度は知恵を出せばいい。
過日、東京都の区議会で「筆談議員」が登場したが、
なんとか関係者全員が汗をかき、知恵を出して工夫してやっているようですよ。
そうそう、ふるさと納税制度にからめて「選挙権」を与えるのは憲法上如何かと
思いますよ。
憲法93条2項
地方公共団体の長、その議会の議員及び法律の定めるその他の吏員は、
その地方公共団体の住民が、直接これを選挙する。
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2015年7月28日火曜日
鎮魂
日本の夏は・・・○○の夏じゃなくて、花火の夏。
こまめに探せば、夏の期間中、どこかで必ず「花火大会」
観客の数とか、打ち上げるの火玉の数を競うのもいいが、
なんちゃって歴史と伝統に裏打ちされた「隅田川花火大会」が堂々のグランプリである。
先週開催された大会が第38回。
たかがというなかれ(苦笑)
亨保の時代の大川の川開きに端をなす両国の花火大会の歴史を引き継ぐ由緒ある花火大会。
ものの本的には、亨保の大飢饉の犠牲者の供養を兼ねての花火という触れ込み
さすれば、主催・共催・後援に、回向院やら浅草寺が名を連ねるべきですが、
公式HPには・・・近隣の営利企業群ばかり
市民の方々も「協賛・・・要するに運営費の拠出」できるようになっており、
協力すれば、指定観覧席が確保できるらしい。
東京マラソン並みに大人気で、抽選だとか・・・・
数千円強を支払ってまで、見る価値が有るかどうかは知りませんが、
人出予想は、ざっと百万人。
我が寓居は、浅草のハズレですが、
方角的にちょっとベランダからの観覧は・・・ちょっとしんどい。
どうせ、協賛メディアの某局が中継をやってくれる。
亨保の大飢饉(1732年)は、江戸四大飢饉の一つであり、不順な天候が西日本全体を襲い、
お米の収穫高は、平年比70%減という悲惨な事になった。
餓死者の数は・・・よくわかりませんが、藩から幕府への報告は過少報告ですので、
公式記録はあてにならない。
推計百万人とされる。
その結果、翌年には米価暴騰を理由にコメ一揆が相次ぎ、
吉宗は、いわゆる「享保の改革」を推進し、米価対策に腐心することになる。
しかし、世の中メクラ(あえて差別用語使いますが・・)ばかりでもない。
飢饉対策としてサツマイモ栽培を推進していた藩もあったらしく、
その後、日本中に栽培が広まることになった。
にもかかわらず、飢饉と一揆の繰り返しが江戸時代の風物詩
天候不順を含め天変地異は「政治の不徳」のいたすところというのが東洋的統治観
無辜の霊にぬかずき、
徳のいたらなさを詫び、
明日への誓い ・・・をおこなってこそが「有徳政治」というものである。
宗教者も、こういう時に働くためにいつもは無為徒食でいてもいいのです。
単に観光資源だけとソロバンをはじいたり、嬌声を上げるだけであればバチが当たる。
2015年7月27日月曜日
白鳥の歌なんか見たくもない。
この世のものは、堅牢な大伽藍だって精緻なシステムだっていつかは・・・
その終末を美しく表現すれば・・・「神々の黄昏」
ワーグナーの楽劇
ヴィスコンティの「ゲルマン三部作の最終盤」
ゴルゴ13のある作品名
いずれもが、荘重・壮大な崩壊劇であり、その先に廃墟美の幻視を見る。
言葉の出典は北欧神話に由来する。
満を持しての登場が、ロシア人巨匠(らしい)監督の遺作・・・「神々のたそがれ」
原作は、ロシアのSF小説 HARD TO BE A GOD
語感からすれば「神様稼業ってつらいわ」かな?
人類と宇宙人との交流譚というのは、ありげなストーリーですが、ちょっとヒネリがきつくって
800年程度進化したヒトザルが、暗黒中世のような地球人そっくりな時空を訪れるって設定。
焚書坑儒に明け暮れる未開の「そっくり地球」で、神の振る舞いをする「ホンモノ地球人」
その交流の果てにあるものは・・って展開が、残忍・猥雑・不潔なモノクロ画面一杯に三時間弱
カラーでなくてよかった(苦笑)
高名な極私的映画愛好家は、こぞって「絶賛」しますが、
あのキューブリックの「2001年宇宙の旅」の時のように
なんだかよくわからないけど褒めとこう・・・って感じです。
監督は過去は共産主義政権から映画製作を許されず、
結果、寡作であり、この作品は15年の歳月をかけた遺作という触れ込み。
死者に鞭打たないのが倭人の美徳。
死ねばブスでも「美人なんとか」って大衆週刊誌の見出し
製作国がロシアですから、ロシアのアカデミー賞(そんなものがあったのか?!)で
主要な賞を複数獲得しています・・・が、西側の映画祭では見向きもされない。
各地の単館を転々と上映行脚中ですが、怖いもの見たさのマニアがそれなりに押しかけているようです。
目覚めない愚昧な連中を啓蒙し指導してやるって感じの上から目線風は、
一時期の左翼運動家にありがちな風景。
最近は、市民運動家を標榜するが、手口ですが、本質はプロ活動家です。
エリートが大衆を指導するのが革命であり、
大衆だけでは暴動一揆に過ぎないって豪語したのはレーニンでした。
確かに、歴史は有象無象の民衆だけでは動かないが、
動かないことを承知のうえで、歴史は人民のあくなく闘争でありなんって態度が気に食わない。
この映画にもそんな臭いがするところあり、気に召さない。
もう一度じっくり見れば、多少印象が変わるかもしれないが、あらためては見たくはない。
2015年7月26日日曜日
元寇あるいは蒙古タンメン「不食」運動
最近の歴史教科書はもとより、歴史学術書でも使わない歴史表現となってしまった。
「蒙古襲来」というのが一般的のようです。
でも、襲来とは、単に襲ってきたって雰囲気だし、蒙古にいたっては、モンゴル高原に居住する遊牧民に対する漢民族的蔑称です。
言わば、野蛮人が野荒らしにやってきたというニュアンス。
実際は、元と言う史上最大規模の国家の意思による戦争或いは侵略行為以外の何物でもない。
「元寇」とは、元と言う国家による侵略行為という適語表現そのものです。
しかし、いささかこれでも不正確でして、元とその属国である高麗連合軍による渡海侵略というのが正しい姿。
朝鮮族は渋々嫌々加担させられたって、ことになってますが、身勝手な自己弁護。
十三世紀に中韓連合軍が倭国を侵略して大失敗したというのが正しい歴史認識です。
侵略軍のとりわけ朝鮮族の蛮行は、壱岐対馬をジェノサイト化するほどの残虐なものであったと史書には記載されています。
同じことを越南でも後世やったらしい。
その後の倭寇とは、当初はその報復もあったとされますし、最盛期はむしろ中国人をリーダーとする海賊行為というのが正鵠を得ています。
所詮戦争とはそんなものであり、無辜の民草が被害を受けるのはどっちこっちない。
倭軍は、中国でひどい事を・・・多分やったんでしょうが、戦争で外国軍にひどい目にあったのは、歴史上沖縄だけじゃない。
文禄慶長の役だって、立場を逆にする倭国対中韓連合軍との戦いである。
ナンチャラ倭乱なんて、認識のズレがひどすぎる。
報復の連鎖を声高に罵ることは未来思考とは程遠い。
歴史に無知であってはいけないが、正しく理解することですよね。
古人曰く・・・
因果はめぐる水車。禍福は糾える縄の如し
そういうことで、支那同様に差別的な蒙古という表現を使わないって運動があるようですが、
歴史認識がこの程度ですので関係者の努力は当面実りそうもない。
支那そばがダメで、蒙古タンメンが問題ないって思っているうちは論外(笑)
2015年7月25日土曜日
法悦の一夜に、浄化せよ。
Amendment II
A well regulated Militia, being necessary to the security of a free State, the right of the people to keep and bear Arms, shall not be infringed.
古風な英語というのは、解釈も多岐多様なのか、合衆国憲法修正第二条。
銃規制を阻む最強の砦とされる。
これらの権利章典とも言うべきアメンドメントが批准されたのは、発議された1798年から三年後。折しも、大革命の頃。なんらかの歴史的な符号がないと思う方がどうかしている。
銃規制に関して、全くのフリーを主張する向きは少数派だといわれるが、市民の
武装権そのものを否定する立場の者も少ない。
これは、建国の理念の一部であり、否定することは、建国の父たちの理念そのものの否定につながる。
市民の武装権と言えば、剣呑であるが、言い換えれば人民の抵抗権の担保である。規律ある武装する民間人は、自由な国家の安全のために不可欠・・・とは、
けだしそういうことである。過度な銃規制に慣れてしまえば、それが当然視されるが、その一方において国家の暴力に市民が対抗できないというリスクすら忘れる。
さりとて、年間三万人以上が銃の犠牲者である。
交通事故死をうわまわる数らしいが、半分強は自殺、銃殺人は四割程度に過ぎない。銃が手元になかったら、自殺も人殺しもしないのかって・・・?
これはなんとも言えない。
なんにしても、稀ではあるが、銃による大量殺人事件は国論を揺るがし、バイアスのかかった論調で国際的にも非難されることは統治者にとって面白いことではない。
そこで、未来の新しい建国の父は、奇妙でおぞましい法律を成立させることで
犯罪率と失業率を一挙に、そして劇的に改善することに成功した。
ヒトザルは、動機と機会と・・・・自己正当化の三要素のなかで行動する。
年にたった一度、十二時間だけ全ての殺人が違法でなくなる・・・
年に一度の殺戮の祝典。
楽しい、村祭りや歌垣があれば、ヒトザルの獣性はその時だけ解き放たれ、
後は、理性と慎みの中で平穏に生きてゆく・・・
それらを担保するのが、合衆国憲法修正第十一条。
追加された人民の権利。
THE PURGE
こんなエクストリームスリラーに熱狂する人種には、銃規制なんてそもそも
無理だわねえ。
R15+が興行一位なんかになるって稀有のこと。
翻って、東洋の平和な島国。
少数のシネコンで上映中ですが・・・客足はまばら、いまんとこ。
みなさん、戦争促進法案反対のデモに忙しいのかねえ。
2015年7月24日金曜日
朝焼けの色はいつから「茶色」になったのか?
茶色が連想させる抽象的イメージとは・・・
安心感
安定
頑固
堅実
重厚
素朴
地味
伝統
一言で言えば「保守」のイメージ。
一部にグレン・ミラーの「茶色の小瓶」なんかを思い浮かべるだろうが、
それは潜在的なアルコール依存症の傾向を表す。
民族的にも、ラテンやノルマンよりゲルマンとかスラブのイメージ
倭人には馴染みの少ないカラーであるが、
EU諸国(とりわけ仏蘭西国)ではあの「ナチスの褐色の制服」を連想させるらしい。
ネット(日本語版)であちこちクグッテみても、そういう記述には皆目見当たらない。
従って「茶色の朝」っていわれても、その寓意性を感じ取るのは難しい。
仏蘭西ではベストセラーになり、倭国でも翻訳が出たようであるが、社会現象にはならなかった。
お節介にも「倭国の朝も段々に茶色に染まりつつ・・・」なんて書き散らす
某国の国粋的サウスポー新聞もあるようだが、社会の木鐸たる大新聞の多くは「黙殺」したようである。
そもそも的には、原作者のフランス人は、国民戦線(フランス民族主義極右政党)の躍進への
強い懸念を示すためにこの短編寓話を書いた。
1998年のことである。
各国で出版されたが、EU諸国での保守(右派)の台頭に歯止めはかかったわけではない。
一本のペンの力で歴史を動かすことは可能だが、
それはそういうような「時代の要請」が潜在化している場合に限られる。
識者の「強い懸念」にもかかわらず、時代はそのような「危惧」を共有してはいないのだ。
識者は「上から目線」で言うのですよ。
自己保身・他者への無関心等の事なかれ主義的な惰性の日々の積み重ねが
ファシズムを拡散するって・・・
別に大義は「革新や左派」にだけあるってもんでもない。
労働者・市民の祖国だか、地上の楽土だっけ・・・幻想は破綻している。
グリーンゾーンにいながら「啓蒙」してやるって態度だから、最後の最後で共感を呼ばないのだ。
あの暗い時代は二度とゴメンだ・・・って、迎合した後知恵めいた物言いにも困る。
むしろ戦争の時代を積極的に礼賛し、加担すらしたでしょう。
識者って言われる方々って、基本的に信用も信頼もされていないのですよ。
信じて用い、頼った結果があのざまですから・・・
しかし、寓意に満ちたこの短編は実によく出来ています。
全文と言っても、この程度
http://www.tunnel-company.com/data/matinbrun.pdf
啓蒙された誰かさんが苦労してPDFファイル化したんでしょう。
その点には感謝します。
また、インスパイヤーされた12分間のアニメも素晴らしい。
予感させることは「茶色の朝」のつぎには「水晶の夜」・・・・だろうか?
あるいはシベリア送り
ただただ言えることは、空気や風に流されず思考停止状態には陥らないことです。
自分の頭で考えて・・・それが正しい答えだったかどうかは歴史が教えてくれますって
サイレントマイノリティは思うわけです。
2015年7月23日木曜日
悪いチャレンジ 良いチャレンジ
三百ページにも及ぶ「正式報告書」を精読することは大儀だし、
まずもって知りたいことは・・・
何が起こったのか?
何故起こったのか?
誰が起こしたんだ?
だったらこれからどうするんだ? ということに尽きるのですが、
予想通り、隔靴掻痒の感があり、真相は明らかになったとも言い難い。
実際に何が起きたのか。「粉飾」ですか?「不正」処理ですか?「不適切」処理ですか?
報告書的には「不適切」という表現で統一されていますが、メディア的には「不正」表現が
散見されますし、はっきりと「粉飾」とも・・
そもそも的にはこの「調査委員会」なるものは何なんでしょうか?
日弁連の公表資料によれば・・
--
企業等が調査の精度や信憑性を高めようとするため、
弁護士に対し内部調査への参加を依頼する「内部調査委員会」
経営者等自身のためではなく、すべてのステーク・ホルダーのために調査を実施し、
それを対外公表することで、最終的には企業等の信頼と持続可能性を回復することを目的とする、
企業等から独立した委員のみをもって構成され・・必要に応じて具体的な再発防止策等を提言する
タイプの「第三者委員会」
--
という2つのタイプがあるようですが、実際上は白黒がきっちりとつくものではない。
--
・・日本弁護士会の定めるガイドラインに準拠した、東芝と利害関係を有しない・・専門家から
構成される第三者委員会を設置・・
--
報告書にはこのように記載されています。
素直に読めば「日弁連のガイドラインに準拠した第三者委員会の設置」ということになるのですが
後段の方では・・・
東芝からの委嘱を受け、東芝のためにだけに行われ・・・
第三者に依拠されることを予定せず、第三者に対して責任を負わない。
日本語により作成され・・英語版につき何らの責任も負わない
形式・手順だけは第三者委員会を標榜しながらも、結果部分は内向きの報告書ということになります。
それに今後予想される海外も含めた訴訟対応に相当神経を使っています。
何が起きたのかは克明です。
しかし、これ以外に何も問題になることがなかったということを表明するものではない。
あくまで「委嘱された調査対象の中で起きた」ことという限定付きです。
発生理由は・・・チャンレンジですか(苦笑)
一般的な前向き表現が一夜にしてネガティブ用語になったのはお気の毒としか言い様が無い。
利益追求は企業の本能ですから、報告書ではそれを咎めてはいない。
その方法論を咎めているのですが、
記者会見では「誰が・・」ということも含め質疑が咬み合わないっていうか、お座なりです。
サクラ質問とまでは申しませんが、事前の答弁練習の範囲内に終始したようです。
本当にメディアは勉強不足です。
だからこれからどうするんですかって部分も「一般的」
眼から鱗って提言はありませんでした。
別にエキセントリックな提言でなくともいいのですよ。
今回の「提言」に限らずですが、心底理由なり責任なりを自覚しないと真に血肉にならない。
今日の東京市場は、全体の地合いも悪いのですが、この社の株価もピリッとしません。
チャレンジが足らないって、市場は感じています。
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