2015年7月28日火曜日
鎮魂
日本の夏は・・・○○の夏じゃなくて、花火の夏。
こまめに探せば、夏の期間中、どこかで必ず「花火大会」
観客の数とか、打ち上げるの火玉の数を競うのもいいが、
なんちゃって歴史と伝統に裏打ちされた「隅田川花火大会」が堂々のグランプリである。
先週開催された大会が第38回。
たかがというなかれ(苦笑)
亨保の時代の大川の川開きに端をなす両国の花火大会の歴史を引き継ぐ由緒ある花火大会。
ものの本的には、亨保の大飢饉の犠牲者の供養を兼ねての花火という触れ込み
さすれば、主催・共催・後援に、回向院やら浅草寺が名を連ねるべきですが、
公式HPには・・・近隣の営利企業群ばかり
市民の方々も「協賛・・・要するに運営費の拠出」できるようになっており、
協力すれば、指定観覧席が確保できるらしい。
東京マラソン並みに大人気で、抽選だとか・・・・
数千円強を支払ってまで、見る価値が有るかどうかは知りませんが、
人出予想は、ざっと百万人。
我が寓居は、浅草のハズレですが、
方角的にちょっとベランダからの観覧は・・・ちょっとしんどい。
どうせ、協賛メディアの某局が中継をやってくれる。
亨保の大飢饉(1732年)は、江戸四大飢饉の一つであり、不順な天候が西日本全体を襲い、
お米の収穫高は、平年比70%減という悲惨な事になった。
餓死者の数は・・・よくわかりませんが、藩から幕府への報告は過少報告ですので、
公式記録はあてにならない。
推計百万人とされる。
その結果、翌年には米価暴騰を理由にコメ一揆が相次ぎ、
吉宗は、いわゆる「享保の改革」を推進し、米価対策に腐心することになる。
しかし、世の中メクラ(あえて差別用語使いますが・・)ばかりでもない。
飢饉対策としてサツマイモ栽培を推進していた藩もあったらしく、
その後、日本中に栽培が広まることになった。
にもかかわらず、飢饉と一揆の繰り返しが江戸時代の風物詩
天候不順を含め天変地異は「政治の不徳」のいたすところというのが東洋的統治観
無辜の霊にぬかずき、
徳のいたらなさを詫び、
明日への誓い ・・・をおこなってこそが「有徳政治」というものである。
宗教者も、こういう時に働くためにいつもは無為徒食でいてもいいのです。
単に観光資源だけとソロバンをはじいたり、嬌声を上げるだけであればバチが当たる。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿