2024年11月30日土曜日

海の沈黙

 



名作とか傑作かどうかは?


幾多の名テレビドラマの作者である倉本聡の渾身のシナリオというふれこみだが、彼の映画脚本で素晴らしいのは「冬の華」だけ。



特段、この「海の沈黙」が失敗作とは言わないが、少し欲張りすぎて監督の手に余ったのだろう。

本木雅弘の入魂の演技が勿体無いし、小泉今日子のキャリアに残る名演なんですがねえ(でもキャリアっていうほどの芸歴でもない)



でもなんちゃって、清水美砂(清水美沙)

スクリーンで見るのは「シコふんじゃった」以来かな?

記憶をたどれば、こん時に本木と共演していましたし、可愛いだけから妖にして艶な女優さんに成長。残念な事に序盤に登場し早々に水死体。

刺青見本の女、、、って、アタシの好きな官能倒錯頽廃の世界なのに。

なんとも残念な取り扱い



でも、彼女がご贔屓らしいニコラシカの飲みかたは如何かなあ、、、、

アタシは檸檬の皮をはきだしたりはしない

檸檬の皮の苦味がブランデーの味を引き立たすんですよ(と、キッパリ)


この写真のように砂糖を富士山のように盛り上げると甘味とカロリー過多です

2024年11月26日火曜日

素晴らしいじゃぱにーず駅伝

 


スポーツは映画や漫画の素材.....つまり視覚系コンテンツとして優れたものが多いが、、、、

要するに、小説にするとロクデモナイ。

読むに耐えるのは「素晴らしいアメリカ野球」くらい?


だから、稀代のストーリーテラーの池井戸潤がスポーツ系のエンタメノベルを幾つか上梓していますが(野球とかラグビー)まず食指が進まない。

最新作が箱根駅伝テーマといわれれば、、、それって三浦しをんさんの「風が強く吹いている」の二番煎じだか三番煎じ(^^)

でも、アタシが大好きな「予選会」をモチーフにしていると聞けば俄然興味津々。



本戦に出場が叶わなかった大学の高成績選手だけで構成される所謂「学連選抜チーム」が、なんと本選で二位相当の結果を出すって、ある意味荒唐無稽なお話なんだが、青学の原監督が実際に学連選抜チームで四位相当の結果を出した事があるらしいから、あながちそうでもない。

選抜された選手の記録だけを見れば、本戦上位の可能性はありうる話し。

しかし、幾ら良い成績でも「記録に残らない」ならモチベーションは上がらないし、団体戦なんだから寄せ集めではチーム力にはならない

それをなんとかするのが監督の力量ってこと。

毎年最下位あたりに低迷するチームを上位に導いた原監督は実に素晴らしい指導者なんだ。



エンタメとしては実によくできています。

複数の視座から立体的に物語を作り上げて行くというお手本のような小説です、監督の視点、選手の視点、そして放映するテレビ局の視点がうまく絡み合う、、、というか、この最後の視点が一番面白い(^^)


初めて知ったが、テレビ局が初めて中継をした際に箱根でのスタッフ三百余人の宿泊地の確保にポカをやり、その苦境を救ったのが小涌園ホテル。

その恩義から未だに区間中継ポイントでもないのに小涌園前に中継カメラを設置しているエピソードが執筆動機だというから、、、実際の後援は読売新聞なんですが、こちらは、スタートとゴールの場所提供だけ、、、と思いきや「箱根駅伝」なる商標の権利者でもあるが、この小説は文藝春秋刊行ですから、讀賣は全く登場しない。



2024年11月25日月曜日

天空の宗教都市にて.....承前

 




南海高野線の極楽橋駅からケーブルカーで高野山上まで。

善男善女かどうかは知らないが、ツアー客らしきヒトザルで芋の子洗い状態です。
天空の宗教都市というキャッチコピーですから、思弁性が高そうな西洋人(フランス人が七割だとか)が多いと聞いていたが、結構アジア系もいます。倭人以外は誰でも乗ってる感じ(^^)


山上の駅から寺前街までは約五キロ

バスかタクシーか徒歩、、、今はPayPayで決済ができるシェアバイクもあります。

皆さんはバスですが、アタシは修行の為歩く

無論往復とも



朝御飯を食べ損なったもので、空腹と疲労で目が眩む。

お昼時だから満席とかアルコールや肉系を出さないお店が多い、、、マックもスタバもあろう筈がない。

やっと見つけたカフェ風の食堂で、カツカレーに瓶麦酒。美味くないが文句は言うまい。


納骨法要は、光台院(高野御室)なる古刹にお願いした。

昨今は宿坊経営が本業のようであり、昔は文化系サークルの夏合宿だったが、最近は外国からのツーリストの一泊二日お手軽修行まがいが大人気



接客業のくせに宿坊は修行体験がウリですから、頭が高くお客を叱責するのは日常茶飯事かな?

浮かれ気分で足を運ぶととんでもないことになる。



そんなかんなで、本堂(上の写真が本堂)貸し切りの法要はつつがなく終わりました(合掌)

2024年11月24日日曜日

天空の宗教都市にて

 



多分二十年ぶりだ。
あんときも寒い時期だった。
避暑に最適な地なのだが、納骨の儀は何故か寒い頃になる。

道中、刊行したばかり断腸亭日乗(巻ニ)を読み出したが、冒頭部分に荷風の父久一郎逝去の記事がある。かの父は、漢詩人にして官界で重きをなし転じて郵船の重役、、、立派な生涯だが、唯一瑕瑾が不祥の息子である荷風。
なんせ、無頼文士になるくらいなら893の方がまだマシって時代。
案の定、荷風は馴染みの芸妓と放蕩の真っ最中で、親の死に目に会えない有様。

どうでもいいエピソードなんだか、以上は刺身のつま。久一郎の葬儀は耶蘇教の宣教師が務めたらしい。因循固陋で手順ばかりが煩雑だしいつまでも手離れが出来ない仏式の葬祭を嫌ってのことだと荷風は仏教批判半分に書いてます。


ここら辺りは激しく共感する。

死者を悼む気持ちは人一倍あるが、残された者たちに余計な手間暇をかけさせるのも本意でない。

しかしなあ、、、、寒村陋屋界隈の旧家の末裔はそうもいかない。

なんとか家族親族葬とコンパクトにはしたが、逆に町内会のサポートが得られない仕組みだそうで、雑用一切の処理がアタシの双肩にかかってくる。


そのひとつが、本位牌を高野山で設えて、奥之院なり菩提寺に納骨を行うこと。

黒塗本位牌とは言え、ネット通販なら安くてお手軽なんだが、、、父と母で位牌の体裁を異にする如何かってあるし、納骨は墓石の内部の納骨室に格納するだけでいいはずだが、真言宗徒は高野山にも納骨する事を旨とする、、、、とキッパリ



To be continued 





2024年11月23日土曜日

行年と享年

 



名題は言志余録の有名な一節だが、、、未だに社会常識的なことすら知らないアタシ

天空の宗教都市まで足を運び、本位牌を作ることにしたのだが、先に亡くなった父と同じような位牌でないといかんだろうと、マジマジ眺めるに、、、

口うるさい親族は
先代より高さの低い位牌でないとあかんとか、
妻の位牌は夫より小さくとか、、、
現行憲法施行以来70年以上経過しても「憲法14条の法の下の平等原則」が寒村陋屋界隈には全く定着していない。

この有様じゃ、同性婚や夫婦別姓なんかは、世論調査なるセンシティブが如何にあろうと真面目な国民投票レベルでは「否決」だろうなあ、、、



ネットの記事を鵜呑みにするほど天真爛漫ではないが、、、

位牌の表には、戒名

裏には、俗名と「年齢」、、、くらいは流石に知ってはいる。

でぇ、、、我が家では代々「行年◯◯才」と記載しつつ数え年。

宗派による差別化やら地域の特性とも、、、でも無さそうだが、字義としては、考え方次第でどちらでもそれなりの理屈はある。

まあ、気を衒う事もないし、慣例踏襲もあながち悪くもない



因みに、、、


年齡ハ出生ノ日ヨリ之ヲ起算ス(明治35年の法律)


文明開化の御代以来、満年齢を基準とすると主上が仰るにも関わらず頑迷固陋にして因循にして不敬な民草には定着せず、昭和24年に再度


.......国民は、年齢を数え年によつて言い表わす従来のならわしを改めて、年齢計算に関する法律(明治三十五年法律第五十号)の規定により算定した年数(一年に達しないときは、月数)によつてこれを言い表わすのを常とするように心がけなければならない。


なんとも、噛んで含めるような、、、読んでいるだけで微笑ましくなる稀有な法律です。

それに引き換え、昨今の理屈っぽい冗漫無味乾燥な条文なんか、、、ねえ(^^)


まあ、早晩「数え年」の年齢の数え方なんて知る人は居なくなります。

アタシは、今回初めて、無駄な雑学を身につけてしまった(^^)





2024年11月22日金曜日

反語的に、反知性主義と不寛容のこと

 



どちらもネガティブなイメージ
愚かで視野狭窄みたいな、、、、苦笑

でも、アタシはそんな気取った立論には与しない。

以前にもブログネタにはしていますが、今少し視座を変えて論じてみよう。

つまり、高尚な衒学的な狂言綺語を封印してみるって事です。


恒産ナキモノハ恒心ナシ(孟子)

衣食足リテ礼節ヲ知ル(管子の原文を多少簡略化)


中華四千年の治世なり人倫の要諦でいまなお真理の一端を表すし、倭人の心の奥にその表現を換骨奪胎して未だに生きています。


いわく....カネモチ喧嘩セズ


極めて俗事ですが、反語的には愚かな喧嘩なんかは貧乏人のやる暴発だと言っています。恒産があり三度の飯や寒い時のダウンコートや熱々のお鍋に不自由しなければバカな真似はしない。食い詰めた浮浪者や移住民が騒ぎたてれば最低限の衣食住くらいは「施してやる」って寛容な上から目線の憐憫の眼差しくらいは、、、


国民全体の中心値が中流ならば、下流に施す事に対する不満は多少あろうと許容範囲だが、中心値が下流化すれば心穏やかではない。

移民を救うよりもまずは俺たちが先だろう。


感情論としては正しい。

衣食足らざればヒューマニズムは虚構だろうし、貧乏してれば他人を救う余裕もない。所詮は胡散臭い綺麗事だ。

個利より他利を優先する姿勢には頭が下がるが、それを他人に強いるのはとんでもなく無理があり共感を呼ぶものではない。

知性主義は、西洋的な近代民主主義に由来するもので、その背後に産業革命の先駆者としての富の独り占めからくる勝者の優越だし、寛容の精神もまた然り


いち早く、米欧の政治トレンドは反知性主義や不寛容に転換しつつある。

鈍感でお人よしだって、、、いつまでも馬鹿やっているわけはないだろうが、そんな時代が好ましい訳ではない。だっから、健全な中産階級の再建が急がれるのだ。



2024年11月21日木曜日

グラディエーター Ⅱ

 



2000年製作の作品の続編です。

リドリースコットがその意思をもって、オスカー作品賞に輝く本編の構想を作っていた訳でもなくスタジオサイドのまったくの二匹目の泥鰌狙い。

その構想は二転三転紆余曲折の末に、、、まあ四半世紀くらいは直ぐに経ちます。

前作の細部はあらかた忘れていますし、映画的に史実を脚色したりもしてますから、浅はかな中途半端な知識は逆に作品理解を妨げる


先ず五賢帝時代の最後の皇帝マルクスアウレリウス。

彼の娘ルッシラは共同皇帝であるルキウスの妻となり、本編の主人公は二人の間に生まれたらしい(?)から正統な帝位後継者であるが、ルキウス死去の後の共同皇帝であるコモンドウスの迫害を恐れて北アフリカに亡命。

そして、時が流れカラカラとゲタの共同統治という暴政を背景に本作のストーリーは展開される。


どうも、この主人公は、ルッシラと前作の主人公(ラッセルクロウが演じたマクシムス将軍)との間の不倫の子ではないかって気もします。

この二つの作品の両方に登場するのはルッシラだけだし、二人は身分違いからの恋の破綻。

ルキウス帝は武人ではなく文弱の徒でしたから剣闘士なんか務まりそうもなく、マクシムス類いまれな軍人。


お馴染みのコロシアムでの剣闘シーンはさておき、みすくみの政治的陰謀の展開が面白い。

デンゼルワシントンは単なる狂言回しではなかった。

オスカーの助演男優賞候補者らしいのも当然だ


最後は予定調和的に主人公が皇帝になり、ローマは再び栄光と繁栄と平和を回復し「グレイト」になる事を予感させるのですが、実際の歴史では短命皇帝が相次ぎ、それでも腐っても鯛は鯛。やはりローマは永遠に不滅なのです。



2024年11月20日水曜日

騙されたフリ(^^)

 



最近のご友人方の共通したプロフィールは、、、


老女
夫と死別または離婚
倭國出身ながら海外在住
不治の病
多額の資産の持ち主(数億円)


次の展開は分からないが、もしかしたら負担なしでアタシが受贈者になれるのかしら?

マサカ(^^)

.......


友人Aからはこんな感じで、、、


お気遣いありがとうございます。私はここであなたのような心優しい人に出会えて嬉しいです。

今、私は最善を尽くしていますが、癌が広がっているようです。

もう治療の限界を超えています。

私は現在13種類の薬を服用しており、9か月間入院しています。

ここで病院にいるのは私にとってとても辛く苦痛で、助けてくれる人も誰もおらず、私は一人です。


上級医師の中には余命数週間だと告げられた人もいました。

怖くて心配です。

私には亡き夫から相続したお金が少しあります。

この金額は現金で約5億円です。

死ぬ前に、このお金を使って母国である日本の貧しい人々を助けたいというのが、この世での最後の願いです。

これについてどう思いますか?



友人Bからは、、、


私は 74 歳です。

私は咽頭癌を患う未亡人です。

現在マッカイ専門病院で治療を受けています

私は最善を尽くしていますが、癌が広がっていると思います。

もう治療の域を超えています。

上級医師の何人かは、私の余命はあと数週間しかない、と告げました。

怖くて心配です。

亡き夫から相続したお金があるのですが、

このお金は現金で約5億円です。

私は死ぬ前に、この世での最後の願いとして、このお金を母国日本の貧しい人々を助けるために使いたいと思っています。

だからこそあなたに連絡しました。

これについてあなたはどう思いますか?



さっさと、ブロックなり削除するのがいいのだが、、、

ここいらをご紹介しとくかな?



先ずは、紹介手数料を予納してもらいましょう(^^)


2024年11月18日月曜日

鞄、地盤、看板よりも「ヒョウバン」

 


なんともねえ、、、チャーチルの至言を思い出す。


民主主義は最悪の政体だ。ただ他の政治体制よりはマシ


しかし「他よりマシ」かどうかはデモクラシーを支える主権者次第だ。

ほんの一ヶ月前の罵声が掌返しのように支援の歓声に変わる。県議会の全会一致の不信任の理由を覆えす新たな何かが出てきた訳ではない。

有権者により「県議会不信任」と言われたようなものだ。


兵庫県民の民意って、、、風の中の羽根のようにいつも変わるナントヤラ(^^)

不信任の理由が全て捏造あるいは虚構であり、コンスピラシーの被害者かも知れないって、、、でも一般の民草はさておき身近にいた筈の議員全員が陰謀を信じたの、、、まさか!

むしろ、既得権益が危うくなり全員が陰謀に与したのならまだ解る。

はやいはなしが、兵庫の恥とは、知事なのか、議会なのか、主権者なのか、、、皆目分からない伏魔殿状態が恥なんだろう。


そして、あてにならない選挙報道を繰り返す大メディアはもはやジャーナリズムに値しない。


勝ったのは、斉藤元彦ではない。

どう見ても政治家としての資質に欠ける

県議会と県庁が味方になった訳ではないし、同じ政治手法が通用する訳ではないから、知事としてその職責を果たせるかどうかは極めて不透明。


誰だか知らないが「SNSを駆使した当確師」こそが今回の勝者。

選挙期間中だけ虚妄の評判を演出出来れば誰でも勝てるのが民主主義であることが露呈した。当選さえしてしまえば後はなんとでもなるって(^^)



改めて、リンカーンの名言




2024年11月14日木曜日

老いて学べば、死しても、、、

 



名題は言志余録の有名な一節だが、、、未だに社会常識的なことすら知らないアタシ

天空の宗教都市まで足を運び、本位牌を作ることにしたのだが、先に亡くなった父と同じような位牌でないといかんだろうと、マジマジ眺めるに、、、

口うるさい親族は
先代より高さの低い位牌でないとあかんとか、
妻の位牌は夫より小さくとか、、、
現行憲法施行以来70年以上経過しても「憲法14条の法の下の平等原則」が寒村陋屋界隈には全く定着していない。

この有様じゃ、同性婚や夫婦別姓なんかは、世論調査なるセンシティブが如何にあろうと真面目な国民投票レベルでは「否決」だろうなあ、、、



ネットの記事を鵜呑みにするほど天真爛漫ではないが、、、

位牌の表には、戒名

裏には、俗名と「年齢」、、、くらいは流石に知ってはいる。

でえ、、、我が家では代々「行年◯◯才」と記載しつつ数え年。

宗派による差別化やら地域の特性とも、、、でも無さそうだが、字義としては、考え方次第でどちらでもそれなりの理屈はある。

まあ、気を衒う事もないし、慣例踏襲もあながち悪くもない



因みに、、、


年齡ハ出生ノ日ヨリ之ヲ起算ス(明治35年の法律)


文明開化の御代以来、満年齢を基準とすると主上が仰るにも関わらず頑迷固陋にして因循にして不敬な民草には定着せず、昭和24年に再度


.......国民は、年齢を数え年によつて言い表わす従来のならわしを改めて、年齢計算に関する法律(明治三十五年法律第五十号)の規定により算定した年数(一年に達しないときは、月数)によつてこれを言い表わすのを常とするように心がけなければならない。


なんとも、噛んで含めるような、、、読んでいるだけで微笑ましくなる稀有な法律です。

それに引き換え、昨今の理屈っぽい冗漫無味乾燥な条文なんか、、、ねえ(^^)





2024年11月12日火曜日

高齢者の心得

 



論語の「為政篇」に、孔子が自身の生涯を語ったとされることばがある。

十有五にして学を志し
三十にして立ち
四十にして惑わず
五十にして天命を知り
六十にして耳順う
七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず

多分であるが、かくあれかしとかかくありたいではなく、自分の人生はこうだったから満足しているって解釈するのが妥当だろうと思われます。
老境の身で人生を顧みて、こう思えるって「シアワセ」としか言いようがない。
孔子ですら「できた人間」になるまで成長するには70年もかかったわけですから、
その辺のガキのおバカ行状を非難にしてもしょうがないし、致し方ないってことだと諦観するのが正鵠を得ているし、若いやつに任せられないっていうことも一部的には正しい。


ある国・地域において、

高齢者が人口の7%以上を超えると高齢化社会
14%を超えると高齢社会
21%を超えると超高齢社会    と呼ばれる。

日本では、人口推計上2050年代までは世界第一位の超高齢化社会のはずで、2060年代になればトップの座を譲り渡すらしい
そもそも高齢者の定義って様々であり、一般的にはWHOの定義に従う。

65歳以上を前期高齢者
75歳以上を後期高齢者
85歳以上を「末期」高齢者と呼ぶはずだが、さすがに語感が悪いと思ったか倭国では使わない(苦笑)


人口の三割が所謂「高齢者」なんだから、うまく折り合いをつけていかないとよろしくない。
孔子に従えば、


高齢者になって初めて他人様の意見に耳を真摯に傾けることができ、好きにふるまっても社会常識を逸脱することがなくなる


わけだから、
隠居して家でゴロゴロされては困るってことである。
しかしながら・・・困ったことに

儒教的な長幼の序という高齢者厚遇の背景には短命からくる希少性があることは否めない。
馬齢を重ねるだけで社会保障費を食い潰すだけの存在には畏敬の念はおきようがない。


どうも、ご老人は以下のタイプに分かれると・・・一体に誰が言い出したか?

円熟型(過去を後悔することもなく未来に対しても希望をもつ楽観派)
依存型(現実を受け入れ、物質的・情緒的な支えを与えてくれる人に頼る無為安楽派)
防衛型(若い時の活動水準を維持しようとする老化拒否派)
憤慨型(老いに対する不満が他者への攻撃となってあらわれ、責任転嫁派)
自責型(人生を失敗だった・自分が至らなかったと考えてふさぎこむタイプ)


一見してわかることだが、円熟型がマジョリティならば苦労はしないが、中華四千年で孔子のような聖人(卓越した徳と才の持ち主)はまずいない。


キレル老人とは「憤慨型」であり、社会的には迷惑
自責型だと引きこもり鬱状態になるんですかねえ?
防衛型も席を譲ろうする若者に説教する程度ならまあ罪は軽いが・・・

ある意味で一番たちの悪いのが依存型。

社会保障費を筆頭に、ごく潰しのように国会財政を食いちらかす輩である。



先日は蝸牛庵のお誕生日・・・
従心の年になりましたが、今の生きようは上記のどのタイプかなあ
憤慨型や自責型ではないと思ってはいますが、依存型にはなりたくないとは思いますが防衛型かも(^^)

円熟型? ・・・在りたいとは思いますが、、、

司法のAI化

 



近未来の判決支援ロボットがもたらす葛藤とか恐怖をテーマとするお手軽ミステリー


煩雑な事務手続と膨大な件数の果ては慢性的な要員不足から来る司法現場の疲弊と、長期化する裁判に付き合わされる被告やら当事者だってたまったものじゃないし、それらは無駄で多大な社会コストだ。

民事にせよ刑事にせよ大半は争点のない単純なもの。

だからと言って手抜きが許される訳はない。

かかるが故に、論点整理なり判決文を書くまでの作業をAIにサポートしてくれればどんなに有難いか。

一歩踏み出せば、罪状如何ではAIに判決を書いてもらってなにが悪い(その結果の是非判断は裁判官がやる、、、はずだから。あくまでもダカラ)


お手軽ミステリーだから、オチも単純

東京地裁が採用しようとする判決AIの名は「法神」

明らかに中華っぽい

中共製ITはバックドアが仕込まれていると考えるのが常識なんだが、意図的な廉価商法に騙される馬鹿が後をたたない。


裁判所よ、オマエモカ(^^)


現実には、そんな時代がいつ来るとも想像がつかないし、、、この程度のIT化でも甲論乙駁




2024年11月11日月曜日

南総似非水滸伝

 


水滸伝は71回版は読んだと思う。

その後反体制武装集団のくせに西戎北狄の侵掠に対峙する皇帝のイヌ化し玉砕的に瓦解する部分が追加されて、、、西太后がこよなく愛読したらしい。

八犬伝は、馬琴版も山田風太郎版もちゃんと読んだが、、、昔の話


馬琴のこの大作(岩波文庫で6分冊)は水滸伝のモチーフを借りてきたとされる。読み通すにはかなり苦行。

だっから、八犬伝の山場とその執筆やらの馬琴の風景を戸板返し的に虚実さながらに描く山田版の方が面白いし、、、オリジナルの映画化も度々されているようだが食指が進まない。


今回の映画版は「実」に重心(それは配役からも明らか)があり「虚」は箸休めだかアシライ(^^)

とは言いながら、虚の女優さんのラインナップはなかなかのもの


伏姫(土屋太鳳)

浜路(河合優実)

玉梓(栗山千明)

船虫(真飛 聖)


肝心の八犬士役者なんて誰一人知らない

明らかに、、、どうでもいい(^^)


実の部分は明らかにリアリズムですが、虚は予定調和的な勧善懲悪な絵空事、、、だから観るに絶えない。

かと言って実だけでは、息苦しい。

巧くバランスをとったと言えなくはないが、やはり無理を感じなくはない。

虚が冴えてるのは、悪の華だけだ。



木下グループの配給ですが、土建屋さんのオーナーの趣味から始まり、893も二の足を踏む映画業に手を出し、いまや、製作、配給、興行までやる一大勢力。

今まで手がけた作品の中ではこれは良質かも


2024年11月10日日曜日

戒名

 寒村陋屋界隈の取り柄のひとつが、論外にまでお安い戒名の費用。

院号を付ければ、百万円単位だとかが都会の相場らしいが、、、、


戒名と簡単にいいますが、

院号(名誉あるいは栄誉的につけるもの)

道号(よく分からないが字名みたいな?)

戒名

位号(居士とか大姉)で構成されます(真言宗の場合)


ちゃんとした本位牌にする前の白木の位牌には


新円寂〇〇院.....


上位の戒名である「◯◯院」は聞き及んでいますが、アタマの「新円寂」は戒名の一部ではなくて「新しく仏の仲間入りをした」事を意味し、本位牌には記載されない、、、って事なんだって(知らなんだわ)

代わりかどうかは知らないが、本位牌では戒名の頭に梵字のアを書きます。


恵灯益心(エトウヤクシン)大姉、、、とつづくのですが、恵灯とは「悟りに導く仏の智慧をその方向を示す燈に例えた」意味だとされます。

普通はここら辺り(狭義の戒名)に故人の名前の一文字をつかうのですが、本来のあるべき「敬」を同音の別字に洒落てみたのでしょう(個人の俗名は敬子さんでした)

一部からは名前を勘違いしたと陰口を叩かれていますが、さあどうかなあ(^^)


益は「ヤクとかエキ」とか読みますが、仏教的には「ヤク」と読むのが正しい。

呉音ではヤク、中華標準語である漢音ではエキです。

インド伝来の仏典を漢語に翻訳した際に呉音を使用されたことにより、利益は一般的には「リエキ」だが、御仏のゴリヤクとはいうが、ゴリエキとは言わない。

仏教でいう利益とは、御仏の導きにより得られる恵みや幸せを意味するそうです。

仏の智慧がさし示す燈を頼りにしてしていれば有り難い幸せに巡り会える......


なんとも有り難い戒名だと思えてきます。

そりゃ白寿まで生きたのですから、それなりでないとなあ(^^)

メディカルロボット

 


海堂尊
医師からメディカルエンターテイメント作家に転身
柚月裕子

読書好きが講じて推理作家を目指した田舎の主婦

作風や小説素材は多彩


この二人は作家というだけで特段の交点はないが、ただ手術支援ロボットが登場する作品だけが共通する。


ブラックぺアン(海堂尊作品)

ミカエルの鼓動(柚月裕子作品)


基本的に手術は外科医のメスの切れ味に依存し、卓越した技量は神の手とか手術室の悪魔やら、、、雅称とも畏怖的表現に事欠かない。それに必ず心臓外科医(某統計だと心臓手術件数は最下位だと言うのに)


手術ロボットを活用したとしても、あくまで支援であり、操作はヒトザルである医師が行う。

自動運転レベルに例えればレベル2とか3程度?


小説的には経験の少ない外科医でも高度な手術がこなせる、、、みたいな事になっていますが、この辺りは疑わしいあるいは強調のし過ぎ。遠隔操作が理論的に可能であるが、、、

しかし、多くのメリットがあり導入が進んでいることも確か。

だから、アナログとハイテクの相克とか諍いみたいな設定は多少やり過ぎだが、それくらいやらないと面白い小説にはならない。


極私的な興味からすれば、そのロボットなる商品のネーミング。

世界最初のロボットの商品名はダヴィンチ

由来は言わずとも(^^)

国産ロボットは火の鳥(HINOTORI)

外来製よりも安価で小回りが効くのがウリ

この辺りをそのまま使ったのがブラックぺアンに登場する「ダーウィンとカエサル」

それぞれのネーミングに同じような開発意図なり夢が感じ取れますが、安直だ。


一方で柚月版では、ミカエル(大天使聖ミカエル)

数ある天使の中では最上位をしめる。

神話的に医神と言えばアスクレピオスだろうし、ヒポクラテスは彼の子孫らしい。

しかし、知名度が低いし長ったらしいからマーケティング的にはよろしくないということ?

勝手解釈をすれば、奥深い暗喩が感じられなくもない。

実はミカエルの弟はルシフェル(サタンの別名)

ルシフェルはミカエルと並ぶ神の使者であったが、傲慢で下剋上を企てたとして天界から追放されたとされる。同じ血が流れている兄弟、、、ということからして作者の意図を感じ取ることは難しくない。



納骨

 




通夜から葬儀告別式で終わる訳ではない。
死後49日間、個人の魂は冥界を彷徨い、七日毎に裁きを受け、六道のいずれかに送られるのですが、浄土に行けるように願う儀式が、中陰法要。

この間は蝋燭や線香を絶やしては行けないとか、菩提寺の住職が七日毎に読経にやって来る。


線香はともかく、長時間蝋燭なんて火事の元。

早速にLED蝋燭や線香を贖い、、、罰当たりというなかれ。昨今どういうわけだか寒村界隈なのに失火事件が頻発している。

とりあえずは仏間の電気だけは消さない。


葬儀から満中陰までの間に、高野山奥の院に納骨する事と白木の位牌を黒の本位牌にグレードアップするのが界隈のしきたり。

こんな時でもないと、天空の宗教都市に足を運ぶ事もないから、、、でも下界より十度くらい寒いんだよ

偶像崇拝

 



いわゆる世界宗教は偶像崇拝を否定する。
その理由は、あまり得心するものではないが、
高貴崇高な存在をヒトザル如きが具象化するのは冒涜的な行為ということらしい。


とはいうものの、仏教伝播初期には「仏足石」なるものがあり、その足跡のある石の上に至高の存在がおわしますからひれ伏せと!が、そう言われてもありもしないものを想像して信仰を深めるなんて無理無理。

かかるが故に、その依代として、十字架像とか仏像とかを考え出した。でもそれらは偶像ではなく信仰の対象にはならない単なる依代であり、それを通して「窓」の向こうの至高の存在にイメージングするのが信仰だとされる。

まるで詭弁みたいなレトリック(^^)


つまり、仏壇、位牌、墓石やらはその程度の存在に過ぎない以上それ自体に宗教的あるいは信仰的な価値はないはずなんだが、、、

仏教では「骨抜き」と称して、それらを廃棄する時の儀式(呪文)をちゃんと用意し、、、当然に提供サービス商品のひとつだから、檀家の懐に手を入れてくる。




野辺送り

 




倭國では、一部の地域を除き火葬原則。
一方で、イスラムは教義上土葬でないとダメらしい。
かくて、各地でイスラム専用墓地建設を回り文化摩擦、、、、

死者の尊厳を棄損しなければ何でも容認が法の立場。

散骨でも樹木葬でもやり方次第で容認もされるし、埋葬法で処罰もありうる

だっから「イスラム専用」というから紛糾する。

土葬を希望する倭人がいない訳じゃないのだから、、、


葬儀告別式の後は、火葬場に遺体を運ぶ段取りとなる。

大抵はとんでもない山奥

なんせ、新規建設となれば、近隣住民の筵旗。

早晩ご自身もお世話になるのに、、、身勝手な事だ。

寒村陋屋界隈は、まず希望通りに火葬が出来るが、都会では、一週間待ちはザラだって(^^)

ある意味で自業自得

火葬待ちの間は、死体安置所みたいなところで冷凍保管、、、こっちの方が死者の尊厳を損なっているように思える。



よく知らないが、西洋の火葬はまるまる灰にしてしまうらしいから高温で一気に焼き尽くすのだろう。

他方で倭國、、、骨上げと言うくらいだから、形よく骨格が残らないと、、、焼き上げるにはかなりな技術と時間が必要とのこと。

火葬場の数が足りないなら、焼き上げる時間を短縮すれば済む話。現状は一時間から90分くらいかかってますから、能率を倍くらい上げるのは難しくはないと思うが


なんだか意味不明な風習があり、長さの異なる箸を使うとか、、、喉仏の骨を大事にするのは知っていたが「指仏」もちゃんと拾わなあかんとは知らなかったです

小指の先の骨らしい。