2024年5月9日木曜日

エドガルドモルターラ

 


アタシのような絶対神を信じない者には理解し難いが、、、150年前のボローニャでの幼児「誘拐」事件。さほど珍しい事でもなかろうに、教権、信仰、政治が絡めば、ハマチが鰤にもなる。


裕福なユダヤ人商人の末っ子の病状を不安に思ったキリスト教徒の女中は勝手に洗礼の秘蹟を行ってしまう、、、当時の教会法によれば、


キリスト教徒ならば誰でも洗礼の儀式を行える

洗礼は取り消せない

ユダヤ人はキリスト教徒を生育できない、、、、らしい


世俗的には誘拐事件であっても、教権からすれば正当な保護。かくて、ユダヤ人社会と法皇庁の対立は激しさをまし、加えてイタリア統一運動も絡み合う大騒動となる。



結末は?と言えば、イタリア史の通りだが、教権は完全に世俗権力に押さえ込まれ、この「主犯格ともいうべき」ピウス9世は就任時は改革派として民衆から熱烈歓迎されたが、晩年は黄昏れる教権の失地回復を保守的に推進したが故に更に失点を重ねたようだ。


しかし、げに恐ろしきは「洗脳」ともいうべき信仰心の植え付け。絶対への帰依と寛容性は相容れないようだ。宗教的にナイーブな倭人には、薬になるかもしれないが劇薬にもなりうることを、麻原彰晃や文鮮明が教えてくれたが、その呪縛からの解放は至難の業。


主人公のエドガルド君は、ユダヤ教徒に戻る事はなく、終生宣教師として辺境での布教に勤しんだ。


ラストシーンはまことに衝撃的

命尽きようとする母親のところにやって来たエドガルド

親子の情は信仰を凌駕するんだ、、、なんて生やさしい事を予想するのは優しい倭人だけ(^^)


洗礼の秘蹟を受けないまま死ぬ事は地獄に堕ちること。子の親に対する愛とは、ユダヤ教徒だろうともキリスト教の洗礼をほどこすこと、、、、

しかし、母親はキッパリと拒絶し、ユダヤ教のマントラを唱えながら天に召される


キリスト教もユダヤ教もイスラム教も、全てアブラハムの神への信仰なんだが、、、共通の神であるが故の近親憎悪はなんとも致し方ないのか、、、







2024年5月8日水曜日

コンサルタントの断捨離

 



なんとも「鬼面ヒトを、、、」的な内容なんだが、装飾を剥ぎ取れば至極もっともな論


.....

.....


しかし、この一節はいったいなんなんだ?

長らく経済界の片隅にもいたし、企業コンサルタントともお付き合いがあったが、かような「箴言」は聞き及ばない。

一端の真実がありげだが、まことに我田引水(^^)


確かに、昨今の赤門卒は官僚を忌避し、コンサルタントを希求する。

雑巾掛けをしなくても若い頃から高禄をはみ、クライアントからはチヤホヤしてもらえるし、、、

それは、コンサルタントの使い方を勘違いしている企業側の問題でもある。

知見のない未知の領域の道案内に使うのはまだしも、コアコンピタンスともいうべき事業戦略や経営管理システムは、社内人材の知恵の総合力で対応すべきものであり、それが出来ないのは人材の育成に懈怠があるのですよ。だからといって、コンサルタントのご神託をありがたがっても、先ずうまくいかない。


はなしをもどして、この「箴言」ですが、産業の栄枯盛衰は、学歴エリートの就職動向で決まるといいたいのかな?

見向きもされなかった業種が着目されるようになれば、それは「買い」

我も我もと門前市をなせば「売り」

株式相場の格言ならば、的を得ているし、、、、エリートの動向こそが「KSF」だと言いたいのが本音ならば、案外くすぐりかも(^^)



2024年5月7日火曜日

昭和百年

 議連が出来たらしい。

逆に言えば、政府として公式行事挙行やらは現段階では「白紙」だということ。

そんな余裕もないだろうし、選挙対策にもならない


さる明治百年は、武道館で陛下を筆頭に内外要人が参集し、盛大に式典が行われた。

時は佐藤政権全盛の頃だし、官民あげてお祝いしようかなあ、、、って気分だった。


そん時の記念事業の一つが、産経新聞社の新聞連載小説「坂の上の雲」

期せずして、この司馬史観が明治期を定義してしまった。無論左翼史家を中心に異論もあるが、威勢はあまりよくない。

歴史評価は、後世の道徳基準で断罪して悪いとは言わないが、それが全てではないどころが参考愚見

無論、他の大メディアもそれなりに、、、

築地の大新聞社は、大佛次郎氏を担いでの「天皇の世紀」まともな学術論文的なノンフィクションを上梓したときの参考文献に載るレベル(司馬さんのは小説だからシカトされます)ですから、、、でも、作者逝去により未完。

あとの大新聞社もなんか企画したんだろうが、、、皆目記憶にない。


さて、昭和百年記念事業ですが、知る限りイベントをぶち上げたのは、昭和女子大学だけ。

これは、1920年創設ですから、昭和百年とは無関係です。

むしろ、にわかに信じ難いが「コンピュータの昭和百年問題」の方が、、、

西暦2000年問題(Y2K)対応で懲りてるはずなんだが、、、

2024年5月6日月曜日

夏が来たら、、、、

 




花鳥も
みな 行きかひて
ぬばたまの夜の間に
きょうの夏は来にけり(貫之集)



冒頭のイラストは羽尻利門さんの作品をお借りしています。昭和レトロのほのぼの感満載

ですから、引用の王朝和歌もスッキリと平明なものを


行きかひて、、、往来のこと。花鳥は立ち去り、夏がやって来た。花鳥は、桜と鶯で、春の象徴。

一夜にして春から夏に変わる訳ではないが、そんな理屈よりも、気持ちの問題。

それぞれがダラダラと半袖になったり、ネクタイをはずしたり、、、気候に合わせてというと合理的だが、一斉に衣替えって、そんなに悪いことじゃない。


一気に季節が変わったんだなあ、、、って気分は、合理性を凌駕する

2024年5月5日日曜日

月に向こう、、、仕置人

 




実は実写版もあったらしいし、北川景子さんも出演してました❣️


.....


I love you を和訳せよ。


伝説では、松山の旧制中学の英語教師(熊本の旧制高校とも言われます)が授業で出題し、生徒の回答のセンスのなさにあきれ返り
正解は・・・・


月が綺麗だねえ


伝説ですからエビデンスはありません。
あの浩瀚な全集にも記述がない。

事実かどうかはともかくも、うつくしさのシンボル性を月に化体したという倭人の心情の理解が大事なのです。
毎夜の満ち欠け夫々に、雅称を与え愛でるって半端ではない。
新月、繊月、三日月に始まり・・・後はよく知りません(笑)

王朝和歌の世界でも、月が主題の歌は枚挙にいとまなくも、星の歌ともなれば・・・
七夕なんかは多少出て来ますが、数は多くないし、相聞がテーマで星そのものを主題にはしない。
あえての有名どころは・・・


天あめの 海に雲の波立ち 月の船 星の林に 榜ぎ隠る見ゆ(人麻呂歌集)


これも、主役は月の船で、星の林は背景に過ぎないし、月の輝きの中では数は多くとも燦ざめく星の光なんて
貧弱にしか見えない。



実のところ「リンク映像」を使って見たくって書き出したネットエッセイ
ストーリー作りに苦労してます(笑)
月並な月の話題じゃ面白くないし、ズバリ、セーラームーンでは芸がない。
星を対比させたまではいいが、話題性に乏しい・・・というよりも星に興味が薄いもんですから知見もない。
漱石から月齢に展開させて、有名な人麻呂の歌迄は漕ぎつけたが・・・


ところで「月船」って成句がそこそこあるんですねえ。
ブティックとか、喫茶店とか、ヅカ出身の芸名とか。
そして「星林」もあるのですが、数は少ない。
某県某所の石碑に曰く



星林とは「星のあつまり」を意味している。
大空に輝くたくさんの星は、それぞれ個性的な光を放って、人々から仰ぎ見られながら、
しかも、独立せず、お互いに秩序ある統一性をなして、天体の原理に従って運行している。
・・・それぞれに優れた個性と能力を発揮して、人々の尊敬を受け、
しかも独善におちいらず、学校全体の連帯と調和を保ちつつ、
社会の秩序に従って成長していく多くの人材のあつまりであることを意味・・・



ちゃんと人麻呂の歌まで引用してますが、その解釈はかなり強引です。
まあ、言いたいことは理解します。
このロマンティックな学校の名称は、旧制女学校であった歴史にも由来するんだろう。









2024年5月4日土曜日

泪橋、、、ふたつ

 



 
旧聞のこと、見るともなく動画では「居酒屋ゆうれい」のリメイク版を放映中。
卑俗な表現をすれば、当代きっての美魔女と熟美女の共演。
居酒屋のオヤジの前妻(死去)と後妻を、松坂慶子と鈴木京香が演じている。
お話はたわいない・・・と思うのですが、TVはつけていてもサイレントが多いし、まじめに見ることは少ない。
しかし、ふたりともお綺麗です。




で、思い出したのが・・・夏目雅子さん
ご存命であれば、おいくつなんだろうか?(57年生まれですねえ・・・命日は9月初旬)
彼女たちを二人足した以上に艶ではなかっただろうか・・なんて想像しながら、
一番の作品は「時代屋の女房」だよねって、普通ならば「鬼龍院花子の生涯」なんかを指折るんでしょうが
プロ映画鑑賞家の視点はユニークなのです。



記憶もおぼろげなんですが、時代屋というのは古道具屋さん
ふらりとやってきて住み着くが、そのうちにふらりと姿を隠すって役柄の夏目雅子さん。
この古道具屋さんは「泪橋」のちかくにある(実際にあったそうです)
泪橋って言えば・・この橋を越えれば山谷(いまはなき地名)のドヤ街。
落ちぶれて、二度と戻れぬ三途の川渡りみたいなものであるが、
映画ではたしか大井辺りだったような・・・


知らないことを知ることは楽しい。
実は「泪橋」は東京に二箇所ある。
小塚ッ原と鈴ヶ森の近く・・・つまり処刑場の道行の途中なのです。かかるがゆえに「泪橋」

大井の泪橋は未見ですが、山谷の泪橋を越えたあたりは、やっぱりちょっと雰囲気が違う。
釜ヶ崎に三角公園あたりに比べれば、お子様向け遊園地程度ですが、人品物腰卑しからざる初老の紳士が足を踏み入れるとことろではない・・・が、昨今はバックパッカーの長期滞在先として、有名らしい。
出来うれば、、、矢吹丈の聖地なんだが、、、





2024年5月2日木曜日

頂上対決

 世界に君臨する両雄が雌雄を決する手に汗握る激闘、、、これに観客が押し寄せないわけがない。


しかし「両雄」って誰と誰?

ルーテーズ対カールゴッチ(昭和レトロで若い世代は知らない)
スーパーマン対バットマン(力の差が歴然としており勝負にならないから観客は足を運ばない、、、はずだが)



だっから、極め付けは「ゴジラ対コング」

まず、キングコングは1933年の作品だが、今やアメリカ最大のキラーコンテンツ。ミッキーマウスと双璧と言われるが、ネズミが主役では少なくとも映画館は満杯にはならない。

かたや、ゴジラ。1954年に誕生し、シリーズとして有り体に言えば、粗製濫造の一歩手前。それでも邦画最大最強のコンテンツだから、東宝の米櫃。

正確な作品数は???


この両雄の対決は、1962年に早くも実現。

決着はといえば、両者リングアウトのまま勝敗はつかず(^^)

この当時はコングの知財権はアメリカのRKOが保有しており、コング敗退のストーリーなんか受け入れる筈がない(よくある出来レースだったの)

しかし興行的には馬鹿当たりし、その後何度かの対戦が見られますが、結果は同じだし、さらに場外乱入する敵をこの両雄タッグチームマッチで叩きのめすのが、パターンになった(^^)



さらに最新作では、敗色濃厚なタッグチームに場外から助っ人乱入するのが、なんとなんと

オリジナルとかなり造形が違うのですが、、、(^^)




思うに、キングの造形は昔から変わらない(サイズはかなり巨大になった)が、ゴジラは様変わり

ぬいぐるみ時代は、鈍重である種のユーモラスもあったが、昨今は獰猛なアスリート。

皇室典範改正要綱素案とやら

 確かに焦眉の急なんだから、、、

少し長いし、いつも以上に理屈っぽいが我慢して最後まで(^^)



皇室システム(天皇制でもいいが、イデオロギッシュな表現は忌避だから)の継続は「主権者の総意」が決める事であり、今の段階では日共ですら「天皇制廃止」を口走らないのだから、誰も皇位断絶を望んではいない。

しかし所詮は「世論」

雰囲気でどうにでもなる危うさ、、、、


いまんところの「叩き案」をザックリ言えば


1)男系天皇制の墨守

2)あの赤門を目指しているらしい親王は廃嫡しない

3)旧宮家からの養子容認(養子がそのまま皇位につくのでなくその養子さまの男系に継承させるってことらしい)

4)臣籍降嫁した内親王等にも皇族の身分を与える


先ず一号にはオブジェクション

神武天皇以来男系一統の史実的根拠はなく、継体天皇は仁賢天皇の皇女(手白香皇女で武烈帝の姉だか妹)の入婿となる事でやっと皇位が認められたようなもの。

継体帝は応神帝の五世だというが具体的に血統がたどれない以上、簒奪者と考えるのが妥当。

つまり、女系が皇位を維持したのです!


次に二号については、激変緩和と思えば致し方ないのかねえ?

いまや「雅子愛子バッシング」を上回る誹謗中傷。真偽は定かではないので論評しないが、牝鶏晨するようなありさまが事実ならばかなり問題だとは思う。

独り言なんだが、天皇の代理として摂政を置く事が出来ますが、摂政には性別要件がありませんから、内親王が就任できます(^^)


三号については、旧宮家は十一家だったが、かなりの数が断絶しているらしい(あまり論じられないので絶家となった宮家の子孫を騙りM資金詐欺によく登場します)

ウィキによれば、男系の子孫がいるのは五家だけ。

その中で、養子となり未来の皇室メンバーの父親になれそうなのは限定的、、、みたい(無論ヤル気があるかどうかは分からないし、身体検査もしていない)

今の皇室典範は養子を認めていませんので、、、やりたければやればいいが、納得できるようなタマかどうかとか、、、それに臣籍降下の後の皇族復帰って、明治以降では一例しかないし、復帰した理由がよく分からない。

それ以前だと14世紀まで遡る、、、、つまり古代は兎も角も、あまり馴染みのある伝統芸じゃない。

公平に書けば、復帰即位の例もあります。


四号にはあまりにご都合的なのでコメントしない。

宮家の数問題には、絶えず費用問題が絡みますし、その議論は明治期にすらあった。

臣籍降下という巧妙な口減らしの真逆をやんなくとも、女系天皇を認める方が、、、、


それにあえて申せば、皇族なるソフトパワーの育成や練磨には本人の決意もさることながらとんでもない時間や努力が必要であり、ある日突然なれるものではない。

また、スペアとしての皇族って立場が難しいとも言われる(秩父宮が良い例)

でしゃばって兄貴を凌駕すると不味いし、かといって鍛錬をサボるといざという時の役に立たない。







2024年5月1日水曜日

バロン西竹一

 



この時代はオリンピックの最終競技は大障害馬場馬術だった。オリンピックの競技種目とは貴族の嗜みなんだから、一番華のある種目ならば、、、まあそうなんだろう。

いまは、マラソンなんだが、そんなに華のある競技かなあ??



男爵の爵位を持つ華族の当主

庶子だったそうですから、どこか屈曲した精神が軍人なんて道を選ばせたのかな?中華では良い鐵は釘にはならないって言うんだが、、、

しかし、やることなすこと軍人規律を逸脱し、軍歴はまことにみすぼらしく、挙げ句の果てに硫黄島に送られて敗死。


しかし、全盛期は世界に通用する倭國屈指のスーパースターであり、最大のソフトパワーだった。

いまなら、満州事変を引き起こし国際的孤立を深める中で起死回生の働きが期待できたのだが、頭のワルイ参謀本部にはその知恵がない。次のベルリンでは、ヒトラーがあれほど巧みにオリンピック効果を演出したんだが、、、東京五輪は返上となり、知恵がないだけではなくて、お金がなかったのだろう。

そのあたりは、あの貧相な新国立競技場を見れば、今も変わらない(正確には限るある財源だろうがその効果的な使い方の知恵がないのですよ)


なお、硫黄島での、米軍からバロンニシに対する投降勧告放送があったというのは、、、どうやら捏造のようです。

そもそも、そんな勧告に応じてノコノコ白旗を掲げるわけがない