2024年5月15日水曜日

婆裟羅の経済効果

 


バサラと読みます。
今の教科書に登場する歴史用語かどうかは知らないが社会学用語かもしれない。
ありていに言えば負の概念規定語であり、決して褒めているのではない。
しかし、今時は、あまり否定的に使われることがなく

自由
独創的
華美華麗

というプラスのイメージである。
しかし、南北朝の時代では、

贅沢な衣料に装身具
夜な夜なのグルメ狂い
傾城(六本木のキャバ嬢だと思えばいい)に入れ込み

邪恋や横恋慕は当たり前
田楽(能楽の濫觴ですが、昭和ならデスコ)三昧
違法カジノでの方外な賭金

に加えて、義理人情もへったくれもない無礼違法等の傍若無人な振る舞いをよしとするアウトローあるいはアウトロー志向だと思われている。
当時の伝統的な中世的価値観からすればとんでもない話なのです。




だから、対極にある卜部兼好や鴨長明的な簡素にして清廉(・・・かどうか分かったものではないが)な生き様が持ち上げられきた。

心底清貧ならば、権力者の邪恋の片棒を担いだりはしない(^^)

今の世相、徒然草や方丈記人気がイマイチとは時代の変化なんだなあ。
古代からの中世的な価値観の転換が太平記の時代であり、それをシンボリックに「バサラ」という。
その時代の雰囲気って、現在まで脈々と肯定的に持ち込まれた・・・
多少振る舞いが矮小だが、江戸の町奴や旗本奴てなものもそういうことなんだ。


さて、現代の婆娑羅大名(いまなら専門職ビジネスマンとか経営者だなあ)や如何。
一時期のヒルズ族ってそういう存在なんだろうが・・・・太平記に登場する佐々木導誉なんかの
振る舞いと比較すれば、自由狼藉さにおいてチイサイチイサイ(笑)
当時のバサラ大名の狂気的なるふる舞いの背景には、当然財力がつきまといますが、
その原資は、凄まじいまでの皇室や公家の不法な財産横領によるものと思われます。

お大尽様みたいに何も考えず(なくなればまた強奪すればいい)後先なしに浪費しまくるのと、床下の壺に小判を隠し、毎夜数えて悦にいる・・・のとどっちがより生き様がスカッとしているのか?
おカネって使うものであり、その気になれば地獄の沙リゾート地で預金通帳のゼロの数数えてほくそ笑んでるって・・・なんとも貧しいねえ(笑)

浪費は美徳だ。

アタシがいうと軽薄だから、ゾンバルト先生の卓見を引用するに、、、、


資本主義(消費社会)の胎生は非合法恋愛の合法的な子供である贅沢による。


マックスウェーバーが喝破したような禁欲勤勉だけで商業主義社会が生まれたんじゃない。


2024年5月14日火曜日

正中ってなんだい?

 




一休宗純は室町時代、南北朝統一から応仁の乱の頃を生きた、天皇ご落胤である。
当時的には長寿でしたが「老いてからなおなお盛ん、、、どころか淫乱としか」ってことよりも、若い頃の頓知噺しで人気がある。
しかし、あのエピソード集は江戸時代のものらしく、たぶんにフェイクだ。
有名な「コノ「はし」ワタルベカラズ」 なんてどう考えてもおかしい。



能舞台とは能楽堂全体を意味することもあるが、狭義には三間四方の本舞台をいう。
この舞台を九等分し、真ん中を正中という。
何故か重箱読みですが、理由は知りません。

この正中という表現は、橋や参道にも使うようでこの場合は「しょうちゅう」と読む。
神様や貴人の通る場所だから、一般者は忌避するのが作法とされる。
能舞台の橋掛りも、出入りの際には囃子方(オーケストラみたいなバックミュージシャン)は正中を避けるのが正しい。
シテの通る場所であり、シテとは、人ではなく多くの場合は、霊、神仏である。

高杉が松陰師を埋葬するため、千住から豪徳寺まで荷車で運んだ際どっかの御成橋の真ん中を通り、番人から咎めを受けたらしい。
将軍だけが真ん中を渡れるというルールらしいが、
傍若無人な高杉さんですから、なんとか言い放ちだんびら振りかざして押し切った。


そんな作法は無意味で根拠がないと書き散らす向きがSNSを主体にアレコレあるが、如何なものかねえ。

中国の古典に「晏子の御」という逸話があるが、道の真ん中を横柄に歩く様は見た目にも心地よいものでなく、謙譲の美徳とは無縁である。
今時流行らないと言って仕舞えばそれまでだが、知って行う様と知らずにでは天地ほど違う。

高杉晋作は確信犯であるが、一休さんは、この頓知噺が事実であれば、単に無知ってことであり、
ありえないことだと・・・・


2024年5月13日月曜日

ある四象限マップ

 





度々の映画化

原作はあちこちの版元が刊行してますが、リアル書店の棚で見かけることはなく、まず読まれていないのだろう。
レアセドゥの主演作やジャンコクトーの定番と優れた映像版がありますし、あとはディズニーアニメやら、、、(カバー写真はコクトー版ですが、映像はレアセドゥ主演作品)




つらつら思うに、美女野獣の組み合わせは数限りなくても、醜女美男の例は見当たらないのはどうしてだろう

所詮オンナの人格は顔だけ、ってジェンダー論者だと怒り心頭だろうが、この作品に対してそう言う論は聞き及ばない。
組み合わせが被虐的でそそる、という解釈もあるが、これはオトコ目線。
ブスに美男を組み合わせれば、これはこれでマゾヒズム(笑)


原作はありげな異類婚姻譚で民間説話だと思ったが、啓蒙主義時代に女性の手になる小説。

オリジナルは冗漫なまでに大部であり、一般に読まれるのは、ボーモン夫人が簡略化したバージョン。
フランス文学史を飾るようなものでもなく、この理性の時代で重要なのは、マルキドサドだけ。
その意味で、ジャンコクトーの功績は大きい。

稀代の悲恋がハッピーエンドで終わるのは慶賀の至りであるが、実はこの小説の結末は二種類ある。
この手のお話しは娘三人で、邪悪な姉二人に優女な末娘の組み合わせがこれまた定番
シンデレラもそうですし、リア王も似ています。

末娘が幸せになるだけではカタルシスを感じないのか、意地悪な姉二人を迫害してやっとエンドマークなのです。
サドの時代にふさわしいサディズムの極致

しかし、映画版はそこまで死者に鞭打つようなまねはしません。
だって興収に響きますから



四象限マップなんだから、残りにも多少言及

美女美男は、月並みすぎて食指がすすまない

醜女野獣は、、、言い換えれば割れ鍋に綴じ蓋(これはこれで微笑ましい)



2024年5月12日日曜日

猫に名前をつけるには

 



言わずと知れた、ミュージカルキャッツの冒頭の合唱部分。

ネコごときでもなにかと小難しいのだから、国防の第一線を担う艦船ともなれば、、、


倭国の場合、明治帝の御意志で一般的に米欧型の勲功著しい人名を命名するルールは採用しないと決めたもので、臣下ごときが改廃して良いって事ではない。
実際のところ、命名の後に不祥事なんか起きると申し訳ないってこと 


唯一の例外が南極観測船「しらせ」と訳知り顔な講釈をきくが、公式説明は「南極にある地名」に由来すると言うことになっている。

しかし、この地名は人名に由来しているはずだから、、、なにをか況や(^^)

旧海軍の命名ルールは単純だった。
艦艇の区分が単純だからということであり、

旧国名
山岳名
河川名 とかなんとか・・・

自衛艦も踏襲はしていますが、軍艦とは言わず護衛艦というし、同じような護衛艦でも時代の要請で似ても似つかぬ様相ともなれば、命名体系も崩れてくる。


排水量で自衛艦史上最大規模のヘリコプター搭載護衛艦だと、昔の戦艦のように、旧国名が使われます。

ひゅうが
いせ
いずも
かが

つまり、こころは「戦艦規模の空母」なのです。
しかし、加賀はミッドウェーで撃沈されてますし、
日向、伊勢は繋留中に大破着底とあまりよろしくない生涯をおえました。
いずもは初登場ですが、故事に習うのならば「しなの 」と命名すべきですが、さすがにまずいか(^^)

なんせ、竣工から沈没までの期間が超短命



県知事から陳情があったとか、国防族議員の意を忖度したとか想像を逞しくは出来ますが、
隊内で公募の上で上申案をつくり、命名の最終権限は防衛大臣と訓令にあります。
軍事オタクな大臣だと色々と口出しをしたくなる。



倭國の旧国名は八十あまり。

有名どころは旧皇軍がすでに使用して須く海のもずくとなりました。

長門だけは生き残るものの、戦後米軍の原爆実験の標的に、、、哀しくも嬲り殺しなんだわ

そんな不祥の名前を使わなくても、まだまだ使える国名はあります。


アタシなら、、、、


紀伊

尾張


大戦末期の超大和型大型艦で、構想図しかないのですが、それはそれは排水量、全長、主砲口径のどれをとってもとてつもない大型艦だったらしく、確からしいのは予定艦名だけ。

しかし、あの時代にまだ大艦巨砲主義信仰に取り憑かれていたとはなあ、、、、

敗戦により計画は頓挫と言われるが、どっこい、当時の国力(造船所の能力、装備の開発力、能力のある職工の枯渇等)では、絵にも描けない有様というのが正鵠を得ている。






2024年5月10日金曜日

政策あれば「対策」もある

 実質は「全面禁止」に等しい、、、だろうなあ



香港の裁判制度は三審制ですが、控訴審である高等法院は、一審も二審も扱ったり、、、複雑です。

今回は「形成訴訟」のようなもので、香港政庁が、高等法院に対して、この愛国的歌曲の「禁止」を求めたが棄却されたもんで控訴したところ、高等法院(判事は当然別人)では「条件付禁止」の判決。控訴審判決に不服があれば上告は可能だが、誰もやらない、、、から、これで一件落着。一審はまともな判断をしたと思うが、上にいけば、、、どっかも似ていなくはない。


BBCのリリースは、奇妙に工夫はしていますが、逆に多少の知識があれば、混乱します。

高等法院が一審判決を出したの?(高等法院って控訴審を扱う日本の高裁みたいなだろう)

2審の裁判所ってどこだい?(最高裁のことなら、終審法院って名前がありますが)


学術や報道目的ならば、使用可能とされますが、扇動的意図(極めて恣意的な判断になるんだろうなあ)があれば、、、ダメ!



本題はここから、、、

香港ではユーチューブは閲覧できます。

しかし、コンテンツに扇動的意図があるとみなされると、とてつもない重罰を課せられる可能性がありますから、運営会社(Googleの傘下)の自主規制が働き、近々削除されることが容易に予想されます。

だったら今のうちに「魚拓」をとっておかないと(^^)



これは絶対に消される。

背景映像が極めて扇動的な報道映像と判断されます


キャプションがそもそも不味い。香港の国旗はすでに変わりましたし、国歌も北京の国歌を強いられています。



単なる演奏風景の報道と釈明出来なくはない


同じく、、、単なるストリートピアノの演奏風景


一国二制度はますます形骸化どころかいまや「二国一制度」

いつまでもプーさんの微笑みに騙されるんじゃないよ。



今回の件で、更に下がるだろうなあ。

ロシアの155位を追い越し、中共の175位に肩を並べそう


2024年5月9日木曜日

エドガルドモルターラ

 


アタシのような絶対神を信じない者には理解し難いが、、、150年前のボローニャでの幼児「誘拐」事件。さほど珍しい事でもなかろうに、教権、信仰、政治が絡めば、ハマチが鰤にもなる。


裕福なユダヤ人商人の末っ子の病状を不安に思ったキリスト教徒の女中は勝手に洗礼の秘蹟を行ってしまう、、、当時の教会法によれば、


キリスト教徒ならば誰でも洗礼の儀式を行える

洗礼は取り消せない

ユダヤ人はキリスト教徒を生育できない、、、、らしい


世俗的には誘拐事件であっても、教権からすれば正当な保護。かくて、ユダヤ人社会と法皇庁の対立は激しさをまし、加えてイタリア統一運動も絡み合う大騒動となる。



結末は?と言えば、イタリア史の通りだが、教権は完全に世俗権力に押さえ込まれ、この「主犯格ともいうべき」ピウス9世は就任時は改革派として民衆から熱烈歓迎されたが、晩年は黄昏れる教権の失地回復を保守的に推進したが故に更に失点を重ねたようだ。


しかし、げに恐ろしきは「洗脳」ともいうべき信仰心の植え付け。絶対への帰依と寛容性は相容れないようだ。宗教的にナイーブな倭人には、薬になるかもしれないが劇薬にもなりうることを、麻原彰晃や文鮮明が教えてくれたが、その呪縛からの解放は至難の業。


主人公のエドガルド君は、ユダヤ教徒に戻る事はなく、終生宣教師として辺境での布教に勤しんだ。


ラストシーンはまことに衝撃的

命尽きようとする母親のところにやって来たエドガルド

親子の情は信仰を凌駕するんだ、、、なんて生やさしい事を予想するのは優しい倭人だけ(^^)


洗礼の秘蹟を受けないまま死ぬ事は地獄に堕ちること。子の親に対する愛とは、ユダヤ教徒だろうともキリスト教の洗礼をほどこすこと、、、、

しかし、母親はキッパリと拒絶し、ユダヤ教のマントラを唱えながら天に召される


キリスト教もユダヤ教もイスラム教も、全てアブラハムの神への信仰なんだが、、、共通の神であるが故の近親憎悪はなんとも致し方ないのか、、、







2024年5月8日水曜日

コンサルタントの断捨離

 



なんとも「鬼面ヒトを、、、」的な内容なんだが、装飾を剥ぎ取れば至極もっともな論


.....

.....


しかし、この一節はいったいなんなんだ?

長らく経済界の片隅にもいたし、企業コンサルタントともお付き合いがあったが、かような「箴言」は聞き及ばない。

一端の真実がありげだが、まことに我田引水(^^)


確かに、昨今の赤門卒は官僚を忌避し、コンサルタントを希求する。

雑巾掛けをしなくても若い頃から高禄をはみ、クライアントからはチヤホヤしてもらえるし、、、

それは、コンサルタントの使い方を勘違いしている企業側の問題でもある。

知見のない未知の領域の道案内に使うのはまだしも、コアコンピタンスともいうべき事業戦略や経営管理システムは、社内人材の知恵の総合力で対応すべきものであり、それが出来ないのは人材の育成に懈怠があるのですよ。だからといって、コンサルタントのご神託をありがたがっても、先ずうまくいかない。


はなしをもどして、この「箴言」ですが、産業の栄枯盛衰は、学歴エリートの就職動向で決まるといいたいのかな?

見向きもされなかった業種が着目されるようになれば、それは「買い」

我も我もと門前市をなせば「売り」

株式相場の格言ならば、的を得ているし、、、、エリートの動向こそが「KSF」だと言いたいのが本音ならば、案外くすぐりかも(^^)



2024年5月7日火曜日

昭和百年

 議連が出来たらしい。

逆に言えば、政府として公式行事挙行やらは現段階では「白紙」だということ。

そんな余裕もないだろうし、選挙対策にもならない


さる明治百年は、武道館で陛下を筆頭に内外要人が参集し、盛大に式典が行われた。

時は佐藤政権全盛の頃だし、官民あげてお祝いしようかなあ、、、って気分だった。


そん時の記念事業の一つが、産経新聞社の新聞連載小説「坂の上の雲」

期せずして、この司馬史観が明治期を定義してしまった。無論左翼史家を中心に異論もあるが、威勢はあまりよくない。

歴史評価は、後世の道徳基準で断罪して悪いとは言わないが、それが全てではないどころが参考愚見

無論、他の大メディアもそれなりに、、、

築地の大新聞社は、大佛次郎氏を担いでの「天皇の世紀」まともな学術論文的なノンフィクションを上梓したときの参考文献に載るレベル(司馬さんのは小説だからシカトされます)ですから、、、でも、作者逝去により未完。

あとの大新聞社もなんか企画したんだろうが、、、皆目記憶にない。


さて、昭和百年記念事業ですが、知る限りイベントをぶち上げたのは、昭和女子大学だけ。

これは、1920年創設ですから、昭和百年とは無関係です。

むしろ、にわかに信じ難いが「コンピュータの昭和百年問題」の方が、、、

西暦2000年問題(Y2K)対応で懲りてるはずなんだが、、、