2024年9月9日月曜日

暑さ寒さも彼岸まで、、、なんだが

 


なんて俚諺も昨今は、、、
春来ればすでに夏の気温だし、秋に至れどいつまでも炎夏の残り気配

せめては、王朝和歌の世界から「秋の気配」を


この寝ぬる朝けの風の

少女子が袖振る

山に秋はきぬらん


秋来ぬと

目にはさやかに みえねども

風の音にぞ 驚かれぬる


秋といえど

木の葉も知らぬ初風に

われのみもろき 袖の白玉



まずは、後鳥羽帝(續後撰集 秋上部)

上句は序詞であり「袖振る山に秋」がやってきたという万葉調にしておおらかなスメラミコト風

袖ふるは、万葉集によく登場する常套句であり、後年本歌取りによく採用されたが、親愛の情をこめて送り出すあるいは迎え入れるという古代的な呪術的な風習だと識者は言います。

立秋の日の朝ぼらけの頃、少女が袖を振り秋を招き入れる、、、なんとも気分の良くなる和歌。


二番目は、誰もが知っているだろう古今和歌集秋上部の巻頭歌。作者は藤原敏行なる下級貴族歌人

視覚では感じえないが聴覚で秋を感じるって、、、

ヒトザルは視覚で八割の外部認識を行うと言われるが、敢えてそれを捨てて古代の呪術性を思わせるような感覚認識がこの和歌のキモ。

理が勝ち過ぎるって批難もされるし、理知的と讃賞とされるだろうし、、、、


三番目は、、、定家三十三歳の頃の作品

絢爛にして鋭敏な技巧の冴え渡る絶頂期の作品。彼の秋の和歌は秀作ぞろいであり、不幸にして全ての勅撰集から敬して遠ざけられた。

不採用にも理由がある。

秀句表現の食傷気味的連発(この葉も知らぬ われのみもろき)は消化不良を起こしますからねえ(^^)





2024年9月8日日曜日

フォールガイ

 



アメリカンの俗語表現って、、、、みるからに分かりますよ。辞典的には、騙され易い、カモになる、スタントマン、、、なんかが並んでますが、かなり意味合いが違うだろう。


まず当たり外れのない「バックステージもの」

設定がかなり凝ってます。

主人公はスタントマンを生業とするが、撮影中の事故で仕事から離脱し、恋人のカメラウーマンとも疎遠に。

ある日辣腕のプロデューサー女史の強引な要請で元恋人が初監督する現場に復帰したが、、、そこにはかの女史の「罠」が


主演男優が今の彼のスタントマンを偶発的に殺害。その隠蔽のため殺人犯の「スタントマン」に擬せられようとする主人公のスタントマン。

スタントマンなる職業の要素スキルは並はずれたアスリート能力はもとより主役に容貌や体格が似ている必要がある。

一見してこの三人は似ていて判別がつきにくい。

アップテンポの展開で誰が誰だか錯乱しているうちに最後はお約束通りのハッピーエンド。

恋人の初監督映画は大ヒットし、二人はよりを戻し

メデタシメデタシ❣️、、、なんてご都合主義の極みだ。製作者と主演男優が殺人の被疑者となれば製作は普通は中止だろう?

それに主演男優は誰が演じたんだよって?

仔細に映像を見れば、アクアマンの主演のマッチョみたいだが、スタントマンのライアンゴスリングの方がかなりスリム


途中から、、、ヒロインはエミリーブランドだと思っていたが、実はジェニファーローレンスかあ?と思うくらい(^^)



過去の有名映画のシーンや台詞の換骨奪胎やら、楽しいカメオ出演とか、映画愛満載のマニア好みな一作

2024年9月7日土曜日

花ろうそく

 




灯し 消えゆく
ほのおの果てに

想ひ 無明


多少な字余りな俳句のつもりだが、、、灯しや炎だけでは季語にならないみたいだ。

仏壇の短くなりゆく灯明を観ての一句なんだが、、、

もう少しことばを吟味する必要がある



灯明とは、

無明の闇を照らす仏陀の智慧を表す、、、セントエルモスファイヤーのように愚昧な衆生を導くナンチャラというのが通説的解説。

一般的には、右に灯明、左に供花、真ん中に線香の三点セットだと言われるが、我が陋屋では、灯明と仏花は対で飾る。



しかし、蝋燭は火事の元だし、切花は夏は枯れやすいもんで、生活の知恵とは素晴らしい。


絵蝋燭


仏具店で見かけるが、謂れは知らなかった。

これはこれで素晴らしいが、火事対策にはならない

のが難だが、探せばあるものだ!



LEDで炎が揺らぐようになっているらしい電池式

タイマーがあるのかどうかは知らない。


しかしなあ、、、蝋燭の科学(ファラデー)を知らないとか読んだことのない理科系学徒はまずいないだろうが、かような「文明の利器」からは科学する魂は育たない、、、とアタシは思う。




ちなみに、我が陋屋の仏壇の仏花は「高野槙」だけ

こまめに水さえあげてれば四半期はもちますからお手間要らず。

殺風景ならば、都度の一輪の季節花の投げ入れ

蝋燭は一センチ弱の超短寸。これなら消し忘れリスクは回避可能

文明の利器に依存しているとこんな智慧は湧いてこない(^^)

2024年9月6日金曜日

ラストマイル

 



テレビ局系が製作したようですが、


映画館での予告編スポットをうちまくる

主な出演者がバンセンでテレビでずっぱり

その他あらゆるプロモーション


を派手にやっていたという印象はない。

にも関わらず、公開三日間の興収が10億円は快挙だし、その後も堅調。

一体原作者は誰だ?とかこんな漫画聞いたことないとか、、、実はオリジナル作品だそうな


ラスト(ワン)マイル


珍しく満島ひかりさんが主演だというから、、、彼女露出があんまり多くないが名女優。

なもんで、入りの悪そうな時間帯を狙って(^^)


個性的なバイプレイヤーを惜しげもなく起用しているところは贅沢なんですが、なんだか国内ドラマ配信で観たような風景

なるほど、これが「シェアードユニバース」だ!



はみ出し系の刑事

クセのある法医学者、、、のテレビドラマを拝借してきて統一共有された世界観でつくられたパニックスリラーのつもりらしい。

マーベルアニメのアベンジャーズの世界みたいなものなんだが、過去のテレビドラマである


アンナチュラル(石原さとみとか)

MIU404(綾野剛と星野源)


とこのラストマイルの何処が同じ世界観なんだ?

あっちのドラマの役者がこっちに登場しているだけで、それぞれに接点や交点があるわけでもなく、はやい話が、カタカナ新機軸客引きトーク程度にしか思えない。



映画としてどうかと言われれば、、、竜頭蛇尾

つまり、ラストワンマイルが支離滅裂。

この言葉は、元来はIT世界の用語だが、今回は物流業界用語として使われている。

カタカナ表現だとなんだか目新しくおもえるが「プロジェクトやタスクの成否は最後の一手できまる」的な事であり、、、


古人曰く......百里の道も九十九里を半ばとする



なんか、倭國の文藝にシェアードユニバースがあったかと問われれば、、、


中山七里ワールド


かなりお手軽でチープなんですが、かような視点で見れば結構面白い(が、公設貸本屋さんで借りて読む程度のエンタメ)










2024年9月5日木曜日

酸性雨

 


お手軽に客引きのできる映画ジャンルが自然災害パニック


地震
津波
噴火
台風(ハリケーン、サイクロン等)
竜巻等々


しかし、このテーマは初めてかも、、、


酸性雨


にわか学習を披瀝すれば、人類史上初めて認知されたのが、英国の産業革命期のころだそうです。

その原因なりは容易に推定できます。しかし、山林が枯死したとか程度なら、、、それはそれで深刻なはずだが、バタバタとヒトザルが倒れたわけではない。


しかし、pH⒌6を大きく下回る、、、言ってみれば希硫酸の雨が降るとなれば、事は深刻。

希硫酸雨対応の建物とか諸々のインフラなんか聞いたことはない。つまり避難回避不能。

ひたすら雨の降らないエリアに逃げ惑うしかないが、そんな恐怖の雨が降るほどの環境破壊ってにわかに想像し難いのですが、、、、


自然災害パニック映画はハリウッドの独壇場なんですが、このチープっぽい映画はフランス産

だっから、人物関係を込み入らせたり小理屈が多くてエンタメとして鑑賞できずに実に疲れます(^^)

二酸化炭素ゼロ社会を目指すフランスだから、こんなテーマの映画に資金がついたのだ。

たぶん、ハリウッドは既にリメイク権を買い取ったはず。

ハリウッドスタイルのパニックスリラーならば、エンタメとしては見応えあるだろう、、、っていまから期待





2024年9月4日水曜日

悪循環

 



トレーニングは、、、
一日やすめば、自分で分かり
三日サボれば、師匠にばれる
一週間怠惰ならば、、、、押して知るべし。


けだし、継続は力である

舞台(ステージ)があると思えば、お稽古に精出すし、満足なお稽古をやるには日々の予習復習が欠かせない。


素人能楽師の端くれでも、舞台に上がる以上は恥はかきたくないしヒトイチバイええカッコしいだし(^^)

結構長い期間師匠についてお稽古に励んできたが、師匠が椎間板ヘルニアでダウン。

12月の舞台はどうなるか分からないし、お稽古は長らく中止。そうなれば予習や復習をやる気も失せる。

これが「悪循環」

声は出なくなっただろうし、正座も、、、もはや15分もあやしい。


九月からお稽古再開は慶賀の至りだが、一定の水準にまでリカバリーするのには、それなりの時間がかかる。予定通り舞台が開催できたとして、自分なりの完成度になるかどうか、、、、まあ、そん時は演目の難易度をおとせば住む話なんだが(^^)



2024年9月3日火曜日

グミの日

 



◯◯の日なんて数えるのが馬鹿馬鹿しいほどあるし、、、大抵は語呂合わせ。
だから、この九月三日がグミの日でもお菓子くない(^^)


そもそもアタシが日常的に口にするものではないし、

グミが酒の肴や薄茶濃茶のアシライにはならない。

けだし、オオサカはおばちゃんの飴ちゃん文化。


とは言え、、、ミーハーなアタシ

ブームだとか、可愛い孫が欲しいと言われれば、、、

発祥は百年前のドイツ、倭国上陸は半世紀前くらいだそうです。

しかし、市場規模は一千億円程度。

お菓子全体の小売売上額が三兆数千億円で、三強が、チョコ、スナック菓子、和菓子(この三つで四割を超える)

その程度と思うか一定の存在感と感じるかは微妙。


御託はともかく、お誕生日祝いとやらに「詰め合わせセット」を買わされた。




2024年9月2日月曜日

ローマ字表記

 内閣告示を変えようがどうしようが、、、(^^)



明治の初めに、ある碩学の方がお決めになったのが日本式

その後、アメリカのヘボン氏が定めたのが、ヘボン式ですが、紛らわしいことに修正ヘボン式もあります。

昭和の頃に時の近衛政府が定めたのが訓令式

そして、その告示の最終版が今回見直しの対象となっています。


どれがどうちがうかは、ウィキなんかに一覧表がありますが、、、アタシもそうだが、様々な表記法をゴチャ混ぜに使われています。

それが好ましいかと言われれば、よくはないだろうが目くじらを立てるほどのことでもない。

そもそも国民の間では、訓令式よりも英語的だからヘボン式の方に親しみをもっていると言われる。

かと言って、ヘボン式のなんたるかを正確に知るには至らない(^^)


Namba(難波)

Nanba


ヘボン式では、b.p.m の前の撥音の「ん」は前者のように表記するのが正しい、、、が、修正ヘボン式だと後者でも構わないし、かようなルールを知っている向きは少ない。


アタシの古巣に「ほんべ」と言う方がおられた。ローマ字表記がどうだか普通は誰も気にしないが、電子メール導入時にちょっとした混乱。

Hombe  が「正しい」のだが、そんな事に誰も気がつかず、Honbe  だとエラーとなるから大騒ぎ



さらに、、、、昨今のX-game系アスリートは翔んでいる。


Coco

Cocona

Liz


眉を顰めるなかれ(^^)

彼女たちが意識しているかどうかは別にして、布教の為にやってきたポルトガル人は、かような表記を行なった。それがポルトガル式。

カ行ならば、、、


Ca

Qi

Cu  Qu

Qe

Co



今回、どういう視座でどう変えるのかは知りません

倭人には普通は、クレカやパスポートの表記以外はどうでもいいのだが、、、つまり海外だと多少は気にする必要があるし、異人の眼で見た時にどれがしっくりくるかどうかってことかな?



ここまで書いてやっと気が付いたが、、、


戸籍にカナ文字が必須記載される事は既に決まっている。

ローマ字表記はどうなるんだろう、、、少なくともマイナンバーカードにローマ字表記がなされる事は決まっているんだって(知らなかった!)

ならば、まずは、個人の仮名表記を確定してその後新しい内閣告示に従い、、、あなたの名前のローマ字表記はこれです!って通告するつもりかな?


これって、表記次第だが、人格権の侵害ですよ。

アタシの名前は


Koji

Kozi

Kohji

Kohzi 

Koozi 

Kooji 


の表記が理屈では可能なんだが、お気に召さない表記もありますし、、、






2024年9月1日日曜日

荷風先生は大震災をかく語れり

 


その当時は、麻布あたりの借地に偏奇館なる洋風に永井荷風は一人暮らしだった。


以前に断腸亭日乗を読んだ時には(文庫版二巻の抄録)気が付かなかったが、大正十一年あたりからしばしば地震(予震や余震)記事が登場する

毎度は、日々の天候、濫読の内容、体調の悪さ、夜な夜なのグルメ三昧、あれこれオンナとの交情ばかりだから、やっぱり異例の記述は気になる。

かといって、鳥獣の異常行動とか地震雲がでたとかの怪力乱神をかたるような事は荷風はしない。


かの未曾有の災禍

幸いにして荷風の寓居は「一部損壊」程度ですみ、ご近所も大なり小なりその程度であった模様。

鈍感というか社会意識の欠如というかそもそもそんな事に興味をもたない、、、「紅旗征戎云々」派ですからねえ(^^)


高等遊民的行動様式はさほど変わるところはない。

さすがに歌舞音曲のたぐいは小屋が開いていないからどうしようもない。待合が店を閉ざしても私娼窟は活況を呈する。古書肆もレストランも曲がりなりに店を開ける。

住まいが残り蔵書に被害が無ければ、文弱の徒にはさしたる事はない。

かと言っても、鴨長明のように災禍ルポルタージュには興味はない。火付け強盗や井戸に毒をほり込む不逞賤人の影もなければ、逆に恐怖にかられた白色テロル行動のカケラもない。

頭の悪い右翼に加担しているわけではない。程度の差こそあれ蛮行があった事は否定しないが、、、

荷風も、毎度の散策コースを多少変えてはいるが、この当時の彼の守備範囲は山の手。下町や向島の惨状は意識の埒外のようだから、大抵は浅草界隈を限度に足を運んでいない。


同時代資料は一級資料と言われるが、書き手の視座はそれぞれだしバイアスがかかっている。

けだし、ヒトは見たいものしか見ないし、みえない。