その当時は、麻布あたりの借地に偏奇館なる洋風に永井荷風は一人暮らしだった。
以前に断腸亭日乗を読んだ時には(文庫版二巻の抄録)気が付かなかったが、大正十一年あたりからしばしば地震(予震や余震)記事が登場する
毎度は、日々の天候、濫読の内容、体調の悪さ、夜な夜なのグルメ三昧、あれこれオンナとの交情ばかりだから、やっぱり異例の記述は気になる。
かといって、鳥獣の異常行動とか地震雲がでたとかの怪力乱神をかたるような事は荷風はしない。
かの未曾有の災禍
幸いにして荷風の寓居は「一部損壊」程度ですみ、ご近所も大なり小なりその程度であった模様。
鈍感というか社会意識の欠如というかそもそもそんな事に興味をもたない、、、「紅旗征戎云々」派ですからねえ(^^)
高等遊民的行動様式はさほど変わるところはない。
さすがに歌舞音曲のたぐいは小屋が開いていないからどうしようもない。待合が店を閉ざしても私娼窟は活況を呈する。古書肆もレストランも曲がりなりに店を開ける。
住まいが残り蔵書に被害が無ければ、文弱の徒にはさしたる事はない。
かと言っても、鴨長明のように災禍ルポルタージュには興味はない。火付け強盗や井戸に毒をほり込む不逞賤人の影もなければ、逆に恐怖にかられた白色テロル行動のカケラもない。
頭の悪い右翼に加担しているわけではない。程度の差こそあれ蛮行があった事は否定しないが、、、
荷風も、毎度の散策コースを多少変えてはいるが、この当時の彼の守備範囲は山の手。下町や向島の惨状は意識の埒外のようだから、大抵は浅草界隈を限度に足を運んでいない。
同時代資料は一級資料と言われるが、書き手の視座はそれぞれだしバイアスがかかっている。
けだし、ヒトは見たいものしか見ないし、みえない。
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