灯し 消えゆく
ほのおの果てに
想ひ 無明
多少な字余りな俳句のつもりだが、、、灯しや炎だけでは季語にならないみたいだ。
仏壇の短くなりゆく灯明を観ての一句なんだが、、、
もう少しことばを吟味する必要がある
灯明とは、
無明の闇を照らす仏陀の智慧を表す、、、セントエルモスファイヤーのように愚昧な衆生を導くナンチャラというのが通説的解説。
一般的には、右に灯明、左に供花、真ん中に線香の三点セットだと言われるが、我が陋屋では、灯明と仏花は対で飾る。
しかし、蝋燭は火事の元だし、切花は夏は枯れやすいもんで、生活の知恵とは素晴らしい。
絵蝋燭
仏具店で見かけるが、謂れは知らなかった。
これはこれで素晴らしいが、火事対策にはならない
のが難だが、探せばあるものだ!
LEDで炎が揺らぐようになっているらしい電池式
タイマーがあるのかどうかは知らない。
しかしなあ、、、蝋燭の科学(ファラデー)を知らないとか読んだことのない理科系学徒はまずいないだろうが、かような「文明の利器」からは科学する魂は育たない、、、とアタシは思う。
ちなみに、我が陋屋の仏壇の仏花は「高野槙」だけ
こまめに水さえあげてれば四半期はもちますからお手間要らず。
殺風景ならば、都度の一輪の季節花の投げ入れ
蝋燭は一センチ弱の超短寸。これなら消し忘れリスクは回避可能
文明の利器に依存しているとこんな智慧は湧いてこない(^^)
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