2025年6月9日月曜日

多様な橋姫

 



さむしろにころも片敷き 今宵もや
われをまつらん 宇治の橋姫

古今集 読人不知として今に伝わる名歌
素材からして、トラディショナルソングの可能性が高いが、貫之の筆が入っているかもしれない。

黄昏時の橋の袂にたたづむのは、優にして婉・美

橋は、彼岸と此岸の結節点。なにかしら摩訶不思議な事が起きる。

お通さんにせよ眞知子さんにせよ、運命的な出会いは橋の袂がお約束。

中には魔物と出会うこともあるし、、、末世末法の世ともなれば、夜鷹辻君白湯文字やらで大久保公園状態。

さむしろ(幅の狭い筵)を片手に顔を手拭いで隠し、、、、江戸の街ではどんだけ梅毒が蔓延していたんだろう(AIの回答は、、、にわかに信じ難い)



そんな気色の悪い感染症がまだなかった王朝期

宇治の橋姫のお題で本歌取の歌合せが後鳥羽院のお声がかりで水無瀬離宮で開催された、、、って無論架空のことです(^^)



網代木にいさよふ波の音ふけて

ひとりや寝るる 宇治の橋姫(慈圓)


きりぎりす

鳴くや霜夜のさむしろに

衣かたしき ひとりかもねん(良経)


かたしきの袖になれぬる

月影の秋も幾夜ぞ 宇治の橋姫(俊成女)


橋姫のかたしき衣

さむしろに待つ夜むなしき

宇治のあけぼの(後鳥羽院)


さむしろや

待つ夜の秋の風ふけて

月をかたしく 宇治の橋姫(定家)


いつまでも我慢して待つばかりがオンナの本性じゃない。

待ちくたびれて、諦観ならまだしも妬心邪心から、鬼女と化すまであと僅かだ。



この橋のうえで、渡辺綱は鬼女に襲われ、片腕を失ったそうだ




2025年6月8日日曜日

日記、書簡、、、

 



日記、書簡という文学形式を払拭した日本文化は貧相であるって、、、ボクの意見じゃなく、ドナルドキーン先生の卓見。
内省告白型一人称形式はわかりやすいし、取っ付き易いし、誰でも参加型文学形式である。
今風のSNS(ブログ等)もその延長線であり、貫之、レディムラサキ、孝標娘、更には定家、荷風やらが偉大な先人

実のところ「書簡体文学」は、西洋人に如くものはない。代表例は、危険な関係、若きウェルテルの悩み・・・
しかし、お手軽なところではこれ!
アメリカンらしくウキウキとして清々しい。
もっとも往復書簡ってことではなく、一方的に女性が手紙を書き続けるのですよ。




国産では、これなんかが世の女性の紅涙をしぼったものだ。
映画版が有名ですが、TV版のほうが好きです(山本學と大空真弓だったかな?)



今どきは、日記文芸なんか流行りませんが、最後のベストセラーは多分これ。
気恥ずかしくて、口にするのも文字にするのも憚りますが(苦笑)
当時は結構なベストセラーだったのですよ


しかし、日記文学も「複数の書き手で構成」されると、これはこれで新たな地平を切り開く。
世に「交換日記」っていいますが、聞き及ぶに60年台の日本特産らしい。
普通は男女間とされますが、高名な文学者による男同士の例もあるやに・・・・相当にキモいってアタシなら思うけど、、、偏見かなあ?


なんにしても、今時はやらないコミュニケーションツールですが、それはそれでひねり方次第。
雨後の筍なみに氾濫するSNSですが、温故知新。
人里離れた寒村の小学校では、古臭いコミュニケーションツールがこんな素敵な物語を紡ぐのです。










2025年6月7日土曜日

はなたちばなのかをり

 


伊勢物語では、なんとも言えないエピソード付きで詠われる名歌が、けふの名題

 
むかしオンナありけり。
オトコもいました。
橘の香りのパヒュームがお好みの美人だった。
相思相愛だったのですが、オトコのうだつがあがらないと見て・・・だか
かまってもらえなくてだか、、
別のオトコに乗り換えた・・・
がどうも予想がはずれ落馬したみたい(苦笑)

捨てられたオトコは発奮したのかどうか知らないが、立身出世で飛ぶ鳥を落とすさま。
ある夏のころ、パーテイの片隅でしょんぼりと壁の花なオンナとそのオトコが出会い、
近寄り、しみじみと・・・詠いかけるともなく

オンナは恥じ入り、そのご出家・・・と原作にはありますが、いまどきならどうなんでしょう?
もう一度って、誘いかけるかな(笑)


某氏のブログによればですが、王朝和歌に倒叙する花群って(古今集のランキング)

桜
紅葉
梅
萩
橘
藤

大別すれば、

花を愛でる
薫りを楽しむ
それ以外にも 語感を弄ぶ・・・・・ってあります。
 
その意味で橘は「その薫りがむかしを懐かしむ・思い出させる」ってのが約束事
その約束事は、このうたを嚆矢とする・・・ということで「定番」なのです。

このうたを本歌とする和歌群は、一大巨峰といわれ、それだけで詞華集がつくれるほどだが、玉石混淆

ちなみに比較的よく出来た本歌取り(源氏物語に登場)を見るに・・・

橘の 香をなつかしみ ほととぎす
   花散里(はなちるさと)を たづねてぞ訪ふ

詠い手は、ヒカル君(自分を子規になぞらえ)

こちらの方は、むかしのオンナ(源氏名が花散里)にまだ未練があるようです。


2025年6月6日金曜日

デンマークの映画

 




比喩的に言うと「補助線」を必要とする藝術は難儀である。
未知との知的生命体との遭遇を期待した宇宙カプセルには「ゴルトベルクヴァリエーション」が搭載されていることは知っているが、、、
失われた時を求めて...は絶対にないと思う。
映画はどうしたか知らないが、あるとすれば、
無声映画の4Kリマスター版だ。



チャップリンがトーキーを嫌った理由は定かではないが、アタシ的解釈だと、藝術の普遍性の欠如を見たに違いない。
言葉(文字)によるコミュニケーションにはある種
限界がある。翻訳・通訳・字幕...補完的ではあるが、あくまでも補完的
オリジナルのニュアンスをどの程度に伝えたのか正確には解らない。

濫觴期から映画がトーキーであれば、
アメリカンで映画産業が隆盛を極めた筈がない。
碌に英語が判らない貧しい移民達の一時の慰安と享楽の王座となれたのは

無声

であったればこそ。



デンマークは無声映画期は映画大国であった。
有り難いことにデンマーク語がわからなくても、
カールテホドライサーの藝術映画は世界を震撼させた。

デンマーク語を喋るのは、デンマーク人とアイスランド人だけ。
いまや、デンマーク映画で世界を目指す映画は、
デンマーク語以外で製作され、かつての映画大国の遺伝子を極小の映画人が継承している。

ラースフォントリア

淫靡過激背徳猥褻というか刺激的な映画作りで定評がある。
一方で、耽美官能倒錯頽廃も定評有り❣️
けだし、ヴィスコンティの降臨。


さあ芸能ゴシップ的には...

カンヌ卒倒
上映中の途中退席者続出
鳴り止まぬ...救急車のサイレン

さあどんな映画なんだろう?

2025年6月5日木曜日

お米も色々

 




いったいに「どの段階」のコメの事かしら?
超単純にいうと、、、

籾米(100とすると)
玄米(80)
精米(70〜75)、、、くらいの換算重量になります。


田んぼの稲穂から脱穀した状態が籾米。

その籾米を俵に詰めて、、、今年は◯俵とれて豊作だったって、、、当時は一反(10アール、300坪)で八俵くらいが豊作だったかな?

籾米から玄米にする「籾摺り」は自前の機械が無いから(何処の農家も持ち合わせないのが普通)専門の米屋さんの出張作業。

玄米は俵ではなく20キロ袋に詰めてました。その後自家消費分を残して、JAが集荷。

大体家族一人が三袋強が年間消費目安。玄米ベースだから自家精米機で精米すると更に目減します。


米の消費が減った割に、ひとり60キロ弱の消費というのが(あてにならない)農水省統計だから、これは玄米ベースに違いないし、インバウンド分をどう読み込んだのか分からない



食べる分だけ都度精米するのが王道だし、胚芽をトコトン削りおとすとピカピカの美味しい白米になるが、栄養的にはあまり感心しない。五分搗きとか八分搗きとかいいますが、我が家はトコトン十分

だっから、米糠の再利用で、フライパンで炙り香ばしくなればオブラートに包んでの栄養補助剤として食し、そしてフライパンもまっさらみたいに綺麗になります。


籾殻や米糠に限らず、コメ全体に色んな活用法があり、余す所なくリサイクル出来るというのが稲作農法のプリンシパル。

稲作が地域全体の壮大にして精緻な農法システムであることの対称系かな

2025年6月4日水曜日

一日中、話題はこれ

 



まずは、衷心より、、、合掌

記録よりも記憶に残る天性のアスリートだったなあ

ともあれ、阪神が勝って長嶋が打ったら、その日は一日中清々しく楽しかった

2025年6月3日火曜日

稲作の未来

 



お米が「主食」と言うのはいまやおこがましいが、かくもお値段や味で大騒動が起きると、やはり倭人のソールフードだ。
しかし、その未来は暗い(対策は難しいとは思わないが、決断と実行ができない政治ですから)


食糧自給率が唯一100%に近い作物とは言え、耕作資源はかなり末期的

高齢化した兼業農家は早晩途絶するし、今でもマンパワー不足を高コスト低生産性な機械化と輸入依存の化学肥料頼み。更に農家は手間のかからない換金作物にシフトし、コメ作りは敬遠

お値段や味に文句を言っているうちはまだシアワセかも、、、ほんとうに怪しげな輸入米に恒常的に頼らざるを得なくなるという近未来図


そして深刻な事に「水利」が崩壊しつつあります。

倭國は水田方式(一部に陸稲もありますが)

農村地帯全体に張り巡らせた用水路が稲作を支えている。用水路保全の原資は、農民が負担する水利事業費(共益費)だが、、、明らかに先細り。廃農が増えれば誰が共益費を負担するんだい?


本当に倭國の米農法って地域全体の精緻にして壮大なシステムそのもの。機械化以前は地域の「結」の仕組みが労働を支え、肥料は糞尿主力。

アタシの幼少期は、用水路整備がまだ未完の頃でおとな達は夜中に鎌や鍬で武装して血の雨覚悟で隣り村とのみず争い(多少は盛ってますが実話です)


アタシが農民として泥田の中を這いずり回ったのは大昔。既に廃農家そのものに近いのだが、未だにJAの会員だし水利も負担し耕地の手入れだけはしている。

野菜をつくりたいって借り手は居ますが、貸す気はさらさらない。

実際に作付けはしなくとも、いつでも再開出来るようにしておくのが、武装農民の末裔の矜持、、、かな(^^)


寒村とはいえ、なんせ地の利抜群のロケーションですから宅地開発はいつでも出来ますし、本当に食糧危機になれば芋くらいなら、今のアタシでも作れます。

2025年6月2日月曜日

雛罌粟、、、エロい夫婦

 


仏蘭西語ならばコクリコ。和名では虞美人草あるいはヒナケシ

途端に舌足らずで貧語症な、、、そのくせ鼻っ柱だけは強いイヤなオンナを思い出すし、昨今はさらに反香港民主派の走狗なんだが、、、 

なんともあの香港の女神と紛らわしい罌粟のイメージとは実に不愉快だ。


あの鉄幹と晶子の相聞歌 

晶子のこの歌ばかりが有名ですが..... 


ああ皐月 

仏蘭西の野は火の色す 

君も雛罌粟 ....われも雛罌粟 


相聞歌はセットで味わうもの.... つまり「有名」なのは、鉄幹の前座歌があってこそ.... 


罌粟咲きぬ 

思ふは低き屋根裏の夕焼けに寝て

吸ひし唇 


巴里滞在中の鉄幹を訪ねた晶子との半年ぶりの再会 

まあ、、想像はさまざまですが、 なんとも淫靡な雰囲気が漂います。 

混ぜ物ばかりの安物の麻薬のような陶酔感かしら 

本当にこの夫婦はエロだ。 

いまならエロサイトに秘め事画像を投稿するようなものですよ 

芸術に羞恥心は無縁なんだ 

かの某医大出身のエロ作家が、晶子の評伝のタイトルに この晶子の絶唱を使ったのはけだし卓越したセンスである。 

このあたりのセンスだけはすばらしいこの評伝は、角川の野性時代掲載の時に読んだ、、、それっきり



2025年6月1日日曜日

マルコちゃん

 


サザエさんは無理だが、マルコちゃんは皇族にお嫁入りできます。

どういうわけだか(無論理由はしってますが)皇族女子は


美智子

雅子

愛子

紀子

佳子

華子(常陸宮)

信子(以下三笠宮)

彬子

遥子

久子(以下高円宮)

承子


こうなると、◯◯子でないと、皇族にお嫁入りできないのではないか?暗黙のルールがあるのではないか?って勘ぐりを生む。

まともな統計が見当たらないのだが、◯◯子は圧倒的に少なくなり、キラキラネームが台頭。

更にまったく根拠はないが、

◯◯子は躾が出来ていて頭もいい。

一方で事件を起こす、あるいは巻き込まれる子供には、、、、とかなんとか


つまり、お局制度と養子縁組の道を閉ざされた男子男系の血統の維持は困難を極め、加えてお嫁入りしてくれる女子にもことかくって大変なこと

男子を産めのプレッシャーやあらぬネットの誹謗中傷を乗り越えるのは大変だし、そこまでして貫く程の価値ある愛かしら?


◯◯子に改名したいって言えば、家裁はどう判断するのかなあ(^^)

理由次第だが、、、

秩父宮勢津子妃は、婚儀に際して当時は認められたであろう「忌諱」を理由に改名しました。


仮に認められたとしても今時ならば、、、苗字も名前もなくなるなんてアタシの本来のアイデンティティをどうしてくれるのよ!って、女性の質が高ければ高いほど、破談になる可能性も高くなると思いますよ。