2016年12月20日火曜日

太陽が眩しくて


今日ママンが死んだ・・・・の書き出しで始まる不条理文学の名作
舞台はアルジェリア
そもそも不条理とはなんじゃいな?
理性も論理はもとよりマナー、エチケットすら通用しない現世で、今更そう言われましても・・・だから、忘れ去られたピエノワールな作家。
ワインの種類じゃありません(笑)
黒の(長靴をはいた)白人のこと。つまり、移民フランス人。

50年代は民族自決、植民地時代からの脱却の世。
歴史の大きな流れですが、敢えてここだけはって抵抗したのがアルジェリア。
フランス国の海外県であって、いわゆる植民地とは一線を画す。
地中海を内海とするための大事な領土だし、多くのフランス人の移民もいた。
彼らの権益なり政治勢力は無視は出来ない・・・

独立をやむなしとする歴史の流れ
過激に独立運動を進めるアラブ系アルジェリア人
あくまで独立反対のピエノワール

三つ巴の血で血を洗うような争いは第四共和体制を瓦解させ、
ドゴールの登場によりやっと終焉を見たが、その惨禍は筆舌に尽くしがたいと言われる。
美しい悲劇にすれば「シェルブールの雨傘」的だが、
この程度は悲劇とは言わない。
度重なるド・ゴール暗殺劇の背景はこの事件にある。





今思えば、フランス国民ですらアルジェリア問題の総括はまだできていないようです。
だから、中近東との葛藤はまだまだつづくのは蓋し必然。
無垢無辜無名の民衆の無言のテロルの映像化は、ポンテコルヴォなるイタリア人監督の手により完成した。
彼は良質な共産主義者と思われます。後年スターリニズムに幻滅し脱党しましたから。
他方、フランスの映画人は逃げた、、あるいは避けたのです。
不確かなまま書きますが、フランスでは「上映禁止」のはず。
不当な弾圧行為に、objection! を表明したのは、フランソワトリフォーだけだった、、らしい。


その幻の映画のリバイバルとは信じられない邂逅。
ロードショーは京都三条河原町あたりのいまはもうない封切館で叔母とみた。
いたいけない甥を連れて観にいくような代物じゃないが、
彼女は夭折でしたのでその理由を探るべくもない。
多分だが、自分がなんとしても観たかったのですよ。
密かに「サイレントローザルクセンブルク」を自負していたのかなあ





場末のカルト的映画上映専門館はまばらな人影。

母国で鑑賞出来ないので自国の黒歴史を再認識しようとするフランス人
アラブあるいはイスラムの勝利を希求する中近東人
革命あるいは過激市民運動の成功を期待する活動家 ・・・・なんかで満席(・・なわけがない)

十数名のマニア的鑑賞家だけです。
まあ、ここまで思想的に偏ると・・・よくぞベネチアでグランプリをとり、オスカーにノミネートもされた事だ。
キネ旬の年間ベストは圧倒的な第一位
そういう時代だったのですよ。


しかし、カスバに巣食う老練な革命家は言います(ちょっと意訳ですが、セリフのまま)

闘いを始めるのは難しくはない
闘いを継続するには難しい
闘いに勝利するのはより難しい
勝利した後の守成の労苦はさらに難しい

けだし、その通りだ。

少数のテロリスト集団は圧倒的な治安部隊の前に言葉通り殲滅され、
アルジェには平穏が戻った。
三年後、眩しい太陽の頃、偶発的な民衆蜂起がはじまり.........
アルジェリアの独立はその二年後のこと。






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