2025年4月30日水曜日

記憶の奥底から、、、いたずら書き

 



玉葉和歌集の恋部
作者は、贈従三位為子(後醍醐天皇の愛人)


もの思へば
はかなき筆のすさびにも こころに似たる
ことぞ 書かるる


雰囲気はじつによくわかる。
つれづれのまま、なんとなく物憂くいたずら書きの筆先には無意識に気にかかるあれこれを書き連ねている、、、とかなんとか

恋歌ですから、愛しい彼の名前なんかを書いてしまったのでしょうか

王朝美學の恋の歌は苦しいものと相場が決まっていますが、こんなタイプの和歌もまた嬉しくなる。



実は、頭の中はこの和歌よりも、大昔観たテレビだか映画のシーンが占領してしまい、タイトルとか主演女優とか、、、なんだったかなあ?


孤独で無一文で行くあてもない若い女が、車中で新婚まなしの富豪の若夫婦と知り合う。誘われるまま食堂車でアレコレ惚気話を聞かされ、あまつさえ結婚指輪を嵌めてもらったり、、、そのうちに列車の脱線転覆の大惨事

若い女が気がつくと病院のベッド

ベッドに書かれた患者の名前は富豪の若い妻。彼女の指輪をしていることから誤認されたらしい。

富豪も死亡し、実家や親族への妻の御披露目の旅の途中の事故のため、、、誰もがなりすましに気が付かないし、彼女もなりすましていることを言いそびれ、退院して富豪の未亡人として、居着いてしまうことになった。


ある日の、物憂き昼下がり。

便箋にアレコレ書き散らかしているうちに、本当の自分の名前をいたずら書き。


あのいたずら書きは、慌てて捨てたのだが、、、ゴミ箱にも何処にも見当たらない。

それから、彼女の周辺に不穏な事が起こり始める



その後どんな展開だったかも記憶にない

プロットからして、海外ミステリーの翻案くさいが、、、気になって毎晩眠りが浅い


ヤフー知恵袋でお知恵拝借しようかなあ




2025年4月29日火曜日

うたまくら

 別に知らなくても馬鹿にされるシチュエーションは少ないし、知っていても尊敬される事はさらに稀、、、でもそんな分野こそアタシだけの世界(^^)


短歌や俳句の世界では既にシカトされる和歌だけの空間だから、、、まあそういこと

ウィキの解説もその程度の、次元がいささか、、、かもしれないが致し方ないか


間違いではないから零点はつけない


言葉とりわけ固有名詞には呪術性があるとされ、かかるが故に「クニホメ」なる古代信仰がある。加えて縁語掛け言葉に代表される言語遊戯とのしあわせなマリアージュの結果、王朝美學が死に絶えても歴史的に文藝的な遺産として生きながらえているのが「歌枕」


だから、叙景歌ながらその裏面に叙情歌に潜ませるという技法が生きてくる。


事例を挙げればキリが無い。


逢坂の関(逢う)

木枯らしの森(焦がる)

小倉山(暗し)

松帆の浦(待つ)

宇治山(憂し)


アタシの書庫にはないし、買う気もないが


余計な親切、大きなお世話(^^)

実際にその和歌にふれて、歌枕を巧く活用しての多重構造な和歌を自分で発見して、その含蓄深い鑑賞できたことが愉悦なんだかなあ

2025年4月28日月曜日

As himself

 



受刑者の社会復帰プログラムに、文化的な活動を取り入れているのが欧米。
相応の効果をあげていると言われるが、全員がその恩恵にあずかる訳でもなく、大半の犯罪者は歯牙にもかけない。
かかるが故に、、、砂漠に水を撒くようなものだが、それでもひとりでもふたりでも更生の道を歩くようになれば、それはそれで意義のあるプログラムだと。

そういうものなんだろうなあ

一方で、倭國は更生よりも応報

社会復帰のための職業訓練コースはあるにはあるが、今の社会が喉から手が出る程必要なスキルを身につけるものでもなく、況んや文化芸術活動なんて、、、



欧米の映画構文のひとつに、このRTA(Rehabilitation Through the ART)のジャンルがある。

芸術活動ではないが、娯楽系ならば受刑者のフットボールチームが大活躍したり、ドラマ系ならば演劇をやる。

経験がないから想像で言えば、舞台の上で自分でない何かを演じる事で、自己浄化と再生が図れるらしい。


過去に観た映画ならば、


アプローズ・アプローズ

塀の中のジュリアスシーザー



今回は「シン・シン」

舞台はハドソン川沿いのNY北部の重罪犯を収容する刑務所

演じるのは、、、なんとまあ As himself 

元受刑者が本人役で登場する。

プロの役者ではないが、それなりに演技のトレーニングを実践的に受けてきたから素人芝居と嘲笑してはならない。


本物の感動かな

主役の元受刑者は、オスカーの俳優賞にノミネートされました。



なお、カバー写真ですが、通常映画として一番長いタイトルの一つとされる、、、これもRTAのひとつですが、史実てはない


場所は、シャラントン精神病院

演出は、サド公爵

主な登場人物は、マラーとシャルロットコルディ


The Persecution and Assassination of Jean-Paul Marat as Performed by the Inmates of the Asylum of Charenton Under the Direction of the Marquis de Sade





2025年4月27日日曜日

三つのルール

 


ある意味で、怒鳴る度との付き合い方は「単純で簡単」だろうって思うんですよ

若き日のドナルド・トランプは、かの悪名高いロイ・コーエン(赤狩りマッカーシーの懐刀だった弁護士)から授かった三つのルールを崇拝し、今もその「教え」のままの行動様式のようである。


先ずは官邸官僚や外務省、経産省スタッフ、当然ながら石破総理以下の関係閣僚群はこの映画鑑賞し事前学習をやって、、、いるくらいなら右往左往右顧左眄する訳はない。


実にシンプルな三つのルール(映画の台詞では)


always attack, 

never admit wrongdoing, 

always claim victory, even if defeated. 



一連のトランプ関税政策の手口はまさにそのお手本通りです。

硬軟取り混ぜた関税税制の発令と修正の繰り返しという波状攻撃

反作用は承知の上で間違いは認めないし、狼狽して恭順する相手には一時の飴玉(反発すれば、更に鞭から棍棒)で結果的に間違いは修正される。

たとえ負けていても、勝利の日まで手を緩めることなく「勝つまであと少し」と絶えず獅子吼していればいい(要するに犬笛を吹きまくればトランピアンな大衆は信じ込む)


古典的な自由貿易体制を逸脱し、国際協調体制を崩壊させかねないとかなんとか正論を論じ説得すれば、、、なんてファンタジー。

詭道には詭道で対抗するのが一番と考えるしかないのですがねえ。

講孟箚記(松蔭の著作)に限らず、孔孟の教えに慣れ親しんだ倭國は、王道は覇道より上だと信じており、覇道は長続きしないとも思い込んでいる。それは間違いではないが、、、

覇道の時代には王道だけでは生きていけない。



倭國のアメリカからのコメ輸入量は40万トン弱で、国内消費の5%に相当します。

怒鳴る度の言うところの「700%の関税負担」は誤解というのはそうだろうが、そんな物言いよりも破壊的な高関税率にも関わらずアメリカ米のファンがいる事実云々みたいな詭弁と媚言から会話を始めることの方が効果があると思いますよ。

ダラダラやってれば、そのう落ち着くところに落ち着く。




2025年4月26日土曜日

内閣退陣

 


あまりにも有名な「青木法則」


内閣支持率+政権与党第一党支持率≦50(%)


傾向的にそうだったとは言えるが、確実にそうなるわけではない。

だから、もう少し可能性高めで且つ演繹法的な法則性というおはなし(某情報誌の記事を参考に)



内閣支持率<政権与党第一党支持率


つまり、自民党は支持しても石破内閣は支持しないってことが、内閣崩壊だということ。

今の選挙制度では総理大臣は「選挙の大看板」ですから、誰だって敗軍の将を担ごうとは思わない。

逆にいうと、野党は参議院前に石破退陣は困るって事だから、本来ならコメの値段がかくもあがれば大正期の米騒動のように田中義一内閣退陣の故事に習ってもおかしくないが、、、そうはならないのだ。


国民の暮らしよりも政局が大事って、こんな野党政治家をもった主権者は気の毒ですが、選んだのはあなた方だ。

かと言ってあの「悪夢の再来」だけはゴメンだが、野党連合政権の青写真ってあるんですかねえ?

反語的問い掛けては、無いと同意味。





2025年4月25日金曜日

夏は来ぬ

 



暦の上では、六月から八月。
体感的には、五月になれば、、、、

卯の花
不如帰
五月雨
早乙女
はな橘

水鶏、、、、、


もはや、初夏の風物といっても寒村陋屋界隈ですら見かけないものが多くなった、、、というか、早乙女は既に絶滅した。

今時は即物的に、、、冷やし中華、カキ氷とか

すでに、サンダルに半袖ハーツパンツファッション




三島江に茂りはてぬる

葦の根のひとよは 春をへだて

来にけり(良経)


春の色の 

とどめがたみの夏衣

たつ日もけふになりにけるかな(俊成女)



後鳥羽院主催の歌合の夏の和歌

どちらも、春から夏へのひとまを歌材にしてしますが、誰が見ても優劣は、、、

判者急死のため無判(つまり引き分け扱い)

歌合の判は、忖度の塊。貴種の和歌に負けはない。

せいぜいが持(引き分け)ですが、そう露骨にもできませんから、、、、



なお、三島江は、摂津高槻あたりの歌枕です。


2025年4月24日木曜日

コメ一揆

 


結論は「しない」、、、と言いきれば、身もふたもない。

そもそも、街頭にでて示威行動をやる習慣がなくなったのだが、有り体にいうと、メディアが喧伝するほどの切迫感が総体としてあるわけではないはずだからだ。


コメ一揆は歴史上何度も起きています。

一番有名なのは1918年の富山の漁村のおばちゃん発祥の「米騒動」

全国に波及したとか、鎮圧に軍隊も駆り出されたとか最終的に倒閣となり原平民政権が誕生したとか、、、

色んなことがありましたが、歴史学会を牛耳る左翼史家が「前段階的な革命的武装蜂起の魁」だと喧伝したくなるような要素が多いから、過度に持ち上げているきらいがある。



無論、当事者にとっては死活問題であった事は否定はしない。

倭人の生存に必要な摂取カロリーに占めるコメの割合は、60年頃は半分くらい。

従い、大正期の具体値は詳らかにしないが、それ以上であったと容易に推定されます。

当時のコメの値段は三倍に跳ね上がりましたから、それは大変な事態です。


そして、令和の御代

摂取カロリーに占めるコメの寄与度は、二割をきりました。お値段も高くはなりましたが、まだ二倍程度。

食費全体からすれば影響度合はまだまだ限定的。

マリー・アントワネット的には「コメがなければ、パンやカップ麺を食べていれば」いいのですよ

事実、テレビのインタビューでそんなシーンを観たと我が家のケメコさまがいうとりました。

そう、、、富山のおばちゃんと違ってまだ生存の為の選択肢はあります。


だからといって、無為無策な農水省を袋叩きにしないのは間違っていますし、その無為無策に予算をつけているのは財務省。

その「財務省解体デモ」が殆どメディアに報じられないのは、、、想像がつきます。

徴税権力は、彼らに批判的なメディアには徹底した税務調査を行なうらしい。些細な領収書一枚一枚を重箱の隅を突くように(^^)


通称「食糧法」と呼ばれる法律の理念とは、、、



スーパーの棚からお米袋が消え、毎月値段が上がる事が「需給及び価格の安定」を図っていることだとはまさかまさか......


だっから、農水省解体デモを!!







2025年4月23日水曜日

ゆく春のコンサート

 佐保姫の和歌を素材にしたのが昨日の駄日記。晩春の風景からこのコンサートに話題をつなぎます。



近くのホールに、河村尚子さん(よけいなことだが、彼女もアラフォーに仲間入りしました)とあと、バイオリン、ビオラ、チェロの奏者とともに、、、女性作曲家ばかりの作品をとりあげたピアノコンサートを聴きに出かけた。


はっきり言うと、知名度があまり高くない作曲家の作品ばかりだし、ある四重奏に至っては、本邦初演かも


レベッカ・クラーク

クララ・シューマン(彼女は流石に知ってます)

アマンダ・レントヘン=マイエル


19から20世紀全般位までは女性の芸術家の苦難の時代。

絵画や音楽は淑女貴婦人の必須の嗜みではあるが、生計の手段ではない。やむなく父親の名前で発表したりとか、色んなバイトで糊口をしのぎ家事と藝術活動の両立に腐心したらしい。


時代的に後期ロマン派ですから、あんまり得意分野じゃないし、主題というか主旋律がハッキリしない曲は睡魔に襲われる

しかし、最後のレントヘン=マイエルのホ短調のピアノ四重奏曲は、なかなか素晴らしい。

後期ロマン派の巨匠たちの作品イメージが盛り沢山なちらし寿司(^^)




まったくの余談だが、彼女は西洋ではよくあるダブルネーム(夫婦の旧制の両併用)なんですが、命名ルールってあるのかな?

ネットサーフィンによれば「男先女後」だと書いてます。

彼女も、旦那の旧姓はレントヘン

しかし、プログラムには、Maier=Roetger となっているのだ(正確には、o¨です)

片仮名表記と英文が一致しないって?


2025年4月22日火曜日

春の女神

 


龍田は、紅葉の錦と脊髄反射するのならば、春は佐保山(佐保姫)の桜と対句で覚えておくのが王朝美學の常識、、、なんですが、あんまり反射神経が良くない。

業平が「からくれないの龍田川」なんて才気満点の和歌を詠み、定家が百人一首に採用したが故であり、どういう訳か、佐保山の和歌はシカトした。



ゆく春の あかぬ名残りをながめても

なほ曙や

おもがわりせぬ(隆信)


お写真は某新聞より拝借した今年の斎王代の某嬢

当然ながら、和藝に秀でた老舗の京女だと、、、

隆信が詠う佐保姫と違い、まだまたおわかい

聞くに、上野の音楽学校をご卒業の邦楽演奏家でもあるそうな



詞書に「佐保姫をうたう」とあり、俄然イメージが膨らみます。

三十一文字の中に「佐保」をあらわさず、詞書というのがずるい(^^)

ゆく春ですから、艶麗な春の女神も、盛りをすぎた大年増(とまでいえば、いささか失礼)

だからと言っても「面変わり」はしていないアラフォーの魅力。

丸谷才一氏は、これを六条御息所に譬えています。大文芸評論家ですから芸能人に詳しくない、、、のではなく、女神さまに相当する貴人を選んだのであり、そこいらの芸能人では貫目が足らない。



2025年4月21日月曜日

新訳で読む

 



文体や使用する言辞には、古びてしまい読むに堪えないってママあります。
今時は「葡萄酒」なんて誰も使わないからやはり「ワイン」と訳して欲しい、、、とか


同じ事は、原典が日本語であっても同じ事。

王朝古典には「現代語訳」版があるのだから、明治や大正期の文学作品でも同じことをやれば、少しは名作に親しんでもらえるように、、、なるかな?

しかし、一葉の擬古文や猫(漱石)を今風文体で読むかと言われれば、、、、



エドマクベインのキングの身代金(87分署シリーズ)に新訳が出ました。

着想なりプロットの斬新さもあり、シリーズ屈指の人気作品

それに黒澤明の「天国と地獄」の原作としても知られる。



ストーリーそのものは今更再説の必要もないが、製靴会社の経営権を巡る争いや人質の取り違い、作品の底にある「格差」なんかは原作のまま。

人質誘拐犯罪で一番難事な身代金の受渡方法に、製作陣は相当に知恵を絞った事が窺い知れます。

しかし、テクノロジーの進化からして、せっかくの苦心のアイデアはいまとなっては生かしようがない。


原作と映画版の大きな違いは、結末部分

製靴会社の株式買占めの成否はさておき、犯人グループの顛末については、、、、原作の展開は相当に不自然だし、映画版は外連味が多すぎます。



アタシが監督ならば、、、


人質となった運転手の子供の命よりも株式買占めの成否の方が大事なので、邪険にも要求は無視

身代金強奪が成功しそうもないため、犯人は人質を解放し、逃亡行方不明になり事件は迷宮入り

しかし、晴れて製靴会社の社長に収まったものの、子供の命を危うくしかねなかった判断からその製靴会社の製品は市場からボイコットされ経営危機。

一転して天国から地獄へ。

犯人であるインターンが今も毎日安アパートから見上げる高台の豪邸は、住む人もなく廃墟になりつつある、、、、



映画は、63年のキネ旬ランキングの第二位(オールタイムベストランキングでも第九位)と秀作の評価なんですが、私家版ならば、更に高い評価が得られる、、、かなあ(^^)




2025年4月20日日曜日

犬笛を吹くゲッベルス

 


犬笛とは、、、


ワンコちゃんの躾や訓練のために、可聴範囲外の高周波の音を出す笛 のこと

その限りではニュートラルな存在だが、マインドやアクティビティを意図的にコントロールする政治的あるいは広宣手法を意味し、その意図を暗喩化する事から優れて悪質で狡猾とされる。


実のところ、斯様な手法がある事は知っているが、それを「犬笛を吹く」と表現する事は知らなかった。

しかし、知らなくても語感なり行間からはその後ろ暗さは滲み出てくる、、、程度の国語力はあるつもりだ。


今時で言えば、フェイクニュースというのだろうが、犬笛はプロパガンダの天才であるゲッベルスの創造物ではなく、戦国策(魏策)のエピソードにその濫觴らしきものがある(相変わらずの衒学趣味だなあ)



魏の王の皇太子が人質として趙の邯鄲に行く事になり、大臣である龐葱がお供として付きそう事になった。不在時の佞臣の讒言を恐れ、大臣は王に特に進言を行った、、、そのやりとり
有名だし難しい漢文ではないから原文のまま(^^)

一人がチクったくらいなら歯牙にもかけないが、多数がそうだというと、、、信じてしまう。

魏王は暗愚ではなかったが明君でもなく、結局は犬笛に踊らされてしまった、、、というのが結末。


メディアもネットも政治家の発言も須く犬笛みたいなものだ。皆んながそうだ!という事に限り疑わしい。
嘆かわしい事に白昼公然と犬笛を吹くって、民草を馬鹿にしてし、馬鹿にされてるって怒りもしない。
可聴範囲内の笛は、犬笛とは言わない。

知名度とそれらしいイメージさえあれば、片っ端から次の参議院の候補者に擁立し、その意図性を隠そうともしないって、そういう事
おニャンコやスピードやズン子大臣よりもマシに見えるからって、、、まあそれだけって誰でもわかる

それなりに歳くってますからガキじゃない
子育てに奮闘するシングルっていまは加点要素
名門女子高から最難関大学の学位をもつから更にホシ3つ!

なんせ花の東京選挙区だから党の看板にも相応しい候補者って、、、チョイスとしては悪くないし、なんせ犬笛に踊りやすい主権者がとりわけ多そうだし
参議院が、アスリートやタレントの養老院だと揶揄される、、、し、まあその程度

確か有権者数は一千万人強、
今回の改選議席は6
公明と日共は指定席
自民は過去は2議席だが、今回は背水の陣。

しかし、本人が意欲を示していると囁かれますが、、、あくまでまだウワサですから、ほんとに出馬かどうかは分からない。
某情報誌のスクープなんですが、単に観測気球なる犬笛かも






2025年4月19日土曜日

春の名残り、、、仇討、後妻打ち

 




内匠頭の辞世の一首だそうだが、、、


風さそふ 花よりもなほ 我はまた......


本当に浅野内匠頭の実作かどうかは疑わしいが、まあどうでもいい。

春の名残りを象徴するには、チカラ不足な一首

やはり、、、


香具山は 畝火ををしと 耳成と 相あらそひき 神代より かくにあるらし 
古昔も 然にあれこそ うつせみも 嬬をあらそふらしき



男女の微妙な関係は「オトコ二人にオンナ一人」が美しいとは毎度の愚説

映画的にも「突然炎のごとく」とか「冒険者たち」みたいな歴史にとまでは言わないが、記憶に残る作品はそういうこと。


この大和三山の恋の物語もなかなか含蓄が深く「ををし」の解釈いかんで景色が変わる。

男らしいとも読めるし、愛しいでも間違いではない。
元歌がどっちの組み合わせの恋の物語かはさておき・・・・こんな美味しい素材を能にしないはずがないのですが、昭和60年代に銕之丞師がやっとこさ復曲能として披露した。
素材がよければ、人気も出る。
復曲能らしからぬ人気で・・・お稽古曲に困った素人能楽師の練習曲と相成ったのはしばらく前のこと。
この曲も「春」の曲とされます。


ドロドロ痴情のもつれは「オトコ一人にオンナ二人」に限ります。この「三山」なる謡曲では

香具山がオトコ
畝傍山がオンナで名は桜子
耳成山もオンナで名は桂子

最初は公平に愛していたようですが、慎ましげな香りの芳しさよりも華やかな花のかんばせにオトコは弱いのはよくあること
捨てられた桂子は、哀れ入水自殺と相成った・・・



しかし、捨てられたオンナだって泣き寝入りはしません!
桂子の死霊は桜子に祟ること祟ること

爛漫の桜花のはなやぎも春の嵐に短くて
これぞ、桂子妬みごころ

というしつらえ。
痴話喧嘩はお互いが爪を立て髪振り乱してつかみ合い・・・というのが相場ですから、桜子だって打たれっぱなしってことでなく、お互いが、桂の枝、桜の枝を優雅にも打ち合う様となる。
能は予定調和的にハッピーエンドで終わることになっていますが、だからと言って、いつまでも桜花が咲き続ける訳じゃない。
落花を愛でる(惜しむ)とは、悲劇のヒロイン桂子への愛惜の念でなければならないって新しい風情の様。


春に舞台があれば、ソロアカペラでやってみたいなあ

2025年4月18日金曜日

マイナカードの更新

 



お誕生日の都合だからか、我が家のケメ子様の方に先にマイナカード更新の案内が来た。

なんせアナログおばさんだから、更新申請は郵送(ネット更新申請の方が遥かに早いのに)

案の定、現行マイナカードの期限切れになっても新しいマイナカードが来ない。

剛を煮やして電話をかけた頃に、やっと封書が到着❣️


なんとまあ、、、、新しいマイナカード同封と思いきや、新しいマイナカード交付同意書とその同意に基づき新しいマイナカードを取りに来いという案内。遠方に住む住民の手間暇の考慮なんかおかみには視野の外らしい。

かと言って、代理人受領には高いハードル。

法定代理人(15歳以下とか後見人を必要とする者)の同行が必須だとか

ケメ子様は代わりに行ってというし行くのはやぶさかではないが、代理受領が必要な合理的な理由を証明する「なにか」が必要だとか、、、


あれこれ、本人確認書類等が必要書類が山とあり、、、更に来庁予約が必要らしい(電話料金は当然に主権者の負担)だし、こちらの都合の良い日時が空いている保証はない。


当然日本津々浦々同じシステムで運用されているはずだが、なんちゅう手間暇をかけさせるんだ!って批難の声は聞いた事がないのは、これ如何に?

肝心のことになると大メディアは沈黙する、、、のは相変わらずだ



確かにがんじがらめの更新手続きです。

しかし、アナログに限り、、、ですがね(^^)

資料を見る限り、PC(電子証明用を含め)は過去の使い回しが出来るみたいだ。

暗証番号は定期的に変更しましょう、というITの基本動作は守られていない。


ムラムラと悪戯こころが、、、

当然顔写真も「新しく」する必要はあるだろうが、、、普通は6ヶ月以内とかなんとか

しかし、そんな事は誰も解りゃしないから、現状のマイナカードの写真よりも更に若い頃の写真を使ってみよう。耳の形や顔の骨格は変わってはいないから、顔認証がうまくいけばその限りでは問題がない。


うまく騙せるかどうか、、、実に楽しみだ😊😊

でも、受取の際に、写真と本人の素顔の照合をされるとバレバレだから、、、代理人受領で誤魔化すかな、、、、、🤗🤗




2025年4月17日木曜日

樽バー

 


最近、やけに目につく樽バー
酒造樽の木片をウィスキーボトルに差しこんでおけば、、、風味がよくなるとか

フルーティで複雑な風味ならばシェリー樽、バニラやキャラメルめいた甘味ならばバーボン樽とかなんとかなかなかに姦しい。


安酒で我慢するしかないが故の小賢しくもいじらしい知恵にもみえますが、本醸造酒をレンジで燗する際に杉の割り箸を入れておけば、純米酒に化けるって事をやりましたから、それと似たようなはなしかな?


最近はハードリカはご無沙汰なんで、ワインか焼酎。

基本「乙類」だが、亀甲宮を黒ホッピー割で呑む事も多くなった(関西の街の酒屋はホッピーを扱わないので、アマゾンで箱買い)


少し変化をつけるたみつけるために、樽バーを入れてみるか思案中だが、確実に不味くなりそうな予感(^^)



2025年4月15日火曜日

デジタル難民

 



下駄履きアパート近くのコンサートホール

佐渡裕氏が音楽監督を務めていることもあり、音響も足の便やホワイエもなかなかマグニフィセント。

然し乍ら、これはちと酷くないかえ?、、、って言うおはなし。


ホール会員になると一般より先行してチケット予約が出来るのだが、電話かネット予約に限られる。

チケットの発券がコンビニでも出来るのは嬉しいが、四月から手数料等がお客負担に改定された(ざっくり五百円)郵送も可能だが当然郵送料はお客負担で今回から900円に大幅値上


電話が繋がりにくいのは相変わらずだが、ネット予約が出来るアタシには不自由はない。

ホールまで足を運ぶのは、公設貸本屋さんに行くついでだから、お手間は限定的

しかし、遠来のデジタル難民は、、、要は、過分な負担を強いられる。


コンサートホールの窓口で発券手続きの最中のこと

隣のブースでは、老境爺さんがそんなこんなを愚痴りなんとか窓口発券を懇願しているが、これは無理筋だ。

一般発売日まで待つしかないが、希望する公演はなかなかに趣味が良すぎる、、、つまり先行予約で満席の可能性が高いだろうってこと。


だからといって、かような追加オペレーションコストをチケット代金に包含させるのは悪平等で不公平だから宜しくない。

まあ、頑張ってパソコン教室なりに通って下さい。

でないと、クラシックコンサートの予約はともかく、飲食店でタブレットで注文ができないと餓死しかねませんよ


佐藤一斎先生曰く


老いて学べば即ち死すとも朽ちず

2025年4月14日月曜日

エミリアペレス

 


DEIの枠組みが無ければ、主要なオスカー賞ノミネートはなかっただろう


エミリアペレス


主人公は麻薬カルテルのボスだが、トランスジェンダー。

辣腕の弁護士に法外なギャラを支払い、新しい身分と性を手に入れ、女性として世渡りする道を選んだ。

この限りでは、普通にドラマの展開になるのですが、舞台は麻薬戦争の真っ只中のメキシコ。陰惨なクライムムービーにしかならないはずが、ミュージカル仕立てにしたのが功を奏し、その辺りが中和されて結構オシャレに仕上がりました。




作品賞ノミネート撃破は、牛歩ながら進展しています。アタシはこれが「六本目」

作品賞に輝くアノーラよりもこっちが斬新でお好み。


しかしながら、ヒスパニック系からは不満の声が上がるし、主役「女優」のSNSが大炎上するし、、、けだし、禍福は糾える縄の如しだ。



映像には、三人の女性が、、、、

センターが主人公

右側は、主人公のオトコ時代の妻(間に子供が二人)

左側は、弁護士役のドミニカン(助演女優賞ゲット)



2025年4月13日日曜日

山林地主

 




港区の大家さんの話題レベルな貧相な風景ではないのが、山林地主
住友林業は、かつての四季報には国土の3%を保有と・・・本当ですかねえ?

王子製紙も相当な山持ちだそうです。


我が寒村陋屋も当然新築の頃があったわけで、伝説めいているのですが、家伝によれば曽祖父は吉野上市まで仙台平五つ紋に身を包み、恐る恐る某山林地主に吉野杉を拝借に赴いたそうな・・・

かの地主は当時の税務調査によれば、今の貨幣価値だと資産ウン兆円強!
赤の他人に近い限りなく遠縁とはいえ、鷹揚に吉野杉の丸太数十本を川流しで、お届けいただいたらしい。
その材木でできた陋屋
百年経っても、びくともしないが、、、瓦葺や瓦下の土盛りの劣化は如何ともし難く、令和の大修理となったのが今回の次第。


かの真っ当な山林地主は、吉野ダラーというような博打に手をださなかったらしいので、北浜相場全盛期の山林資産を背景に仕手筋が・・・というのはある種の虚構だと思っています。
仮にあっても、お小遣い程度のはした金でしょう。
身代かけるようなお馬鹿を山林地主はするわけがない。骨董屋と同じで、曽祖父の仕込んだ材料を売って金にする、、、現金化のサイクルが今風ではないビジネスモデル。

つまり、総資本回転率があまりにミゼラブル
しかし、それが彼らの家訓ってもんで、近代経営学では断罪されるが、和の老舗企業の家訓とあいいれるところではない。

秒速で儲けるというのは没落は光速に等しい


我が陋屋の大修理も順調に進んでいますが、、、虎は死して皮を残し、アタシは名を後世に残せるかな?

しかるべく価値のわかる方が跡を継いでくれるだろうから、まったく心配はしていない


多少アタマが痛いのは、腕のいい植木屋さんが廃業して、後釜を探しているんだが、、、