龍田は、紅葉の錦と脊髄反射するのならば、春は佐保山(佐保姫)の桜と対句で覚えておくのが王朝美學の常識、、、なんですが、あんまり反射神経が良くない。
業平が「からくれないの龍田川」なんて才気満点の和歌を詠み、定家が百人一首に採用したが故であり、どういう訳か、佐保山の和歌はシカトした。
ゆく春の あかぬ名残りをながめても
なほ曙や
おもがわりせぬ(隆信)
お写真は某新聞より拝借した今年の斎王代の某嬢
当然ながら、和藝に秀でた老舗の京女だと、、、
隆信が詠う佐保姫と違い、まだまたおわかい
聞くに、上野の音楽学校をご卒業の邦楽演奏家でもあるそうな
詞書に「佐保姫をうたう」とあり、俄然イメージが膨らみます。
三十一文字の中に「佐保」をあらわさず、詞書というのがずるい(^^)
ゆく春ですから、艶麗な春の女神も、盛りをすぎた大年増(とまでいえば、いささか失礼)
だからと言っても「面変わり」はしていないアラフォーの魅力。
丸谷才一氏は、これを六条御息所に譬えています。大文芸評論家ですから芸能人に詳しくない、、、のではなく、女神さまに相当する貴人を選んだのであり、そこいらの芸能人では貫目が足らない。
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