2026年9月14日月曜日

敬老の日のころ

 


街中の斎場建設現場には近隣の住民の筵旗がたつのが恒例となった。誰もがお世話になるんだから、、、葬式の面倒はみたらんって言われたら困るだろうが、そこまで考えが及ばないのか?
いまどきはあの宮型霊柩車なんか全く流行らないし、白の霊柩車しか使用を認めない斎場も珍しくない。


だから棺のショーウィンドウって、、、全く受け付けないに違いない

遺体を公開する、、、って感覚は理解不能だし、更に生前の姿のまま永久公開って?
モノなんだからこだわらないと言うとそれまでなんだが、モノを物神崇拝的に展示するのも理屈に合わない。
宗教学的には偶像崇拝は程度の低いプリミティブなものというのが定説ですから、程度の低い宗教の信者もやっぱり程度が低いのですよって、このあたりは個人的に革新に近い。

......

でも彼らからの正統な反論もあるのです
磔のキリスト像も様々な仏像も「偶像」ではない。
神仏の真のお姿に至るゲートウェイに過ぎず、信者はその像を祈っているのでなく、その「窓」から信仰の主体を崇めているに過ぎない。

マイクロソフトが提供するオペレーションシステムの商品名やらが何故あの名称なんだって、、、、まあそういうことなんですよ......多分 きっと

まあ、宗論で負けたことがないのが世界宗教。

負ければ淫祠邪教として弾圧され胡散霧消してしまいますから、彼らも必死(^^)



敬老の日がなくなった訳ではないが、シルバーウィークの美名の陰に隠れてしまった。

ことさら、敬って欲しいとも思わないし、シルバーシートも優先座席と名称変更。

だからといって必要とされる方々に席を譲る光景はあまり見かけないし、、、今んところは譲って欲しいとは思わない(敢えてチンピラの前に立ちますが、単なる嫌がらせ)

老いて敬われないのだから、死ねばセイセイしたわって思われるのは当然の帰着かな。

元々、仏教の野辺送りは過度に手間暇がかかり面倒なんだから、さっさと手離れをよくする方向に世間が働くのは当然かもしれません。



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