2016年11月3日木曜日

文化勲章の「悪口」


色々と「文句」はあるのです。
文化人(広義の意味で)最高栄誉に対して失礼も顧みず・・・でもなによりも失礼なのは「辞退あるいは拒否」でしょう。
嫌なら、打診の段階でお断りすれば角が立たない。
しかし、大江のように慣例的に親授せざるを得ない状況にあるとどうしようもないが・・・
過去の辞退者は筋の通った理屈のように思えますが、大江みたい子供っぽくされると困りますねえ。
単細胞なレフトでしか無いってよく分かります。


今年も「追贈」でした。
最近はどうして、ノーベル賞受賞者に対して文化勲章を親授するのでしょうか?
勲績卓絶だから文化勲章に値するわけであり、ノーベル財団がその価値を先に認めたってことは恥かしくありませんか。
価値基準が違うならば、かような慣例はおやめになるほうが文化勲章の権威が担保される。


なんとかという小説家が今年も受賞しませんでしたが、ま文脈からすればまずもって「文化勲章親授」を働き掛けるのか先ですよ。
しかしながら、作家(評論や詩歌は除外)の受賞者をながむるに・・・失礼ながら貧相な戦後小説の風景です。
安部や三島、清張、そして塩野(彼女は歴史家じゃないですから)のいない小説世界なんか考えにくいのですが・・・
それは最近は女流が多い。
長生きしたらもらえるってことらしいので、この辺はハンディです(死後追贈もあり得ますがやはり敷居は高くなる)
文芸評論家・歌人・詩人・俳人も親授されていますが、人数がきわめて少なく、さすがにって方々ばかり(逆言えば小説家の評価レベルにオブジェクション)
小説なんて文学形式は世界的にも脆弱矮小になり、文芸の王座を明け渡す時期なのにこの感度の悪さ(ボブディランの受賞ってそういう文脈なのですよ)


音楽家(西洋に限ります)って扱いが粗末です。
西洋画家はそこそこ親授されているのにこれ如何に?
小澤征爾だけですが、「世界のOZAWA」だというなら、世界で通用する日本の西洋画家って誰かいましたっけ?
毎年いうとりますが・・・内田光子さんに文化勲章を!


世界が認めても倭国内で認められないって選考される方々がおもっているような文化界最高の栄誉ならほしくもない!
それくらい気骨ある啖呵きって辞退してくれると拍手喝采なんですがねえ





彼女は不遇でした。

日本の音大をでていないから学閥の庇護が受けられない。
英国国籍取得者ですから、日本を見捨てたかのように言われる。
記譜記号を無視することの非難も激しい
なんちゃって、記譜記号の無視どころか演奏中に勝手に作曲するんですよ・・・つまりはタッチミスが多いのです。

でも、優れた才能とか演奏の感動は無視できなくて、デイムの称号を得てますし、十年くらい前の文化功労者にもなりました。

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