2017年2月28日火曜日

名門重電企業の果てには・・・・





崩壊(安宅産業)
消滅(山一證券)
経営不在(カネボウ)
崩壊連鎖(長銀・日債銀)
座礁あるいは沈没(三光汽船)
破綻(林原)
腐翼(JAL)

名だたる名門企業の末路ドキュメンタリーは、
そのネーミングの巧みさ(必ずしも内実を正確に表さないが)で売れ行きが決まる。
いまにもどうにかなりそうな名門重電会社の場合はどういうタイトルがつくのかしら?っていまから興味津々。
蝸牛庵ならば「土崩瓦解」だと・・・
著名な経済記者や評論家はすでに前金をもらって資料を集めて準備中なのでしょうねえ
すでにあれやこれやと雑文が経済紙(誌)に散見されますので、買って読もうとも思うかどうか...
140年の歴史それ自体が、産業史そのものなのですが、巨像とはいえ、腐ったお魚同様に頭からってきっと書かれることでしょう。

ペリクレス亡き後のアテナイ民主政みたいなもので、
疫病の大流行という外乱があったとはいえ、有能なリーダーがいないと哀れなものです。
はびこったのは、衆愚政治家。
小心で自己保全能力だけがたかく、上に諂い下には威張りちらすってどこにでもいますが、
こういうのに力を持たすとろくなことにならない。
名門大企業ともなれば、自己顕示欲だけが強くって能力のない輩が上にたつことはまずないが、
自己顕示欲も能力も高いって威張ってんのがいる訳でして、こういうのが偉くなる。
いっそのこと、自己顕示欲も能力もないのが「祭りの神輿」になるのがまし。

船場の老舗は、実直な番頭を婿取りし、不出来な息子には商売をさせずに、芸者遊び三昧をさせておく。
ハマチがブリにはならないが、安定的家業存続の秘訣って案外単純なんですよ。

この名門企業の場合は、運も悪かったが、ウンも実力のうちである。
山本権兵衛が、運のよさを買って東郷平八郎を指揮官にしたエピソードはあまりに有名であるが、
自己顕示欲のなさを買われた。
逆に推挙されなかった伊東祐亨は憤懣やるかたなく、山本のところに刺し違えんばかりに
乗り込んできたが、上記のようにいなされ退散したらしい。
逆であればどうだったかは分かりません。

そうそう、今後の展開次第ですが、このタイトルもあり得ます。

アンデッド






2017年2月27日月曜日

開港150年あるいは黒蜥蜴




それがどうした(笑)
平安時代から中国貿易の主要港だったんですよ。
江戸時代末期の西夷に対する港湾開放から起算するのは正しい歴史観とも思えない。
何かにつけて明治が、光輝あまねく倭国の始まりってどうしようもない錯覚

どうも十年毎にかようなイベントをやっており
つまらんイベントが数多あるのですが、倭国で最初の映画の上映が花隈で行われ、
それに因んで35ミリフィルム映画祭と言われれば、浄土からはるばる穢土まで足を運ぶこととあいなった。
確か、明治29年のことです。
エジソンの発明になるキネストコープ・・・・スクリーン上映じゃなくてピーピングスタイル
でも大盛況で、この時に因んで映画の日(十二月一日)が制定された。

今回は言うほどたいした作品が上映されるわけでもないが・・・・

黒蜥蜴

これは冥土の土産に見ておかないとなあ


原作は江戸川乱歩
戯曲化が三島由紀夫
監督は深作欣二
主演(黒蜥蜴)美輪明宏

蝸牛庵が映画に求める「耽美、頽廃、倒錯」の全てがある。

……………………

なんともなんとも(笑)
三島の艶麗無比な戯曲の台詞回しをそのまま台本にとり、大仰にギリシア悲劇的ではないが物語が進展する。
多分に興行失敗作だよねえ。
木村功の明智小五郎っていささか違うし・・・天地茂のイメージが強すぎるのかねえ。
でも、当時の丸山明宏の居住まいっ・・・・ゾックときますなあ。
今時のこの手系には表現不能な妖艶さ。

しかし、聖セバシュチャン殉教絵図のスタイルにどうしてしなかったのか
折角特出で三島が半裸で登場するんだから、一番お好みのマゾフィスティクな画像スタイルがいいのに・・・
ここんところは興ざめだ。





2017年2月26日日曜日

双調平家




かの平賀源内が昭和の代で戯作に手を染めれば・・・橋本治になる。
有り余る才能を無駄に食い散らかし、いまや彼も老齢者。
後世何が残るかといえば・・・多分「翻案創作古典小説」
いずれもなかなかの出来栄えだと思うのですが、
オリジナリティを問われる文芸のヒエラルヒーからすれば上位にはなれない。

双調平家物語(全15巻)

読みきるには、相当に知力と気力が必要です。
時間の余裕ができたので、十年ぶりに再読してみましたが、もうすぐ読了。
あの戦記文学の傑作「平家物語」の翻案には程遠く「権力なり栄華の本質」に迫ります。
平家一門それ自体の興亡には余り興味がなく、
楊一族の専横に始まり安史の乱とか摂関一門の陰謀なんかが延々と続く。
人物関係の複雑さにヘキヘキしつつも・・・・

権力や栄華は「褥の性戯の巧拙と美醜」で決まるって(苦笑)
古来馬上で天下を取るも、治むるにあたわず・・・とは中国古典の名言であり(陸賈がこれで劉邦をギャフンと言わせた)
間違いではないが必ずしも正しくはない。
政権の陰に潜み、千年のあいだ政治を壟断した藤原一門の「藤」とは寄生樹の代名詞
巧妙に「寄生し表面上の施政者をあやつるアート」こそがそれである。


藤原一門の本流は、その後「五摂家」となり、いまだに家名は存続しています。
隠花植物のような貴種とは簡単に滅びぬもの。
歴史と伝統の重み(厚み)って大層なものですなあ。
摂政関白の地位を公的に独占し、帝の奥様だって、皇族あるいは五摂家の子女に限るって不文律まで。
秀吉だってどうしても関白になりたくて(家柄的に征夷大将軍になれなかったもんで)近衛家の養子になりやっとこさ任官された。
なんだかんだ言っても「出来のいい」メスザルを持ちえないと、裏権力は堅持できないのが日本史の読み解き方である。


そういえば、名古屋にも「五摂家」なるものがあるらしい。
しかし、誰でも知っている三河のクルマ屋さんは、家格が低いのか五摂家のひとつとは言わない。
一部で話題のモデル小説(といわれる自動車会社の内幕話)なのが「トヨトミの野望」
内容の生々しさもさることながら、何故に「トヨトミ家」なのかってことが大事なのですよ。







2017年2月25日土曜日

夢の王国の最終方程式





ステージパフォーマンスと言えば・・・

芝居(演じる)
踊る
歌う

誰しもが、全部まとめればって思うだろうが、濫觴は世紀末あたりの維納のオペレッタ。
その後、新大陸にわたり、映画の勃興と共に隆盛を極めたのが60年代まで。
しかし、リアリズムからは程遠く、シネマは社会的であれかしって声に衰退の一途
再生には半世紀近くを要した。

思うに、この三つのパフォーマンスを融合凝縮した芸能は「能」ではないか
それが14世紀の頃だってことに世阿弥の天才性を改めて想起するのです。
単に大衆娯楽の真髄を極めた(寄せ集めた)だけって言い方もできますし、
所詮は絵空事ですから・・・・

かつてはミュージカルがオスカー作品賞の常連だったが、二十一世紀初めの「シカゴ」以来カスリもしない
これだって、作品賞に相応しいか疑念がある。
映画的にはノミネートされた「めぐり合う時間たち」が遥かに上だし、大衆人気的には「戦場のピアニスト」だ。

さて、今年は珍しいことにこれが大本命らしい。
まあ、ウキウキ楽しくなります。
あまり共感しにくい批判の嵐の中で、非白人男性映画のノミネートが
増えてますので、そっちが主要な賞にありつく可能性は十分にありますが・・・・




まあ、大衆娯楽ですから、不快な気持ちで映画館からでてきてもしょうがない。
七十年代の場末のオールナイト任侠映画祭
全員が、血ばしった眼で花田秀次郎や風間重吉に感情移入して朝焼けの空を見つめていたではないか。


さて、ラ・ラ・ランド
ハリウッドのバックステージ仕立てで業界人受けも狙えますし、
定番のドリカム映画。
でも、男女とも夢を叶えサクセク街道真っしぐらが本当に幸せなの?って
今ひとつの未来予想図なんかを示しながらの問いかけというヒネリがオスカー会員の胸掴みそう。
実によく出来ていますが、エマストーンの歌が余りに下手(笑)
ストリープは絶対音感の持ち主ですから、稀代のオンチだって苦もなくこなすが・・・
しかし、アフレコやれば、ベストアクトレスにノミネートはされない。
隠した場合、バレれば女優生命は終わり。

ポートマンのバレーシーン(ブラックスワン)はあまり問題にならなかったが、
クラッシックバレーは特殊技術だと言いたげか。
多分、作品賞はコレが本命なんでしょう(対抗馬に恵まれました)

2017年2月24日金曜日

希臘三国志演義




ギリシア人の物語も第二分冊となり、ますます佳境に入る。
女史が意図したのかどうかは知りませんが、これって「三国志演義」ですよねえ。
彼女って歴史家でなく、著述家ですから、この作品も三国志でなく三国志演義というほうが正確である。
だっから、タイトルもギリシア人の「歴史」ではなく「物語」なのですよ


アテナイとスパルタとペルシア帝国の三つ巴の戦争と平和の物語。
民主政治の発展だとかそれに裏打ちされた哲学や文芸の繚乱なんかよりもそっちのほうが面白いに決まっています。
平和といってもたまたま血が流れないだけで安逸のほほん・・・ではない。
それは平和とは言わず「平和ボケ」という。
古来より「治にて乱を忘れず」というでしょう。

歴史上のセオリーとして三つ巴の争いは、すべてが敗者になり、漁夫の利をせしめる者が登場する。
それがマケドニア。
もっともそのお話は第三分冊に描かれるようだ。


政治というアートの中で民主政治こそが最良なのかどうかはなんとも言い難いって気にさせるところが
かの女史が危険な著述家である所以である。
たまたま国情に一番適合した政体を選んだらそうなっただけでしょう・・・って、
身もふたもない(苦笑)
ペルシアがペルシアらしく、スパルタがスパルタらしく、アテナイがアテナイらしくあるために、
それぞれが、帝政、僭主政、民主政を選んだらそれなりに上手くいった・・・違いますねえ、上手く行くためにはって
知恵を絞った結果なんです。

いずれの政体においても優れた(あるいはそれなりの)指導者がいたことには変わりはない。
ヒトザルの歴史において未だに原始共産制がそうであったであろうような「リーダーのいない平和平等な社会」を
生み出してはいないのである。
優れたリーダーがいた時代は政体がいかなるものであれ、ヒトザルにとって最高に幸せな時代なのです。
五賢帝の時代も乾隆帝の時代も、リベラルにとっては不都合でしょうが民主政治の時代ではなかったのです。
逆に、有能な指導者のいない民主政ほど手に負えない厄介なものはない。
一般に「衆愚政」というが、要するに民主政とかコインの裏表に過ぎないし、
マーフィーの法則よろしく裏面が出ることのほうが多い。


優れた統治システムを考え出すのは、大衆ではなく名門エリートである!ってこれまた物議をかましますねえ。
こんなことはレーニンの革命論にだって登場する「不都合な真実」なんですよ。

民主政治の危機とは、主権者の堕落ではない。
そもそも大衆とはその本質においてしばしばパブリックセンシティブに流される「衆愚」なのです。
絶えず優れた指導者を生み出す、愚昧なリーダーを巧妙に排除できるようなシステムでさえあればなんでもいい・・・・とまでは
彼女は暴言を吐きませんが、内心はそういうことだと思いますよ。








2017年2月23日木曜日

「ベン・ハー」は何処に行った?


オリジナルは19世紀末あたりのベストセラー小説です。
風と共に去りぬと並ぶくらいの大衆的傑作。
ベンハーは、ユダヤ人の名門ですが、サブタイトルには「キリストの物語」とされますので、宗教的味付けが隠し味。
時代的に映画界が目をつけないはずがなく・・・

1907年版
1925年版(大ヒットだったらしいが未見)
1957年版(かの大傑作!戦車競争の凄さは後世様々にモチーフとされた)
2003年版(アニメ版らしいがよく知りません)
2016年版

最後は、制作費一億ドル(大した金額でもないが・・・)で、公開予定のはずが・・・

シネコンの予告映像にも関わらず、劇場公開見送りって、
なんかスキャンダルとかクライシスでもない限り起こりえない
稀有の出来事。
一体何があったのでしょうか?




よくわかりませんが、興行的に当たらないって判断したのだと思いますが・・・多分正しい。
大枚叩いて配給権を買ったのに、DVDの発売だけだと大損でしょう。
確かにねえ・・・今更って気もしますし、役者に知名度もない。
宗教性がキツすぎるようなつくりのようですから、倭国向きではない。

何がスペクタクルのウリだか知りませんが、戦車競争だと、SWのボットレース以上にはならない。
ガレー船同士の激闘ならば・・・ギリシャ海軍のように漕ぎ手が戦闘に参加するって派手さがないと受けないが
史実は曲げられない。

当時のバトルシップの主エンジンは人力である。
ギリシア船を例に取れば、総乗員は二百名で、漕ぎ手は大半の170名。
連合艦隊として二百隻くらいを常備していたらしいので、ざっと四万人の配備。
狭隘な国土に少ない人口からすれば、
分業なんて贅沢は許されないから「多能工化」
漕ぎ手であり戦闘員(ローマやペルシアはエンジンは奴隷のお仕事だった)
当然にアテナイ市民とは言えプロレタリアのお仕事

古代ローマの国の背骨とは、ケントウリア。重歩兵戦団であり、通常百人隊と言われる。
それに対して、古代ギリシャは海軍国であり、バトルシップのエンジンこそが国家の背骨である。
彼らの権益に配慮することこそが政体の基本であり、かかるが故に民主政が生まれた・・・とかの女史が喝破した。
歴史評価として正鵠を得ているかどうかは・・・・読み手が判断すればいいが、
ポピュリズムと言えば聞こえが悪いが、大衆を無視して政治は成り立たない。


そんな事は別のネタですから、このお蔵映画はアマゾンプライムでそのうちに見よう。
まあ、暇ならば(笑)








2017年2月22日水曜日

あの「黒い巨塔」のまえに・・・





医療関係者は「白衣」で、法曹界は「黒衣」
理由は様々らしいがさておき「巨塔」と名がつけばそれは権威である。
権威は、何かと批判の的になるが「雑音」なぞと切って捨ててはあまりよろしくない。
仰ぎ見るような権威であればあるほど、謙虚でなければならない。

衒学癖のある蝸牛は、ここで「晏子の御」なんかを得々と引用するのですが・・・これもさておき(笑)
裁判官・・・とりわけ最高裁判事の身分は手厚く保護されてますって、憲法を読めば読むほどそう思います。
それが良いことかって言われれば、ちょっと違うと思うのですよ。
なんちゃって一番強いのは国民自らの手で絶えず選ばれたり引きずり降ろされたりする権力の立場のことです。
参議院議員が衆議院議員の風下に立ち、総理大臣が慣例的に衆議院議員から選ばれるのもそれが所以である。
最高裁判事だって十年ごとの国民審査で罷免される事になっているが、複数回の審査の洗礼を受けたことも
罷免されたこともなく「形骸化」とはこれを言う。
真の司法権の権威の確立には、この部分の憲法改正が必要であり、焦眉の急・・だと力説するのは
蝸牛を筆頭にサイレントマイノリティだけである。

そうそう、裁判官弾劾裁判制度もありますが、これまた弾劾例は戦後では10件にも満たない。
それに・・・少女猥褻とかロクデモナイ。
そんな事案で弾劾される前に辞任しろよねえ・・・ヒトザルとしてのプライドも矜恃すらないんだなあ。
訴追請求は国民であれば誰でも出来るらしいし、結構な件数とも言われるが、つまらんチクリには興味がない。
裁判官の弾劾という以上、己の良心を偽った、独立して職務を遂行しなかった、憲法擁護に懈怠があった
なんて重大な規律違反が訴因じゃないとなあ。


三権としての司法の独立が担保されているのかどうかは・・・・部外者にはよくわかりません。
政権にとって致命的な違憲判決を出すと言うことがその証ならば、残念ですがそうとも言えなくもない。
怒鳴る奴の大統領令に反旗をひるがえすアメリカンの地裁高裁。
最高裁はどうかは知りませんが、それなりの司法の矜恃だという声が高いが...


リーガルミステリーや法廷小説は数多あります。
しかし、司法のシステム自体をマトにするフィクションは少ない。
作家の怠慢あるいは怯懦なんでしょう。

その意味で「法服の王国」は画期的だった(その理由は様々で、過去のブログでも見てください)
そして・・・・「黒い巨塔」
でも、なんだか読む前にオチが分かるって感じもしましてねえ・・・それにまだ廉価な文庫本がないし(笑)
とりあえず、同一作者の新書エッセイでネタにします。




瀬木比呂志

略歴からしてもトンデモナイ司法エリート(退官してますから過去形)
旧司法試験現役合格
赤門大学卒業
東京地裁配属
アメリカ留学
最高裁事務総局
最高裁調査官

あちこち地方の裁判所を転々ともしてますが、なんとも煌びやかな職歴
たった四十名位の実質最高裁判事である最高裁調査官をやれば
確実に偉くなれるのに、どうして大学教授に転じたのかなあ?
言いたい事が山とあるからって言う新書。
そんじょそこらの外野の売文の徒じゃないから
迫力あります。


2017年2月21日火曜日

プロ映画鑑賞家達はなにを選んだのか?


オタクの権化のようなマニアが選んだ2016年度のベスト映画(洋画邦画アニメも一緒くたで、約70名のメンバーによる)のリストが
送られてきました。
以下第一位から・・・


1)この世界の片隅に
2)シン・ゴジラ
3)ハドソン川の奇跡
4)湯を沸かすほどの愛
5)スポットライト
6)サウルの息子
7)キャロル
8)怒り
9)ヒメアノール
10)ブリッジ・オブ・スパイ


案外にオーソドックスです(笑)
洋画と邦画のバランスは半々・・・・昨年は、洋画が7本でしたから邦画の大健闘!
ベスト10までにノミネートされた作品が170本程度ですが、圧倒的に数は洋画が多い。
プロモーションの差あるいは力のかけ方により、対象となりうる邦画は集中し、洋画は分散する傾向は否めない。
うち半分の作品は、投票者が一名しかいないところがマニアックの証明でもある。

したがって、総得票ではなく「平均点」ランキングという見方をすれば・・・・(一人得票を除く)

海賊とよばれた男
PK
リリーのすべて
マジカルガール
ケンとカズ
葛城事件
FAKE
山河ノスタルジア

いずれもが「平均点が7.0超」です。
かなり景色が変わりましたが、趣味がきつくてなんとも言いがたい(苦笑)


ちなみに、蝸牛の選考結果は・・・・(邦画とアニメはいつも除外しますが)

ベスト10ランクイン作品は一本だけかぶっています(一本しかかぶってませんというべきかな?)
16位の「ボーダーライン」を10名もの審査員が投票しているのはちょっとびっくり(通好みな大衆作品だということ)
蝸牛のベスト上位4作品は、蝸牛のみしか選んでいません(いくらなんでも傾向的過ぎたか?)


なお「ワースト映画」のランキングもありますが、ワーストワンは「バットマン対スーパーマン」
これには素直に賛同。
よくしたもので、ベストとワーストの両方に名を連ねることが多いのですが、さすがにベストランキングには登場しませんし
この世界の片隅のほうもワーストには登場しません。

こういうところが「見識」ということでしょうか。



2017年2月20日月曜日

カジノの会計基準



IFRS(国際会計基準)に合致させることが正しいかどうかは別にしても、異なる会計基準で比較論証しても意味がない。
カジノ(賭博)の市場規模が会計基準の違いで大きく様相が変わるのであれば、ある意味で大きな問題ではある。

あちこちでまともっぽい論文が散見されるのですが、引用する側が無知なのかあえて眼を背けているのか知りませんが
どうも、導入推進派には後者が多そうに見受けられる。
曰く、パチンコの市場規模(20兆円とか25兆円とか)に比べるとカジノは「一桁少なく」影響度合いは少ない・・・・云々。
しかし、これは市場規模=売上高の認識の差異を無視した議論であって、同じものさしで比べるととんでもない世界が見えてくる。

売り上げとか売り上げがよってたつ原価の認識とはそう簡単なものではない。
簡単に言えば

グロス主義
ネット主義

の二つがあり、チップ(玉貸し料)の出払い額をもって売り上げとするのが前者で、
払戻金を控除するのが後者。
日本は伝統的に前者(企業会計基準の原則でもある)であり、ホールはもとより(建前は玉を貸し出す遊戯施設ということですから)
公営ギャンブルもそういう基準を採用している。
しかし、欧米のカジノは後者である。
したがって、どの程度の払戻金があるのか知りませんが、仮に80%とすれば、パチンコの「市場規模」なるものは4ないし6兆円に過ぎない。
逆に言えば、カジノの市場規模とはとんでもなく巨大なのです。


国際会計基準導入に際して、いわゆる「商社」がパニックになったのは、
古典的な商社のトレーダー事業とは「売り上げとは認められない」ということに尽きる。
理屈からすれば「売り上げよりも利益だ!といっても長年の習性は変わらない。
売上高の規模が営業マンの人格の優劣だと刷り込まれてきた以上、急に意識は変わらない・・・・
変わりたくないもんだから「売り上げあっての利益」なんて理屈にもならないことで弁明を始める(笑)

ホール経営者からすれば、我々は遊技場であって玉を貸し出すのが営業ですというだろうが、実態は三店方式による「合法的」出玉換金ビジネス
少なくとも顧客の90%は換金目的で「遊戯」をしているといわれている。
換金行為の合法か違法かに無関係に会計基準の原則からすれば「実態を見る」ということですからこの理屈は本当は通らない。

http://www.ptb.or.jp/06-pdf/ptb_accounting_st.pdf


さてカジノですが、基本法ができただけで、運営の細部は今後の立法に委ねられるが、そのころにはCPAの団体がちゃんとした基準をだすんでしょう。
そのときのルール次第ですが、IFRSに準拠となれば(少なくとも運営元は海外で実績あるカジノ業者ですから)、
既存の「合法」賭博業だって無関係とは言っておれなくなると思いますよ。





2017年2月19日日曜日

カサブランカで出会ったり別れたり(2)



先日カサブランカ話題(・・とまでは言わないが)を書いたが、ネタがお粗末だったので完全燃焼のために・・・

ラブロマンスの極致のような名作(うれしい事にいまはパブリックドメインです)ですが、露骨なまでのプロバガンダ。
反枢軸国の側に立ち、ここまでコケにするか・・・って(笑)
しかし、製作の過程では、完成シナリオが出来上がっておらず、手探りその場当たり的に撮影が進められ、ボガードもバーグマンも
何を演じているのか皆目わからない。
43年(44年かな?)のオスカ作品賞ですが、戦時中だからプロバガンダの一環でもらえたようなもの。

後年、バーグマンが始めてフルに鑑賞して・・・・「こんな素晴らしい映画だったの!?」
そのような意図性だけでなく、作り手の反ナチ感情のほとばしりもあり、アメリカ映画史上の大傑作になってしまった。
名台詞の宝庫といわれる部分には、激しく同意しますが、映画自体はそれほどでもない。
しかし、映画の持つ「娯楽性・大衆性・感情移入性」なんかに重きを置けば、そう冷ややかになることでもない。


"Here's looking at you, kid."
"Louis, I think this is the beginning of a beautiful friendship."
"Play it, Sam. Play 'As Time Goes By."
"Round up the usual suspects."
"We'll always have Paris."
"Of all the gin joints in all the towns in all the world, she walks into mine."


映画史上の名台詞といえば、なんとベスト百位までにこんだけも入ってしまう。
このランキング自体、?? と思うのですが、感性の違いとしかいいようがない。

君の瞳に乾杯!って字幕を見れば、なかなかの名訳だと思いますが、オリジナルだけみればねえ
単に「友情」の始まりっていうだけでしょう?(ぼくなら「腐れ縁」と訳しますが・・・)
一般には play it again sam だと・・・・思っていたが記憶違いのようです
次はよくわかりません・・・・
巴里・・・云々はいい台詞です。すがりつくいいオンナをつき放つように別れる時には最高の台詞だ
最後もいい台詞ですって酒飲みはそう思う


ということで、冒頭のユーチューブ映像になる。
極端なまでの感情移入が生み出すウッディアレンの妄想劇。
カサブランカのパロディ版だと思われて評価が低いのが、極私的プロ映画鑑賞家の常日頃の不満なのです。




追記

この歴史に残る名画の舞台がアジアンのどっかでなくて本当によかった。
仮にそうであれば、きっと・・・ 下品で猥雑で小狡いチビ反っ歯メガネスタイルなサル以下が登場し、コケにされるシーンが
永遠に残っただろうよ。


2017年2月18日土曜日

ある宗教戦争の視点・・・「天皇の世紀」各論



大仏次郎さんの大作も、そろそろ読破まじか。
維新史においてあまり語られることのない「明治宗教戦争」が第十一巻の大テーマ

廃仏毀釈
かくれ切支丹の登場

攘夷に端を発した王政復古論は、とんでもない熱病を蔓延させ、あまたの宗教遺産を灰燼に帰してしまった。
なくしたものは少なくないがいまさら悔やんでもしょうがない。
ボストンをはじめ海外に流失した遺物を惜しんでもしょうがないし、
流出したがゆえに大切に保存されていたと思えば嘉すべきかも知れません。

しかし、情けないのは宗教弾圧ともいうべき嵐に対して宗教者の矜持にかけて信仰心を全うしなかった僧侶ども。
唯々諾々と還俗し、あるいは神職に衣替えし恥じ入ることを知らない。
中には仏の教えに殉じた宗教者もいたかもしれないが、歴史の点描にもならない。
嵐が収まれば、またぞろ坊主稼業の再開となれば、そりゃ檀家の信頼を得ることはできっこない。
それが現在にまで至り・・・憲法上の「信教の自由」を隠れ蓑に宗教ビジネスを家業的に展開する存在でしかない。
稀には畏怖するしかない宗教者もおられますが、ことさら話題になるという事が実相を示す。

江戸末期には五十万堂といわれた寺院の数は、廃仏毀釈の結果もあり、現時点で七万くらい
それでもコンビニよりも多く、歯科医院の数くらいですが、何が世間の役に立っているかを見れば・・・
僧職にある人口も未だに30万とも40万人とも・・・
本当はもっと少なくなるはずなんですが、あるまじきことに「妻帯制度容認」の悪習のおかげかしぶとく生き残る。
いつまでも生き残れると考えているわけではなかろうが、
檀家の支持がだんだん希薄になる中、一体日本仏教をどう存続させていくのか真剣さが見えてこない。
戒律と教義があってこその仏教
それらを忘れ果てた仏教は、そもそも宗教ではない。
いまでも、心ある若い修行僧は、東南アジアの上座部仏教に流れていくというではないか。



他方で、二世紀にわたる禁制の中でもしぶとく信仰を守り通した切支丹信者。
明治政府には「信教の自由」なんて概念はなく、神道を国教にしようとしたくらいですから、相変わらず弾圧の踏襲
耶蘇教=邪宗って高札をだし、諸外国から抗議を受ける有様
岩倉使節団は、不平等条約改正交渉の前提条件と脅され、その後やむなく解禁した。
感動的な実話なんですが、実のところ彼らの信仰は本当のキリスト教だったのかどうかは浅学菲才ながら疑わしいと思います。
どうみても形を変えた「本地垂迹」宗教としか見えない。
大浦天主堂が出来た時に、恐る恐る司祭の元にやって来たわけであるが、忽ちに逮捕監禁、
転向を強要する強度な尋問のはてに、信仰を守り通した者もおれば、多くが転んだようです。


日本でキリスト教が定着しなかった理由は識者がさまざまに語るが、簡単に言えば「倭国は宗教のブラックホール」なのですよ
なにもかも「同化」させるある種の寛容の土壌があるということなのです。
べつの言い方もあり、それは文明のバロメーターみたいなもの・・・・・いささか誤解を恐れずに言えば
キリスト教が布教に成功した国々は「非文明的地域」である。
少なくとも非文明化した暁に(あるいは同時に)宣教師が乗り込んでくる。

高度に体系化された宗教とは、飛鳥人にとってそうであったように、まがまがしいばかりに煌びやかな仏教は、
羨望と疑心を生んだし、日本史上初めての宗教戦争も引き起こし、崇仏派が勝利し鎮護仏教国家に成ったのです
二番煎じはなかったということで、宣教師が来るのが千年遅かった(笑)


身もふたもない言い方をすれば、
宗教は、命と引き換えにするような大事なものだとは多くの倭人は思わないってことだし、倭の自然はなにもかも包み込んでしまう。











2017年2月17日金曜日

カサブランカで出会ったり別れたり・・・





今時に、美男美女の極限的環境のなかでの至高の愛情物語・・・・か。
ラブロマンスではなく、ラブサスペンスというらしい
ブラッドピッドは、この女優さんとの共演が遠因でアンジェリカと離婚・・・するんだっけ?したんだっけ。
まあ、マリオンコティヤールは清楚で美人ですからねえ。
転んでも致し方ないといえば・・・・


英国スパイと仏蘭西スパイがカサブランカで恋に落ち結婚子供が出来たが、独逸スパイの疑惑が持ち上がり
すったもんだがあったという悲恋話ですといってしまえば、みもふたもない。
なんとも古風で、役者のネームバリューだけでもっている。


欧州系にとっては、北アフリカとはお手軽なエキゾチズムらしく、ラブロマンスの舞台によく登場します。

ペペルモコ
モロッコ
カサブランカ

一方で、サスペンス系アクションにもよく北アフリカは登場しますが、舞台の場所はどういうわけだか「住み分ける」傾向にある。
タンジールなんかが多い・・・JBはどっちもそうですが、ロマンチックな都市はお呼びではない。




スパイ稼業同士が結婚すればって・・・実はこっちのほうが面白いが、お互いの仕事がよくわからないほうがいいのですよ(笑)

2017年2月16日木曜日

「先貰いと後払い」に決まってます(笑)




なんか世間様には、信じられないことだとビックリし、それにまた反応するヒトザルがいる。
なんとなれば、関西の電車は「後払い」で、関東とかだと「先払い」
それがどうした(笑)
歴史的に言えば、初めて自動改札システムを作ったのが京都の先端企業で、艱難辛苦の上やっと成功
関東に持ち込もうとしたが、そこで初めて支払手順の差異に気がつき、さらに苦労の連続・・・


金銭債権(債務)の支払い方の原理原則は・・・「貰いは先、払いは後!」
これはあったりまえじゃんか。
何かにつけて倭人はお人好しってことがよくわかります。
とは言うものの・・・・


先日年金事務所とやらに足を運びました。
蝸牛庵もそういう年なのだ。
なんせ自慢にならんが、年金知識は白痴とまでは言わないが、痴愚魯鈍の程度
年金おばさんが懇切丁寧に説明していただくと目から鱗ですよ。

今月がお誕生日で65歳ですか(そんな事は言われなくとも・・・)
基礎年金部分の受給資格がありますよ(・・・だから来たんじゃないか)
お誕生日月の翌月分からの支給です(まあそれはそうだなあ・・・)
支給は二ヶ月分まとめてその翌月15日になります(なんだって!後払いかよ。こっちの立場だと後貰い・・・)
11月がお誕生日ですから12月からの支給ですので2月15日が支給日です(・・・無収入が75日もって酷いなあ)
二階建て部分は・・・支給されません(・・・)
そのお年でも相当な収入がおありですもんねえ(・・・本人の甲斐性なんだからほっといて頂戴)


貰うものが後払いってそういう経験は可能な限り排除して来ましたからショックは大きい・・・というのは言葉の綾(笑)
しかし、釈然としません。
ということで、想起するのは半世紀くらい前
今でもそうですが、最初の勤務先の製造会社では・・・・

月例給与と交通費は先貰いだった(現物支給が原型ですので交通費は当然そうなる)
賞与一時金と時間外勤務手当は後貰い(金額査定上そうしかならない)
出張旅費も近距離はともかくも基本は先貰い(金額予想が出来なければ堂々と仮払い申請!)

一方で、自分での払いは後払い・・・つまりクレジットカード払いに決めてました。
債権債務管理のリスク排除の要諦はこれに如かず。
貸し倒れの山で潰れかけた企業の立て直しの一翼を担った者としての金言である。


それはさておき、当時の会社はN月の給与はN月の20日に支給されました。
下旬分は全くの見込み払い。従って「先貰い」です。
当時、銀行の窓口が25日になると混雑するのを不審げに眺めていましたが、
先払い・・・かどうかは知りませんが支給日の世間標準がその日だったようで、20日払いって労働者には優遇
しかし、そういう事を当たり前って思うのが世間知らずというもので
もしかすれば「後払い」の方が多かったのかもしれません。
その製造会社も現場の所謂ブルーカラーは「後払い」だと知ったのは相当後になってから。
N月の給与はN+1月の20日に支給される。
その後、身分制度改革で支給基準が統合され、ある月だけ彼らは二ヶ月分の給与を一挙にもらったのですよ!


未だに釈然としません。
年金って施しじゃないのですよ。
自分が拠出したものを返して貰うだけなんだから・・・
やっぱり、一旦出してしまったものを取り返すのは難しいってことですなあ。

2017年2月15日水曜日

ミス・ペレグレンとエグゼビア教授






かなりテイストが違うが、特異な才能を持つ(であろう)少数派が生きていくことの難しさや迫害には共通項がある。
そのためには世間を避けてひっそりと暮らすか、世界に貢献して立場を尊重してもらうかは・・・それぞれの生き方の問題でもある。
たかがアメコミであるが、X-MENのモチーフは、公民権運動であり、マイノリティの迫害と復権の物語だとされる。
他方で・・・・


ティム・バートン・・・・ハリウッドの魔術師といわれるが、どうもやることなすこと「X-MEN」の一員としか思えない。
幸いにしてさしたる迫害を受けることもなく、才能をめでられ独特の世界観に満ちたティムバートンワールドが一定の評価を受けているのは慶賀の至り。
しかし、魔術のような映像世界はあまりお好みではなく・・・・今回もかなりな部分を睡魔に襲われてしまった(苦笑)
あの「ヴェスパー」がセンターを張るからってだけで足を運ぶからそうなる。
所詮ダークファンタジー映画とは相性が悪いのだ。


彼のフィルムグラフィーを眺めるに・・・
普通につくれば、才能いっぱいなのに、変にダークファンタジーがすきなのか?そっちに傾き、
常連のジョニーデップやヘレナボナムカーターが登場すると、なんだか傾向的に趣味的すぎてお好みでなくなる。

マーガレット・キーンの伝記映画なんかは、プロ好みに仕上がっていましたが、よくよくみればあの「大きな眼」の映画の世界は優れて彼の世界観に近い。


結果的には、エイミーアダムスとクルストフヴァルツの達者な演技の賜物で、すばらしい出来栄えだった。
今回は残念ですが、エヴァグリーン嬢の演技力では、異化同化作用を生み出すにいたらなかった。

















2017年2月14日火曜日

忘れられる権利より忘れさせる義務





ヒトザルの歴史は権利の種類の膨張と義務の喪失らしい。
新しい権利の類型は「忘れられる権利」とやらまで生んでしまう。
欧州発のエキセントリックな思想だけがスタンダードになるのは如何なものか?
倭国に於いても、誰が焚きつけたのか、つまらんと言えば物議をかますが、訴訟提起を行い、最高裁まで。
最終的に敗訴だし、ほかにも様々な救済の方法はないわけじゃないし、
特定の検索事業者だけを相手にしても救済の範囲は限定的。
どっちかと言えば代理人の売名にしか見えない。
この点に関しては、代理人は大成功したが、肝心の依頼人の利益を守れなかったのです。

しかし、最高裁判決では「検索アルゴリズムは表現行為」だと欧州裁判所の考え方を
踏襲し、その上で削除の妥当性類型を明示した上で「今回は否該」とします。
そもそも「表現行為」なのか釈然としません。
控訴審では「忘れられる権利」は権利とまでは言えないと断じましたが
最高裁はその点口をつぐんだ。

蝸牛なら「忘れさせる義務」を判決要旨の傍論で本論以上に
チカラ入れて書きますがねえ(笑)


ビジネス文書管理に詳しいと当然の事と理解できるはずですが、
文書作成責任の最後は「廃棄責任」である。
言い換えれば「廃棄基準の明示」。
いつまで「保存」するか?
保管と保存は別物だが、その議論はさておく。
つまり議論すべきは、新しい権利の類型を認める事でなく、
サイバー空間の整理整頓の義務なり廃棄のルール作りである。

理屈は簡単で(不特定多数なのでシンプルにつくるしかない)

1)サイト運営事業者は格納或いは掲示される情報の合理的な保存年限を使用許諾同意条項に定める
2)利用者はデフォルトの保存期間に関わらず合理的な期間に限り延長または短縮できる。
3)延長回数に制限はない。

言ってみればサンセット法だということ。
情報武装化も一定の水準になれば情報の削除にまで視野が
及ぶとされますから、斯様な議論が出来るようになれば多少は進歩したという証です(笑)


2017年2月13日月曜日

実は法廷ミステリーだった「モッキンバードを殺すこと」


グレゴリーペック

アメリカの正義を身にまとったようなキャラクター。
あの時代で良かった(笑)
いまなら役にありつけない。

懐かしい日曜洋画劇場
テレビで日九の二時間枠を映画放映とは大胆なコンセプトだったと思います。
淀川長治さんの名調子もあって視聴率も稼いだ。
未確認のまま書きますが、第一回放映作がこれ

アラバマ物語

ガキが3人も登場しますし、なんともダサいタイトル
オリジナルの「モッキンバードを殺すこと」じゃ客は入らない。
悪いという事でなく、意味性を理解できないということ。
アメリカンリベラル的教養物語。

そんなこんなでアメリカンの国民的財産ともいうべき、
原作本も映画にも遠ざかっていたが、ふと思い立って、、、、


1930年代の深南部の「スタンドバイミー」ですなあ〜
それよりも優れた法廷ミステリー劇
実に素晴らしい!


被害者は白人女性
被疑者は若い黒人男性
場所は深南部
白人男性ばかりの陪審員裁判

判決は見えてます。
時代も大恐慌のさなか
今時であれば、グリシャムに登場するような弁護士の大活躍で
ハッピーエンドであっても、とてもアメリカンリベラルなんか通用するわけがない。
裁判の結末は悲劇的そのものですが、原作本全体からすれば、一つのエピソードに過ぎない。

紡がれるエピソードのひとつ一つの積み重なりの
子供達は「モッキンバードを殺す事」の善悪を学んでいく。
つまり、リベラルということを学ぶ、、あるいは教えてあげようという映画館が学校だった時代です。
そんな時代でなくなった・・そんなことが必要なくなった時代になったということならいいのですが
単に「忘れた」だけかもしれません。



2017年2月12日日曜日

ハマ側・ウミ側


冒頭「舟を編む」と言う映画のあるシーン

君って・・・
「右」の定義が言えるかな?


相対的な事象を定義と言う絶対的な表現で表すのは難しい。
まあセンスですよ。
鬼神の心だって慰むるのですから言語の威力は使いこなせれば素晴らしい。


神戸に久しぶりに足を運びました。
阪神間の方角感はちょっと独特で、山側(北側)海側(南側)と言う。
他地方でも例がありようですが、小田急本線のアナウンスで
この表現を聞いた際は身ぶるいがした(笑)

が、阪神っ子はエレガントですから、西宮北口界隈は、

ハマ側
ウミ側

と言う。意味不明な方に説明する程親切ではないのが、
阪神間スノブ(笑)

阪神間スノブの行動様式は、三宮駅を降りた時に現れる。
今日のお散歩はどっちにしようか?
・・・と言うことで久しぶりに山側(たいていは海側なんですがね)
登りはしんどいが、まあそれだけ。
安手の観光客相手の土産屋を横目に異人館街を眺め・・・

超高級ステーキハウスとか
選曲にかけては土下座したくなるカフェとか・・・垣間見える茅渟の海を借景がてら、優雅な散歩です。

異人館街なんて観光資源になるとも思えないが、国営放送の朝ドラの影響。
華人や韓人まで・・・何が面白いのかねえ。
住むには不便だと思いますし、可能性だけ言えば土砂崩れの心配もある。
一帯は住宅開発規制区域なんです。
あの「細雪」にも登場する六甲山崩れの大災害は・・・ある意味で117以上なんですが、みんな忘れたみたい。


あれ以来KOBEもつまんなくなった。

高架下はシャッター街
朝日会館は建て替えで朝からやってたBARが無くなった
詰まる所、山側も海側も個性がなくなったんだよね。
今日の気分はどっち・・・・なんて関係ないんだわあ(笑)



ちなみに「ハマ側」ですが、阪急西宮北口駅の山側には浜学園なる優良進学塾がありまして、
あえてそういういいかたをするの「阪神スノブ」
此奴らって、ベンツを下駄代わりに南京町に乗り付けて、身勝手にも老祥記の冷凍豚饅を百個単位で買うんですよね〜



2017年2月11日土曜日

闇社会の守護神は会計士


普通は、ヒマワリのバッジをつけた専門家の事を言います。
ジンケンハと似たところがあり・・・と言えば炎上しそうだが、

依頼人の利益を守るためにはなんでもありと言うところは職業モラルとしては一般的なんですが
その手練手管の非常識なまでのあざとさが似てます。

実のところ、暇なのか、出版社に口説き落とされたのか、作家先生の気分を味わいたいのか
この手の著作が出回るから認知度も上がった程度の話でしかない。
刑務所に行かずに済むように汗かいてくれるコンサルタントは有難いだろうが、
もっと重要なのは「カネメ」だと思いますよ。
いつまで国税庁はお目こぼしをするつもりかね?
徴税権力の怖さは一般的には無類なんですが、何故か893、同和、宗教法人には甘い。

893税務って、一風変わった建てつけ・・・と言うか元来網掛けをするつもりも無かったようですが

任意団体の扱いですから、特段課税対象となる収益事業を行なっていないことになっている。
実際はあるはずだが、CODですから極めて補足が難しい・・・と言うのが行政の言い訳
法人登記が出来なくとも、法人格なき社団法人ですから、子供会やPTAみたいに会費を集めることはあってもいい。
上納金と言えば分かりやすいが、趣旨は運営経費。
収入ではないとされる。
どんな組織でもおこずかい帳くらいはあるだろうから、克明に調べれば、親分の収入であり、豪邸、高級車なんかに化けているのは明白で
課税回避していることはすぐにわかるはずだが・・・・上記のような事になる。

昨今は、多少腕力を振るい出したから、ソロソロ守護神は「会計士」にバトンタッチかも知れない。
どうしようもないハコ企業に無限定の監査証明を出す事を生業とするCPAがいますから、
いまでも結構守護神は蔓延っているのです。


The Accountant(ザ コンサルタント)

オリジナルタイトルだと倭国の観客には意味不明と思ったのか、
似て非なる改題を行なってしまったが、これはやむを得ない。
実際に公認会計士のミッションってよく理解されていない。




倭国と違って、カポネを所得税法違反でアルカトラズ島に収監した歴史を持つ国は収益をクリーンにし、課税回避することを
巧妙にヤってくれる専門家こそが守護神である。
あまりお好みでない、ベンアフレックさんの登場ですが、オスカーの世界ではなかなか著名なのですよ。
もっとも役者ではなく、製作者とか脚本家としてです。
役者の才能は・・・ゴールデンラズベリー賞の常連(笑)

そんな彼の為でしょうか、数字には滅法強くってアスペルガー症候群の病歴を持つ、特殊部隊の軍人の長男という設定ですので
演技が最後まで破綻しなかった。
別に眉をひそめるような
病気とも思えません。
対人関係が苦手で、孤独癖があり、一定の分野で特異な才能を発揮するって・・・そんじょそこらにいくらでも居ますが、
度が過ぎると精神障害児扱いされちゃうって事です。


お話としては、シナリオ的に破綻した部分があり、よく分かりにくい。
続編で追い追いと明らかにするつもりかも知れないが、やはり完成度の低い作品である。
ベンアフレックは、グッドウイルハンティングでオスカー脚本賞に輝いたくらいの才能があるんだから、人肌脱げばよかったのにねえ。

2017年2月10日金曜日

当事者から文句の出ない「定数是正論」


定数不平等、言い換えれば「一票の格差」問題は、
行政府の怠慢と司法のおよび腰でいつまでたっても解決しそうもない。
民主主義の危機だとはおもわないのかなあ。

詰まる所、◯増▲減と言う「定数再配分」に拘るからだ!という卓見(明確にそう言う論旨ではないが)を目にした。
実に面白い!
有り体に言えば、最少選挙区(常識的には田舎県で全県一区)の定数を一人にして、
司法の許容範囲程度に定数をばら撒いていく。
県を跨がる合区は住民感情的に拒絶感があり、その配慮。
憲法上は国民の代表であって地域住民代表ではないとされるが、民度がそのレベルなんですよねえ。
限りなく小選挙区制度の追求は辞めて都市部は中選挙区になるが、選択肢の拡大は
望むところである。


当然議員数は増える。
しかし、人口比での議員数は先進国比較で半分程度らしいので、
倍くらいまでの余力がある。
よくしたもので、歳費等は倍くらい要しているから平仄があう(笑)
つまり、報酬は半分。

問題は、本会議場のスペース。
参議院は、何故か定数の倍近い座席があるから問題はないが、
衆議院は、まず余力なし。
座席幅を狭くしてもいいが、工事費もかかりますから、
シルバーシートのみ用意し、新人議員は立って頂く。
会議には、スタンドアップミーティングとシットダウンミーティングの二種類があり
性格上委員会は後者だが、本会議はその必要がない。

最大の課題は、量に見合った質の担保。
しかし、今でも出来ていないのですから心配してもしょうがないが、
報酬が半減すれば、今以上に酷くなるかも。


実のところはあんまり心配してません。
再配分か倍増か、、現職に選択させればいいのですよ。
どういう反応か?ワクワクしますねえ(笑)
三択で、歳費等倍増で定数半減案(蝸牛の推奨案)もありますが、これは実現性がない。




2017年2月9日木曜日

どっちが被害者で誰が加害者か?(息も出来ない)



義賊という言葉(概念)は多分どの国もあって「犯罪者」ではあるが、
殺したり犯したりはせず、貧乏人を餌食にすることはない手口を生業とする場合を言う。
この延長線で言えば、金持ちに怪しげな詐欺まがいの投資商品を売りつけるのは「義賊」である・・・(笑)
もっともいつも言うことですが、せしめた金員の使い方で真価が決まるのであり、
嘘か本当か知らないが、ネズミ小僧のように貧乏長屋にまき散らかしてこそということだ。
したがって「貧困ビジネス」なんかに手を染めれば、盗人の風上にも置けないと指弾されるから
せしめた資金で「いつかはなんちゃら」ってな貧困ビジネスをど派手に宣伝すれば、かなりアンモラルってことになります。

FBのサイトに「日海塾」なるハンドルネームを見つけましたが・・・・あの方かなあ?
その「いつかはなんちゃら」なるビジネスを展開する投資指南業を糾弾する記事の掲載がありましたのでついつい読んでみたが、
旧聞の記事だった・・・・


弱いヒトザル(女子供老人)を餌食にしてやろう・・・って本当に悪質だ。
斯様な悪行に手を染めるやつは八つ裂きなっても文句は言えない、むしろなるべきだ・・・ってことでしょうか
B級の下としか思えないチープな映画が変に共感を得て細々であるが、長々とシネコンで上映中。
そのうち二番館の二本立て興行になるわ・・・と思っているといささか風向きが変わったもので、仕事の合間に足を運んでみた。



ところは廃墟化したデトロイト
八つ裂きになるのは、若い不良男女たち
狙われて被害者になるはずなのは一人暮らしのご老人
なかんずく視覚障「碍」者・・・・「メクラ」というと差別用語らしいし、障害という熟語もまずいそうな
ところが、特殊部隊の歴戦の勇士だったらしく、どっこい黙って餌食になるような玉じゃない。
か弱い女性だって「暗くなるまで待って」のスージーのように、ある種の条件だと五分に戦える・・・
元々は舞台劇ですが、ヘップバーンの映画版のほうが有名
心身に障碍あるキャラを演じるとオスカーの近道といわれますが、ベストアクトレスにノミネートされました。
しかし、この年は女優豊作で多分ですが、かすりもしなかったようです。



過去にこの傷痍軍人はカネモのドラ娘の無謀運転で子供を殺され、多額の示談金をせしめたようです。
さて不良どもは首尾よく望外のカネはゲット。
しかし、感づかれ泡食って地下室に逃げ込んだ事が運のつき。
とまあ、勧善懲悪的に事は終わらないから、若い観客の支持を集めた。
しかし、そのヒネリが「瞳の奥の秘密」をモチーフにする事は多分気が付かない。
極私的プロ映画鑑賞家として優越感(笑)


結末からして続編ありげ!
しかし、一千万ドル以下の低製作費で万馬券あてたんだから、欲目にくらんで更に貯金通帳のゼロの数を増やそうでなく
サッサとアーリーリタイアメントする方が賢いと思うがなあ。
英語にだって、二匹目のドジョウって言葉有りますよ。


Good luck does not always repeat itself. 

2017年2月8日水曜日

勝負はいつ決着するのか?




今年のNFLのスーパーボウルは稀に見る劇的な試合だった。
もっとも4Q前半までは凡庸で、アトランタのワンサイドゲーム
ところが、何がどうなったのか?残り三分のウルトラマン(笑)
TDに2Pコンバージョンを連発し、タイムアップ寸前に同点、OTとなった。
過去半世紀の歴史に例がなく、なんとも珍妙なルールが定められていた。


延長戦の決着方法は優れて文化人類学的である。
良き時代のラグビーは「ノーサイド」の思想があり、引き分けしかない。
一方で、決着がつくまで無制限という考え方もある。
基本はどちらかしかないが、単なる差異であり優劣を論じるものではない。
しかしスポーツの取り巻く環境変化から、短時間に勝負をつける方法が
大勢を占めてきた。
有り体に言えば思想の変化でなくスポンサーの都合である。
サドンデスなんて最たるもの
悪いとは言わないが、ゲームの本質を歪めたり不公平では困る。


さて優れて戦略的でショーアップされたNFLのオーバータイムルールは、
実に面白い。
細部がよく分からないのですが、得点差とサドンデスの併用みたい。

最初のオフェンスでTDが決まれば勝負あり(たいていはパントに終わりますから守備側の攻撃権も担保されます)
FG或いは無得点ならば、攻守交代。
守備側の攻撃でTDなら文句なく勝ち(0対6あるいは3対6で勝ちです)
FGに対してFGならば同点ですから再度攻守交代
無得点に対してはFGで勝ちだが、無得点なら再々度攻守交代
15分たっても決着がつかなければエンドが代わり・・・


決着は必ずつける
しかし、あまり時間はかけない
どうせなら「劇的」な得点で!(NFLの得点方法は多岐多用)


なんともアメリカンらしい発想です(笑)
因みに、史上初のスーパーボウルのOTは、四分足らずのランによるTDで決まりました。


オマケはガガ様のパフォーマンスふたつ!







2017年2月7日火曜日

だんだん良くなる「7人」でなく法華の太鼓



毎度のように駄弁を弄する気にもならない。
原作に対するレスペクトがない!と不満たらたら
確か、映画に関する著作権は日米とも公表後70年のはずだから、今時点パブリックユースではない。
リメイクに関しての法律問題をどう整理したのかは知らないが
「荒野の七人」の有名なテーマ曲は、エンドロールで少しだけ流れたが「七人の侍」についても言及は・・・見落としたのか?

黒澤映画は知財紛争の山でして「羅生門」は、なんか意味不明なウエスタンになり、
「用心棒」はパスタウエスタンに剽窃され
「七人の侍」は、脚本家の間で争いになり・・・・まあ脇が甘かったというか、認識が薄かったのでしょう。
「荒野の七人」リメイクの際には、ちゃんとしたライセンスを付与したと思いますが、どういう建てつけかは知らない。


結果としてユルブリンナー版は面白かったが、今回はド派手で無内容で・・・
でも、そんなつまらんものに何故足を運んだのか?
予告編の助っ人をスカウトに来た未亡人(ジェニファーローレンスに似たヘイリーベネット)のセリフに惹かれたのですよ(笑)
若い未亡人は悪徳資本家に夫を殺された(過労死じゃないですよ)という設定で、デンゼルワシントンに嘆願するのです。

正義の実現を・・・
復讐はその手段です。


最近珍しい気の利いた台詞(直ぐに段平振り回すアメリカンの自己弁護みたいま台詞)
ここ迄はまあ良いのですが、オチが気に入らない。
デンゼルワシントンがこんなクサイ台詞だけで助っ人を買ってでる必然性が希薄なのですが、その理由が最後に明かされる。


彼は「復讐の実現のために正義という衣を纏った」のです(実にアメリカンらしい)
後の六人はその理由を知りませんから、なんだか利用させただけで・・・これって騙しですよ(まるで同盟軍の果てをみるような・・・・(笑)





2017年2月6日月曜日

スーパーボウルは幕間が楽しい


ご贔屓のチームは、カンファレンスファイナルで惨敗しスーパーボウルには行けなかった。
わざわざ、テリブルイエロータオルを通販で買ったんですが・・・・泣
でも、恒例ですから、ライブは見ます!

しかし、もう興味は・・・

ハーフタイムショーのガガ様
別注のCM

とりあえず過去履歴でも鑑賞しながら、、、、
まずは名作のアンソロジーがイントロダクション。
次はあのアップル社の傑作の誉れ高い・・・伝説的な1984年版
オーウェルの1984をおもわせ、ビッグブラザーに果敢に挑戦しようって。
いまやホストコンピュータの巨人は、、、潰れはしませんがね(笑)
最後はチョットお気に入りの・・・CMじゃなくて車の方。



なんせ放映権料が30秒で四とか六億円。
制作費は・・・・よく知りませんが、シン・ゴジラ一本分以上って事は容易に想像できます。
ハーフタイムショー同様に出演出来れば名誉かな?



ところでゲームですが(多分ですが)ニューイングランドが勝つわ。
ドラフト外入団と変わらないレベル評価だったQBがここまで成長し活躍するとはねえ
現役最高だし、歴代でもトップクラスあるいはトップ
これもアメリカン・ドリーム。
今年の優勝を花道にすればどうですかねえ。
来年は不惑の年ですから・・・惜しまれつつハッピーリタイヤメント
どうもピッツバーグはトムブレイディと相性悪いからなあ。
早く辞めてくれ!!

2017年2月5日日曜日

ボールゲームは芝の上


キノクニイチノコメドコロ
ウエノノオカハフボトキタ

懐かしい七五調定型詩の小学校の校歌。
うろ覚えながらまだ覚えている。
楽しいことなんか何もなかったが、中高は皆目思い出せないのは何故に?
逆に楽しい事が沢山だったからでしょうか(笑)

今日のお題は昔話ではない。
母校の運動場のこと
在校中は小中が同じ場所にあり、運動場は丘の下にあった。
中学校が移転した際に運動場は丘の上に上がってきた。
だからどうってわけじゃないが、そのうち旧運動場はゴルフショートコースに化けた。
村有地のはずだが、売却か賃貸は知らない。
凡そ客のいないゴルフコース(笑)

近隣にはゴルフバブルの残骸のような一応フル規格の戦略的コース(要するに山あり谷ありの狭いホールだらけ)が
石投げたら当たるほどにあり、お値段も都会の練習場よりお安い。


帰去来と言うことでショートゲーム練習がてらはるばる足を運ぶに、、、
ナンチャラゴルフリンクスなる看板はなく、うんたらパークゴルフ場
パークゴルフとは何じゃいな?
閑古鳥すらいないはずの施設にはオッさんやオバちゃんだらけ。

見るに、芝の上のゲートボール紛いのパットゴルフみたいです。
年寄り娯楽で今やゲートボールを凌駕するらしいです。
そう言われると近くの村の河川敷のゲートボール場は荒れ果て見る影もない。


蝸牛の世代は芝の上でボールゲームをするような贅沢は
許されなかったから西洋に見る一面の芝生のコートが羨ましかった。
いまや、芝生が当たり前って事て、ゲートボールが廃り、パークゴルフに取って代わられたのでしょう。


しかし、見るに貧相なゲームだねえ
まだ、ゲートボールのほうが戦略的だ。
年寄り娯楽はこの程度でいいと言う愚民政策としか思えない。
死んでも誘われてもやるものか!
聞くに全国には千以上のコース。百万人を遥かに超える愛好家
かつて赤門大学にはゲートボール部があった。
存在理由がふるってまして・・・今なら日本一になれる(本当に一番になったかどうかはしらない)
そして、いまパークゴルフ部があるかどうかも知らない。




2017年2月4日土曜日

いまどきのウェスタン


西部開拓時代・・・と言えば、牧歌的なパイオニア精神と詩情あふれる世界を思わせるが、
早い話が、原住民からの簒奪、稀少生物の殺戮、与太者の横行、ろくでもない弱肉強食の世界。
愚直で真面目な白人開発民や、平和の守護神みたいな騎兵隊も居たんでしょうが、それは視座による。

反対側から見てはいけない現実を見てしまった以上、教会やキンダースクールの若い女先生の登場することのない
パスタウェスタンが登場したのも必然だし、いまどきのハリウッドウェスタンも目先を変えないとやっていけない。
アメリカンのソウルフルなジャンルですから、手を変え品を変え・・・・一度はやって見たいのですよ。
かの成績優秀なヘブライ人のハーバード卒業生までも、わざわざ製作者に名を連ね、主演までやります。


興行的には散々な結果みたい・・・です。
ウェスタンで主役ヒロインは稀有だし、男尊女卑社会のハリウッドも多少変わったか?
我慢強い蝸牛だって途中で席を立ちたくなったくらいですが
別の理由があり、苦痛の時を過ごした。








嬉しい事だと思うのですが、かつての名作がデジタル化され再映されてますもんで、
いそいそと場末まで足を運んだら、この「ジェーンは銃をとった」ってのがくっついていたってこと。
アニーよ銃をとれ!の亜流タイトルですが、getとgotの違いがある。
これに駄弁を弄してもいいが、これは別の機会。


素材的にもガサツで大衆的
なかんずく、娯楽以外何者でもない映画を芸術品とまでは言いませんが、いっぱしの工芸品にまで高めた群像劇
何度見ても面白いし、新しい発見がある。

無名の大根役者ジョンウェインの出世的な「主演作」ってウィキペディアなんかには書いてますが、
これは疑わしい。
多分ですが、映画自体をキッチリと見ていない筆者の文章の孫引きに違いない。
定期便の馬車に乗り合わせたメンバーの中では、役柄的には重いが、主役というかどうか・・・

主役の定義って、難しいのですが、常識的には「出演者紹介の一番目」にクレジットされた役者さん。
その潜みに習えば、この映画の主演は(目の錯覚でなければ)

クレア・トレヴァー(酒場の娼婦・・だと思われるダラスを演じる)

アメリカンが大好きな「清らかな心は見た目薄汚れた外見に宿る」を絵に描いたような女性
サザンベルを代表するような騎兵隊大尉の若妻と対比的に描かれますが、その対立(反撥)と和解の描き方も素晴らしい。
間に南部名家の放蕩息子が絡むから物語に奥行きも出る。


まあ、異説もありましてね。
周囲の反発があったもので、ジョンウェインのクレジットは、あえて二番目にしたというジョンフォード監督の策謀とも・・
どっちか言えば、これが正解かも・・・ならば、真っ当な解説にはここまで書き込まないとプロの文筆家とは言えない。
蝸牛は、売文でゴハン食べてる訳じゃないが、素人なりに根拠のある実証的な事しか書かない。
あるいは、ええ加減な駄法螺や虚言の場合は、伝聞にとどめたりとか・・・・苦笑







2017年2月3日金曜日

ジェイソンボーンことエドワードスノーデン


どう見ても既視感有りげなド派手で目まぐるしいシーン連発のJBの最新作でしたが、お話しの展開上「次」も有りげな・・・
はさておき、毎度情報機関による秘密プロジェクトが登場しますが、

今回は・・・・アイアンハンド作戦

どうやら、シリコンバレーのIT企業も加担(協力)する全世界監視システムの構築のようです。
口先で、通信の秘密、プライバシー保護は守られるべき重要な権利で有り・・・
とかなんとか口走る連中は実のところ疑わしい。
怒鳴る度が目の敵にするのは「協力の仕方が足りないから・・」というMSGらしいとも・・・

しかし、具体的な手口や情報機関の悪行を暴露し警鐘を鳴らし、
懲りない連中に鉄槌を下すことにJBは興味を示さない。
そこんところは、毎度のニッキーパーソンズやスタンフォードを優等に卒業したへジーリーでは無くて
エドワードスノーデンなる職員に委ねられた・・・とまあ長い枕が(笑)

どうも今更「過去の人」をセンターに映像化してもしょうがない・・・と思うのがアメリカン
亡命国との関係改善で引渡しがなされる可能性は出てきたが、優先順位は低い。
今更、国家反逆罪やらで訴追しメディアの注目を集めれば、寝た子を起こすようなもの
別に愛国無罪なテーマだからとか、情報機関の監視対象にされそうってこともあるのでしょうが
映画投資として魅力的とは思えないってことでしょう。
ここんところは優れて納得。
しかし欧州系では制作資金が集まったらしい。
引き受け手が居なかったのか、オリバーストーンなんて危ない監督迄登場する。
オスカーを三度も貰ったんだから、危ない素材なんか撮らずに
ナパでワインでも作ってればいいのですが・・・なんか血が騒いだのか、加えて問題児のニコラスケイジまで(笑)
友情出演かなあ?



さて本題の映画の出来栄えですが、問題となったのが「アイアンハンド作戦」ではなくて、「プリズム作戦」なるもの。
いかなるインフォメーションセキュリティシステムも「確信的内部犯」には無力ってことは、いまさら言われなくともわかっている。
技術的対策や物理的対策は完璧でも人的対策には限界がある。
あのローゼンバーグ夫妻による原爆開発データの漏洩事件がそうであるように、
国家間の緊張が高まれば逆に「平和と自由のためのスパイ行為」が横行する。
この事件では、レフト系の文化人・メディア中心に冤罪と人権蹂躙を声高に非難されたが、
結果としてその事実はなく、左翼プロパガンダの格好のテーマとなり、共産ロシアに利益をもたらし、東西間の緊張を高める結果となった。
国家が強権的になった場合もまた然り。


スノーデンが「犯罪者か愛国者か?」ってキャッチコピーとしてはありきたり(配給会社の宣伝担当が知的ではないのですよ)
多くの場合、二律背反ではなくコインの裏表である。
さらに誤解を恐れずに言えば、本当の愛国的犯罪者とは繊細で良心的で知的でもある。
アホや馬鹿は、破廉恥あるいは力任せの犯罪以外の既遂能力はなく、
この手合い(対馬で仏像を盗むとか)は犯罪的愛国者とでも言うべきか?


ある方(アルコン氏)が「いまジョージオゥーエルの1984がバカ売れと言われており、
あのビッグブラザーが怒鳴る奴に比定される事を冷ややかに論じて」いたが、然り。
この事件はオバマの時代の出来事。
当時、オバマ=ビッグブラザー と批難され

We scan!

なるプラカードがホワイトハウスを取り巻いたことはもはや記憶ではないようだ。
嘘ついたり、稚拙な言い訳したり・・・・あんときの政府の対応はお粗末だった・・・・ってことは覚えて起きませんとねえ。

2017年2月2日木曜日

忘れてしまいたい事や・・





ある司法関係者の論文・・・というほどのことはなく周辺雑記程度
AIが蔓延っても、倭国の司法はヒトザル支配が継続するという関係者には有難い話(笑)

理由は簡単で、判例のDB化が遅れており、判決動向のアルゴリズムに耐えないという単純なこと。
ネットに登場する判決は異端系ばかりですから決して保守本流じゃないですよ。
じゃあ人手かけてスキャンすればいいじゃないかって事になるのですが、
戦前は花仙紙みたいな微妙な紙に書かれてますので、デジタル化は大変だそうです・・・

しかし、関係者以外にはありがたくない話で、法律問題を抱えた一般市民の悩みにPCでは
解決できないという事。
わざわざ、弁護士会の無料相談に足を運びますかねえ

実のところ、蝸牛庵はAIには懐疑的です。
時代が変われば判断も変わるという事を何処までアルゴリズムに織り込んでくれるか・・・まず無理だろうって事です。
百年前にプライバシーの侵害なんて訴えると、松沢病院にほうりこまれたとおもいますよ・・・・と毎度の長い枕(笑)


先日の最高裁小法廷判決。
忘れられたい権利を認めよ!ってある意味画期的な訴え
中身といえば、ご自身が犯したJK猥褻事件・・・・まあいつまでも彼方此方で散見されると恥ずかしいだろうが、
この手の話に時効はない。
パンツ盗んだ北陸辺りの大臣の恥業と同じ(笑)

注記 下級審を含め判決要旨が手に入りませんので以下の論旨はお馬鹿マスコミの記事に依存します。

下級審では認めたらしい「画期的な判決」だと持ち上げる向きもありますが、
ややもすると、退官まじかの判事は鬼面ヒトザルを驚愕させる判決を書くのですよ。
体制に逆らってまで信念を貫いたかどうか・・・その辺を見極めませんと画期的なと言えるかどうか・・・
案の定控訴審では排除。
最高裁も小法廷ですので、結果は明らか。
表現の自由はプライバシー保護に一般的には優先されるという・・・まあ当たり前のことが確認されました。

最高裁も「忘れられる権利」に関して否定したわけでなく黙殺したようです。
もう少し時代の流れを観ようという事でしょうが、欧州に比べると十年くらい遅れてるって感じです。

実際上の話をすれば・・・・オトシマエには時効はないのですよ。
検察庁の前科調書なる文書には刑罰を受けた事実は子々孫々に至るまで消えることはない。
他方自治体の作成する犯罪人名簿も有りますが、こっちは刑の言い渡しの効力の失効により削除されるが
刑の言い渡し自体を抹消するものではない・・・というのが最高裁の立場。
簡単に「忘れられる権利」と言いますが、真面目に考えると司法行政上からも難問だと思うのですよ。
もっとも重要情報として厳重に管理されている・・・・はずです。


十年くらい前のチンピラ議員時代の雑文の言葉尻を捉えて、あげつらう責任野党の党首なんか見てますと
どちらも哀れで貧相でこれが選良かと涙が出ますねえ。
原理原則はそうであっても、建設的でもないので・・・
そこで提案

サンセットクローズ(自動削除設定)をディフォルトでセットしまでょう・・・っていうかそういうSNSの仕組みにするように
運営会社にはたらきかけましょう。
いまでも公開範囲の設定が自由に出来るわけですから難しくはない。
ディフォルト期間をどうするかは任せます。
自分で長くも短くも変更できるようにしてください。


そう言えば、むかしお世話になったサイトの掲載情報はどうなったかなあ?
信じ難いことに掲載された情報の財産権は俺(サイト運営会社)のモノって傲慢な態度で・・・
いまどきそんな理屈通用するかよ(笑)
規約の使用許諾で同意すればなんでも有りなんて考えているようじゃあまりにおバカさん。
だっから会社潰しかけたのよ!・・・・あれ?潰れたんだっけ

2017年2月1日水曜日

最初からこうすればオスカー作品賞だった!





まだ映画撮影がデジタルでなかった時代
カラーフィルムで「白黒映画」を作っていた映像作家がいた。
記憶の大伽藍がゴミ屋敷状態なもんで委細が出てこないからマクラはこれだけ(笑)

確か、セットを白と黒だけでつくり、カラーフィルムで撮影したんだ!
何の意味がある?と当時も・・・当然今も思っている。
しかし、映像のデジタルデータのカラーコントロールで、ブラック&クロームと言うのは
優れてファンタスティックだ!
単にエディションが違うというよりも、まったく別の作品に思えてくる。
そう思えるのは優れた作品の証拠に違いない。

昨年、テクニカルな複数の賞に輝いたが、
今年も新作あつかいでノミネートされないかなあ?


ひまわりや睡蓮は、何枚も真作があるし、ちょっと見では違いが分からない。
美術界では一枚だけがオリジナル、後は模倣とは言わない。
ピアノソナタの重要なモチーフを無伴奏ヴァイオリン曲に仕立て上げれば
どう考える?
山猫、地獄の黙示録を例に取れば、ディレクターカット版と
劇場公開初版とは天地ほどの違いがある。
つまりポストプロダクションの腕次第でまったく別物が創造されるのです。


アカデミーは、何かと批判に晒されているが、
白人男性監督優遇傾向の是正も大事だろうが、
より大事な「作品のオリジナリティ」とは何か?って本質を事を考えないとねえ・・・・


毎度足を運ぶ小屋にはかからないもので、初めての映画館。
なんとも足のベンが悪い。
前日に酔いどれ状態でネット予約。
シニア割引前で2500円は・・・・酷いねえ、旧作の使い回しなのにってブツブツ
チケット発券で気がついた。
4DXバージョンだって(笑)
アトラクションは嫌いだって言ってるでしょうに・・・でもしょうがない。