ヒトザルの歴史は権利の種類の膨張と義務の喪失らしい。
新しい権利の類型は「忘れられる権利」とやらまで生んでしまう。
欧州発のエキセントリックな思想だけがスタンダードになるのは如何なものか?
倭国に於いても、誰が焚きつけたのか、つまらんと言えば物議をかますが、訴訟提起を行い、最高裁まで。
最終的に敗訴だし、ほかにも様々な救済の方法はないわけじゃないし、
特定の検索事業者だけを相手にしても救済の範囲は限定的。
どっちかと言えば代理人の売名にしか見えない。
この点に関しては、代理人は大成功したが、肝心の依頼人の利益を守れなかったのです。
しかし、最高裁判決では「検索アルゴリズムは表現行為」だと欧州裁判所の考え方を
踏襲し、その上で削除の妥当性類型を明示した上で「今回は否該」とします。
そもそも「表現行為」なのか釈然としません。
控訴審では「忘れられる権利」は権利とまでは言えないと断じましたが
最高裁はその点口をつぐんだ。
蝸牛なら「忘れさせる義務」を判決要旨の傍論で本論以上に
チカラ入れて書きますがねえ(笑)
ビジネス文書管理に詳しいと当然の事と理解できるはずですが、
文書作成責任の最後は「廃棄責任」である。
言い換えれば「廃棄基準の明示」。
いつまで「保存」するか?
保管と保存は別物だが、その議論はさておく。
つまり議論すべきは、新しい権利の類型を認める事でなく、
サイバー空間の整理整頓の義務なり廃棄のルール作りである。
理屈は簡単で(不特定多数なのでシンプルにつくるしかない)
1)サイト運営事業者は格納或いは掲示される情報の合理的な保存年限を使用許諾同意条項に定める
2)利用者はデフォルトの保存期間に関わらず合理的な期間に限り延長または短縮できる。
3)延長回数に制限はない。
言ってみればサンセット法だということ。
情報武装化も一定の水準になれば情報の削除にまで視野が
及ぶとされますから、斯様な議論が出来るようになれば多少は進歩したという証です(笑)
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