2017年2月26日日曜日
双調平家
かの平賀源内が昭和の代で戯作に手を染めれば・・・橋本治になる。
有り余る才能を無駄に食い散らかし、いまや彼も老齢者。
後世何が残るかといえば・・・多分「翻案創作古典小説」
いずれもなかなかの出来栄えだと思うのですが、
オリジナリティを問われる文芸のヒエラルヒーからすれば上位にはなれない。
双調平家物語(全15巻)
読みきるには、相当に知力と気力が必要です。
時間の余裕ができたので、十年ぶりに再読してみましたが、もうすぐ読了。
あの戦記文学の傑作「平家物語」の翻案には程遠く「権力なり栄華の本質」に迫ります。
平家一門それ自体の興亡には余り興味がなく、
楊一族の専横に始まり安史の乱とか摂関一門の陰謀なんかが延々と続く。
人物関係の複雑さにヘキヘキしつつも・・・・
権力や栄華は「褥の性戯の巧拙と美醜」で決まるって(苦笑)
古来馬上で天下を取るも、治むるにあたわず・・・とは中国古典の名言であり(陸賈がこれで劉邦をギャフンと言わせた)
間違いではないが必ずしも正しくはない。
政権の陰に潜み、千年のあいだ政治を壟断した藤原一門の「藤」とは寄生樹の代名詞
巧妙に「寄生し表面上の施政者をあやつるアート」こそがそれである。
藤原一門の本流は、その後「五摂家」となり、いまだに家名は存続しています。
隠花植物のような貴種とは簡単に滅びぬもの。
歴史と伝統の重み(厚み)って大層なものですなあ。
摂政関白の地位を公的に独占し、帝の奥様だって、皇族あるいは五摂家の子女に限るって不文律まで。
秀吉だってどうしても関白になりたくて(家柄的に征夷大将軍になれなかったもんで)近衛家の養子になりやっとこさ任官された。
なんだかんだ言っても「出来のいい」メスザルを持ちえないと、裏権力は堅持できないのが日本史の読み解き方である。
そういえば、名古屋にも「五摂家」なるものがあるらしい。
しかし、誰でも知っている三河のクルマ屋さんは、家格が低いのか五摂家のひとつとは言わない。
一部で話題のモデル小説(といわれる自動車会社の内幕話)なのが「トヨトミの野望」
内容の生々しさもさることながら、何故に「トヨトミ家」なのかってことが大事なのですよ。
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