2015年7月9日木曜日
今日は何の日 気になる日
何かと便利なもんで「セブン銀行」のATMを贔屓にしています。
全国に二万台程度のATMがあり、これとゆうちょのATMをうまく併用すれば、まずます
津々浦々どこでも困らない。
しかし「セブン」銀行とは(苦笑)・・・世が世ならまず忌避されるネーミング。
質屋営業の衰退と新形態銀行の勃興とは、これぞ自由主義経済の新陳代謝である。
質屋業の黎明はよくわかりませんが、有体物を担保(質草)に金銭を利子付きで
貸し出すというのはありげな話である。
しかし、さしたる財を持たない庶民だと質草にも困るだろうから、
ある程度の動産を持てるようになってから蔓延りだした営業形態のようである。
江戸時代には、鑑札の交付とか組合の結成があったと記録にありますし
江戸には二千軒程度の質屋が組合に加盟していた。
質草をとっての金銭貸付(有担保貸付)の割に年利がアバウト30%程度
担保評価が適切であれば、リスクのない取引となり、
火付け強盗の餌食にならない限り、家産は増える一方だったと思います。
かつては、街なかでも質屋さんといえばふとん屋さんとならび小金持ちの代名詞だった。
しつらえも、通りに面して堂々とお店を構えるでなく、
横丁の狭い通りのワキからこっそりと出入りするって風情もなかなかゆかしい。
イチロク銀行とかセブン屋と言われながら(蔑称ではなく愛称ですなあ)庶民金融の柱だったが、
無担保無店舗なサラ金(当時は団地金融とも言われた)に駆逐されたのが1970年台。
いまや組合連合会加盟の質屋さんは4000店に満たないらしい。
一方でサラ金稼業も無体な取り立てと暴利の追求の結果、敗残の憂き目・・・
ということで・・・コンビニ銀行の話に戻るのですが、さておき
貧乏学生だった割には、質屋さん通いの経験がない。
当時の学生だから、蔵書(大月書店のマルエン全集なんか・・)を質に入れてって
ことなんでしょうが、質屋さんよりも古書店で売り飛ばすほうが多かった。
なもんで、改めて質屋営業法を紐解くに・・・
物品を質に取り、流質期限(通常三ヶ月)までに当該質物で担保される債権の弁済を受けないときは、
当該質物をもつてその弁済に充てる約款を附して、金銭を貸し付ける営業
が質屋さんであり、公安委員会の許可事業だとか。
ちょっと驚くのが金利。
利息制限法の適用に関しては下級審の判断がまちまちでなんとも言えないのですが
日歩30銭(年利だと10割を超えます!)
利息制限法だと二割(但し元本10万円までの場合)と比べると・・・実に凄い。
有担保取引だと通常は金利は低くなるんですがねえ・・・
金利水準の妥当性の論拠はちょっと苦しいのですが、
短期・小額金融であること
質草の鑑定、保管の手数、盗犯防止の管理コスト
盗犯品捜査協力等の費用(報償)
を加味した結果だとされます。
悪しく言えば、公安のイヌの餌代が高利ということか・・・苦笑
つらつら思うに・・・
質屋営業とは、貨幣が商品に恋をする時代の産物であって、
モノが溢れかえれば流質特約付有体物担保金銭貸付に客は押しかけない。
反面、有体物の担保価値の範囲でしか金銭借入ができないという節度の働く
システムでもある。
借金なんかはしなくてもすむものならば、しないに越したことはない。
しかし「足るを知る借り方」ってこともあり、清貧な倭の原風景を支えてきた
仕組みの一つでもあったって、いまさらながら思いを致すのです。
7月8日は・・・・知りませんでしたが「質屋の日」だったそうです。
2015年7月8日水曜日
大義は我に在り・・・って傲慢さ
1960年の在京大手全国紙連名の「共同宣言」は有名ですが・・・
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6月15日の・・事件は・・議会主義を危機に陥れる痛恨事であった。
・・民主主義は言論をもって争わるべきものである。・・暴力を是認するが如き
社会的風潮が一般化すれば、民主主義は死滅し、日本の国家的存立を危うくする重大事態になる・・
・・目下の混乱せる事態の一半の原因が国会機能の停止にもあることに思いを致し、
・・政府与党と野党が・・議会主義を守るという一点に一致し・・憂慮を除き去ることを
心から訴えるものである。
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いったい何が言いたかったのでしょうか?
耳障りはいいのですが、それ以上でも以下でもない。
そもそも「共同して」マスメデイアがモノ申すって正常じゃない。
しかし、結果として「安保闘争」なるものは潮を引くように衰退霧消し、
某週刊誌の見出しに曰く・・・デモは終わった!就活だ!!
こんな異常なことが、これだけとおもいきや・・・
あまり話題にならないのですが(したくない・・という「不都合な真実」なのでしょう)1932年にも
共同宣言が出されているのです。
それも、全国津々浦々の地方紙とか通信社までも、メデイア総動員。
筆頭に明記されるのが・・・日本電報通信社。
いまの「進撃(する広告)の巨人」のことです。
この社がプロモートしたのかねえ??
--
満州の政治的安定は、極東の平和を維持する絶対の条件である・・満州国の独立とその健全なる発達とは、
同地域を安定せしむる唯一最善の途・・
日本が、国民を挙げて満州国を支援する・・まことに理の当然
・・満州国の厳然たる存立を危うするが如き解決策は・・
断じて受諾すべきものに非ざる・・・
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時代背景は、
1931年9月に満州事変勃発
1932年3月に満州国独立
1932年9月にリットン調査団報告(同年12月にこの「共同」宣言)
1933年3月に国際連盟脱退
改めて「調査団報告書」を拾い読みするに、そう目くじらたてるようなものでもない。
誰が見ても、あれは横車であるが、実際に出来てしまえばこっちのもの(南沙諸島の砂の長城と同じ)
しかし、リアリズムに徹した国際外交で鍛えられた英国貴族のレポート。
日中双方の主張を退けた上で、中国には名を、倭国には実を・・って現実解を提示します。
最終的な総会決議はより厳しくなりましたが、それは報告書開示以降の言動が加盟国の神経を
逆撫でしてしまった・・・言わば自業自得。
好戦的に侵略を擁護・鼓舞することがマスコミの総意なのか、
誰かが糸を引いたのか・・・よくわかりませんが、これが当時の「世論」なるものです。
思えば、個別局面の戦闘に勝つたびに、号外を出し、発行部数が増える。
戦争協賛=マスメデイアの成長って構図は、今も変わらず、戦争がなでしことかマー君に
置き換わっただけ。
この程度の存在で、義に貢献することもなく、それこそ「潰れてくれる方が・・・」
潰そうってつもりはありませんが、このままじゃ「自壊」しますよ。
世界遺産登録って煽り立てて・・・真の歴史認識とどっちが大事ですかねえ
2015年7月7日火曜日
集団的自衛権を行使するためには、まずほにゃらか対策(笑)
安保法制により「安易に戦争のできる日本」になるわけがない・・・って、さあどうかしら?
論拠をいえば、少子化社会では子供の数が少なく「貴重資源」として危ないことはさせられない。
出生率の低い国には、倭国に限らず、仮想敵国(・・・かどうか知らないが)
近隣の反日半島国も傲慢大陸大国も同様であり、東シナ海は近未来的にも天気晴朗にして波静かなのです。
従って「戦争のできる日本」となるためには、産めよ増やせよ・・・ってことがより重要。
先日の某全国紙(安保法制推進派の立場)のコラムでは、
第三子以降にドカンと一千万円の出産祝い金支給・・・って
かような記事の背景って、実のところはこういうことなのですし、
成長戦略に柱である「ロボの活用」もまあそんなこと(苦笑)
最近脚光を浴びてる某社の(・・・平均年俸が日本一だって)某氏が、
以前にヒットラーの少子化対策をご紹介しておられまして、これが実に面白い。
これも後々の歴史を考えるに「ヒットラー」ってことがキーワードになります。
http://blog.livedoor.jp/archon_x/archives/1232007.html
だからといって平和ニッポンは少子化により実現するというのは論理矛盾であり、
日本国と国民の維持再生産のためには、少子化対策は焦眉の急であることには違いない。
同じオカネを使うにも効果的に使う必要がある。
児童手当は、月額にすれば大した金額とも思えないが、累積額にすれば結構まとまった金額になります。
ソフトバンクグループの出産祝い金制度
第一子: 5万円
第二子: 10万円
第三子:100万円
第四子:300万円
第五子:500万円
ドカンって振る舞う・・さすがに孫さんって・・・座布団三枚!
実際にCSRレポートを読むと、支給額がどんどん増えているという慶賀の事実。
その意味で、毎月の煩雑な事務処理コストをかけてチマチマ支給するよりも
出生時にポンとママに差し上げる方がいい。
しかし、小役人的には「そんなことをすれば良からぬことを考える・・」って心配もある。
確かに、過去かような手当をめぐる陰惨な犯罪があったことは事実だが、ワルはどこにでもいる。
そうそう、ヒットラーは現金ではなく、使途限定商品券(地域振興券)で支給しています。
消費活性化という一石二鳥も狙っていたのですよ。
安保法制の違憲合憲論というようなテクニカルな神学論争で時間を費やさずに、
まずは、効果的な少子化対策をきっちりと議論して進めることが近道ということに
気がついてほしいものです。
自衛隊は今でこそ志願兵でなんとか兵力を維持していますが、
危険職場ということになれば若者は就職先に選ぶはずがない。
2015年7月6日月曜日
戦争の犬たちを解き放て
お手軽なポリティカルミステリーと切って捨てればそれまでであるが、
スパイ養成組織の教則本にも採用されているやに聞けば、さもありなん。
戦争に限らず(とりわけ戦争はそうらしい)が、プロジェクトの成否は、
戦闘(行動)
情報
作戦
兵站 の要素で決まるとは言い古されたこと
そして、話は旧皇軍の過度の戦闘重視(情報と兵站の軽視)とつながり、
自衛隊においても、兵站は三日分しかない・・・って都市伝説に展開するのだが、
そんなことはどうでもいい。
情報・作戦・兵站は文章力が巧みであることによりそれなりの質を担保できるが、
映像にはならない。
したがって、小説も映像化されれば、戦闘シーンばかりとなり、原作と似てもにつかぬものになる。
フレデリック・フォーサイスの魅力は、ロジスティックスにある。
人気作家なのでそれなりに映画化されるが、かようなことなので、愚作の山。
とりわけ「戦争の犬」はひどかった。
当然脚本もチェックし、それなりの注文もつけたと思うが・・・
真偽は定かではないが、
印税と映画化権は、ビアフラクーデターの資金に提供される予定であったらしいので
とやかく言わなかった。
しかし、現実は、小説のごとくうまく行かず、官憲に察知され失敗に終わった。
フレッドジンネマンが監督した「ジャッカルの日」は、ある程度原作に忠実なので
ロジスティクスが堪能できる。
その後は、舞台がワールドワイドになり・・つまり荒唐無稽的になり、ちょっとついてけないって(苦笑)
最近ブックオフで美本なんですがタダ同然の単行本
ネゴシエイター
舞台は・・・・アメリカ、スペイン、サウジ、ロシア、イタリア、イギリス
小道具は・・・オイル、軍縮、誘拐、クーデター、公金横領、
登場人物・・・大統領、書記長、首相、国王、軍事産業のボス、オイル屋、テロリスト、FBI、KGB
ひと通りなにもかも揃っています。
時代は、ゴルバチョフのころですので、エネルギー情勢の読みがかなり違う。
その点で、作品価値が低いのでしょう。
他方で「イコン」は、いまだに評価が高い・・・って、けだしそういうことです。
しかし、現実になってほしくはない。
2015年7月5日日曜日
手紙 ~ 拝啓 18の君へ
権力者に阿らない・国益を害するマスメディアは潰してしまえ!って元気のいいことよ(苦笑)
さすがに公的な場で言うほどの度胸がなさ気なのは、
単に内弁慶だということに過ぎません。
まるで五月の空の鯉のぼりみたいなもんで、骨もハラワタもなさそう。
しかし、多分に「ホンネ」なんでしょう・・・
一方で、オニノクビを取ったかのように報道の自由への侵害だとか・・・
ガタガタ騒ぐんじゃないっていうのが「サイレント・マイノリティ」の立場です。
報道の使命って極めて単純であり、そのシンプルさが広報との差異である。
曰く
不都合な真実を伝えるが報道
都合のいい事実を伝えるのが広報
別に「広報」というお仕事を馬鹿にしているわけじゃない。
ウソをついてはいけないが、都合の悪いことをうまく伏せるって
結構知力と腕力が必要なのです。
その意味で「報道官」というお役人の肩書は・・・?
正確には「内閣広報官」とかいうべきでしょう
報道の定義をこのように理解した場合、
当然ながら「誤報・虚報」をまき散らす輩はマスメディアの名に値しない。
某大新聞社が叩かれるもけだし当然である。
不都合な真実とは、多くの場合「権力者にとって」である。
権力者とは立法府の政治家に限らない。
行政府も司法府も第四の権力と言われるマスメディアなんかも例外ではない。
新聞やTVから「不都合な真実」を知ることが少なくなった。
不都合な真実はもっぱら、
信頼できそうな有料ブログ
調査情報誌
NETの海外メデイア ・・・なんかを漁っています。
紙新聞、地上波TVは読みません・見ません。
正確には、前者は書籍等の広告欄、後者は限定的なスポーツ番組だけは見ます。
つらつら考えるに「高額な情報入手料」を支払っているもんだって嘆息します。
NET(WEB)は別にただじゃありません。
安からぬ電波使用料を負担しています。
思えば「電波」なるものは、誰のものだ?
電波法という法律がある。
電波の公平且つ能率的な利用を確保することによつて公共の福祉を増進するための法律である。
電波を利用するためには無線局を設置する必要があるが、
要件に合致する設備
運用資格のある要員の配備
とにもかくにも「無線局開設認可」
更に「電波使用料」の負担 なんてな厳しいハードルをクリアする必要がある。
電波法でいうところの「電波」には、自然界に存在する紫外線や赤外線は除外されますが
重要な公共財であることには間違いがなく、国家が管理している。
適切な管理を行うために一定の料金を適切な認可事業者から徴収し、財の維持保全に務めるのは
いいとして・・・本当は「税」なのか利用料かって疑問もあるのですが、さておき
適切な認可事業者とは法定の一定の欠格事由がありますからまあいい。
問題は「一定の料金の水準」
電波利用料の年間総額は800億円程度である。
国家の平和と安寧のための社会インフラですので、十分な整備のためにこの程度は必要かどうかは
全くわかりませんが、歳入と歳出はうまくバランスしています。
しかし、内訳に見るに、無線局区分別の歳入構成比を見れば・・・
TV・ラジオ(6項): 7%
包括免許 :39%
広域専用電波 :48%
これもシルバー民主主義なのでしょうか(笑)
TVを見ずにスマホ漬けの若者が9割近く(700億円以上)負担しているって
ことになります。
TV放送って利権ですねえ・・・
欧米のようにオークションにかけるって一案かもしれません。
選挙権が18歳になるんだから、若者よ!
電波使用料の負担適正化を推進する議員候補者や政党に一票を!
このような「不都合な真実」は、TVの選挙特番じゃ絶対に話題にはなりません。
http://www.tele.soumu.go.jp/j/sys/fees/account/change/index.htm
2015年7月4日土曜日
難解用語の基礎知識
話題の「砂川判決」ですが、
ちゃんとあの有名な判決を読んだのかどうか怪しい記事が氾濫しています。
そもそも「砂川」事件の舞台は東京都立川市砂川町です。
半世紀以上前の出来事
当時は、立川にも米軍基地があったんですねえ。
この事件以後(この事件の効果でしょうか?)、返還されて公園かなんかになっているそうです。
罪状は「日米地位協定による刑事特別法」違反。
従って、争われたのは「アメリカ軍の駐留の合憲性」
自衛権や自衛隊の存在ではない。
第一審判決(あの有名な伊達判決)では・・・
米軍駐留は憲法第9条2項前段によって禁止される戦力の保持にあたるから「違憲」
驚天動地な判決!
米軍は軍隊に違いありませんので「駐留する外国軍を我が国の戦力」だとすれば
憲法違反は当然ですが・・・そう言い切るのが凄い。
なもんで「飛躍上告」
長々と裁判を続けるリスクの回避が目的だといわれていますが、訴訟手続上齟齬はない。
そして最高裁の「田中判決」
エッセンスは「統治行為論」です。
つまり・・・
--
安保条約の如き、主権国としてのわが国の存立の基礎に重大な関係を持つ高度の政治性を有するものが、
違憲であるか否の法的判断は、純司法的機能を使命とする司法裁判所の審査に
原則としてなじまない性質のものであり、それが一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、
裁判所の司法審査権の範囲外にあると解するを相当とする。
--
安保条約およびそれに関連する法令が違憲かどうかは判断しないって判断が最高裁判決のキモ。
でも、なんでもかんでも「門前払い」とまでは言ってません。
・・・といいつつも憲法9条解釈を展開しますが、それは傍論に過ぎません。
その傍論を重箱の隅を突くように議論しているのが、今の国会審議
傍論に曰く・・・
憲法第九条は、平和主義を具体化したものであり、その内容は
・軍国主義的行動の反省
・戦争の惨禍の再発がないことの決意
・恒久平和の深い念願 である。
憲法第九条第二項(戦力の不保持)の意義は侵略戦争の再発防止の具体的担保である。
第九条はわが国が主権国として有する固有の自衛権を何ら否定してはいない以上
国家固有の権利としての「自国の平和と安全とを維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置」を禁止せず、
この「自衛のための措置」を他国の安全保障を求めることも可能である。
駐留する外国軍隊は憲法第九条第二項の「戦力」には該当しない。
煎じ詰めれば・・・
戦後憲法により「過去の反省と十分なお詫び」を宣言していると最高裁は言っているわけで、
いまさらあちこちから反省がタランと言われる筋あいはない。
最高法規でここまでいう以上「談話」程度を出すのださんノって瑣末な話。
しかし、9条の改正となれば、ちょっとその辺の兼ね合いが難しくなります。
侵略戦争を否定しつつも自衛権を容認し、統治行為論で「具体論については避けたはず」なんですが、
他国との防衛条約や防衛駐留も「自衛のための必要最小限度の実力を有している事例」とすることにより
伊達判決を否定するという間接話法なロジックです。
その後の憲法解釈が「繊細な硝子細工」って言われる所以がよくわかる判決です。
ここからが問題で・・・(高度な引っ掛け問題かも・・・苦笑)
日本国憲法は(以下同じ)
a)固有の権利としての個別的自衛権を認めているか
b)固有の権利としての集団的自衛権を認めているか
c)行使できる権利としての個別的自衛権を認めているか
d)行使できる権利としての集団的自衛権を認めているか
更に、あなた個人は日本国において(以下同じ)
e)固有の権利としての個別的自衛権を認めるか
f)固有の権利としての集団的自衛権を認めるか
g)行使できる権利としての個別的自衛権を認めるか
h)行使できる権利としての集団的自衛権を認めるか
以上の回答の組み合わせで・・・
第9条の改憲の適否(あるいは要否)
日米安保条約の要否(あるいは適否) についての「意見」が炙りだされる。
よく考えないと自己撞着のような倫理矛盾を引き起こします(笑)
あなたはどう考えるの?って問われれば、回答は決まっています。
サイレント・マイノリティは、自身の政治的立場を表明することはしないものではある。
但し・・・
直接の判決理由でない「傍論」が主張の根拠にするほどのものかと思いますし
田中判決の至る政治的な動きは、機密文書公開の結果「適正手続」と言う観点で
誠に問題が多いと言わざるをえない。
仮に「根拠」にしてもいいとしても、ここでいう「必要な自衛のために措置」に集団的自衛権も含まれるのか
含まないとも含むとも・・・極めて微妙としか言い様が無い。
集団的自衛権とは「同盟国などが攻撃されたとき自国への攻撃と見なし反撃できる権利」であって
国際法上は国家固有の権利とされます。
しかし、天賦人権のように自然権(個別的自衛権はそう考えていい)ではなく、
幾多の戦争の惨禍の中での国際関係論から生み出された概念ですので、脆いものです。
有り体に言えば、UNの生み出した法概念のようなものであり、国連憲章に採択された。
その意味で2つの自衛権を「同等に扱う」のは違うと思います。
まあ、なんだかんだとどうとでもなる議論ですなあ。
そういう議論を「神学論争」という。
国益(国民及び国土の生命身体財産を保全)を守るためは必要なことですか?って
原点に立ち返ればいいように思えます。
今そこにある危機は、地球の裏側ではなく、国土の近隣にあるのですが・・・
2015年7月3日金曜日
NYの「酒鬼薔薇」
出版文化の堕落退廃も極まれりって思う識者も一般人もいるだろう。
所詮は売れることが一義であり、労作傑作でも売れなければどうしようもない。
良書がベストセラーになることのほうが珍しいと思えば、
かような露悪暴露的がそこそこ売れるのが当たり前だし、商魂とはそういうものだ。
しかしながら、犯罪者が自らの犯罪歴を飯の種にするのはいかがなものか?
あるいはそれをプロモートすることにより、一定の手数料をハネるのもまたしかり・・・
70年台後半にNYを震撼させた「サムの息子」なるシリアルキラーは、
とんでもない超長期の懲役刑で檻の中にいまだにいるそうですが、
多くのキワモノ系出版社なんかから手記刊行のオファーが殺到したらしい。
結果として社会良識が働いたらしく、
NYの酒鬼薔薇の手記は日本と違って出版はされなかったようである。
生涯で読める書籍の数は限られており、かようなキワモノ本」なんかを手に取る気すらないが
増刷中ってことは、興味本位と思うのですが買うような「愚昧な大衆」がいるらしい。
アメリカのように「サムの息子法」なる法律で、かような行為を禁止するって考え方もあるが
表現の自由との関係でどうなんだろう・・・?
犯罪行為に起因する不法収益とみなして全額没収し、
被害者救済の財源にするほうが、プラグマティズム的にいいかなって考えも頭をかすめる。
版元は、長文の「出版の弁明」をウエッブサイトに掲載していますが、
彼らの言う「社会的意義」なるものをなるほどって思うかどうかは・・・
読まずに論評するのは適切な態度ではないが、
そもそも論において版元は営利行為を生業とするわけで、
その立場を捨ててから「意義」を力説すべきでしょうって考えるわけ。
--
・・・深刻な少年犯罪を考える上で大きな社会的意味があると考え・・・
私たちは、出版を継続し、本書の内容が多くの方に読まれることにより、
少年犯罪発生の背景を理解すること・・・
--
弁明の抜粋ですが、あらゆる犯罪には「動機・機会・誠実性の欠如」の三要素があり、
大多数のヒトザルは最後の砦である「内面の誠実性」で犯罪を犯さない。
この歯止めが脆弱あるいはそもそも的に欠如するようなDNAの持ち主が犯罪者であり、
そう思えば、ことさら「社会的意味も犯罪発生の背景」を論じることでもない。
著者は、いくつになったか知らないが、未だに少年法で守られ「少年A」なのですよ。
ある方が・・・
著者と出版社を相手取り、出版差し止め及び出版収益相当の損害賠償請求訴訟を起こせば
訴状に「氏名が明記」されるから・・・って
被害者少年の遺族の方々は誠実性の持ち主らしく、かような荒業をなさらないだろうが
逆に言えば、版元サイドはそれにつけこんでいるのかもって邪推したくなる。
内容もさる事ながら、仮名というのが多くの人にとって胡散臭いのです。
2015年7月2日木曜日
どっかで聞いたような話ですが・・・
どうしてここまで財政破綻してしまったのか?
ある識者によれば・・・
・肥大化した社会保障制度(生活保護・年金)
・膨張する公共部門(公務員)
・納税意識の劣化(クロヨンゴートーサンピン)
どれもこれもドキリとする事柄ばかりであり、明日は我が身か・・・
ギリシアを舞台に世界を震撼させる出来事は、太古の昔はさておき・・・
欧州人にとっては、
形而上学はギリシアから
形而下学は古代ローマから
・・・学んだ以上、親は親足らずとも子は子たれってことで、サポートしてきましたが
借りたものは返すのが当たり前と口先ではいいつつも、
レンダーライアビリティもあるわなあって居直ったりすれば、いくらなんでもと堪忍袋の緒が切れ、
兵糧攻めであえなく預金封鎖(デフォルト寸前)
生活再建の努力もせずに、無為徒食に明け暮れる輩を助ける必要はないわけであり、
世界最古の民主主義国家が衆愚政治化し、その後何度も国家破綻を繰り返し、
民度が低くなった退廃国家の末路とはこういうようになるんでしょう。
倒産とは「自由主義経済の健全な新陳代謝」と思えば、国家だってそうなってもいい。
歴史上国家がなくなったことは枚挙にいとまがない。
今後どう展開するのか・・・
ギリシアの借金総額は3000億ユーロ(40兆円)程度です。
しれているといえばしれてます(中国の外貨準備の10%くらい)
暫くの間全国民が臥薪嘗胆して財政再建を行えば・・・
でもあの親方ギリシア国旗風な国民性からすれば期待薄(笑)
最後の亡国的手段は世界遺産クラスも含めた観光資源のファンド化
通常の国家資産の大量売却では焼け石に水らしいが、
風光明媚なエーゲ海の風景+古代ギリシアの文物一式で組成したファンドですので魅力満載
年間16百万人もの観光客が来るんですから何とかなりそうですがねえ・・・
ちなみにこの国の標語は・・・・「自由を しからずんば死」だそうです。
平たく言い換えれば、「好き勝手やって、後は野となれ山となれ!」かな?
2015年7月1日水曜日
やっぱり先頭車両は危険です。
あの福知山線の大惨事以来というか、
それ以前からも「絶対に先頭車両には乗らない」って決めてます。
経験則的にも、一番前が危ないのはわかりきったことであり、
能天気に、メトロやJRの先頭車両に乗っている御仁を見れば
命惜しくないそうですから、年金原資だけ払って頂いて、さっさと・・・(笑)
その内に、事故があっても、保険会社は過失相殺ってことで、保険金のいくばくかを
払い渋るようになります・・・(キッパリ!)
いまでも、シートベルトをしていない状況での交通事故では、そういう扱いになるそうです。
法令上からはちょっと変だと思うのですがね・・・
道路交通法第71条の3
自動車の運転者は・・・座席ベルトを装着しないで自動車を運転してはならない
乗客の義務ではなく運転手の責務なんですが、
社会通念上危険の可能性を高い状態に自らをおくことはそれ自体「過失」である・・
って考えなさいってことですよ。
イリノイ大学の論文を斜め読みしていると「一番安全な車両はどこか?」って
ありました。
最後尾も追突の可能性があり、安全とはいえない。
真ん中も、ジャックナイフ状態で転落する可能性が高いため、危険らしい。
結論を言えば(英文ですし、エエカゲンに読んでましたから・・・)
中央から最後尾に書けての中間辺りだということです。
そういえば、新幹線のグリーン車(N700系新大阪行)は、8-10号車。
つまり、先頭サイドに7両、後方に6両。
・・・そういうことですよ。
運賃の安い自由席は当然に「先頭」です。
だからといって「ガソリンだか灯油をかってに持ち込んでもいい」ってことじゃない。
ニュース速報段階の情報で書いてますので、
事件だか事故だか、はたまた自殺か心中かまったくわかってません。
巻き込まれて方もおいでになるようですので、本当にお気の毒様です。
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