2015年7月4日土曜日

難解用語の基礎知識




話題の「砂川判決」ですが、
ちゃんとあの有名な判決を読んだのかどうか怪しい記事が氾濫しています。

そもそも「砂川」事件の舞台は東京都立川市砂川町です。
半世紀以上前の出来事
当時は、立川にも米軍基地があったんですねえ。
この事件以後(この事件の効果でしょうか?)、返還されて公園かなんかになっているそうです。

罪状は「日米地位協定による刑事特別法」違反。
従って、争われたのは「アメリカ軍の駐留の合憲性」
自衛権や自衛隊の存在ではない。
第一審判決(あの有名な伊達判決)では・・・


米軍駐留は憲法第9条2項前段によって禁止される戦力の保持にあたるから「違憲」


驚天動地な判決!
米軍は軍隊に違いありませんので「駐留する外国軍を我が国の戦力」だとすれば
憲法違反は当然ですが・・・そう言い切るのが凄い。
なもんで「飛躍上告」
長々と裁判を続けるリスクの回避が目的だといわれていますが、訴訟手続上齟齬はない。
そして最高裁の「田中判決」

エッセンスは「統治行為論」です。
つまり・・・
--
安保条約の如き、主権国としてのわが国の存立の基礎に重大な関係を持つ高度の政治性を有するものが、
違憲であるか否の法的判断は、純司法的機能を使命とする司法裁判所の審査に
原則としてなじまない性質のものであり、それが一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、
裁判所の司法審査権の範囲外にあると解するを相当とする。
--
安保条約およびそれに関連する法令が違憲かどうかは判断しないって判断が最高裁判決のキモ。
でも、なんでもかんでも「門前払い」とまでは言ってません。
・・・といいつつも憲法9条解釈を展開しますが、それは傍論に過ぎません。
その傍論を重箱の隅を突くように議論しているのが、今の国会審議

傍論に曰く・・・

憲法第九条は、平和主義を具体化したものであり、その内容は
・軍国主義的行動の反省
・戦争の惨禍の再発がないことの決意
・恒久平和の深い念願          である。

憲法第九条第二項(戦力の不保持)の意義は侵略戦争の再発防止の具体的担保である。

第九条はわが国が主権国として有する固有の自衛権を何ら否定してはいない以上
国家固有の権利としての「自国の平和と安全とを維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置」を禁止せず、
この「自衛のための措置」を他国の安全保障を求めることも可能である。
駐留する外国軍隊は憲法第九条第二項の「戦力」には該当しない。


煎じ詰めれば・・・
戦後憲法により「過去の反省と十分なお詫び」を宣言していると最高裁は言っているわけで、
いまさらあちこちから反省がタランと言われる筋あいはない。
最高法規でここまでいう以上「談話」程度を出すのださんノって瑣末な話。
しかし、9条の改正となれば、ちょっとその辺の兼ね合いが難しくなります。

侵略戦争を否定しつつも自衛権を容認し、統治行為論で「具体論については避けたはず」なんですが、
他国との防衛条約や防衛駐留も「自衛のための必要最小限度の実力を有している事例」とすることにより
伊達判決を否定するという間接話法なロジックです。


その後の憲法解釈が「繊細な硝子細工」って言われる所以がよくわかる判決です。
ここからが問題で・・・(高度な引っ掛け問題かも・・・苦笑)

日本国憲法は(以下同じ)
a)固有の権利としての個別的自衛権を認めているか
b)固有の権利としての集団的自衛権を認めているか
c)行使できる権利としての個別的自衛権を認めているか
d)行使できる権利としての集団的自衛権を認めているか

更に、あなた個人は日本国において(以下同じ)
e)固有の権利としての個別的自衛権を認めるか
f)固有の権利としての集団的自衛権を認めるか
g)行使できる権利としての個別的自衛権を認めるか
h)行使できる権利としての集団的自衛権を認めるか

以上の回答の組み合わせで・・・

第9条の改憲の適否(あるいは要否)
日米安保条約の要否(あるいは適否) についての「意見」が炙りだされる。

よく考えないと自己撞着のような倫理矛盾を引き起こします(笑)


あなたはどう考えるの?って問われれば、回答は決まっています。
サイレント・マイノリティは、自身の政治的立場を表明することはしないものではある。
但し・・・

直接の判決理由でない「傍論」が主張の根拠にするほどのものかと思いますし
田中判決の至る政治的な動きは、機密文書公開の結果「適正手続」と言う観点で
誠に問題が多いと言わざるをえない。
仮に「根拠」にしてもいいとしても、ここでいう「必要な自衛のために措置」に集団的自衛権も含まれるのか
含まないとも含むとも・・・極めて微妙としか言い様が無い。

集団的自衛権とは「同盟国などが攻撃されたとき自国への攻撃と見なし反撃できる権利」であって
国際法上は国家固有の権利とされます。
しかし、天賦人権のように自然権(個別的自衛権はそう考えていい)ではなく、
幾多の戦争の惨禍の中での国際関係論から生み出された概念ですので、脆いものです。
有り体に言えば、UNの生み出した法概念のようなものであり、国連憲章に採択された。
その意味で2つの自衛権を「同等に扱う」のは違うと思います。


まあ、なんだかんだとどうとでもなる議論ですなあ。
そういう議論を「神学論争」という。
国益(国民及び国土の生命身体財産を保全)を守るためは必要なことですか?って
原点に立ち返ればいいように思えます。
今そこにある危機は、地球の裏側ではなく、国土の近隣にあるのですが・・・



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