出版文化の堕落退廃も極まれりって思う識者も一般人もいるだろう。
所詮は売れることが一義であり、労作傑作でも売れなければどうしようもない。
良書がベストセラーになることのほうが珍しいと思えば、
かような露悪暴露的がそこそこ売れるのが当たり前だし、商魂とはそういうものだ。
しかしながら、犯罪者が自らの犯罪歴を飯の種にするのはいかがなものか?
あるいはそれをプロモートすることにより、一定の手数料をハネるのもまたしかり・・・
70年台後半にNYを震撼させた「サムの息子」なるシリアルキラーは、
とんでもない超長期の懲役刑で檻の中にいまだにいるそうですが、
多くのキワモノ系出版社なんかから手記刊行のオファーが殺到したらしい。
結果として社会良識が働いたらしく、
NYの酒鬼薔薇の手記は日本と違って出版はされなかったようである。
生涯で読める書籍の数は限られており、かようなキワモノ本」なんかを手に取る気すらないが
増刷中ってことは、興味本位と思うのですが買うような「愚昧な大衆」がいるらしい。
アメリカのように「サムの息子法」なる法律で、かような行為を禁止するって考え方もあるが
表現の自由との関係でどうなんだろう・・・?
犯罪行為に起因する不法収益とみなして全額没収し、
被害者救済の財源にするほうが、プラグマティズム的にいいかなって考えも頭をかすめる。
版元は、長文の「出版の弁明」をウエッブサイトに掲載していますが、
彼らの言う「社会的意義」なるものをなるほどって思うかどうかは・・・
読まずに論評するのは適切な態度ではないが、
そもそも論において版元は営利行為を生業とするわけで、
その立場を捨ててから「意義」を力説すべきでしょうって考えるわけ。
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・・・深刻な少年犯罪を考える上で大きな社会的意味があると考え・・・
私たちは、出版を継続し、本書の内容が多くの方に読まれることにより、
少年犯罪発生の背景を理解すること・・・
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弁明の抜粋ですが、あらゆる犯罪には「動機・機会・誠実性の欠如」の三要素があり、
大多数のヒトザルは最後の砦である「内面の誠実性」で犯罪を犯さない。
この歯止めが脆弱あるいはそもそも的に欠如するようなDNAの持ち主が犯罪者であり、
そう思えば、ことさら「社会的意味も犯罪発生の背景」を論じることでもない。
著者は、いくつになったか知らないが、未だに少年法で守られ「少年A」なのですよ。
ある方が・・・
著者と出版社を相手取り、出版差し止め及び出版収益相当の損害賠償請求訴訟を起こせば
訴状に「氏名が明記」されるから・・・って
被害者少年の遺族の方々は誠実性の持ち主らしく、かような荒業をなさらないだろうが
逆に言えば、版元サイドはそれにつけこんでいるのかもって邪推したくなる。
内容もさる事ながら、仮名というのが多くの人にとって胡散臭いのです。
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