2015年9月22日火曜日

春惜む宿や日本の豆腐汁



根岸や鶯谷の話題は幾度も・・・ってことですが、豆腐(豆富)の話題でも(笑)
創業三百年になんなんとするとうふ料理の老舗が、鶯谷駅の近くにある。
浅学菲才の身ゆえ知らなかったが、
法親王が京の都から持ち込んだのは
さえずりのきれいなウグイスだけではなく、京都の絹ごし豆腐もそうだった。
創業者は、お供をしてはるばると野暮とバケモノしかすまない江戸の地までやってきたのです。

その後、紆余曲折があったのでしょうが、ちゃんとお店を構えています。
以前に訪れたのは四半世紀前。

在任中に無念の病死をとげた先輩の退院祝いの席。
病み衰え、食も細くなり・・・
豆富くらいなら食べれるだろうっと、上司の役員と部長のお手元で四人で卓を囲む。
当時は、末席で一生懸命水割りを作ってました。

思いがけなくと、先輩は食が進み、明るく談笑。
今から思えば、燃え尽きる前の蝋燭の輝きだったのかもしれません。


近くに子規庵が有り、正岡子規もご贔屓だったらしい。
細川家に預けられた赤穂浪士に、法親王が差し入れたのもこのお店のおとうふ。
聞き及ぶに、幕閣では浪士の処分をどうするか考えがまとまらず、
困り果てて、綱吉は法親王に相談したとか・・・
世間知に乏しい皇族の「粋な意見」ってにわかに信じがたいが、
そういう文脈で、この「差し入れ」を考えれば、なんか得心するところもある。


おとうふ尽くしのコース料理に、ポン酒が600ミリリットルにハイボール。
ほっとけば、まだまだ飲めそうだが、ガツガツしては情緒がない。
相方との話題は様々ですが・・・余情を楽しんでこその「入谷の侘び住まい」である。



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