2015年9月25日金曜日

長野県に足を向けては寝られない。


一般大衆の知的水準がマスベースで高まって始めて「出版なる産業」が勃興する。
芸術的に高度な産物の創出、それ自体文化度の水準には違いないが、
民度全体評価を意味するものではない。
その意味で、倭国の出版文化の濫觴は、江戸初期。
京都から大坂・・・そして田沼時代以降は江戸に行き着く。
江戸の出版文化人の双璧は、蔦屋重三郎と須原屋茂兵衛。
片や女郎淑女録、今一方はお武家紳士録で財を成した。
女郎の評判記なんかで財を成すのは相当にいかがわしいが、銭は稼ぎ方より使い方で真価を発揮する。
蔦重は、写楽の浮世絵だけで評判を取ったわけでもない。
マツダイラミクスの度重なる出版弾圧にもめげずに、
多くの文人を支援し、権力批判的書物をあまた出版したのである。

そうはいっても、書物のお値段は庶民に手が出るものではない。
よくしたもので、貸本屋の隆盛。
江戸府内だけでも数百軒というから、相当なものである。
移動図書館よろしく、ご贔屓筋にウケの良さそうな書物を出前。
こっそりと、発禁本なんかを加えるところが、気っぷ・気概ってもんである。
今風のDVDあるいはCDのレンタルショップってところであるが、
いまや、図書館も大手チェーン書店が運営する時代・・・時世時節はめぐり来るのである。



ちなみに、蔦重は、江戸ッ子。
須原屋は紀州人。
熊楠先生と小川三兄弟以外に文化的天才を持ち得なかった地域であるが、
いまここに、忘れられた出版文化人の名を止めておこう。
しかし・・・近代はなんちゃって長野県人。
教育県の名声に恥じない。

岩波
筑摩
みすず
有斐閣

これら高名高踏な出版社の創業者はすべからく長野県人である。
我が生涯(過去も現在も・・・そして多分未来も)において、どんだけお世話になった(なる)ことか!


しかし、江戸出版業界は、明治以降命脈を長らえることは出来なかった。
木版から活版への出版革命への対応に遅れをとった。
版木という資産にもたれて、業態転換に躊躇したのである。
けだし、長所は短所に転化するという歴史法則はここでも働いた。
今の出版業界だって・・・






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