2015年9月17日木曜日
ドライビング・ミズ・ウェンディ
90年代と今
南部とNY
いささか運転が危なくなった老女と運転の出来ない中年女性
ユダヤ系とWAPS
黒人とインド人
似て非なる環境においても、ドライバーは、人や荷物を運ぶことを生業とするが、
時により思いもかけない場所に連れて行く。
運転手次第だからクモスケ・ゴマのハエもどきにつかまれば、
人生の不幸だと思い、諦観するしかない。
この手の作品は、凜とした女性が演じられる女優さんと、
それを柔らかく受け止め、時として巌の如く弾き返せるシブいベテラン男優とのマッチゲーム。
気取って言えば格闘技。
ジェシカラング対パトリシアクラークソン
モーガンフリーマン対ベンキングスレー
なんにしても、オスカー俳優でないと務まらないという不文律でもありげである。
設定がここまで変われば、この二本の佳作を比定することに意義があるのか?
あるいは異議か(笑)
実際上、比定すべき内容ではない。
あの時代のディープサウスと違い、二十一世紀は悩める者達・・・
亡命インド人の大学教授も夫の浮気でシングルとなったインテリ書評家も
相手の悩みをお互いの鏡のなかの等身大の自分として成長してゆく。
南部の貴婦人の末裔とは、社会的無知だが善意の持ち主である。
自分が善意であれば社会も善意だと無邪気に信じている。
その深層意識が徐々に崩れていく様を描く作品のほうが奥行きがある。
小品ながらオスカーの作品賞に相応しい。
他方は・・・アメリカンがお好きな精神分析的傾向映画
暇なら時間つぶしって程度の作品
積極的におすすめはしない。
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