籤に未来なり運命を委ねるという事は、、、
偶然という科学的にいえば確率あるいは思考停止におちいるという事だが、いまひとつは、神慮に任せるという事だ。
神仏(超自然現象)を信じないのであれば、偶然を期待するような真似は理性的であるべき近代人のやるべき事ではない。
宗教心の程度はともかくも、ある程度不可知な存在や科学で証明可能で無いものを信じているならば、人智以上である神意にすがるのは間違いとも言い切れないのだ。
よう分からん候補者から訳の分からん政見を聴いて選ぶよりも「神意」にまかすって選挙方法だってありえます。全員を籤引きとはあんまりですがね、、、
アタシって籤運が悪くって、、、、と嘆くならば、先ずもって神意の尋ね方が間違っている
根拠なり結果を保証するものではないが、正しいとされるやり方を教えましょう。
何事も礼法は大事。
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神意を問いたい当事者以外の複数人の立ち会いが必要である。
立会人Aが籤をつくり続飯(米粒からつくる糊)で封印をする。
次に立会人Bがそれらの籤を封緘する。西洋ならばシーリングワックスで蝋印するんだろうが、倭国ならば花押が良い
さらに立会人Cが神意を問うに相応しい神社の神前に出向き籤を並べて、、、なんか願文のようなものを唱え、籤をひとつだけ持ち帰る。
最後に一同立ち会いの上で、開封
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これがバカバカしいと思うならば、籤なんかやめることだ。
実は足利義教は籤引で室町幕府の六代目将軍に就任したが、その際の手順が上記。
この時は武家の棟梁を決めるに相応しい石清水八幡宮に出向いた。
世間では「籤将軍」と揶揄する向きもあったが(公職選挙法でも、最後の最後は抽選で当選を決める)本人は王権神授の将軍職と豪語し、万人恐怖の天魔王として君臨した。信長って義教の二番煎じのようなもので、二人とも部下の叛逆で横死した。
事績は二人とも似たようなものだが、どういう訳だが業績的には凌駕する筈の義教の評判は悪い。
しかし、評判の悪さは本人の不徳であり、神慮ではなかろう。

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