2017年9月10日日曜日
手軽な...漫画喫茶雑感
近くの雑居ビルの二階に漫画喫茶なるものが出来ました。
かつては、ゴルゴ13や美味しんぼを読むために通いましたが、
今になってねえ.....
今んところシルバー産業ではないが、先々どうだろう(^.^)
たなの漫画本を眺めながらの衒学的考察も悪くはない。
毎度苦々しく言いますが、原作漫画本の映画がはびこり過ぎです。
なんとこの漫画喫茶には専用コーナーまで。
プロ映画鑑賞家にとってはお手軽ですが、どうもなあ、、、
アメリカンでは、マーベルとDCの派遣争いですから、倭国の比ではない。
倭国のこの業界、メディア産業としての覇権闘争の意欲に欠けますし、
これじゃ世界と戦えない(キッパリ!)
棚を見るに、世界と戦える素材はないではない。
しかし、黙ってアトラクションに一億ドルだせる度胸はない。
クラウディングファンドと簡単に言ってはいけない。
あれも奉加帳とおなじで然るべき投資家が最初にドカンと、、、
そんなミズモノじゃなくて、日本の将来を支える基盤産業に投資をって
言い訳が聞こえて来ますが、それも疑わしい。
毎度いいますが、稼ぐパワーの問題ではなく、使うチカラの問題の方が大きい。
知る限り、配当性向なんて糞くらえ!
株価で投資家の期待にこたえてやる!と豪語する経営者は少ない。
しかしなあ、成長を期待して買えるような株は見当たらないし、
配当利回りで買うしかないていたらく。
卑下すれば、衒学的金利生活者か(^.^)
2017年9月9日土曜日
ズイドコートの週末(タブロー・ド・ダンケルク)
主演男優はコンセルバトワール出身の大物。
人気も絶頂
ヌーベルバーグ騎士団のひとり
相方の女優さんは可憐だけが売り物ですが、
出自はベルギーの政治家の家系。
首相を幾人も出していると言われますから、岸安倍一族みたいなものです。
彼女でなければならない必然はないが、ベルギーがキーワード。
原作はゴンクール賞に輝くタイトルの通り。
邦訳があるようですが、未見。
聞き齧りをひけらかしますが、ダンケルクとは街の名前
ズイドコートは、界隈のコーストラインのこと。
西部戦線で崩壊した40万人の連合国兵士(多くは英国人)が袋の鼠
本来なら殲滅され、大陸反攻は不可能になったかどうかは判らないが
大きく戦況を変えた事は疑い得ない。
歴史上稀な奇跡の逃避行。
九割の兵士がグレートブリテンに帰り着き捲土重来を期したわけである。
大戦初期のヒトラー最大の判断ミス。
今年最大の話題映画のひとりが、クリストファーノーランの「ダンケルク」
当然ネタにするはずだとの...予想を裏切らずに・・
でもなんだかなんかオカシイですねえ(^^)
実は今までは64年版「ダンケルク」のネタ話(笑)
ジャンポールベルモントとカトリーヌスパークの共演
物量たっぷりなフランス映画ですが、いわゆる戦争映画じゃない。
絶望の中の人間ドラマなんてコピーだと興行的に有利じゃないが、
ド派手な戦闘シーンに乏しく、根こそぎ動員した民間船舶による奇跡の渡海作戦も描かれない。
蝸牛庵のフィルムグラフィーの記録には残ってますが、
内容等記憶はまるで消え失せてます。
2017年9月8日金曜日
Live by night
エドガー賞(長編賞)なるアメリカンの文学賞がある。
半世紀以上の歴史を有するが、賞のレベルとしてどの程度かなんとも言えない。
ロンググッドバイ
ジャッカルの日
笑う警官
寒い国から来たスパイ
ミステリー系文学史に残りそうな作品が受賞していますが、この受賞のお陰で歴史に残るわけでもない。
その文学賞の2012年受賞作品が
夜に生きる
邦訳もありますが、未見どころか存在すら知らなかった。
たまたま、例の高名な大根役者が....
製作
脚本
監督
主演 までやるって聞いたもんで、、、役者の才能以外は一目置いてますから、
とるものもとりあえず(^^)
配役の妙は、製作者としての力量を感じさせます。
これだけのワキを揃えれば、蝸牛だってシテがはれる(^.^)
ストーリーは原作との比較が出来ないのですが、上手くまとめています。
ある種の家族主義的フィルムノワールですが、スカーフェイスのような
陰惨な結末でもなく、ちょっとテレンスマリックを思わせる調和劇。
かの哲学的映像作家の作品に参加したことが良い影響を与えています。
全米の興収は惨敗だったので、ベンアフレックはバットマンのギャラで
借金を返すんでしょう。
まあその程度の製作費の映画です。
内容の割に多少残念な結果ですが、
無内容なアトラクション映画で稼いで興収を考えずに好きなテーマで映画を作るって
意識なら実に羨ましい。
2017年9月7日木曜日
演目が決まりましたが「放下僧」とはなあ
舞台のセンターを張った主役も老いては駄馬にも如かず・・ではないが、
いつまでも老残の身にスポットライトを当てていてはみっともない。
早々に「引き立て役」に回ることにするほうがいい。
能楽は「シテ」の一人芝居。
プロ能楽師は自分で「製作・演出・主演」で謡って踊ってお芝居まで・・・
世阿弥師匠の時代では「作詞作曲セリフ書き」までご自身でやっていたものです。
ということで秋の舞台は「ワキ」をつとめることと相成りました。
演目によって、大役の場合もあるのですが・・・今回は「吉良上野介」って(苦笑)
演目は「放下僧」の素謡
役柄は親の仇ということで兄弟に討ち取られる憎々し気な役回り・・・
実のところは、曽我もののように「仇討ち」自体に意味があるというよりも、
兄弟が身をやつした「放下」・・・遊芸で世渡りする大道芸人の所作を見せることがむしろ主題である。
当時は極めてコンテンポラリーな演目であったと想像されます。
素謡の場合、鏡板の右奥の切戸口から、ツレ、シテ、ワキが舞台に登場し、中央に座し謡が始まります。
多くの場合、ワキである諸国一見の僧が登場し、前置きのような口上を述べ、しかるべくしてシテの登場・・なんですが
今回はツレ(かたき討ちを企てる血気盛んな弟)が登場し、シテである出家した兄を勧誘しようとする。
まともに戦っては勝ち目がないので大道芸人に身をやつし(放下僧に扮して)油断した敵であるワキ(利根信俊)を
だまし討ちにしようってある意味で卑劣な物語
吉良上野介ならばもう少し出番があると思うのですが、ほとんどないのですよ(苦笑)
バックコーラスをつとめるサポーターのプロ能楽師は途中から登場するのですが、
まだワキの出番がない!
全体で30分程度(素謡の場合)の演目ですが、ワキの出番は
二場のアタマで六行(自己紹介の部分)
放下僧に扮した兄弟との問答
分量としては6ページくらいの場面ですが、ワキが問いかければシテ(あるいはツレ)が長々と答えるもんで
これまた出番は少ない。
肝心の仇討ちシーンですが、能でもワキの笠を本人に見立てて本望を果たすという象徴的な演出ですから、
素謡ともなれば、黙して座っているだけ。
これじゃまるで歴史ある檜板の舞台に座るために出演するようなものである(苦笑)
この程度だと、無本(暗記)は難しくないから、観客にプロだと勘違いさせることは容易だし、
地謡(バックコーラス)のプロの先生と同じタイミングで舞台に上がるかなあ。
2017年9月6日水曜日
腹が減っては...はやりひもじいわなあ(^.^)
公儀御口唇役
ノンキャリアの汚れ仕事ですが、子連れ狼ではなかなかのポストに描かれます。
要するに毒見役。
権力者の周辺には古今東西存在したとされますが、
職務上あまり語られることはないし、物語のモチーフになることも少ない。
伽羅先代萩
武士の一分 くらいか?
しかし、速効性の毒でもない限り、役目の効果は限定的。
お殿様と同じグルメが出来て嬉し....くもないだろう。
よく言われるのは、毒見の間に食事が冷えてしまうから、
高貴な方は猫舌ってのは俗説。
再度温めるらしいが、お味はなあ(^^)
まあ、暗殺リスクの高い権力者にとっては、不可欠なスタッフということで
現代でもそれなりに揃えているそうな。
実際に試食するのか、試薬で即断するのかまでは知らない。
一番安全なのはプーチンのように絶対に外食をしない事でしょう。
アメリカンもホワイトハウス以外は毒味役同伴らしい。
無知だったが「検食」なる現代の毒見役制度があるらしい。
学校給食を含め大規模な給食提供施設では、
サンプルの保存
試食
が厚労省マニュアルに定められている。
食中毒なんか発生すれば、サンプル検査で原因究明が速やかに行われるのは
いいとしても、
試食で未然に事故が防止されたと聞いた試しがない。
マニュアルによれば生徒児童に給食を提供する30分以上前に
校長ないし教頭が試食をすることになっている筈だか、、、
毒が入っていなくとも異臭を感じるとか、、何も感じない味音痴が
管理者なのかねえ?
実に恐ろしい事だが、寡聞にしてメディアに報じられたことがない。
ちなみに鬼役なるコミックあるいは読み捨ての小説がある。
主人公は、ズバリお毒見役
そんだけがミッションだとストーリーにならないもんで
余計なまでにヒネリがなあ、、
2017年9月5日火曜日
天地明察を読みながら
大昔は将棋名人と囲碁名人が互角に囲碁将棋を戦っていたのだ。
異種格闘技戦ですなあ(^^)
ボードゲームはインド発祥。
東西に伝播する過程で、チェス、囲碁将棋に変化したらしい。
ゲームとしての優劣を論じても意味がないが、手数の多さが難易度ならば
その順位なら容易につく。
しかし、難度を上げてもゲームとしての洗練さがつろくする訳ではない。
将棋の原型のひとつに「大将棋」なるものがある。
自分でさしたことはないが、およそ、盤面が大きくコマ数が多く、
一見して妙味に欠けるという印象。
ダラダラと十年以上戦った応仁の乱よりも半日で終わった関ヶ原(笑)
迂闊ながら、渋川春海=安井算哲 だとは失念していた。
後者は、徳川家お抱えの将棋指し
歴史に名を止めるほどの達人だったらしいが、所詮は太鼓持ちのような
遊興芸人。
本当に強かったかどうかは?
なんせ将軍御前試合なんてヤラセ(事前の勝負を再現)ですから真剣味がない。
しかし、前者は有数の天文学者にして数学者。
理科系の才無くしてボードゲームは強くならないとは今に始まった事ではない。
当時の倭国は太陰暦ですが、唐代の暦を後生大事に使っていた。
当然ながら無視できない誤差が生じ、苦心惨憺の末大和暦(貞享暦)を作成し、
改暦という八百年ぶりの偉業とないなった....という単純なサクセスストーリーじゃない。
どの暦が正しいのかの判定は単純である。
定期的に発生する日蝕、月蝕を予測、当てればいい。
渋川の暦は百発百中だったが、最後にハズレ、信用失墜。
改暦の機運も失われた。
百点でなくても、五十点よりマシなら、、とは時の支配者は考えない。
捲土重来、ミスを発見し改訂版を作ったのはいいが、
失った信用を取り返すのは大変。
過去の科をいつまでも持ち出すのは倭人の性癖。
まあ、理科系の世界でも正しい事が通用する訳じゃない。
偽造する科学と思えば、人文も社会も同類項。
そこで、あちこちでの指導将棋で培った人脈を通じた寝技、立技、
駆け引きに手練手管の粋を極めた政治工作で勝利を勝ち取ったのです。
この功績により、渋川は太鼓持ち稼業は辞めて初代国立天文台館長に成り上がった。
冲方丁の天地明察を斜め読みしながら、佐藤名人がAIソフトに惨敗した棋譜を
眺めていましたが、あれは(限らずですがね)対局条件設定交渉の敗北。
ボードゲームはスポーツの要素も強い知的格闘技。
であれば、体格の違いは対局条件に当然加味すべき事。
体力や持久力に公平にしないとやはりヒトザルは不利です。
将棋連盟は異種格闘技戦とはなにかを知らなかったし、AIにも詳しかったかどうか?
対局場やフィールドだけが戦場じゃなくて「会議室」こそが
主戦場だと言い続けている。
もう諦めていますが、正しいことが通用しませんなあ(^^)
少なくとも会議室での格闘技ではAIはヒトザルに遙かに及ばない、、はずだが、
国際会議なんかの負けっぷりをみてますと、最初にAIに負けるのはヤマト民族に思えて仕方ない
2017年9月4日月曜日
イスラエルのアマゾネス
世界興収は10億ドルを突破しそうな勢い。
アトラクションシネマの割にローバジェット。
なんせ、役者が安上がりばかりです。
バットマンやスーパーマン以上のフィジカル能力の持ち主がヒロイン。
夏のお子様ランチシリーズですが、多少真面目に論じてみよう。
所謂ギリシア神話に登場するアマゾネス伝説にインスパイアされているのでしょう。
舞台は作品により様々ですが、オリジナルの神話だと地中海界隈。
ギリシア神話の世界観って地球規模じゃないし、南米奥地なんてのは
アマゾン川(名前の由来は不明)の連想にすぎない。
カリブ海や太平洋のどっかなんて大航海時代の名残りです。
この映画でも東地中海の某島のようです。
オリンポスの神々の流れをくむ以上、最強なのは当たり前。
ちなみに、本名はプリンセスダイアナ😇
和風に言えば、、、「月野うさぎ」さんかな。
ここで問題になるのが、主演のガルガドット。
脇役程度であちこちに登場はしていましたが、さほど着目はされなかった。
実際にほとんど記憶がありません。
それが一躍大抜擢とは?
ゲスならマクラ営業なんかを想像するだろうが、
彼女はイスラエル軍出身(戦闘トレーナー?)であり、
言動の端々から「ある種の広告塔」の役割を果たしている模様である。
男性社会であるハリウッドに女性監督が女性映画で挑戦した!なんて牧歌的なものではなさそう。
戦争の惨禍は有史以来の事ですが、地球規模で未曾有の災厄をもたらしたのが第一次大戦。
これ以上の惨禍を防ぐために、悪を撒き散らす軍神アレスとワンダーウーマンが激闘するという粗筋。
ダイアナとアレスはどちらもゼウスの子供ですので、
ミカエルとルシフェルのように一神教に有りがちな善悪は表裏一体コインの裏表。
いつはずみでダークサイドに堕ちるか判らないが、
最後の戦いで、光は闇を覆い尽くす...てな神話的ファンタジー。
宗教性に乏しい倭人は鈍感なんでしょうが、イスラム系にとっては
シオニズムの広告塔のような女優さんが戦闘服らしからぬ肌も露わな装いで
仁王立ちされるとこころ安らかではない。
劇場がソフトターゲットにされない事を祈ってます。
どっちかと言えば、秋公開の「ジャスティスリーグ」の
露払い。
興行的に勢いがついたとはいえ、桁外れな製作費のようですから、
かなりなリスクテイキング。
素材としての興味はなく、だだそれだけ(笑)
2017年9月3日日曜日
モチーフとしての「レイプ」
厳しいレイティング認定の結果、観客層が限定されても、
過激さが商売になると考える向きもあるだろうし、
過激なモチーフこそが芸術の真髄を生み出すと思う製作者も....
手放しに肯定するような作り方は映像人倫理に於いて許されない。
AVだってレイプ物は「レイプは犯罪です」とかなんとか空々しく😤
従い、商業映画製作としては最新の注意を払うせいか、佳作秀作が多い(ように思えます)
あちこちを参照しながら、知の大伽藍を探し回るに、、、
多くの大物美人女優さんがエジキになってます。
一昔前なら、汚れ役御免清楚美人系ってありましたが、最近は流行らない。
えり好みをやっていれば役にありつけないし、
社会性豊かな過激問題作に出る事こそ、女優の勲章
シャリーズセロン(スタンドアップ)
モニカベルッチ(アレックス)
ジョディーフォスター(告発の行方)
ニコールキッドマン(ドッグビル)
ヴィヴィアンリー(欲望という名の電車)
そして
イザベルユペール(エル)
理屈が多いことに定評のあるフランス映画だし
個人主義の権化なフランス人の大女優の熱演。
ありきたりなレイプ映画ではないところがプロ映画鑑賞家を唆るのです。
しかし、此れ程被害者を含め登場人物に感情移入が出来ず、悪意を覚え不愉快になる魅惑的な映画とは
いやはやなんとも....苦笑
講釈はネタバレになるので、チョット話題をひねりますね(笑)
知らない間に改正性犯罪関連規定が施行されていた。
改正法公布から二十日後とはなんとも短兵急。
更に、非親告罪化は遡求されます。
遡求処罰は刑法原則違反と騒ぐのは勝手だが、これは実体法ではなく
手続法の事。
半可知なレベルで騒ぐと恥かきますよ。
今回の120年ぶりの「大改正」
まずはあの団扇の女性法務大臣の執念が身を結んだと言う事。
オスザル大臣だと多分出来なかっただろう事は語り継がねばならない。
暴行罪や強制猥褻罪は変更なしですが、
(準)強姦 → (準)強制性交等に構成要件変更
監護者性交等の罪の追加
集団強姦等の罪の廃止(単独でも集団並に処罰が厳しくなった)
非親告罪化
厳罰化(まず実刑しかなくなった)
とまあレイプ魔には恐ろしい事になりました。
強姦とは強制姦淫の略だとおもいますが、
姦淫と性交は違うとされ、更に「等」がつけば今迄強制猥褻罪が適用された様々な
類似行為が須らく対象になる(オスも晴れて被害者になれます)という
画期的な事なのです。
対象の有無の微細な説明はさておき、何処まで類似かという議論に関しては、
少なくとも強制猥褻罪の処罰強化で
対処すべきだった。
しかしながら、これで性犯罪がかげを潜めるかどうかはなんとも言えない。
処罰対象行為が拡大しても「強制」の要件は変わったわけではないそうだ。
暴行脅迫がなければ強制とは言わない。
強制の立証は検察側です。
密室の事ですから、なかった事と同じくらいあった事の立証は難しい。
暴行ならまだしも脅迫なんて身体にキズも残らない。
監護者であれば強制要件が緩和されるようだが、監護者の範囲は限定的。
体操やボクシングチームのコーチ等は該当しない様だがこれは如何か?
性犯罪の加害者の多くは顔見知りと言われる以上、強制要件の再定義を含め
積み残し課題だと思います。
非親告罪化については実務家からは疑問視もされてますが、
性犯罪の法益を深く考えれば、当然と考えるのが妥当だとおもいます。
しかしながら政府見解は相変わらず「性的自由の侵害」だと、、、
むかし学校では「貞操」だと教えられましたから多少は進化したか。
更に言えば、性犯罪者の再犯対策が付帯決議にない事の方が
問題。
出所後の一定期間はGPSの足輪を巻くくらいG7諸国では当たり前ですし、
この点ではあの半島国家に遅れをとっています。
アメリカは半分程度の州での実施にとどまるようですが、
刑務所の中で一番虐められる犯罪者らしいので、五体満足で放免される事はないらしい。
こういう「処罰」が、一番抑止効果あり!なんて
口に出して言ってはいきませんよね。
と言うことで、エルに戻りますが、
ユペール女史には厳罰化なんかの必要性を感じませんなあ(^.^)
2017年9月1日金曜日
ゴヤのこと
堀田善衛さんの評伝を再読しています。
サブタイトルは「スペイン 光と影」
ベタですが、スペインとはこういう言い方しか出来ないのだろう。
スペインとは地球規模での最初の世界覇権国家ですが、
覇権国家らしく国家、国土、国民が繁栄をしたという印象はない。
当時の文明の頂点にいたクラッシックローマやイスラム支配から脱却し、
世界覇権を築き上げたのが16から17世紀。
地球規模で収奪した富を無為に浪費し、落日を迎えたのが18から19世紀。
使い切れない財で、インフラ整備、産業振興、社会福祉、教育の充実なんか、
どれをとっても不毛以下だったからやることは山とある。
しかしながら、須らくフランスやイギリス、イタリアから金で買うという愚昧な支配者たち。
つまり、潤ったのは近隣国。
近代化の遅れをとり、名実共に辺境化したのはそれだけの理由があったってこと。
幸いな事にプラドの絵画群にその栄華の片鱗をとどめているだけでも大したものだが、
一部の天才による絵画しか残らなかった。
ベラスケス
エルグレコ
そして....ゴヤ
絵画とは無為な美術品ではあるが、ある種のスポンサーにとっては
実用価値ある道具である。
絵画の宮中席次は宗教画、歴史画、王侯貴族の肖像画なんかを上位に
昨今人気の印象派風風景画や風俗画なんか、まだブルジョアジーがスポンサーになる前だから
お呼びじゃない。
とりわけ肖像画はお見合い写真や遠隔地の祖父祖母へのお土産ニーズ(孫の写真)が
高かったらしい。
画家というより絵師に近いし、待遇もその程度。
堀田さん曰く、宮廷お抱えの道化師やコック程度。
美意識や批評精神に満ちた芸術家なんて幻想である。
その意味で、画筆の力で社会批判なんて、ゴヤを萌芽とする。
おりしもフランス革命の前後。
偉大な芸術家とは「時代を切り開く才能なり」があるのですよ。
(あとは後日に)
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