2017年9月7日木曜日

演目が決まりましたが「放下僧」とはなあ





舞台のセンターを張った主役も老いては駄馬にも如かず・・ではないが、
いつまでも老残の身にスポットライトを当てていてはみっともない。
早々に「引き立て役」に回ることにするほうがいい。

能楽は「シテ」の一人芝居。
プロ能楽師は自分で「製作・演出・主演」で謡って踊ってお芝居まで・・・
世阿弥師匠の時代では「作詞作曲セリフ書き」までご自身でやっていたものです。

ということで秋の舞台は「ワキ」をつとめることと相成りました。
演目によって、大役の場合もあるのですが・・・今回は「吉良上野介」って(苦笑)

演目は「放下僧」の素謡
役柄は親の仇ということで兄弟に討ち取られる憎々し気な役回り・・・
実のところは、曽我もののように「仇討ち」自体に意味があるというよりも、
兄弟が身をやつした「放下」・・・遊芸で世渡りする大道芸人の所作を見せることがむしろ主題である。
当時は極めてコンテンポラリーな演目であったと想像されます。



素謡の場合、鏡板の右奥の切戸口から、ツレ、シテ、ワキが舞台に登場し、中央に座し謡が始まります。
多くの場合、ワキである諸国一見の僧が登場し、前置きのような口上を述べ、しかるべくしてシテの登場・・なんですが
今回はツレ(かたき討ちを企てる血気盛んな弟)が登場し、シテである出家した兄を勧誘しようとする。
まともに戦っては勝ち目がないので大道芸人に身をやつし(放下僧に扮して)油断した敵であるワキ(利根信俊)を
だまし討ちにしようってある意味で卑劣な物語

吉良上野介ならばもう少し出番があると思うのですが、ほとんどないのですよ(苦笑)
バックコーラスをつとめるサポーターのプロ能楽師は途中から登場するのですが、
まだワキの出番がない!
全体で30分程度(素謡の場合)の演目ですが、ワキの出番は

二場のアタマで六行(自己紹介の部分)
放下僧に扮した兄弟との問答
分量としては6ページくらいの場面ですが、ワキが問いかければシテ(あるいはツレ)が長々と答えるもんで
これまた出番は少ない。
肝心の仇討ちシーンですが、能でもワキの笠を本人に見立てて本望を果たすという象徴的な演出ですから、
素謡ともなれば、黙して座っているだけ。


これじゃまるで歴史ある檜板の舞台に座るために出演するようなものである(苦笑)
この程度だと、無本(暗記)は難しくないから、観客にプロだと勘違いさせることは容易だし、
地謡(バックコーラス)のプロの先生と同じタイミングで舞台に上がるかなあ。

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