2016年11月6日日曜日

環境容量




環境白書の一節の引用です。
空恐ろしいことを平然と書いていますが・・・・

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WWFでは、ブリティッシュ・コロンビア大学で開発されたエコロジカルフットプリントを用いて、
世界の環境容量(地球が持続可能であるための環境負荷の最大値)を計算しました。
これによると、地球の一人当たりの面積は2.18ヘクタールであったのに対し、1996年のエコロジカルフットプリントは一人あたり2.85ヘクタールでした。
このように世界全体の社会活動は、すでに地球の環境容量を超えてしまっています。
わが国について見ると、わが国の国土が一人に対して供給可能な面積は0.86ヘクタールだったのに対し、
実際には海外を含めた5.94ヘクタールの環境を踏みつけているとされています。
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政府の公式刊行物に引用されるくらいですから、このWWFなる国際的なNGOはまっとうで信用できそうにも思えるのですが、
アングロサクソン系の陰謀団体の噂も絶えず、怪しげな商業活動も行っており、
まあなんとも評価しがたいというのが正直なところ。
グリーンピースもそうですが、エコ団体ってどうも胡散臭い。


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WWFの「生きている地球レポート」によれば、
既に1970年代に社会経済活動は地球の環境容量を超えてしまっているといえます。
そして世界中の人々が日本人並みに環境に負荷を与え続けるとすれば、地球がもう1.7個必要ということになります。
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地球上の多数のヒトザルが倭国を含めた先進国並みの健康で文化的な生活を享受していないがゆえに、
いまが何とか維持されているってことも、この計算に間違いがなければ多分そうなんだろうってことになります。


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国連の世界人口推計(中位推計)では、2050年の世界人口は、
アジア・アフリカ地域での急増により1998年の約1.5倍に増加すると予測されています。
また経済規模も、アジア地域を中心とした中進国・途上国の大幅な成長が見込まれています。
現在すでに、人類社会が持続的であるための地球の環境容量を超えていることを考慮すると、これまでの延長線での人類社会の拡大は不可能です。
環境容量を所与のものとし、その制約の中で資源やエネルギーの効率的な利用努力を重ねながら、
これまでの人類社会の発展の方向性を見直していくことが重要です。
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なんともあたりさわりのない無味乾燥な(言い換えれば無責任な)結語の文章です。
ほんとうに「計算」が正しいとすれば、全地球的大問題であってうだうだと国際会議ばっかりやっている状況じゃないはずですが
ヒトザルとはそこまで鈍感な生き物なのでしょうか?
対策はある意味単純で、

環境容量に見合った生き方に変える(安楽で便利な生活を全人類的に捨てるっていうか未開土人なみ生活で我慢すること)
環境容量に見合ったヒトザルの数まで「間引き」をする(積極策と消極策がありえます)
資源の効率性の劇的「向上策(賞味期限なんて言わずに腐る寸前まで食べるとかGMO食物の大量生産とか・・・)

どれをとっても総論賛成各論反対どころか総論すら賛意をもらえない(苦笑)
一番現実的にありげなのは「なにもしない」・・・つまり自然の摂理というか神の見えざる手にゆだねるということかもしれません。













2016年11月4日金曜日

アトムエゴヤン


何でしょうか?意味不明なカタカナ熟語。

アルメニア系エジプト人と分かれば相当なものです。
カナダ籍の映画監督である事を知っていれば脱帽。
多分ですが、彼は預金通帳の残高ではなく才能で国籍取得したと思われます。

アルメニア人に芸術的才能があるかどうかはつまびらかにしませんが、
商才に関してはユダヤ人以上といわれています。
オスマントルコ帝国の繁栄を財政面で支えたのがアルメニア人ですが、
同時に彼らも財を成した訳で、一般のトルコ人からは

羨望
嫉妬

の対象でもあったようです。
つまり「緑色の眼をした邪悪な怪物」がうごめきだしたのです。


彼の監督作品は「サスペンシフルな卓袱台返し」が得意技。
嫌う識者も多くて、毀誉褒貶半ば。
最近の作品は酷評ばかりですが、蝸牛は、嫌いじゃない・・・


今ひとつは、あの「アルメニア虐殺」テーマ
事件だか事故だか判然としません。
犠牲者も、20から180万人
トルコ政府は当然ながら、ジェノサイドはなかったと主張し、
アルメニア政府は、ナチスがお手本にした組織犯罪とまで言っているらしい。
西洋諸国の一部では、虐殺否定発言禁止法まで制定されるにいたっている。
普遍的な正義と良心というよりアルメニア系住民の支持欲しさっとかんぐっていましすし、
中韓系有権者の投票圧力しだいで「反日言動」を繰り返しどうにでも動く政治家まがいの同類はどこにでもいるってことです。
あるいは「歴史戦への思惑」で動く向きもあるようです。
なんちゃら大虐殺とやらがあったことになりそうな話題には理屈なしで飛びつく国ってあります。

日本政府の立場はより知りませんが、トルコと友好国だし・・・まあ想像はつきます。
蝸牛はどうなんだ?って聞かれても・・・勉強不足ですから「よくわかりません」としかいいようがない。
しかし、歴史検証すら法律で規制するって「学問や思想の自由」に反するということだけは確か。


まあ、そんなこんなことを背景にエゴヤン監督の新作登場


手紙は覚えている(現題に比べて・・・センスないわねえ)




あまりにも否定しにくい(・・・陰謀論を唱える人々もいますが)アウシュヴィツテーマに加えてお得意の「技法」
さらに、一部がそうであるようにシルバー産業化した観客への迎合と・・・てんこ盛り。
彼もこれ以上酷評が続くようだと、二度と映画が撮れなくなります。

あれから70年ですから、このような映画がつくれるのもそろそろ最後です。
主な出演者ですが・・・括弧はキリスト暦での生年。皆さんのラスト作品になるかもしれません。

クリスティプラマー(29年)
マーティンランドー(28年)
ブルーノガンツ(41年)
ユルゲンプロホノフ(41年)


お話が上手すぎてリアリズムには欠けますが、実に面白い。
映画評論家は・・・多分に冷ややかでしょうねえ。
ベネチア映画祭では・・・かすりもしなかった。










2016年11月3日木曜日

文化勲章の「悪口」


色々と「文句」はあるのです。
文化人(広義の意味で)最高栄誉に対して失礼も顧みず・・・でもなによりも失礼なのは「辞退あるいは拒否」でしょう。
嫌なら、打診の段階でお断りすれば角が立たない。
しかし、大江のように慣例的に親授せざるを得ない状況にあるとどうしようもないが・・・
過去の辞退者は筋の通った理屈のように思えますが、大江みたい子供っぽくされると困りますねえ。
単細胞なレフトでしか無いってよく分かります。


今年も「追贈」でした。
最近はどうして、ノーベル賞受賞者に対して文化勲章を親授するのでしょうか?
勲績卓絶だから文化勲章に値するわけであり、ノーベル財団がその価値を先に認めたってことは恥かしくありませんか。
価値基準が違うならば、かような慣例はおやめになるほうが文化勲章の権威が担保される。


なんとかという小説家が今年も受賞しませんでしたが、ま文脈からすればまずもって「文化勲章親授」を働き掛けるのか先ですよ。
しかしながら、作家(評論や詩歌は除外)の受賞者をながむるに・・・失礼ながら貧相な戦後小説の風景です。
安部や三島、清張、そして塩野(彼女は歴史家じゃないですから)のいない小説世界なんか考えにくいのですが・・・
それは最近は女流が多い。
長生きしたらもらえるってことらしいので、この辺はハンディです(死後追贈もあり得ますがやはり敷居は高くなる)
文芸評論家・歌人・詩人・俳人も親授されていますが、人数がきわめて少なく、さすがにって方々ばかり(逆言えば小説家の評価レベルにオブジェクション)
小説なんて文学形式は世界的にも脆弱矮小になり、文芸の王座を明け渡す時期なのにこの感度の悪さ(ボブディランの受賞ってそういう文脈なのですよ)


音楽家(西洋に限ります)って扱いが粗末です。
西洋画家はそこそこ親授されているのにこれ如何に?
小澤征爾だけですが、「世界のOZAWA」だというなら、世界で通用する日本の西洋画家って誰かいましたっけ?
毎年いうとりますが・・・内田光子さんに文化勲章を!


世界が認めても倭国内で認められないって選考される方々がおもっているような文化界最高の栄誉ならほしくもない!
それくらい気骨ある啖呵きって辞退してくれると拍手喝采なんですがねえ





彼女は不遇でした。

日本の音大をでていないから学閥の庇護が受けられない。
英国国籍取得者ですから、日本を見捨てたかのように言われる。
記譜記号を無視することの非難も激しい
なんちゃって、記譜記号の無視どころか演奏中に勝手に作曲するんですよ・・・つまりはタッチミスが多いのです。

でも、優れた才能とか演奏の感動は無視できなくて、デイムの称号を得てますし、十年くらい前の文化功労者にもなりました。

2016年11月2日水曜日

「虚構」だからの地獄編


陰謀史観めいた話は小説仕立てにすれば、ホンマかいなって胡散臭そうでも信じてみよう派が出来する。
いかがわしいダンブラウンの虚妄に騙されるほどお人好しでもないし・・・でも、荒唐無稽な説話としては面白い。
実のところ、マグダラのマリアがイエスの妻であり、南フランスに逃れたって事はなんとなく信憑性を感じる。
怪しげな基督教系陰謀団の存在もありげである。
この地球の環境容量はすでに限界を超え・・・って部分には激しく同意し、その元凶がヒトザルの爆発的人口増加についても
否定はしない。
放置すれば、地球の破滅もありえなくは無いし、半分程度「間引き」すれば・・・・って解決策にも一定の評価はしますが・・・


白熱授業的にはありげな話ですが、実際論としてはあり得ない。

何もしない
疫病でヒトザルの半分に死んでいただく

しかし、それ以外の解決策を考えるのがヒトザルの叡智ってもんでしょう・・・と反論は容易ですが、
その対案の実行が実に難しい。
この映画ではWHOが意外なほど実力行使含め大活躍するんですよねえ。
そうあれかし・・・ってことなんでしよう。


無宗教ですから、見えざる神の手という表現は使いませんが、なんとはなしに「自然の摂理」って信じてます。
多分ですが、地球誕生以来幾多の種の滅亡がありました。
地上の覇者であっても例外では無い。
そういう摂理が働く局面がもうすぐだろうって不吉な事は感じます。
巨視的な宇宙論的視座からすれば、余命・延命策は個であっても衆であってもある種滑稽なんだろうって思いますよ。
変に延命を考えるよりも、平安な境地で滅びていく方が倫理的って気がしてなりません。


ーー
ヒトザルの未来の為に、究極のトリアージュを目論む大富豪がヒトザルの半分を死滅させうるウイルスを
イスタンブールで巻き散らそうとする陰謀にいろんな組織が絡み合うストーリーなんですが、
気分良く「悪人とか人類に未来に必要性が少ないヒトザル」が優先的に死んでくれると嬉しいのですが・・・

受胎能力の高い若い女性
IQの高い若い精力的な男性

ばかりが確率的に高く生き残って欲しいという期待にかかわらず
こういう時に限ってマーフィーの法則が当てはまるように思えます。


2016年11月1日火曜日

サスペンスホラーは何故に怖いのか?



昨年の全米夏興行でのスマッシュヒットが周回遅れで倭国上陸
何故に受けたのか?
ウケるにはそれだけの理由がある・・・とううことでレシピ公開(再々公開かな?)

レシピ通りにつくっても、うまく仕上がるかどうかは分からない。
しかし、セオリーも無くやみくもでも結果は得られない。
ということで英国人数学者による「恐怖の方程式」

ーー


(es+u+cs+t) squared +s+ (tl+f)/2 + (a+dr+fs)/n + sin x -1

(注記)
squared 二乗を表す
es 段々と大きくなる音楽
u  未知のこと
cs 追跡シーン
t わな
s ショック性
tl 現実性
f 空想性
a 登場人物の孤立
dr 暗闇
fs 場所・設定
n 登場人物の数
Sin 三角関数記号


要するに・・・

段々と大きくなるBGM・未知のハプニング・追跡シーン・わなの和を二乗すれば「ショック度」が増す。
恐怖とは現実におこりうる状況のほうが観客に訴えかけ、さらに空想が「恐怖感」を増大させる。
そして、バランスも大切なので「現実性と空想性」を足して2で割る。
登場人物が孤立すればするほど、暗い場所であればあるほど恐怖感が増すので「孤立と暗闇と場所」を足して、
登場人物の数(n)で割ると「衝撃性」が表される。あと、どっちかと言えばホラー系は冬場がいい。
血の量を表す要因の効果的な使用もホラー映画には欠かせないが、
血が出すぎはかえって逆効果である点をsin x -1で考慮する。

以上が「完璧なサスペンスホラー映画」のレシピということである。


ーー

タイトルは、the Gift
同名が山とあり、それを狙ったかどうかは知らないが紛らわしい。


貰って嬉しくないはずが無いが、疎ましくなる事もある。
2000年版では、ケイトブランジェットはその「贈り物」・・・というより神から与えられた才能かな
実のところは、カヅキをたてる手段にすぎないのですが、巻き込まれ型で、サスペンスになります。
まあまあの出来栄え。




さて、今回・・・スマッシュヒットなんて信じられない出来栄え。
周回遅れでとはいえ、興行のラインナップにのせるなんて、まさにツナギ。
プロットとしては悪くない。
が、演出の緊張感がない。・・・・・でおわり。
方程式に照らし分析するまでもなく腕が良ければサスペンスフルになったとおもいます。

2016年10月31日月曜日

「民」とは一体何者なのだ?


氏部の漢字である。

眼を針で突き刺すさまを描いたもので、眼を針で突いて視力を喪失させることで自由を奪い取った人。
すなわち「奴隷」を表す。
のちには目の見えない人のように物事のわからない多くの人々、支配下に置かれる人々の意味に使われる・・・というのがネット漢和辞典の解説
ちゃんとした紙漢和辞典からの引用のようですが、ネチズンの常として「出典明示」という当然のことをおろそかにする。
貝塚中漢和では、そこまで詳しくはないが、「錐のようにとがった事の借用から亡民の意」なんて書いてます(これもよい意味ではない)
どちらにせよ「民」とは(少なくとも民という漢字は)そういう存在なのです。
もう少し言えば、白川「字統」も同様のショッキングな表記をそれ以上に書いてますから、正しいのでしょうから、
諸橋大漢和まで調べなくともいいだろう。

いわゆる「市民」なる存在がある。
一般に「住民」といわれると土着的庶民系であるが、市民といえば意識高い系のソフィトケイティドな感じを気に入る向きは多い。
しかし、本来の語義的には上記のとおりあまりたいしたことではないというよりも差別的なのです。
それを思えば、レフト系イデオロギー臭さがあるが「人民」のほうがいい。
ヒトザル意識に目覚めた奴隷的境遇人って語感が、けだしプロレタリアそのものではないか
名訳というべきだ。
総中流意識化においては、ブルジョワジーを意味するシトワイヤン(市民)なる言葉でもよかったかもしれないが、
今となっては、いささか時代錯誤だし、そもそも的にもよい漢字ではない。


不思議なことですが「市民」といわれて差別的だと怒る御仁はまずいない。
知らないってことは恐ろしいし、間違ったことを教え込まれても信じてしまうこともある。

困ったことに、民に代わる「書き変え語」が見当たらない。
世の中は、二種類のヒトザルしかいなくって、実質的な意味での少数の支配者と、同じく実質的な多数の被支配者だといわれる。
その多数の被支配者が「主権者」だというから民主主義って奇妙な国家支配体制なのです。
普通、民の反対語は「官あるいは君」とされますから、構図的には明らかようにも見えますが、露骨に口に出してよいことではない。



巧妙な支配の構図とは・・・・藤原不比等以来の摂関政治を見ればわかる。
中臣族が「藤」原と改名したというのは、意味深である。
藤は、パラサイト植物の代表例である。
巨木に巻き付き、枯れ朽ち果てない程度に搾り取り、陰に隠れて表面の支配者を人形のように操る・・・・

倭国には「絶対的権力者」はいない・育たないって言われていますが、それは見方が皮相である。
高いところに立ちはだかり的にされそうな危険を冒しながら個人の絶対意思のみで君臨統治するのが
最良の統治術ではないってことを知っていたのです。


市民とか主権者とかおだてられて己の愚昧さに気づかないようでは、真のシトワイヤンにはなれないのですよ。
おだてているほうもなんか意図性があるのかもしれませんねえ(笑)
市民運動なんていうと理性的に聞こえますが、某地では「暴言・脅迫・監禁・暴行・・・・」を職業的に行う連中の集団活動がそうことことみたいのようです。
プロ市民といわれる「何でも反対屋」に煽られているだけかも知れませんが、
つまりところ蒙昧だから騙されているのに気がつかない。





2016年10月29日土曜日

良いバランスだった!


食事の際に水を飲むのは、倭人と蛙だけ・・・と昔に仏蘭西人に言われたが、
あの時はよく知らなかったから「お前たちだってガス入りウォーター飲むじゃないか」って言い返せなかった。

あくまで食事の主役はお料理であってアルコールじゃない。
しかし、なにやからやと脇役にかかる費用もバカにならない。
一日三食、年間で千食と思えば、あとどれだけまともな食事・・・食事制限とかなく、食べられるかと思えば

惜しまず、
粗末にせず
菜っ葉の切れっ端でも、悉皆仏性と思っていただく事だ。

当然ながら、主役を引き立たせるために酒を欠かすわけにはいかない。


過日のパワーランチは、なんと2時間半の長丁場
場所は目黒界隈の西の横綱イタリアン(本当は夜に来たかったが・・・)
結果として夜値段と変わらない散財となった。

お皿が五枚にあとはデザート
グラスの数は六杯。デザートワインが余計って気もするが、これは流れ。
良い気分に水を差してはいけない。

大体において・・・お支払額が、料理とアルコールで半々が良いバランスというのが経験則
しかし、今回はいささか飲み過ぎだ・・・というかソムリエが言うがままにお高いワインを呑んでしまったか(苦笑)
まあ、至福の時間だし、感動が大きいのはどうもワキ役のギャラに比例する。



キアヌリーブスは、自身の主演映画のクオリティを上げる為には、自分のギャラを削る事を厭わず
良い相方を揃えるって言うではないか。
今回は主役のギャラを下げずに、相方のギャラも高かったって事ですが、オスカーを狙えるレベルでした。





ジーンハックマンに出演してもらうために、キアヌリーブスのギャラは八割カットだったらしい。
彼がHC役やったから、画面がしまりましたねえ。

2016年10月28日金曜日

岩波文化人の「堕落」?


朝日教養派、岩波文化人・・・斯様な人物には、ひれ伏し、仰ぎ見、三尺下がって影をも踏まずって時代は遠い過去
前者は、いまや虚報新聞も出してますが、むしろ不動産業の傍で出版家業もやってる程度。
出版物が無くなっても痛くも痒くもない。
汗牛充棟な書庫には、そこそこ買い求めた書誌がありますが、さっぱり消えて無くなっても困るのは・・・・
朝日ジャーナルのバックナンバーくらいで、
後は、他の版元でも手に入る

本音的には、中島みゆきの全歌集はここから出版されてますのでちょっと困る。
ネットで読めるって言えばそれまでですが、詩集は「右縦書き」でないと・・・・気分が出ない。


一方で岩波書店
これはなくなると困る。
消えてしまうと書庫の体をなさなくなる。
もっとも大事にしているのは人文科学系ですので、社会科学系は蝸牛的には玉石混交です。

しかし最近の岩波も変わりました。
産経新聞社刊行の「法服の王国」を現代文庫で出版してみたりはともかくも
エスピオナージュものを出版するとはねえ・・・・


我らが背きし者(ジョン・ル・カレ)


著者お得意のスパイサスペンス物ですが、ロシアマフィアのマネロンなんかがテーマで、サスペンスタイプとしては「巻き込まれ型」
文庫版だとちょうど一冊の分量で手頃。
岩波現代文庫は、古典中心の岩波文庫に対峙する形で、現代古典のラインナップということになっています。

なんとこれが映画化され、ロードショー中。
この秋は過日ご紹介のマックスパーキンスと合わせて2本だけ見て、あとは12月16日をひたすら待ち続ける(笑)
どちらも良質な大衆娯楽ですが、大衆はまず足を運ばないから長々と小屋にはかからないでしょう。
見る気があるならお早めに・・・


ジョン・ル・カレの作品はそこそこ映画化されてますが・・・・

裏切りのサーカス
寒い国から帰ったスパイ
誰よりも狙われた男
テイラー・オブ・パナマ
ナイロビの蜂
ロシアハウス

どれもこれも平均点以上と思われますが、全部は見てません。
作者に敬意を表して役者も揃えて真面目に作るからでしょう。
しかし、映画という表現形式に鑑みて、原作以上にアクションが大きくなるのは否めない。
しかし「裏切りのサーカス」だけは原作表現に余りにも忠実。
繰り返し見ないと意味不明ってなのは困るねえ。観客の多くは原作を読んでいないんだから・・・



この作品もかなり原作をいじってますが、まあ致し方ないか。

2016年10月27日木曜日

彼には「イグノーベル音楽賞」を


ヤキモキしても徒労だから、ボブディランには掲題の賞をあげよう(笑)

この賞は、ノーベル賞のパロディだと言われるが、それは視座が皮相と言わざるを得ない。
学問、研究、芸術的創造等ヒトザルの多岐多様な営みを斬新な視点で検証評価するものであり、
眉間に皺寄せ、顰めっ面だけが進歩と発展の原動力ではない事を力強く伝えるものであり、遊びだけの要素ではない。
頭の固い一部からは蛇蝎のように嫌われているが、ハーバードを挙げてのイベントの一つでもある。

アカデミー賞に対するゴールデンラズベリー賞に似てはいますが、これよりはさらに真面目(笑)
当然ながら、両方の栄誉に輝いた学者がいることも似ています。

倭国は毎年のように、結構栄誉に輝いています。
一番を目指す事の意義のわからない御仁には理解できないのでしょう。
実用技術にしか目がいかない連中もまたしかり。
その意味で、この賞の常連であるうちは倭国の科学技術もまだ安泰なのです。
一見無駄そうで馬鹿馬鹿しいことにこそ真理が潜んでいるのです。


選ばれても授賞式に出席しない御仁もいますが、これはもったいない。

賞金が出ない(副賞はありますが、10兆ジンバブエドル紙幣なんかって事例がありますから押して知るべし)
足顎は自腹(という事は本家は出すのだ!)

というような理由は理解しますが・・・


賞の分類は適当です。
従って「音楽賞」を作る事は前例に叶います・・・・が音楽賞の例はないので今回がチャンスです。
文学賞の意味合いを考えるきっかけにもなった今回の受賞ですから、更に芸術への思索を深めるチャンスとなるように・・・


ちなみに過去の「文学賞」ですが(興味ありげなものだけ紹介)

デニケン 古代文明と宇宙人関連説
あの「ソーカル事件」
聖書の暗号秘匿説
英国標準協会 紅茶の正しい入れ方本
ジャムスヒーン ヴェーガンの勧め
あの「ナイジェリアの手紙」
ダニエルオッペンハイマー 難しすぎる語彙を駆使すれば知的に見えるかの実証実験論文
ジョンペリー 構造化された重要事項の先延ばし理論

言っちゃなんですが、ヒトザルの未来に貢献しそうな業績は、
本家の文学賞よりも、こちらの方にあるとある種の確信を持って断言できます(笑)
最後のペリーの論文なんか邦訳があれば是非とも読んでみたい。