2020年7月31日金曜日
第三の性の時代
トランスジェンダーに配慮し、
He she 以外に ze を使うことの提案です(複数形は they となる)
出来れば「以外ではなくやめて」という方が革命的に良さげです。
今日のお題は、いわゆる人称代名詞のこと。
実は人称代名詞の体系は言語体系により大きく異なる。
大雑把に言えば
一人称(話し手)
二人称(受け手)
三人称(それ以外の人または物)
が一般的な区分ですが、それ以外にもさまざま複雑な分類を持ち込んでいる。
日本語の場合・・・・以下はウィキペディアの引用
体系上の人称代名詞は「われ」「なれ」「かれ」「だれ」であるが、
実際には人称代名詞は敬語法などの待遇表現と密接に結び付いており・・・
指し示される人物との社会的関係や場面によって、
「自分」「あなた」などの人称代名詞を使い分けたり、
「先生」、「社長」、「おじいさん」のような社会的身分を表す語で代用したりしなければならない。
同様の複雑な人称代名詞の用い方は、ベトナム語、マレー語、ペルシア語などにも見られる。
また、日本語の人称代名詞は概して時代による変化が激しい。例えば・・・・
この説明のキモは
複雑
変化 にあります。
不思議なことに「複雑」なんですが西洋のように「性別区分」がない。
明治以前は、オスでもメスでも「彼」と表記したようです。
明治の文明開化で西洋の様々な考え方が押し寄せた際に「変化」が起こり「彼・彼女」という表記区分が定着したと
言われています。
人称代名詞で性別区分があることが一般的かどうかはよくわかりませんが、
文法書的には少数的存在のように思えます。
西洋だから、スタンダードという訳ではない。
時代は変わった。
当然のように「両性」と言って良いものではなくなった。
ボーボワール的には「第三の性」
従って、英語文化圏で提唱され始めた第三の性表現(ze)
提唱する事を悪いとは言わないが、どうして性別区分人称代名詞の廃止提唱にならないのか?
オックスフォードの知力をもってしても彼の地の文化に根ざした言語体系を変革するには至らないのですよ。
思えば、定着したらしい「未婚・既婚の区分呼称」
これも、ミスとミセスがなくなって訳ではない。
翻って倭国はどうしましょうか。
簡単ですよね。
明治以前に戻ればいいのですよ。
具体的には「彼女」という言葉を禁句表現とする!
ジンケン派の得意種目の言葉狩り(笑)
そうは言っても百年以上続いた言葉の文化ですから、
識者が知恵出して第三の性表現代名詞を考えるんでしょうねえ。
もっとも、著しい劣化のみられる日本語力ですので、期待値は非常に低い。
丸谷、大野、井上、塚本のような日本語の大家は全て物故されました。
2020年7月30日木曜日
貴方のお名前(Vorname)は?
表音文字の国は単純で分かりやすい。
多少のスペリングで個性を出せるが限定的(F → PH)
引き換えて漢字文化圏の多様にして豊穣なこと!
反面...説明が難しい。
ヅカのコウヅキノボルさんのノボルと
閑院大臣のフジワラフユツグのツグで...
まあ一発で解ったのは岩波の出版部だけだった。
どこの国でも「名前制限」があるようだ。
倭国の場合は漢字制限程度で後は戸籍吏の社会良識による
裁量に任されている。
悪魔はアウトだが、王子様はセーフ!
悪...一字ならどうしただろう
業務独占職種を示す単語棟を制限列挙的に規制する国もある。
さて...ドイツの例
子供の名前に「アドルフ」が許されるのか?
ボン大学の高名な文学部の教授
その妻は小学校の教諭
妻の家庭で家族同様に育ったオーケストラのクラリネット奏者
落ちこぼれながら事業に成功した妻の弟
弟の恋人は妊娠中な舞台女優
五人の楽しいはずの晩餐会は、
生まれてくるはずの「男の子」の命名...実は弟のたわいない
冗談が発端となり、隠しておきたい本音と秘密が露呈する。
その過程での知識と教養に裏打ちされた知的な言葉の格闘技
とんでもないカタストロフから、ニヤリとするエンディング
オリジナルは見るからに理屈の多いフランス舞台劇
映画化に際してグロテストなまでにドイツテイストに
置き換えているようです。
しかしかなり雑多な知識を要求されます。
ドイツでは大ヒットしたらしいが....
やはりゲルマン族は「高等」民族なんだ!って
優越感に浸りながら、偽善的にジンケンヤを気取るって気分が
味わえます。
倭国で大ヒットするとは思えないが、
意識高い系二番館では、カップリング次第ではお立ち見になる。
2020年7月29日水曜日
Inferno....聖職者地獄変
紛らわしいタイトル
フランス映画なんだから、英語のタイトルは普通はないわなあ
フランス語のオリジナルタイトルを英訳し、
それを仮名書き、さらに分かり易くサブタイトル「告発の時」
オスカー作品賞に輝く「スポートライト」は、
今世紀はじめ頃のボストングローブ紙の調査報道のおはなし。
素晴らしいメディアだと思うし、
こんな地味なテーマを映像化し、オスカーの栄誉を与えたハリウッドも立派
しかしよく考えれば、アメリカンってピューリタンの国だし、
実は「本当に言いたい事」は、エンドクレジットの
テロップに隠されている。
長年にわたり聖職者の性虐待を放任し、
事実の隠蔽を画策した枢機卿は解任...実はローマ法王庁にご栄転
なんだか聞いたようなはなしなんですが、
そんなことに義憤を感じたに違いない...フランソワ・オゾン
ローマンカトリックの長女たる国で製作されたことに意義がある。
当たり前の映画批評はつまらない。
極私的プロ映画鑑賞家の目線だと...
それがどうした?
幼児性虐待なんかたいした罪じゃないのよ
って法王庁は思っているに違いない。
ローマンカトリックの基本的な教義なのかどうかは知らないが
ダンテの神曲地獄篇によれば...
地獄の世界は、漏斗状の大穴をなして地球の中心にまで達し、
最上部の第一圏から最下部の第九圏までの九つの圏から構成される。
三つの邪悪、「放縦」「悪意」「獣性」を基本として、
更に細分化され、「邪淫」「貪欲」「暴力」「欺瞞」などの罪に応じて、
亡者が各圏に振り分けられている。
地獄の階層を下に行くに従って罪は重くなり...
とまあウィキは講釈しています。
第一圏は「洗礼を受けなかった罪」を犯したもの
品行方正でもアタシが行かされるところ。
つまり微罪に過ぎない。
以下...
第二圏 愛欲者の地獄 - 肉欲に溺れた者
第三圏 貪食者の地獄 - 大食の罪を犯した者
第四圏 貪欲者の地獄 - 吝嗇と浪費の悪徳を積んだ者
第五圏 憤怒者の地獄 - 怒りに我を忘れた者
ここまでは軽犯罪でこれからが重犯罪で段々に罪は重くなり、
最下層は「裏切り者」
あの教義や組織には自浄力は期待し難い...と映画を観た人は思うし
論拠はここにある。
アタシは在家私度僧ですから、毎朝の読経
弟子無甲尽未来際
不殺生 不偸盗 不邪婬
不妄語 不綺語 不悪口 不両舌...
とかなんとか
生涯やってはならない三番目が「邪婬」
準強制性交等の罪は大罪です!
予想される反論...七つの大罪には「色欲の罪」があるではないか?
想定の範囲だから更に再反論、昨今の法王庁が掲げる新しい七つの大罪
遺伝子改造
人体実験
環境汚染
社会的不公正
貧困
過度な裕福さ
麻薬中毒
ずるいですよね、己をグリーンゾーンに置くように出来ている。
2020年7月28日火曜日
あの時、貴方はどこでなにを...
1963年11月22日
1970年11月25日
1995年 1月17日
2011年 3月11日.....
月並みなメディア型の質問なんだが、なんとなく時代の分水嶺のような気もして
そう言えば...なんて
ダラスの事件は初めての衛星TV放映映像だった(らしい)って
記憶だけ。
確かにショッキングな事件だが、今思えば
なんでもありの国だもん..だけかな?
最後の二つの大きな災厄の時は現場で遭遇してもおかしくないアタシなんだが、
東京のアパートで爆睡とか、大阪のオフィスでなんかの会議
さて二つめ...大学騒乱期の端境で英語の授業の為にキャンパスへ
教室内が騒然として..急遽「クラス討論会」となり..
英語の授業よりも真偽定かならぬ噂話の方が面白い。
毎度は目にしない学ランの右翼学生が辺りを睥睨しながら
看板片手にうろついていた。
曰く...烈士三島由紀夫を悼む
あんなタイプって三島由紀夫が一番嫌ったとおもうが...
一緒に自裁した某君は同窓生だったと後から聞いた。
三島由紀夫のよき愛読者ではなかったアタシ
有名作品は読んだもののさしたる感想はない。
死後読み出した戯曲ではじめて凄いと思いはじめた。
あの人騒がせな事件
例えが良くないが、煙突オトコの自殺劇
叛乱の薦めなんか成就するとは思っていた筈もなく
思想的破綻やら文学世界の行き詰まりで抜き差しならなくなったのでしょうかねえ。
あるいは...こんな形而下学な発想は天邪鬼しかしないだろうが...
楯の会の運転資金の破綻
三島由紀夫の私兵組織は百名足らずから増えようもなかった。
楯の会の運転資金は全て三島の私費だったそうで、
年間で一千万円あまり。
会員の生活費までは面倒見なかったらしいが、
当時としては結構な金額。
純文学者の盛名だけでは賄えるものではなく、
売文の徒も蒼ざめるくらいに雑文を描き散らかしていたのはそういう事。
財界人や富裕からの資金提供の申し出もあったが、
三島のストイックなダンディズムとは相容れない。
右翼ゴロの薄汚さは、金のだらしなさにある。
口ではさまざま財閥を罵るものの、裏口では資金提供を受け、
場末のキャバクラでトグロを巻く。
三井や三菱のポチそのもの。
対し左翼も大同小異
印税で懐豊かな知識人からカネをせびることを生業とする。
思想弾圧ともなれば、資金のパイプは途端に途絶。
美人局を利用したゆすりたかり
銀行強盗
などなど武装共産党路線に転じるのは論理的必然
三島がかような歴史に無知なはずはなく、
一線を画した運動論を展開しようとしたが....
三島由紀夫とは、生き方も死に方もダンディだった。
2020年7月27日月曜日
篠田節子さんの「夏の災厄」
直木賞作家にして紫綬褒章の栄典に輝く...
直木賞作家なんてゴロゴロいますし、紫綬褒章に至っては
文化人と名がつけば誰でも貰えそう
手っ取り早いのはオリンピックで金メダル。
年齢制限はないし、昨今は競技種目も増えましたから、かつての輝きも翳った。
一言で作風の説明しにくい雑多な小説をあまた生み出しています
これといって残り少ない時間を費消するほどの作品はない。
しかし、この小説は時節もあるが、読み甲斐があります。
パンデミックミステリーではない。
かなり正確な疫学知識を駆使しているのに、編集者が無知。
昭川市(多摩あたりにあった秋川市と勘違いした)で季節外れの日本脳炎の発生し、
現場は概ねその街に限定される。
従って、エピデミックでもないし、アウトブレイクが正確な事態認識。
ミステリーとは「謎解き」である。
その要素(発生の真因とか)もかなりあるが、現場の錯乱や恐慌...
スリラー(不安)やサスペンス(緊張感)の方が大きい。
しかし「現代社会の予言書的な寓話」はけだしその通り
見たような話、聞いたような話がてんこは盛りなちらし寿司
前例のない事態への対処能力のない行政
ローカルなアウトブレイクには興味がない医官官僚
情報とワクチン利権を支配する大学病院や感研
ワクチン開発での製薬会社の暗躍
空気に流される反ワクチン派や住民
買ってまで読む本でもないが、他のパンデミック小説よりは
はるかに面白い。
カドブンのウェブサイトには分割連載しています。
最後まで読めるのか、いて完結するから知りません。
2020年7月26日日曜日
競馬だって...素材になる
競馬はまったく分からない。
レーススポーツなんだろうが、博打としか思えない。
ロマンがあると言うが、万馬券の夢だろう。
競馬場は王侯貴族紳士淑女の社交場らしいが、
スノブで奇天烈な帽子ファッションの場にみえる。
社会現象になることもあるが、限定的
シービスケット
ニューディール時代のハイセイコー
不安と閉塞の中で希望と勇気を失業者たちに与えたらしい。
映画化もされたが、あまり記憶には残っていない。
久方ぶりの競馬映画。
昨今の映画らしく、女性騎手が不屈の精神で頂点を極めるドラマ
少し感動しました。
倭国でもなんとかと言う女性騎手が多少話題になったが、
はっきり言えば、能力と業績ではないように思えます
しかし、この映画のヒロイン...ミシェル・ペインは、
豪州の最高峰レースで女性初の優勝ジョッキーとなった。
実に大変なこと...くらいは解る。
G1レースはでるだけでも大変...馬がですよ(^.^)
騎手は、馬主や調教師に推薦してもらわないと騎乗すら出来ない。
よく知らないが「馬七人三」
馬が良くても騎手が下手だと勝てるレースも勝てない。
馬主はビジネスだから、腕のいい騎手を乗せたがるのは当たり前。
経験の少ない女性ともなればチャンス自体が与えられない。
少ないチャンスで駄馬ばかり...まずはG1レースに出たい!
意地悪をするつもりはなくても、まともな馬は月一登板
アファーマティブアクションなんて入り込む余地はない。
騎乗条件は...少しだけ重量ハンディがもらえる程度
野球のバッターならば試合数も打席もあまたあるし、
捨て試合ならば監督の気まぐれなんかもあるだろうが...
そんな中で這い上がってきたんだから...どぎつい嫌なオンナかも
倭国では地方競馬には結構女性騎手がいるようです。
しかし推して知るべしですが、
ミシェル・ペインの日本語版記事はWikiにはありません
有名女性騎手カテゴリーにも彼女の名前はない。
倭国競馬界の Me Too はこのレベルなんです。
2020年7月25日土曜日
accessibility .....とっても難しいこと
元来はIT用語
特にウェブサイト上における、情報やサービスへのアクセスのしやすさのこと。
高齢者や障碍者なども含めたあらゆる人が、
どのような環境においても柔軟にシステム環境を利用できるように
構築することを考えるべきという哲学あるいは設計思想。
翻って、あらゆる環境に於いても要求される基本機能である。
スロープのある建物
点字ブロックのある通路や標識
音声ガイダンスのあるEVやレジスター
投資対効果云々はさておき、多様性ある社会の基本機能として
その必要性には反論を許さない...まあしょうがないかも
しかしである。
藝術文化にそれを要求し始めると事は穏やかではない。
アタシが好きなもの
近代オランダ絵画
古典派音楽
王朝古典...とりわけ韻文
漢詩
そして...欧米映画
アタシが聴覚や視覚を失えばどうする。
視覚を失えば、絵画鑑賞は諦めざるを得ない。
他の感覚で同じように楽しめるかどうかは判らないが、
多分だめだろう。
聴覚を失えば、音楽は諦めざるを得ない。
楽譜を見て..って楽しみ方もあるかも知れないが、
アタシの音楽力では無理だ。
コンサートホールに行っても、無音ではオペラすら楽しめないし
ジョン・ケージの四分三十三秒すら鑑賞出来ない。
詩歌ならば読めなくとも朗読して貰えば...なんたる藝術理解度だろうか
小説如きならさておき、韻文詩においては、
その字句が、カナか漢字か、どんな漢字を使ったのかで
印象が変わる。
視覚を失えば、実は音楽も楽しくない。
演奏スタイルの造形も結構重要なのよ。
METのワルキューレは、あの舞台装置があればこそ
で、最後に本筋の映画のはなし
映画(トーキーに限定して)はある種の総合藝術です。
かつては無声映画もあったから、聴覚障碍でも鑑賞できる?
しかし、そんなつくりにいまはなっていない総合藝術。
アタシも音声カットで映像の垂れ流しはやりますが、
別に映画鑑賞のつもりではない。
サブタイトル版と吹替版がある。
アタシはサブタイトル版しか観ない。
英語は少ししか出来ないし、ドイツ語は更に少し
フランス語は更に更に...
ハングルは皆目ダメだから、エンドタイトル前に退散
でも、出来るだけオリジナルの肌触りを楽しみたい。
視覚障碍になれば吹替版でも我慢して観るだろうか??
障碍がある人にも藝術を楽しんで貰いたい...のは
うるわしい努力である事には違いないが、、、
とりあえず、聴覚障碍ならばサブタイトル版で我慢しながら
小屋に通うと思います。
聴覚で味わうべき部分を他の方法で補完説明してもらうと
嬉しい...とおもう?
テロップで「いまゴルトベルクのアリアが流れてます」
知らない曲ならば鬱陶しいだけ
さて視覚障碍となれば...
あまり想像したくないから、コメントもしたくない。
野球や相撲をラジオ中継で聴くようなものだろうか...
例えば、黒澤の用心棒
三船と仲代の果し合いのシーン
相撲的にナレーションをいれれば...
三船、仲代の両者、睨み合いピクとも動かないまま小半刻
仲代刀を上段にふりかぶり、
対する三船、逆手居合い抜きで仲代を袈裟斬り
噴水のように飛び散る血潮...
なんともアホたらしい。
2020年7月24日金曜日
「東京」は今日も雨だった
才能とみてくれはまったく別
だから天は二物を与えず...という。
藝術、政治、軍事は道徳から解放されている。
程度問題とはいうものの...勝てば官軍です、
半世紀に渡り映画界に才能を巻き散らかせたウディ・アレン
養女への性虐待疑惑が蒸し返され...
かような問題に対しては「推定有罪」と指弾するのが、
今のアメリカンリベラル。
疑惑は法廷の上では真実でないとされています。
この小品も袋叩きに合い、出演者がギャラを寄付したり、
アレンとの絶交宣言やら...誤解を恐れずに言えば「赤狩り」に近い。
かつての共演者の中には勇気ある弁護発言もあります。
すごく素晴らしい作品だと思いますよ、
昨今であれば、パリを舞台にした作品に匹敵します。
映画批評やらあらすじはあちこちに書いてますから、略。
エル・ファニングは名子役と言われたが、
お酒が呑める年になり、ワイングラス片手の酔っ払い演技が実に素晴らしい...
ということにとどめます。
NYセレブのスノブごっこ..と一言で言えばそんだけ
これでもかってくらいにセレブ徘徊場所が登場。
付け加えれば、田舎のカネモのオンナは、
所詮は五番街セレブとは相性が良くないってこと
2020年7月23日木曜日
Red Harvest
ハードボイルドの嚆矢とも言われますが、傑作の部類
さまざまな翻案映画にもなりましたが、
オリジナル映画化がないのが、実に奇妙なはなし。
黒澤明は、シェイクスピア翻案映画を得意としますが、
アメリカンの犯罪系も読書範囲のようです。
ダシール・ハメット以外にもマクベインの「キングの身代金」も映画化しています。
あらすじやら批評なんかはあちこちに書き散らかされていますからパス
興味は邦題に移る。
複数の邦題が競演するのは、誠に珍しい。
以下、ウィキからの引用
赤い収穫(砧一郎訳、早川書房、1953年)
血の収穫(田中西二郎訳、東京創元社(世界推理小説全集)、1956年)のち文庫
血の収穫(能島武文訳、新潮文庫、1960年)
血の収穫(河野一郎訳、中央公論社(世界推理名作全集)、1960年)のち文庫
赤い収穫(稲葉由紀訳 講談社(世界推理小説大系)、1972年)
血の収穫(田中小実昌訳、講談社文庫、1978年)
赤い収穫(小鷹信光訳、ハヤカワ・ミステリ文庫、1989年)
血の収穫(河野一郎・田中西二郎訳、嶋中文庫、2005年)
血の収穫(田口俊樹訳、創元推理文庫、2019年)
傾向としては「血の収穫」に収斂しそうな雰囲気
最初にこのジャンルを専門とする版元二社がタイトルで張り合ったのでしょう。
大手三社が片方に傾斜すれば事は決まったはずが、
これまた対立してしまった。
直訳がいいか意訳か...
コンテンツ自体の表意性からすれば「血の収穫」
しかしお話の寓意性を思えば「赤い収穫」なほうがお好み。
むしろ訳自体の良否なんだろうが、
読み比べをするほどのめり込んでもいないのでなんとも
アタシの持っているのは、田中西二郎版
古い訳ですが、オリジナルの文体がそうなんだろうと思いますが、
簡潔乾燥無機的なハードボイルド特有ですから、
今風の倭語としてもさほどの違和感がない。
つまりどの訳も大差ない...と思われます。
ハルキあたりが新訳を引っ提げて参戦しないのは、
この辺りにあるのかも。
小説家として訳してみたい気にならないんだ?
例えば「レッドハーベスト」なんて表題で新刊を期待したが
無理みたい。
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