2020年7月25日土曜日

accessibility .....とっても難しいこと


元来はIT用語

特にウェブサイト上における、情報やサービスへのアクセスのしやすさのこと。
高齢者や障碍者なども含めたあらゆる人が、
どのような環境においても柔軟にシステム環境を利用できるように
構築することを考えるべきという哲学あるいは設計思想。

翻って、あらゆる環境に於いても要求される基本機能である。

スロープのある建物
点字ブロックのある通路や標識
音声ガイダンスのあるEVやレジスター

投資対効果云々はさておき、多様性ある社会の基本機能として
その必要性には反論を許さない...まあしょうがないかも





しかしである。
藝術文化にそれを要求し始めると事は穏やかではない。
アタシが好きなもの

近代オランダ絵画
古典派音楽
王朝古典...とりわけ韻文
漢詩
そして...欧米映画


アタシが聴覚や視覚を失えばどうする。

視覚を失えば、絵画鑑賞は諦めざるを得ない。
他の感覚で同じように楽しめるかどうかは判らないが、
多分だめだろう。
聴覚を失えば、音楽は諦めざるを得ない。
楽譜を見て..って楽しみ方もあるかも知れないが、
アタシの音楽力では無理だ。
コンサートホールに行っても、無音ではオペラすら楽しめないし
ジョン・ケージの四分三十三秒すら鑑賞出来ない。

詩歌ならば読めなくとも朗読して貰えば...なんたる藝術理解度だろうか
小説如きならさておき、韻文詩においては、
その字句が、カナか漢字か、どんな漢字を使ったのかで
印象が変わる。

視覚を失えば、実は音楽も楽しくない。
演奏スタイルの造形も結構重要なのよ。
METのワルキューレは、あの舞台装置があればこそ



で、最後に本筋の映画のはなし
映画(トーキーに限定して)はある種の総合藝術です。
かつては無声映画もあったから、聴覚障碍でも鑑賞できる?
しかし、そんなつくりにいまはなっていない総合藝術。
アタシも音声カットで映像の垂れ流しはやりますが、
別に映画鑑賞のつもりではない。

サブタイトル版と吹替版がある。
アタシはサブタイトル版しか観ない。
英語は少ししか出来ないし、ドイツ語は更に少し
フランス語は更に更に...
ハングルは皆目ダメだから、エンドタイトル前に退散
でも、出来るだけオリジナルの肌触りを楽しみたい。
視覚障碍になれば吹替版でも我慢して観るだろうか??

障碍がある人にも藝術を楽しんで貰いたい...のは
うるわしい努力である事には違いないが、、、

とりあえず、聴覚障碍ならばサブタイトル版で我慢しながら
小屋に通うと思います。
聴覚で味わうべき部分を他の方法で補完説明してもらうと
嬉しい...とおもう?
テロップで「いまゴルトベルクのアリアが流れてます」
知らない曲ならば鬱陶しいだけ

さて視覚障碍となれば...
あまり想像したくないから、コメントもしたくない。
野球や相撲をラジオ中継で聴くようなものだろうか...

例えば、黒澤の用心棒
三船と仲代の果し合いのシーン
相撲的にナレーションをいれれば...

三船、仲代の両者、睨み合いピクとも動かないまま小半刻
仲代刀を上段にふりかぶり、
対する三船、逆手居合い抜きで仲代を袈裟斬り
噴水のように飛び散る血潮...

なんともアホたらしい。

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