2020年7月28日火曜日
あの時、貴方はどこでなにを...
1963年11月22日
1970年11月25日
1995年 1月17日
2011年 3月11日.....
月並みなメディア型の質問なんだが、なんとなく時代の分水嶺のような気もして
そう言えば...なんて
ダラスの事件は初めての衛星TV放映映像だった(らしい)って
記憶だけ。
確かにショッキングな事件だが、今思えば
なんでもありの国だもん..だけかな?
最後の二つの大きな災厄の時は現場で遭遇してもおかしくないアタシなんだが、
東京のアパートで爆睡とか、大阪のオフィスでなんかの会議
さて二つめ...大学騒乱期の端境で英語の授業の為にキャンパスへ
教室内が騒然として..急遽「クラス討論会」となり..
英語の授業よりも真偽定かならぬ噂話の方が面白い。
毎度は目にしない学ランの右翼学生が辺りを睥睨しながら
看板片手にうろついていた。
曰く...烈士三島由紀夫を悼む
あんなタイプって三島由紀夫が一番嫌ったとおもうが...
一緒に自裁した某君は同窓生だったと後から聞いた。
三島由紀夫のよき愛読者ではなかったアタシ
有名作品は読んだもののさしたる感想はない。
死後読み出した戯曲ではじめて凄いと思いはじめた。
あの人騒がせな事件
例えが良くないが、煙突オトコの自殺劇
叛乱の薦めなんか成就するとは思っていた筈もなく
思想的破綻やら文学世界の行き詰まりで抜き差しならなくなったのでしょうかねえ。
あるいは...こんな形而下学な発想は天邪鬼しかしないだろうが...
楯の会の運転資金の破綻
三島由紀夫の私兵組織は百名足らずから増えようもなかった。
楯の会の運転資金は全て三島の私費だったそうで、
年間で一千万円あまり。
会員の生活費までは面倒見なかったらしいが、
当時としては結構な金額。
純文学者の盛名だけでは賄えるものではなく、
売文の徒も蒼ざめるくらいに雑文を描き散らかしていたのはそういう事。
財界人や富裕からの資金提供の申し出もあったが、
三島のストイックなダンディズムとは相容れない。
右翼ゴロの薄汚さは、金のだらしなさにある。
口ではさまざま財閥を罵るものの、裏口では資金提供を受け、
場末のキャバクラでトグロを巻く。
三井や三菱のポチそのもの。
対し左翼も大同小異
印税で懐豊かな知識人からカネをせびることを生業とする。
思想弾圧ともなれば、資金のパイプは途端に途絶。
美人局を利用したゆすりたかり
銀行強盗
などなど武装共産党路線に転じるのは論理的必然
三島がかような歴史に無知なはずはなく、
一線を画した運動論を展開しようとしたが....
三島由紀夫とは、生き方も死に方もダンディだった。
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