2022年10月22日土曜日

むしのこえ

 


とは言っても、昨今のこと
声はさておき、お眼にかかるのは蜚蠊やら虻蠅のたぐい。
蟲の夜鳴きなんて、絶滅危惧の世界

文部省唱歌「あきのむし」に登場するのは、、、





不思議と言えば不思議なんですが「キリギリス」、、漢字だと「螽斯」はどこに行った。

王朝和歌の世界では先ず、、いや圧倒的に「螽斯」

さしたる名唱でもない、、、天才歌人の凡作ですが、知名度だけはたかい。


きりぎりすなくや

霜夜のさ筵に 衣片敷き 

ひとりかも寝む(百人一首 良経)


ある方によれば、万葉集には蟋蟀(コウロギ)は登場するが、螽斯はお呼びではない。

しかし古今和歌集以降はそれが逆転する。

おおかたの見解は理由不明だが、呼称の混乱があったとされるが、、、姿形や声があんだけちがうんだから、にわかには納得し難い。


ともあれ、逝く秋、別れの秋には螽斯が一番似つかわしいとされる。


逝く秋の螽斯私撰架空歌合


鳴きよわる

まがきの蟲もとめがたき秋の別れや

悲しかるらん(千載集 紫式部)


きりぎりす

夜寒にあきのなるままに

弱るか

聲の遠ざかりゆく(新古今 西行)


もうすこしレベルの伯仲する同じような和歌があれば良かったのですが、雰囲気だけはよく似てますから。

ストレートな感情表現よりも「弱る・遠ざかる」という比喩表現の方が趣きがあるかな。




2022年10月21日金曜日

朝令暮改

 



一夜にして「発言」が真逆になるって、、、



毀誉褒貶の激しい野党質問者だが、、、

あまりの事に、言葉を失ったみたい(^^)

語彙は豊富な方だから、、、「朝令暮改」だって

ある程度想定の範囲ならば、他の言いようもあっただろう。


朝令暮改の何が悪い!

君子豹変とは本来は良い意味。下愚は移らずといい、いつまでも過去の発言に拘泥するのは「愚」だという事ですよ。


些末な虚偽発言に手足を縛られ嘘に嘘を重ねる事百回以上。これでどんだけ国益を損なったか!

非業の事態となったのは天◯だ!って位のことを言えばよかったのに(アタシは死者に鞭打ちませんからこんな事は口にはしない)


本来上に立つもの。その言葉は重い。だから「綸言汗の如し」という。しかし、綸言なんて美称に値するのは主上だけ。三権の長なんていっても、、、あの程度だもん(^^)


しかし結果オーライ

さすがに性格が素直な方だ。

はやく反社集団が撲滅されればそれに越したことはない。そもそもの行政府の解釈がおかしい。

過去の司法の判断は「刑法等」という判断。つまり刑法違反は「例示」に過ぎない。

さらに言えば「法律違反よりも道徳に違背」することの方が罪は重い。

まともな法学部でまともな先生に当たれば法学概論の最初はこれを叩き込む


法律は最低限の道徳


過去の判例では統一協会自体ではなくその関連団体が刑法罰に問われている。

結構じゃないか(^^)

親会社責任って散々言われてきたし、使用者責任ってこともある。893ならば親分の運転手兼ボディーガードが拳銃の不法所持ならば、親分も共同正犯




2022年10月20日木曜日

レモンあるいは檸檬

 梶井基次郎の小説名が檸檬ではなくてレモンならば、かくも名を馳せることはなかった。

落合惠子はレモンちゃんらしいが、檸檬のイメージかどうかは、、、


なんにせよ、薔薇と同じで読めるが書くことが出来ない所が似ているし、豊穣なイメージは漢字表記からしか味わえないこともまた然り。



なお、薔薇は「そうび」なる呼称で源氏にもたびたび登場します。

これは、賢木巻。

専門家によれば、国産古来の薔薇だそうな



さて、檸檬のはなし




知らなかったが、檸檬はほっておくと夏蜜柑くらいの大きさになるらしい。

流通市場的な規格ならば、ティーカップに相応しくないとダメらしいから、小ぶりなうちに剪定するようです。

さて、いったいどんなお味かなあ?

総身大男、、、といいますから、たぶん(^^)

2022年10月19日水曜日

乱心

 かの「奈良警備」に関わる殺人事件について書いてみようと思いつつも、、、機微な事になりそうなので、周辺散策にとどめます(^^)


被疑者の鑑定留置が四ヶ月程度らしい。かなり慎重かつ厳密に本鑑定をやってように見えるのですが「京アニ事件」は約半年かかった。これはあの極悪人の病状に鑑みて余計な時間を要したのだろう。
公判開始後に理非弁識能力をめぐる論争を避けるためだろうがあまり必要性を感じない案件。

時間をかけたように装い、公判日程を政治的に決めようとしているんでしょう



歴史を紐解くに、とりわけ大逆や不敬に類する犯罪に関しては、、、

正面切って罪を問う場合
気狂い(歴史的な意味合いから敢えて不適切表記、以下同じ)の所業で片付ける場合

に大別される。
旧刑法でも現行刑法39条に相当する条文はあったのだが、今みたいに猫も杓子も「心神喪失やら耗弱」を口走った訳ではない。

最初に結論をいえば


大逆や不敬相当の権威や権力に弓引くようなまねをするような輩は「白痴痴愚魯鈍.....気狂い」みたいなもんだからとんでもないことをやらかすんだって、、、

そのような刷り込みや意識誘導をしようとするのは昔ながらのテクニックだと言うことです。



しかし、大逆(幸徳秋水)事件では、容疑者の精神状態は一顧だにされていないが、そもそもがでっち上げの冤罪であり、シュギシャへの先制攻撃。多少不確かですが、26名が起訴され24名が死刑。なんせ「既遂、未遂、予備陰謀に関わらず有罪ならば死刑しかないって凄い罪状」ですから、、、あんまりと思ったか、主上の仁慈の演出により半数は恩赦で無期懲役に減刑


かの田中正造翁の直訴事件に関しても「乱心」で片付けられたという説もあり、大津事件の津田三蔵巡査も最初は「気狂い」説を外務省は世界に発信している



虎ノ門事件(難波大助の摂政宮狙撃事件)では、犯人を狂人に仕立て上げようと必死の画策がなされたらしいが、鑑定を行った棋界の泰斗たる赤門教授何某は学の道に忠実であり、、、難波は公判でも叛逆的な態度のまま、、正常なまま死刑に処せられた。


戦後、平城天皇ご成婚パレードに投石乱入した当時19歳の少年の場合

暴行罪が構成するかどうか程度の微罪だが、世が世なら大逆罪か不敬罪。処分保留というわけにはいかず、、、、無理矢理に精神障害者に仕立て上げたらしいって女性週刊誌によればですがね



赤色テロ(紛い)に限らず白色テロでも似たような傾向が見られる。浅沼委員長刺殺の犯人(当時17歳)

まだ幼いし右翼民族派は馬鹿の集まりで思想強固な訳がない。自分の頭で考える事ができないから赤尾敏やらに使嗾されたに決まっている、、、みたいな本人を貶めるような論調が世間に出回った。残念というべきか言葉に困るが彼は拘留中に自裁。

三島由紀夫が「烈士」と称賛するのはまあ勝手。




さあ、奈良地裁で裁判員裁判になりますよねえ。

有権者登録名簿から選ばれるらしいから、、、早めに住民票を移して....でもいまから間に合うかなあ?






2022年10月18日火曜日

第二学部なるもの

 


あまり母校ネタの駄文を書かない。

駄日記のかなりな部分が口から出まかせな戯言だから、事情を良く知るOB読者にバレバレになります(^^)



アタシの母校には、、、アタシの母校に限らずだが多くの大学には「第二◯◯学部」が存在した。社会人学生の受皿としての夜間学部である。

しかし時代の変化やらなんでしょう、、、我が母校には「社会科学部」なる昼とも夜ともいい難い時間に授業が開始される学部が1966年に開設され、政治経済、法学、商学の各第二学部は新規入学を停止した。しかし学部が正式に廃止となったのは1973年だったらしい。

社会人が八年近くも学生さんと二足の草鞋を履いているはずがないので、地下に潜った活動家の巣窟化していたのかもしれない。

それを知ったのは、革マル系自治会と大学当局の団交の席だった!



今でも一部の大学に夜間学部があるらしいが、かの旧帝大、それも赤門に「第二工学部」があったとはつゆ知らず、、、コレが今日のお題


今の千葉大の稲毛キャンパスあたりにあったらしい

ことの発端は大本営作戦参謀の石原莞爾。総力戦戦争には精神論よりも科学技術力。大量の工学技術者なくして最終戦争に勝ち目はない。

さすがに天才の発想、、、というか当たり前。

なんだかんだあって、当時の赤門の総長は元軍人であり腕力で新学部の設置を強行してしまった。

だから、第二というのは単に「二番目のキャンパス」というだけで夜学ではない。

入試も工学部全体でまとめて実施され、適当に第一と第二に配備されたから質的な差異はない。

戦後の経済界に錚々たる人材も送り込んでいます。


それよりも「オモロイ」のは、象牙の塔内部の見苦しいまでの暗闘、、、このあたりは、知の巨人の老作に詳しい。


良心的と言われる赤門のレフト系の先生のアコギなことよ!三国志なさがらの権謀術数。

戦後になり、自身の母体学部の勢力拡大のためにこの第二工学部を「戦犯学部」と批難し廃部に追い込んだとのこと。

赤門の経済学部と第二工学部の出身者の戦後復興への寄与度って、、、比較にあまり意味はないが(それは個人の力量だから)今更に述べる事でもない。




2022年10月17日月曜日

箱根駅伝予選会

 たかが地方の駅伝大会なんですよ。

その予選会が本選よりも面白いのよ(^^)



スポーツコンテンツとしては全国区トップレベルだが、関係者の百年間の努力もあるし、なんせ個人競技ながら団体戦なのが倭人の琴線に触れる。

しかし、お正月の二日間の争いなんて長丁場は今風じゃない。
それに引き換え、予選会は決着が早くつく。
細かいルールはともかく、十名の選手の合計タイムの上位十校が本選に出場できる。
十位と十一位のタイム差は、一分以内。
全員がほんの数秒タイムを短縮すれば勝てるのだ、、、ってこの残酷感もまたたまらない。

しかし、この辺りの緊迫感を盛り上げる放送上の工夫をやれば、更に面白いと思うが、、、大事なのは本選だからやらないだろう



再来年は第百回記念大会らしい。

予選会には関東陸連以外校も参加できるようだ。

しかし、一万メートルを30分以内の脚力の選手を10名揃えるのは、、、

まあ「俺たちにも参加させろ!」って関西の声封じだろう。


五輪種目にもならない種目に血道を上げるのは倭人らしからぬし、駅伝選手はマラソンで大成しない。

因果関係には議論があるが、駅伝大会の隆盛がマラソン日本の凋落を招いた、、、かも

DUAL

 


実に興味深いプロットなんだが、、、あまりに作り物っぽいし、ストーリーの展開もすこし葛藤がすぎるし、困ったなあ。
批評に困るわ😢



あのジョニーカマー熱演の「最後の決闘裁判」

興行的には不幸な結果に終わったが、彼女のキャリアには悪影響はない。



正義や真実は神意であるって、それをプリミティブと思うのは思索がたりない。

所詮そんな高邁な事はヒトザルには解らない、、から「神」に委ねる。合理主義の権化のようなNFLがコイントスに結果を委ねるのはそういう事。


きょうのお題は、、、



なんか、、、近未来みたいな現実

不治の病で余命幾許もないヒロインは、遺族の為にリプレイスメント(DNAコピーの後継者)を残す事にした。ところが奇跡的に寛解(こんな言葉知らなかった)

同時にオリジナルとコピーが存在することが許されないというレギュレーションがあり、、、通常はコピーが廃棄されるのだが、コピーからの異議申し立てがあれば、裁判所の決定で決闘裁判(勝ったほうが生き残る)に委ねられる。


二人は生き残りを賭けて戦闘能力向上を図るのだが、、そんな単純なアクション映画ではない。所詮は同じDNA、さまざまな葛藤があり、無論生存の欲求もあるし、、、そして苦い結末。

けだし、ディストピア的です。

クローンなんて、やっぱり神の領域だから、ヒトザルが足を踏み入れてならないものなんだろう



結末は、、、クローンが生き残ったんだっけ?

双子以上に似ているからどっちがどっちかわからないし、デジタルデータみたいにオリジナルとコピーの違いってあるんだろうか?



2022年10月16日日曜日

ある愛の詩

一時期には一世を風靡した「回文」
念のため、、、

ヨノナカネカオカオカ ネカナノヨ




かつて恋人たちの紅涙を絞った、、、「ある愛の詩」

「愛さえさればお金なんか」、、、富豪の若者は貧しい恋人に言うのです

しかし、貧しくも美しいイタリア移民の娘のリアリズム。「お金持ちだからそう言えるんですよ」

しかし、二人は駆け落ち結婚でNYへ。

娘は働き若者はロースクールへ(聞いたような話だが、、、)若者は優秀な成績でローファームに採用が決まり(この展開の可能性はなあ、、、)

でもストーリーはハッピーエンドにはならないのよ



ある経済誌の雑文によれば、昨今のメスザルはオスザルに「容姿と経済力」を求め、、、オスザルもメスザルに「稼ぐ力」を求めるらしい。


つまり、冒頭の回文は歴史的使命が終わったのです。

非結婚率が高くなるのも当たり前だ。

アタシ的には、特段独身のままでもアタシの年金原資さえ払ってくれれば充分。

人口減?

それがどうした(^^)

倭国の領土の適合人口は江戸時代末期くらいで充分なんです。


ちなみにこの大ヒット映画の結末ですが、娘は不治の病で夭折、、、二人の愛は終わったのです。


プロモーションの惹句に曰く(原作にも書いてあるそうです)


Love means never having to say you're sorry.


愛とは決して後悔しないこと、、、らしい

よく言いますなあ(^^)

世間知らずのわがままなボンボンを健康をすり減らしてまで支えたんですよ、、、娘は悔いはないって言うかも。しかしボンボンはどうなんだろうなあ






江戸幕藩体制

 特段、徳川体制だから諸侯に格差をつけたり格付をした訳ではない。

これらは統治の基本スタイルであり、とやかく言っても始まらないが、かくもあれこれとなれば、一言揶揄めいた事を言ってみたい。


山川日本史的には「親藩・譜代・外様」なる徳川宗家との縁により区別がつけられて、石高なる擬制的な経済力やらで位置付けが決まる、、、間違いではないが、そんな単純なものではない。

誰が絵を描いたか知らないが、実に巧妙な仕組みなり運用だってことはよく分かります。だから二百数十年の命脈を保ったのです。

基本は単純にして実際は言うに言い難い運用の例外を散りばめ、弾力的に位置付けを上げ下げする、、、コレが治世の要諦。


まずは「石高」なる擬制。実際のコメの生産量とは無縁だし、開墾成果で数字は変わるし、経済力はコメだけでは測れない。

はやい話が「格式」であり、証券取引所の「ゼロイチ」名柄みたいなもの。しかし、なにかにつけてこの格式がものを言う。



参勤交代の供揃えの人数だって、、、加賀百万石は規定上は数千人!そんな馬鹿な事をやる訳はなく、国境までと江戸入府以外はキセル。つまり供揃えの大半は日雇派遣労働者だったってこと。けだし格式なんて虚名の極みだとよくわかります。


しかし石高が多いと拝領屋敷の面積が広くなります。無償の地面をたくさんもらっても上物建設は自腹。

江戸期の土地配分からすれば、武家地が七割、あとは寺社地と庶民のエリアで半分づつ。かなり不効率だと思いますが、この仕組みなかりせば、東京の緑地は壊滅的だったはずだから、少しは有難いと思うべきだ。



無論、究極の格式は宮中の位階である。

御三家と言っても、たかが中納言程度だし、最大の石高の加賀前田家もそのくらいだったはず。

なんで読んだのか記憶が曖昧だが、藩内に時国館がある。

大納言平時忠の末裔の居所。

ある時藩主が立ち寄ったが、奥の間の造りが大納言仕様だったもんで立ち入るのを躊躇したって書いてました。

名家の末裔なる自負たるや、、、ロッキード裁判で田中角栄に毅然と有罪判決を出した事で左遷の憂き目をみた時国康夫裁判官は、この一族と言われるが、、、よくわからない。