2014年5月31日土曜日

花・鳥・風・月




日本的美学の真髄を漢字四文字で表せば・・・


花は桜。
チャイナの文化浸透時は、梅が主役。
富貴の象徴たる花の王:牡丹はまったく人気がない。
桜は、パッと咲き・散るところが「あわれ」だし、
武家の生き様からすれば、それが「あっぱれ!」となる。
美意識が進化すれば、満開よりも咲初めが麗しく、
更に散り果てた後に「幻花」をみる。


鳥は、時鳥もあるが、やはり雁。
秋には渡りきて、春雨に翼を濡らして帰る。
朋があり、遠方より来たり、帰る・・
つまりマレビトを尊ぶことなのだ?
しかし、ツバメは歯牙にもかけられないのはミステリー


風もそうであるが、何かをもたらす:災いもあろうが幸せも
変化をもたらすものに「反応」する:予感と美意識を感じる。
目に見えずとも、伝えてくれるのだ。


月とは・・・星と太陽をうたう歌は、非常に少ない。
理由は定かではないが「満ち欠け」の
不思議さに心引かれるものがあったのだろう。
毎夜のように、月の形に応じて呼び名を変えるところなんざ、
本当にすきなんだねえ・・と思います。



ここからは、多少乱暴な立論になるが、
不変なるもの・永遠なるものより「移ろうもの・虚ろうもの」に
心引かれる心象風景の持ち主が我々のご先祖様たちであった。
花・鳥・風・月のいずれもが、朽ちてもまた蘇る、
来たりてそしてまた去りゆく ものの象徴である。
廃墟の美は、欧米にもあるそうですが、
朽ちたるものを朽ちたるものだけとして愛でる美学は多分我々にはないのだろう。



ところで、中国古来の役満に「花鳥風月」なるものがあるらしい。
どうも、特定の牌によるトイトイ役とのこと。

花は、五筒
鳥は、一索
風は、聞いたが、忘れました
月は、一筒

それぞれの形が、花・鳥・風・月に似ているからのようである。

さすれば、熟語の原典も「雪月花」同様にチャイナなのかな・・・?
どうも日本固有の美意識表現という蝸牛庵説が怪しくなる(滝汗)
一方「雪月花」は、白楽天の漢詩である。
かの漢人は、単に季節の代名詞として使ったようであるが、
日本に伝わった際には「美の代表例」と解釈され、万葉人は、次のように歌った。
あまり出来はよろしくない。


雪の上に 照れる月夜に 梅の花 折りて 贈らむ 愛しき児もがも


しかし、13世紀ともなれば、日本人の美意識はここまで進化した。


春の花 秋の月にも 残りける 心の果ては 雪の夕暮



ということは、チャイニーズの博打遊戯の役が日本に伝来して
ここまで精神性が高まった・・ということにしておこう。

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