2015年9月30日水曜日

宋家皇朝余聞



西洋人の著者にとって、とりわけ興味を引いたのか、自他共に認める足フェチなのか、隠しておいた倒錯癖が無意識のうちに露出したのか、まあ、そんなことはどうでもいい。

本論の史上最強三姉妹をそっちのけで、纏足文化論を論じる。
岩波現代文庫判で、ざっと数ページ。
中華文明の恩恵には幾度でも「三拝九拝」をしてもいいが、宦官と纏足だけは、海を
渡らずによかったと思っている。優等生長男を自負する半島国家。
なんでもそうだか「うのみ」は、単なる事大主義である。

この悪風は、唐代末に始まるらしい。
漢族の美意識、足の小さいオンナは、それ自体性的にも美しい。不思議でもなんでもなく、シンデレラも、常人よりも足が小さかったようであり、西洋人も同様な美意識を持っていたことを想像させる。倭人だって、五枚コハゼの小振りな白足袋には、ぞくりとする。かといっても、幼児期より、足に布を巻き付け、、、後は引用すらおぞましい。纏足をした女性を侍らせた性的遊興風景にいたっては、性的興奮よりも吐き気をもよおす。
奇形の玩具嗜好なんか、健全な社会常識の対極。
さすがに、共産党政権下においては、廃絶されたとされる。人類に災厄しかもたらさなかった毛沢東の唯一の功績かも。
しかし、千年を超える習俗が、簡単に亡びる訳がない。上海や香港の魔窟では、密やかにサービスが提供されていると信じて疑わない。

知らない事は知るに如かず。


御誘いいただければ、案外ついていくかも(笑)

2015年9月29日火曜日

名台詞





AFI(アメリカフィルムインスティテュート)が選んだアメリカ映画の台詞ベスト100。
眺めてはいますが・・・

どうしてこれが一番かねえ?
かの「風と共に去りぬ」ならば、ほかにもあるだろう。
明日は別の明日・・・大久保さんの名訳では、明日は明日の風が吹くって、倭人ならば文学少女でも知っている。
ネイティブの発想は理解不能

流石に名セリフの宝庫はこの映画か!(アメリカン歌舞伎みたいなもんです)
数えればわかることですが・・・ベスト100で5つ以上10以下(かな?)

きみの瞳の乾杯     に始まり
腐れ縁の始まりだねえ
サムってばあ、お願いだから弾いてよ(あの曲)
・・・

しかし、台詞だけを見せられても、タイトルが思い出せないとか、
そもそもそんな映画を見たことがないって・・・プロ映画鑑賞家もお里が知れる(苦笑)


秋口の封切りは「映画賞狙い」の乱発というのが興行界のセオリーですが、
今年は

SW
JB   という超大型定番ブロックバスターの登場があるので風景が変わるかもしれません。

耽美・退廃・倒錯てんこ盛り版には、今年は出会えないかもしれません。
因みに、JBの名セリフの2つだけ登場しますが、これは、誰で知っている。
シンプルでいい!
長々とした台詞はそれ自体ダサいっていうことの証明。

SWと言えば・・・堂々の第八位ですが、これしかないってところがこの映画の限界
女優の趣味も悪いしってことはまあ別ですが、根っこは同じだと思います。
そもそも的にも、may the GOD be with you のもじりですので、
名セリフとしての創造的創作性に乏しい。
倭人ならともかく、キリスト教信者にとっては、至極当たり前の表現。
ことさらに・・・って気もします。


ご参考までに、ベストテンの大公開

1)Frankly,my dear,I don't give a damn.

2)I'm going to make him an offer he can't refuse.

3)You don't understand!I coulda had class.
I coulda been a contender.I could've been somebody,
instead of a bum,which is what I am.

4)Toto, I've got a feeling we're not in Kansas anymore.

5)Here's looking at you, kid.

6)Go ahead,make my day.

7)All right, Mr. DeMille, I'm ready for my close-up.

8)May the Force be with you.

9)Fasten you seatbelts.It's going to be a bumpy night.

10)You talkin' to me?


ちなみに、名セリフシーンのショートカット版がありました。

http://www.flixxy.com/100-movie-quotes-american-film-institute.htm






2015年9月28日月曜日

宋家の三姉妹


オンナだてらに・・・(と言えば差別的ですが)

カネを愛する
権力を愛する
国家を愛する・・・ 女ならば、男か宝石でも愛していればいいのですが、

有史以来最大最強の姉妹たちはちょっと違うようです。


三姉妹といえば「国営放送の懐かしい大河ドラマ」・・・ですが、

岡田茉莉子
藤村志保
栗原小巻の 三姉妹が登場すれば、途端にお話はつまらなくなる。

詰まるところ「悪女」がいないから・・・
まだ、浅井家の三姉妹のほうが多少は(性)悪女の匂いがするが、それも程度問題
肉食系の悪女のスケールの足元にも及ばない。

リア王の三姉妹
シンデレラの三姉妹

いずれも、薄幸の末妹がそれらしく見えるのは、邪悪なお姉さまの存在のおかげである。
といっても、意地悪と「本来の悪」とは全く違う。


邪悪であることと悪女は当然に違う。
再度繰り返せば

可愛いオンナは、馬鹿でもなれるが
能力のあるオンナは、怖いオンナでないとなれない。

悪女とはそういう存在である。


宋家の三姉妹が、美人であったとは聞き及んでいない。
IQが高くて、理性的論理的かどうかも知らないが、魅力的な女性であったようだ。
浙江財閥の覇者、辛亥革命のリーダー、中華民国のオーナーが夫々に妻に迎えたのである。
その辺のボンクラてとは違う「目利き」があったのでしょう。
宋家自体が、それなりの地位ある存在ですので、政略結婚の意図があったことも想像させます。


国営放送の「三姉妹」と違って、この三姉妹が登場するシーンもなかなか面白い
しかし、なんちゃって彼女たちの配偶者の立ち居振る舞い。
三国志ではなく春秋戦国時代さながらの葛藤と欲望と謀略の世界。
表社会と裏社会が錯綜し・・・所詮こんな連中相手に質朴な倭人が叶うわけがない。
アメリカンには物量で負けたが、大陸では策謀(裏社会の使い方の巧拙)にしてやられた。




2015年9月27日日曜日

もうひとつの「河野談話」




・・・・外交政策の決定においては、いかなる場合も、人道的な考慮は最も基本的な、また最も重要なことである・・・・


とは言うものの、ありもしなかった事をろくろく検証もせずに短兵急に「謝罪」するなんぞは、
外交政策の決定以前の話であり、明白な事実があるにもかかわず、無礼と名誉の毀損を放置する事は人の道以前である。

日本のシンドラーというよりも、独逸のSUGIHARAというほうが談話の趣旨に合致する。
かのナチスの党員実業家が救ったとされる工場従業員は千名強。一方で杉原領事が発券したヴィザの枚数は6千枚。
数の大小ではなく、片や、工業操業の労働力確保、一方は、訓令違反覚悟の人道的見地。
重みは言うまでもない。
あの理性が通用しない時代に正義を貫いたにも関わらず、何があったか知りたくもないが、
倭人の道徳性をひそやかに世界に喧伝するチャンスを自らの手で葬った外交戦の失態。
外務省は罪万死に値するし、名誉回復が遅すぎる。


スピルバーグのオスカー狙いありありの「シンドラーのリスト」
93年の作品賞と監督賞を予想通りゲット
アメリカ社会では、真正面からこのエピソードを取り上げれば無視はできない。

日本も政略的に、外国語作品賞に杉原千畝さんを主題に、
ノミネート出品すればよかったのですよ。
十年前には、テレビ版で、反町と飯島で杉原夫妻を演じています。
評判は・・・全く知りません。
命のヴィザという、加藤剛と秋吉の映画版があったはずですが、
これも認知度は皆目。
戦後70年だかなんだかで、唐沢と小雪版がロードショウの予定。
結構予告スポットがシネコンで上映されますので、チカラはいっているみたい。
しかし、国策で「慰安婦」映画をワールドロードショウを目論む某国がいるらしい。
文化も国際戦略の一部であるとは、ヒットラーの卓見である。
学ぶべき事にはまなばないのは愚昧という。
シネコンにお客様が一杯だけじゃねえ・・・苦笑


ちなみに、スピルバーグの映画のタイトルロールは、北アイルランド人のリーアムニーソンが抜擢されました。
硬派の役柄がお似合いですので、狡猾な実業家が正義の人に見えてしまった。
その後、彼は、アイルランド独立革命家のマイケルコリンズなんかも
骨太に演じました・・・・が、最近は、むこうぶちな殺し屋、元工作員、刑事ばかり演じています。


2015年9月26日土曜日

VWよ・・お前までもか?





世に「不正の三要素」はあまねき・・新興国や新新興国は言うに及ばずであるが
内部統制が厳しいはずのドイツ国の名門企業ですらですか・・・(絶句)


通常「不正の三要素」とは・・・

動機    (素寒貧で今日が越せない)
機会    (誰も居ないところに分厚い財布が落ちている)
誠実性の欠如(これって緊急避難だし、みんなそうするよね)


お金に困ることは有りげだし、ちょっと知恵を働かせば、窃取・横領は簡単にできる。
が、多くのヒトザルは通常「かような悪事」には手を染めない。
渇しても盗泉の水を飲まず・・というか、
要は誠実性のサーモスタットが働くからである。
苦しくたって、歯を食いしばって・・・これは美徳でもある。
しかしながら、この最後の砦である「誠実性」だって


自分のためじゃない。
家族にだけは、回転しないカウンターで寿司を食わせてやりたい

私利私欲じゃない
会社発展のために一過性の悪事に手を染めるだけだ。


と「自己合理化」が始まると際限がなくなる。
家族のためって麗しいのですが、会社のためって・・・これは単なる錯覚


十年以上前まで談合事件で苦しんでいた某大手企業のトップ曰く(正式な社長訓示です)

会社のためだなんて思ってもらわなくても結構です
会社にとっては、余計なことで迷惑でしかない
いざとなれば、懲戒解雇以上に損害賠償請求だって学理上できるんですよ
愚直に誠実に決められたルールを守ってください



進行形の事件ですので、このブログが公開されるときには事態は更に進展しているでしょうが・・・
兆円単位の損害(原状復帰費用のみ)が発生し、将来に渡り営業上の不利益を被る非常事態。
結果「シロ」だったトヨタのブレーキ問題でもダメージ克服まで3年程度はかかった
今回は明らかな確信犯。
破産とか事業再編にまではいたらないとは思いますが、
近未来の主流エンジンの帰趨は、これで決まったようなもの。
ハイブリッドクリーンディーゼルエンジンは、もはや「幻想」になるかも。
ほくそ笑むのは・・・・さあ誰でしょうか?

ところで、事業提携を解消した某社がいましたが、
これって卓越した判断(・・って結果論ではそうなります)
もしかして、薄々「不正を察知」って陰の声もあるようですが、多分それはない。
この自動車会社は、提携は解消しましたが、VWの2%弱の大株主らしい。
株価大暴落ですので、財務の毀損も相当ですから、そういう陰謀論には組みしない。


天網恢恢疎にして漏らさずっていいますが、
興味は、どうして悪事が漏れたか?ってことだけです。
関与したメンツも一人二人じゃなさそうですし、コレほどのことが下級幹部だけで行われたとは
信じがたい。

仲間割れ
良心の呵責

◯芝事件の背景でささやかれるようなトップ財界人にあるまじき子どもじみた「名誉欲とか嫉妬心」の
なせるちくりあいの技でしょうか




2015年9月25日金曜日

長野県に足を向けては寝られない。


一般大衆の知的水準がマスベースで高まって始めて「出版なる産業」が勃興する。
芸術的に高度な産物の創出、それ自体文化度の水準には違いないが、
民度全体評価を意味するものではない。
その意味で、倭国の出版文化の濫觴は、江戸初期。
京都から大坂・・・そして田沼時代以降は江戸に行き着く。
江戸の出版文化人の双璧は、蔦屋重三郎と須原屋茂兵衛。
片や女郎淑女録、今一方はお武家紳士録で財を成した。
女郎の評判記なんかで財を成すのは相当にいかがわしいが、銭は稼ぎ方より使い方で真価を発揮する。
蔦重は、写楽の浮世絵だけで評判を取ったわけでもない。
マツダイラミクスの度重なる出版弾圧にもめげずに、
多くの文人を支援し、権力批判的書物をあまた出版したのである。

そうはいっても、書物のお値段は庶民に手が出るものではない。
よくしたもので、貸本屋の隆盛。
江戸府内だけでも数百軒というから、相当なものである。
移動図書館よろしく、ご贔屓筋にウケの良さそうな書物を出前。
こっそりと、発禁本なんかを加えるところが、気っぷ・気概ってもんである。
今風のDVDあるいはCDのレンタルショップってところであるが、
いまや、図書館も大手チェーン書店が運営する時代・・・時世時節はめぐり来るのである。



ちなみに、蔦重は、江戸ッ子。
須原屋は紀州人。
熊楠先生と小川三兄弟以外に文化的天才を持ち得なかった地域であるが、
いまここに、忘れられた出版文化人の名を止めておこう。
しかし・・・近代はなんちゃって長野県人。
教育県の名声に恥じない。

岩波
筑摩
みすず
有斐閣

これら高名高踏な出版社の創業者はすべからく長野県人である。
我が生涯(過去も現在も・・・そして多分未来も)において、どんだけお世話になった(なる)ことか!


しかし、江戸出版業界は、明治以降命脈を長らえることは出来なかった。
木版から活版への出版革命への対応に遅れをとった。
版木という資産にもたれて、業態転換に躊躇したのである。
けだし、長所は短所に転化するという歴史法則はここでも働いた。
今の出版業界だって・・・






2015年9月24日木曜日

リュクサンブールの蝉時雨




仏蘭西のエリートは倭の文化がお好みです。
ラテンクォーター界隈のテアトルでは、OZU、NARUSE、KUROSAWA・・・なんかが絶えず上映中。
もっとも、必ず吹替なんですが、それはさておき、
一切の虫の音が聞こえず、カットされる。
緯度の関係でパリには虫は少ないってこともあるんでしょうが、
蝉時雨に真夏の汗を感じ
ツクツクボウシに秋の気配を
夜長の虫の音に余情を・・・・
いくら天才民族でもこのような感性はもちえないのですよ。


鈴虫の声をした難波の蜚蠊(ゴキブリ)


従って、このような形容を言い得て妙と思うのは、倭人だけ。い
それも難波っ子だけでしょう。
逝去して丸二年。
生まれ落ちて命名の時にはじまり、死後に至るまでも難波の騒動師
あまりの毀誉褒貶の激しさに好悪半ばする。
戒名はつけなかったそうですが、墓石には、このように墓名をつけて欲しいものだ。


以前に、追悼ブログを書きました。
本文の数倍の前書という奇天烈さ(笑)
その時紹介したデヴュー曲がリリースされたのですよ。
やはり心ある人はいるものです。

最近くぐると、歌詞も全文公開だし、隔世の感がある。
あの当時は、我が調査能力を持っても、一番の歌詞だけだった。
メロディーは皆目分からない。

先見の明ある真理の探究者は苦労するのですよ(笑)


2015年9月23日水曜日

キング・アーサー




エゲレス人の魂というか琴線にどの程度触れるものなのかはなんとも言い難い。
伝説であって史実かどうかは分からないが、伝説のモチーフになるような史実はありえたと思うのが自然である。
しかし、この英雄は、ケルト系である。
今のエゲレス人と称する連中は、アングロサクソン系。つまり、後世の侵略民族。
征服王朝にとって、非征服民の神話をどのように扱うかは・・・ちょっとデリケートな問題。倭国で言う所の「出雲神話」を思い起こせばいい。
出雲の風土記伝説というだけの単純なものでもないが、先住民の神話を取捨選択しつつ、さらに改竄を加えつつ、今の日本神話が合成されたって普通は考えます。

アーサー王伝説もまた然り。
キリスト教的なテイストを加えた事により、単純なケルト神話から、壮大な使徒伝説や聖杯伝説にまで発展した。現在はそのモチーフの部分が様々換骨奪胎されながら使われている。

しかし、荒唐無稽なスパイアクション映画にまで使われるとは・・・・(笑)

その組織は、財力豊かな貴族連によって創設されたプライベートなもののようである。
現在の運営責任者のコードネームは、アーサー
そのセクレタリーの役割を果たすのが、マーリン
主要なエージェントには、ランスロット、ガラハット、パルシファル・・・

円卓の騎士さながらであるが、残念ながら色気がない。
原典同様に、グィネヴィアでも登場するかと思いきや・・・
そう言えば、エクスカリバーも出てこない。雑多なスパイ小道具は登場するくせにねえ・・・
定番のセビルローの誂えスーツスタイルに手から離すことのない長傘というスタイルは英国スパイの典型。
ここまで荒唐無稽だと、逆にカタルシスを感じるお暇つぶし映画。
初日だからか、シネコンは満員御礼でした。





2015年9月22日火曜日

春惜む宿や日本の豆腐汁



根岸や鶯谷の話題は幾度も・・・ってことですが、豆腐(豆富)の話題でも(笑)
創業三百年になんなんとするとうふ料理の老舗が、鶯谷駅の近くにある。
浅学菲才の身ゆえ知らなかったが、
法親王が京の都から持ち込んだのは
さえずりのきれいなウグイスだけではなく、京都の絹ごし豆腐もそうだった。
創業者は、お供をしてはるばると野暮とバケモノしかすまない江戸の地までやってきたのです。

その後、紆余曲折があったのでしょうが、ちゃんとお店を構えています。
以前に訪れたのは四半世紀前。

在任中に無念の病死をとげた先輩の退院祝いの席。
病み衰え、食も細くなり・・・
豆富くらいなら食べれるだろうっと、上司の役員と部長のお手元で四人で卓を囲む。
当時は、末席で一生懸命水割りを作ってました。

思いがけなくと、先輩は食が進み、明るく談笑。
今から思えば、燃え尽きる前の蝋燭の輝きだったのかもしれません。


近くに子規庵が有り、正岡子規もご贔屓だったらしい。
細川家に預けられた赤穂浪士に、法親王が差し入れたのもこのお店のおとうふ。
聞き及ぶに、幕閣では浪士の処分をどうするか考えがまとまらず、
困り果てて、綱吉は法親王に相談したとか・・・
世間知に乏しい皇族の「粋な意見」ってにわかに信じがたいが、
そういう文脈で、この「差し入れ」を考えれば、なんか得心するところもある。


おとうふ尽くしのコース料理に、ポン酒が600ミリリットルにハイボール。
ほっとけば、まだまだ飲めそうだが、ガツガツしては情緒がない。
相方との話題は様々ですが・・・余情を楽しんでこその「入谷の侘び住まい」である。



2015年9月21日月曜日

勝ったのは「株屋」じゃなくて・・・・




世界的なコンピューターメーカーと地銀の争いでは、最終的に42億円の損害賠償が確定し
ITベンダーの敗北となりました。
コンピュータシステムが巨大化すれば、伴う損害額も膨張するわけで、
そもそも的に百億円訴訟。
ベンダーにとっては「厳しい司法の判断」だったというのが通説。

しかし、二桁億円程度で驚愕していては、IT社長は務まらない。
株式市場の注文システムの瑕疵による400億円強の損害賠償請求訴訟が提訴されたのが
10年前。
最高裁での上告棄却決定で、やっと終結。

確定した賠償額は107億円!
加えて遅延損害金(賠償額を元本に商事法定利息6%の10年間で計算するのかな?)

争ったのは、取引所と誤発注をやらかした証券会社ですので、あんまり興味はありません。
むしろ、瑕疵のあるコンピュータシステムを開発(保守?)した
F通さんの責任はどうなったんでしょうか?
実際上は、その下請けベンダーの社員のコーディングミスなんでしょうが・・・
そこんところがよく見えませんので、とりあえず目の前の「判例批評」


争点はいくつもあります。

まず取引所は「注文(訂正処理を含む)に適切に対応できるシステムの提供義務」があると
されました。当たり前といえばそれまでですが、注文取消処理にバグ(瑕疵)があったわけですから
義務違反が前提にならないと、議論は前に進まない。


取引参加者契約なるものがあり、それには「取引所の賠償責任は故意又は重過失のある場合」に
限られると記載されているらしい。
このような条項は一般的には「信義則違反」とされるが、
市場を適切に運営するという観点からのリスク配分の考え方からすれば、妥当という判断です。


このような責任制限条項が一般的に合理的というわけではなく、個々の局面で変わるものであり、
むしろ「市場」という特殊社会でもの判断だと思われます。


さて、取引所に故意(これは考え難いが)や重過失があったのか?
立証責任は原告サイドに有ります。
何が「重過失」かって・・・まあ簡単にいえば

結果の予見が可能かつ容易
結果の回避が可能かつ容易  にもかかわらず・・・というのが一般解釈です。

開発(PGM修正を含む)局面で言えば

PGMのコーディングミスがあまりに低レベル
バグの発見が容易にできる
バグの修正が簡単にできる          ・・・にもかかわらず、遺漏があれば「重過失」ということになる。

書けばそういうことですが、実際上は専門性の高いエンジニアの意見書を提出し
技術論争をやったらしい。
当然意見書の見解は甲論乙駁状態。
ITに詳しくない(と思います)裁判官は、見解が相反している以上、重過失の認定には至らなかった。
実際上どういう内容だったかは、判決要旨に延々と記述されているが、よくわかりません。
サルが見てもって言うような単純なものではなさそうですので、重過失とまでは言い難いという
判断は一定の合理性がありそうです。

通常、バグはあるのが当たり前であるが、初期値であっても極力ゼロにするのがエンジニアのプライド
厳密なテスト仕様書を作成し、そのとおりのテスト結果を文書化しておくことが身を守る術である。
これって非常に大事。
ユーザーテストでは問題はなく・・・ってのんびりしていてはいけないのです。


このままでは、原告の完敗ですが、現実に巨損が発生している以上、不法行為による損害賠償論を
持ちだしています。
しかし「60万円で一株」の売り注文を「一円で60万株」に売り注文と
間違えたことで生じた損害です。
著しく「注意散漫」な担当者だし、画面上アラームがでたのに無視して強行処理をしたようですので
仮に損害を認めても、相当な規模で過失相殺を認定されるはずです(判決では30%の過失割合)


余談ですが、誤った売り注文に真に受けて買い注文を大量に入れる投資家との売買契約関係は
どうなるんでしょう?
明白な「要素の錯誤」であって、原始的に売り注文は無効のはずです。
しかし、取引参加者契約では(多分ですが・・)秒速での取引の安定を重視するため、
かようなことで一々約定をなかったことにはしないという約束があるのでしょう。


さて、裁判所は不法行為を一定範囲で認定しました。
システムのバグに重過失があるとは言えないものの、
売買注文の異常状態を認識しながら漫然と見過ごし、
当然行うべき売買停止措置を行わなかったこと(タイミング遅れ)を重過失と判断したのです。
生じた損害の内、当然行うべきタイミング以降も150億円の損害が発生していたのですが、
証券会社の過失相殺の結果100億円というのが、地裁(控訴審も)の判断でした。


バグが有ったとはいえ、異常注文にはアラームを出すとか一定のシステム的な配慮はしています。
しかし、使いこなせないバカユーザーだとなんにもならない。
カネにはならないが、教育を徹底的にやっておくことでITベンダーも身を守れるって
教訓が導き出される。


ここからは話は下衆になります(笑)
証券会社側の代理弁護士ですが・・・スタープレーヤー揃いのようです。
元最高裁判事に明治維新の元勲の末裔まで
起用したロー・ファームも、超大手で、ざっと20名程度の先生の名前が並んでいます。
通常弁護士報酬は、経済的利益の10から20%程度ですので・・・他人のお財布の中身を
探ってもおもしろくもなんともない。



ところで、実際に開発を行ったITベンダーの責任論ですが・・・
当然、賠償責任制限条項付きの開発契約を結んでいただろうと思われます。
考えられるケースは・・・

1)開発(保守)費用を上限とする
2)1項のとおりであるが、故意あるいは重過失の場合は上限なし
3)故意又は重過失の場合に限り開発(保守)費用を上限(通常過失は責任なし)

ITベンダーとしては「3項」としたいが、かような信義則に反するような条項は
原始的に無効とされそうなので、妥当なところで「2項」で手をうったのでしょう。
一体いくらの開発費用だったか知りません。
それに、総開発費なのか、工程別の契約額か、保守契約部分の費用か・・・
よくわかりませんが、どうも100%ITベンダーにヘッジで来たようには思えません。
判決要旨では、5年間安定的に稼働しており・・・と書いてますので
保守過程での「PGM修正ミス」みたいです。
ということは「年間保守料」が上限ですか・・・

勝ったのは証券会社ではなく、ITベンダーだった(・・・・かな)


















2015年9月20日日曜日

夜勤と宿直




最近やけにダンダリンが勤務管理をうるさく言ってくる。
一部の・・・あるいは多くかもしれないが、ブラック系企業の加重労働対策だろうって容易に想像はつく。
目に余れば、どんどん刑事罰を課せばいいのですよ。両罰規定もあります。

まず、客観的に証明可能な時間把握をせよって・・・
タイムカードは嘘つきですから、PCのログオンログアウトタイム
これも、ログオンはともかく、肝心のログアウトタイムに客観性があるとは・・・職種によるが疑念がある。
一番確からしいのが、生体認証あるいは個人カードによる入退出管理
近くにある区役所では朝夕職員の方が長蛇の列です。

要は長時間の時間外勤務を廃絶することにある。
多くの会社の時間外勤務規定では、定時後22時までは25%の勤務割増
以降朝の5時までは深夜勤務ということで更に25%の加算
つまり、夜働けば、昼勤務の5割増!
もっとも、時間外勤務は、管理者の指示承認を前提とするので、勝手夜勤は認めない。
しかし、管理職は自己管理ですから、自己判断で25%割増時間に働いても構わない。
程度問題ってありますから、単なるライフスタイルは困る。夜勤の合理的な必要性を
弁明してもらう必要がある。

そんなこんなで、今流行りが、早朝勤務
時間外勤務規定を改め、朝の5時から8時半までの勤務にも5割の割増を認めるってことです。
つまり、夜残業を早朝勤務に変えると割増が増えるって仕掛で深更にまでおよぶ残業を抑制しようって思惑です。

思惑通りいくかなあ?
予定時間通りに事が済む仕事ならば、朝残業でもいいが、いつまでかかるか分からないって仕事の場合は危険すぎる。

それに遅くなってもやり遂げてから帰る方が気が休まる。
残り2時間相当分を残して、あとは明日朝に・・・って心理的なハードルがある。

疑念が多々あるが、まあやってみればいい。
効果がなければやめれば済むこと。


ほかにもいろんなアイデアがありまして・・・

定時後はEVの稼働停止、エアコンストップ
22時で強制電源オフ

管理ルールが曖昧な在宅業務が横行すると余計に危険ですがねえ(笑)


2015年9月19日土曜日

検察官事務取扱検察事務官



ちょっとした経緯で「処分決定通知」なるもののCOPYを入手した。


不起訴処分とする


感慨深くプロ目線で紙背行間を読むのですが・・・
どうやら「処分するかしないか」だけを記載するらしい。
処分しないといっても、正確には

嫌疑不十分
起訴猶予   にわかれるはずだが、そこまで(処分理由)は記載しないってことらしい。


いたく感じ入りながらも、すでに目線は、この通知書の作成者に移っている。
斯様な役職者が存在することは知ってはいたが、初めてお目にかかるし、女性の方みたいです。


東京区検 検察官事務取扱検察事務官


軽犯罪は、通常地検ではなく区検が扱います。
地方裁判所の相方が地検、簡易裁判所の相方が区検ということです。
問題は、この長ったらしい役職なんですが・・・
要は「検察官=検事の職務を遂行することを許された検察庁の事務官」ということです。

検察官は、司法試験を合格した司法エリートですが、検察事務官は、そのスタッフに過ぎません。
しかし、慢性的に検察官が不足しているために、地検や区検では、副検事や有能な検察事務官が
検事の職権を行使できる仕組みがある。
人手不足というネガティブな側面も有りますが、本音は、下積みの事務官のモラルアップでしょう。
正式に司法試験を経由したわけでもないのに、検事さながらに権力をふるうことに
弁護士会なんかは異議を唱えますが、検察庁は歯牙にもかけない・・・
実際上、供給過剰ですから、人手不足って時代ではないのですがねえ。





話変わって・・・・
かの「不適正」会計で倭国の経済界を騒がせた某社の監査法人ですが・・・

粉飾に加担した
不正を黙認した
プロにあるまじく騙された  ・・・のいずれだったのか正式な表明がほしいのですが

そのような調査がなされたわけでもなく、プレスリリースもありません。
第三者委員会報告では「不正は見抜き難い程度に巧妙だった」ということになっています。

さて、理由はどうあれ、年間10億円強の監査報酬は魅力ですが、信頼感が毀損し
このまま監査法人を継続する訳にはいかないって普通は思うのですが、某誌情報では、
このままの「腐れ縁」が続くらしい。
このクラスの大企業ともなれば、監査能力があるのは大手の監査法人に限られます。
しかしながら、公認会計士の需給を過去読み違えたことで、需給は極めて逼迫。
だからといって、応募者が増えるって傾向にもない。
大手監査法人としては、引き受けたいのはやまやまだが、兵隊がいない。
現状の監査法人から監査チームがスピンアウトしてくれれば、コマは揃うが
過去の事例では、悪いDNAを持ち込んだことで、組織全体のレベルダウンという苦い経験もある。

そんなこんなで、そのまま「腐れ縁」が続いてしまうと、日本の経済界全体が色眼鏡に
見られてしまいます・・・

ということで、

公認会計士業務取扱会計事務所事務員

なる制度を緊急避難的に作りませんか?って提言してるんですが、カメが昼寝をしているような
業界団体はまったくの無反応です(苦笑)
公認会計士の方々はオーバーワークでボロボロになりつつあり、業界自体がブラック化しているわけですから
このままでは、絶対に新人補強は今以上に難しくなる。












2015年9月18日金曜日

正閠陰謀論




歴史の正当性は学問的に争うべきものであるが、歴史のその性格からして政治的に争う宿命にある。
血脈の正統性もまたしかり。
歴史は勝者の玩具であるから、勝てば正統性が担保されるし、その為には、まず異端であろうと正統を主張する。

当たり前のように議論している、あるいはそうなんだろうって思える皇位継承。
父から子へ、子から孫へ継承される事が当たり前ではなかったという歴史的事実を
まずもって想起する必要がある。
要は、繋がっているって思い込む事から「万世一系」が始まる。

持明院統と大覚寺統のいずれが正統かって、不毛の議論だと思うのですが、
正統性を命綱とする一派もあるわけで、学問的正当性なんかどうでもよくて、
要はライバルより優位に立つ事が大事なのですよ(笑)

南北朝正閠論・・・PC辞書では一発変換しないくらいの認知度ですが「あの歴史問題」以上に熱かったのが明治の末期の頃。
そもそも的には、反徳川イデオロギーが、南朝正統論に結集した。
北朝系で歴代継承されてきた以上今更って事ですが、太平記なるものが、判官贔屓も相まって大衆ベースの世論をつくり、エシュタブリッシュのサイドでも屈曲した意識の持ち主・・・つまり非主流不満派は、南朝史観を言挙げする。
ある意味で明治維新とは南北朝戦争の再来であり、建武の新新政なのです。
戦争には大義が必要であり、つまるところ「神輿」がいる。
神輿は軽くて担ぎやすい・・利用し勝手がよければいいのだ。

逆であれば・・・由々しき事ながら「原因不明の不慮の御逝去」ということが歴史上たびたび起こっている・・・らしい。
安重根が伊藤博文「暗殺」の理由の一つに、そのような悪事に手を染めた事をあげているらしいが・・・・
又、幸徳秋水は、簒奪王権である北朝の裁判権には正統性がないと喝破もした。
どっちもテロリストの妄言ですからねえ(笑)

なんにしても、明治の終期に、正閠論が登場する事には、なにやら陰謀めいた事があったに違いない。
大逆事件の被告発言なんかが世に出回るはずがないのですが、何故か新聞紙上で政府糾弾とあいあった。おりしも教科書問題にも発展し、国会の場で政府追求。
とうとう、南朝正統決義まで(笑)
国体明徴決議と並ぶ憲政史上無類の汚点。
哀れ、両統両立という普通の歴史的記述をした歴史家は失職の憂き目を見た。

太平記なる戦記物は、同情的ではあるが、南朝正統の書というわけでもない。
刊行中の岩波文庫版太平記は六巻もの。
前半三巻の早いうちに北条政権は瓦解し、あとは新田と足利の内輪もめ。
後醍醐も逝去し・・・・この本の読みどころはそんなところじゃなくて、後半部の延々と続く足利家内部の兄弟喧嘩とそれに加担する御家来衆の御家騒動。
内紛や裏切り、二枚舌は当たり前。


明国との正式外交は、南朝の九州政権が握る有様で、辺境の島国の蝸牛角上の争いに大国や半島国が介入していたとすれば、後世倭の国のかたちはそうとうにかわっただろう。
ちなみに、明治天皇の御真影への疑問とか、西郷隆盛の写真が存在しないことの理由は、そういうところに
あるらしい・・・ってことが「今日の陰謀論」です。

2015年9月17日木曜日

ドライビング・ミズ・ウェンディ





90年代と今
南部とNY
いささか運転が危なくなった老女と運転の出来ない中年女性
ユダヤ系とWAPS
黒人とインド人


似て非なる環境においても、ドライバーは、人や荷物を運ぶことを生業とするが、
時により思いもかけない場所に連れて行く。
運転手次第だからクモスケ・ゴマのハエもどきにつかまれば、
人生の不幸だと思い、諦観するしかない。

この手の作品は、凜とした女性が演じられる女優さんと、
それを柔らかく受け止め、時として巌の如く弾き返せるシブいベテラン男優とのマッチゲーム。
気取って言えば格闘技。

ジェシカラング対パトリシアクラークソン
モーガンフリーマン対ベンキングスレー

なんにしても、オスカー俳優でないと務まらないという不文律でもありげである。


設定がここまで変われば、この二本の佳作を比定することに意義があるのか?
あるいは異議か(笑)
実際上、比定すべき内容ではない。
あの時代のディープサウスと違い、二十一世紀は悩める者達・・・
亡命インド人の大学教授も夫の浮気でシングルとなったインテリ書評家も
相手の悩みをお互いの鏡のなかの等身大の自分として成長してゆく。

南部の貴婦人の末裔とは、社会的無知だが善意の持ち主である。
自分が善意であれば社会も善意だと無邪気に信じている。
その深層意識が徐々に崩れていく様を描く作品のほうが奥行きがある。
小品ながらオスカーの作品賞に相応しい。

他方は・・・アメリカンがお好きな精神分析的傾向映画
暇なら時間つぶしって程度の作品
積極的におすすめはしない。


2015年9月16日水曜日

宿直の夜



古典の世界では「とのい」と言うが「しゅくちょく」と同じ事。
幸か不幸か、かような勤務制度のある職業についたことがないので、
長い夜をどう過ごすのかよく知りません。

聞くに、渋谷に近いオリエンタル病院の勤務医であった元大学講師の外科医直江庸介は、
当直のたびに道玄坂の寿司屋とかBARに入り浸りだったらしい・・・
やんごとなき世界でも、というかなればこそ宿直制度があったようです。
暇な夜勤とはいえ、急患が来ればのんびり酒を飲んでいるわけにはいかないが、
宮中の宿直なんか暇を持て余し、たわいない夜噺三昧に違いない。


HIKARU源氏くん17歳の夏のしとしと雨の夜。
退屈な宿直に付き合う年上の親友の頭の中将とか中年の取り巻きの下級貴族が品下がる話に興じている。
過去付き合ったオンナの品評会って、上品とは決して言わない。
HIKARUは、聞くともなく耳を傾けているが・・・

早い話「中流のオンナが一番」って結論のようです。
パーフェクトな女性はめったにいるものではないが、中流階級(この世界では中流貴族です)の女性に、
個性的ですぐれた者が少なくないというのが経験則らしい
廃屋のような寓居で可憐な女性に出会ったりすると不思議に心引かれる・・・ってこれはそうだ。
浦の苫屋に千金の名馬をつなぐって喩えもある。

さらに生涯の伴侶を選ぶ基準は、

貞淑であること
嫉妬をしないこと

なんとも身勝手なものである(笑)
しかし、美しい心映えは、容姿や階級を凌駕するというのは普遍の真理ではある。

HIKARUの女性遍歴(その後の物語展開)は、まさしくこの「雨の夜の女性品評」に
インスパイヤーされて展開されるわけで、前半部のコアな箇所である。
しかし、ある意味で皮相な女性論であり、ストーリー上の重要性を除けばつまらない箇所
としかいいようがない。


蝸牛庵は「オンナは顔よりも頭のいいのが一番です」・・・ってのが持論ですので
その意味で式部女性論には組みするものではない。
LADYムラサキって、彼女も不遇な中流貴族でしたから、感情移入が激しいのですよ。
多分ですが、内館牧子さんも見解は別にするが組みしない側に立っているはずだ。


可愛いだけのオンナはすぐに飽きる
優しくて細やかなオンナは、段々に鬱陶しい
教養と知性に富んだ女は、やがて肩が凝ってくる
すがりつく頼りなさなオンナは・・・足が遠のく  って、こっちのほうが格段に含蓄深い(笑)



誠に失礼ながら、蝸牛庵と内館さんの見解を合算してシェイクすれば・・・ 


可愛いオンナは、馬鹿でもなれるが
能力のあるオンナは、怖いオンナでないとなれない   ・・・ってことかな 






2015年9月15日火曜日

書肆一代



書店
書房
書肆

要するに書籍製造販売関連業者のこと。
かつては、映画業界で言うところの

製作
配給
興行 を一手にやっていたコングロマリットタイプだったのです。

日本最古のゼネコン(社寺建築専門)やホテルは、飛鳥奈良時代に始まる事を思えば、最古の書店は江戸末期のころ。
聞くに仏教書専門らしい。
事業体としては、更に古いはずだがどうも永続性に欠ける。
観世流謡本の出版は、幕府式楽の地位を得た頃から始まったらしいが、版権・・・正確には出版権は流浪する。
独占販売権者の今の檜書店の濫觴は、贔屓目に見て明治以降。
しかし、未だに謡本だけは、江戸当時の版木印刷の佇まいをいまに残します。


愛書家や蔵書家の魂が子供に継承されない事に何だか似ていますなあ(笑)
書肆一代とはけだし名言である。
料亭や和菓子屋は、代々継承されていくものだが、これはいったいどういうことだ?
歌舞伎、能楽、生花、陶芸(楽家はすでに十五代)・・・もしかり。


某師匠曰く・・・

家の芸(家業)って、継承することが最大の芸なのよ。
人間国宝クラスは、毎度毎度出るもんじゃない。
家元って言われても、下手でも構わないし、そんなことはお弟子もわかっている。

古典とは「型の継承」なんだから、名人ともなれば新しい工夫を入れてみるが
口承とおりでも別に構いはしない。
しかし、書肆って稼業は、多分全く世界を別にするのでしょう。
別の言い方もあるようです。
ベストセラーとはエリート志向の大衆化により成立する。
なるほど(笑)書肆ってけっこう気位高いですから、大衆に歩み寄るのはそもそも苦手。
所詮・・・売れてなんぼなのだ。





2015年9月14日月曜日

ムギ文明なるものの・・・続編

ラーメンが国民食であることは否定しないが、倭の伝統食ではない。
従って、郷土ラーメンなる概念も嘘っぱちだと思っている。
町興しの道具にことさらな歴史性を付加する事は邪道だ。
毎度槍玉にあげるのが、和◯山ラーメンですが、今回は武士の情けでパスしよう。
あと数百年、この人気なり隆盛が維持できてはじめて和食なり、和の伝統食の戴冠ができる。
ラーメンの歴史は、開国以来たかが百年である。

ブラックバスのような下品で生命力の強さだけが取り柄で、
村々の伝統料理を駆逐する外来種なんですが、
どうも、日本人のルーツ同様に南方系と北方系で伝播されてきたらしい
という説は魅力的である。
奇しくも、ラーメンの聖地は九州と北海道・・・
美は辺境というが、食もまた然り。

外来種をうまく倭のテイストと融合させるような手練が得意なのが倭人。
なんとかそばって呼称している時代は中華料理風であるが、
いまや、全くの異種。
中華料理店でラーメン系をメニューに出すって結構な度胸。
グループ宴会の〆にシェアする為に注文する程度で、
ラーメン目的で
足を運ぶような輩は・・・いまや想像できない。

マンガ「美味しんぼ」では、隠し味にしょっつるを使うというエピソードが
でてくるが、必死で倭に同化しようとする意欲は分からなくはない。
だっから、作務衣の制服に紺や黒の中国人が好みではない和風の色使い。
これらの全体観を称して・・・ラーメンと愛国 なのである。l
しかし、愛国といっても、ナショナリズムやペイトリオリズムとは、
肌合いを異にする。
伝統美でもない。
倭人がさらに劣化するかもしれないことや純粋な倭のヒトザルが激減する
未来図を思えば、健康食とは言い難いラーメンは命脈を保っているのでしょう。
ラーメンを担ぐ連中には、地産地消とかスローフード運動には縁遠くその気もなさそうです。
極々マイノリティな店主で、その努力をしているらしいが、マジョリティーには
絶対にならない・・・ってことで続編は終了です。



2015年9月13日日曜日

赤身と白身


ちゃんとした白木のカウンターに座れば、まず「トロ箱」を見る。
ネタを眺めて、ふんと冷笑して席を立つ・・・ってニヒルでカッコいいがあまりに気取り過ぎ。
普通は黙って、白身(淡白な素材)から始める。
次は脂身の濃い食材(赤身のマグロなんか・・・いいですねえ)
本当はガツガツとあれやこれやって物色する前にこの程度で軽く「あがり」なんかを頂戴するのが粋だが、
次に「光物」とか「卵焼き」。
最後に「巻き寿司」っていうのが通俗的定番・・・・


寿司屋話題と思いきや、実は全く別なことを考えている。
ここで言う「身」とは「筋肉」のことである。
白い筋肉と赤い筋肉がお魚さんの世界にはあるのだ。
当然ながら、白い筋肉は「瞬発力」に優れ、赤い筋肉は「持久力」に秀でている。
マグロはどんだけ頑張ってもヒラメのシャープな動きにはかなわない。
逆もまた然り・・・
薬物ドーピングをやっても効果は限定的だし、これって陸連規定で永久追放になりかねない。

ヒトザルの世界も多分同様だろう。
ハイジャンプと砲丸投げでは所詮体型が全く違うし、短距離と長距離では肉質がきっと違うのだ。
つまり、そういう形成遺伝子の違いということになる。
少し前に「デザイナーベイベー」って話題になり、多分に倫理的な問題にもなった。
さすれば「デザイナーアスリート」も同様である種のドーピングであると指弾する向きもある。
薬物を使用してレコードを出すことと、人為的に遺伝子操作を行うことのそれに
差異があるのかどうか・・・
明らかな劣(悪)性遺伝子を駆逐する医学的行為はヒューマンですが、
ある種「神の領域」に踏み込んでいる。
愚劣に生まれついてくることは不幸には違いないがこれも「神の不可知な御業」ってこと。


アスリートの世界は、もはや古典歴な意味でのスポーツとは言い難い。
過度に管理された「科学的なトレーニングなり生活環境」から人工的に創りだされたマシン達の戦い。
そう言えば古代ローマ文化ともいうべきは剣闘士(グラディエーター)
現代のグラディエーターとはまさしく競技場のアスリートたち。
パンとサーカスに興じるローマ市民と我々はどこが違うのか?

古代ローマのグラディエーターの多くは奴隷階級の出身であるが、
一定規模で自由民も志願したらしい。
厳しい訓練を経て勝ち続ければ、富と名声を得ることができたが、
出自において差別されることに変わりはなかったとされる。
今様のグラディエーターも「奇形児」であって、ある種後ろ指を刺されても致し方ない(差別といえば差別だが・・・)
しかし、帝政期ともなれば、上流階級出身者がグラディエーターとなった例もあるようである。



なんだか・・・今様風景と何が違う(苦笑)

2015年9月12日土曜日

コメ文化あるいはムギ文明



ポン酒にしようかペールエールがいいか?って事じゃない。
一般的な・・・主食の話。
東洋と西洋の文化差異論をする気はないし、自然共生型と自然収奪型の優劣論を
ひけらかしたりもしない。
個人的には、お米の方が遥かに上位だと思っているが、ムギ系食材も好きである。
戦後、アメリカンが余剰小麦を輸出振興策としてパン給食を強要したが、あれはあれで
パン嫌いになっただけ。
輸入バーガーだって、文明押し付け型のチェーン店は苦境に喘いでいる。
異物混入だけが原因でもない。
バーガー系は、国民食には成り得なかったが、麺類系は、ドンブリ系と並んで
ガッチリとその位置を守っている。
コメに比べて小麦は食管制度の桎梏が緩やかで、流通が豊富だった事がラーメンの隆盛の基礎となったし、
お湯をかけるだけってお手軽さ商品も後押しした。

南京そば
支那そば
中華そば ・・・・とは言わない。

ラーメン・・・あるいは

拉麺
拉麵
老麺

ナルトも支那竹も姿を消し、叉焼に煮卵
主食、副食、汁物を一碗に盛り込んだ倭の小宇宙的世界
そこに倭の哲学を・・・感じいって食ってるような若者はいないが、
小店主達のマニアックな努力や工夫の積み重ねともいうべき進化性には
頭が下がる。
なんだか町工場の職人気質みたいだ。
だっから、つけ麺は嫌いなの(笑)
ラーメン的小宇宙ではない。


フレンチに比べてイタリアンの方の優位差にも、きっとパスタの存在があるに違いない。敷居の高低だけじゃない。
新潟にはズバリ「イタリアン」なる洋風ソース掛け焼きそばがある(笑)

ラーメンの隆盛の背景には、醤油出汁という倭の調味料の使用がある。
最近の流行系が、魚介煮干し系。
ラーメンランキング雑誌のトップはたいていがこの系統。
倭のテイストがますます深まる・・・・



サブカルチャー評論家と思しき御仁の「ラーメンと愛国」
新書タイプは普通買わないのですが、新幹線内の時間つぶしってことで購ったが、前書き、あとがき、目次で読む意欲を失った。
ラーメン戦後史は皮相だし・・・どこで愛国に結びつくのか?
自衛隊の非常食が乾パンではなくてカップヌードルってことかしら。
中身を読む余裕でも出てくれば、この続編でも書いてみるか(笑)

2015年9月11日金曜日

早く言ってよ・・・・!




何とかという「ある種のITベンダー」のCMがやたらと目につく(・・・らしい)
基本TVを見ないのですが、松重豊さんって渋い役者が嫌いじゃないので、
わざわざWEBで映像を探してきた(苦笑)

要は「名刺管理ソフト」である。
日本古来のビジネスツールであるが、業務上交換される以上、
取得した名刺は「会社の情報資産」である。
退職する際に持ち逃げをしてはならない。
暗黙の内に「情報の個人管理」を会社から委ねられているに過ぎない。
管理義務を負う以上、相応の管理を様々なやり方でやっているが・・・最先端は


名刺管理ソフトの導入(有償ないし無償、あるいはEXLでの個人管理)


なんでもいいが、会社が認めていない社外システムツールの勝手な導入はご法度
ちゃんと「了解」をもらう必要がある(少なくとも明示的な拒絶がないことが肝要)
それに、名刺をDB化すれば、それは個人情報保護法上の「個人情報DB」に該当し、
会社として適切な管理義務を負わされることになる。
    

実のところ、一番人気のフリーソフトは、この松重さんの会社の提供品であることを
偶然に知ってしまった。
要は「撒き餌」である。
うかうかと引っかかった方も馬鹿だが、説明資料を見るにちょっと「凄いソフト」だ!
フリーソフトの方は、単なる名刺管理DBに過ぎず・・・

名刺イメージのデジタル化
名刺基本表示項目のデータ化
データ化された情報の活用(電話やメールの発信機能)
その他メモ情報の追記機能

なんかしかできない(・・・といってもこれだけのことが、無料でできれば非常に便利)
それに引き換え、有料版は・・・

名刺管理を梃子にした「営業人脈管理支援ソフト」である。


そもそも名刺情報のシステム化は、画像処理処理技術の発展とともに
劇的に進化した。
昔は識別機能が貧弱でお話にならないし、自分入力するには・・バカバカしい。
かつて、KO大学の国領教授は、

名刺なるものは死に絶える
皆さんは、個人のハンデイ端末に内蔵された名刺情報を赤外線で飛ばすようになる
これが新しい名刺交換スタイルだ!

・・・って(苦笑)
ビビビって、名刺交換なんかやるかね?って思ったが、案の定だ。


効能は凄いのですが、要は投資対効果。
定性的な価値をどの程度評価するかって、営業部門のセンス次第。
名刺箱や名刺ホルダーでの管理なんて北京原人レベルの方法が未だにはびこっている職場では
ハードルが高い・・・


2015年9月10日木曜日

クラウドの甘美な「秘密の罠」・・・その(2)




個人情報保護法第2条第3項において・・・

個人情報データベースなどを事業の用に供している者を「個人情報取扱事業者」と定義しており、
個人情報取扱事業者に対し、様々な義務を課している。

・個人情報を取り扱うに当たっては利用目的をできる限り特定し、
原則として利用目的の達成に必要な範囲を超えて個人情報を取り扱ってはならない。
・個人情報を取得する場合には、利用目的を通知・公表しなければならない。
なお、本人から直接書面で個人情報を取得する場合には、
あらかじめ本人に利用目的を明示しなければならない。
・個人データを安全に管理し、従業員や委託先も監督しなければならない。
・あらかじめ本人の同意を得ずに第三者に個人データを提供してはならない。
・事業者の保有する個人データに関し、本人からの求めがあった場合には、
その開示を行わなければならない。
・事業者が保有する個人データの内容が事実でないという理由で本人から個人データの訂正や削除を求められた場合、
訂正や削除に応じなければならない。
・個人情報の取扱いに関する苦情を、適切かつ迅速に処理しなければならない

また、主務大臣は、個人情報取扱事業者に対し、個人情報の取扱に関し報告させることができ、
また、個人情報取扱事業者が上記の義務に違反している場合などには、
当該事業者に対し、必要な措置をとるべきことを命じることができます。
主務大臣の命令に違反した場合や、報告義務に違反した場合には、以下の罰則が科せられます。

主務大臣の命令に違反した場合6ヶ月以下の懲役又は30万円以下の罰金
報告義務に違反した場合、30万円以下の罰金


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冗漫な法律解説はさておき、そもそもクラウドサービス提供契約とはいかなる契約類型なのか?
様々な要素が絡み合った非典型複合契約と理解するしかないが、
有償でサービスを提供している以上、一般的な有償双務契約上の様々な義務を負う。
従って、取引法の基本原則を回避できるわけではないが・・・

個人情報(含む特定個人情報)の管理をクラウドサービスに委ねた場合はどうなるのだろうか?
基本的には「委託関係」が成立する。
問題は受託した側が「個人情報であることを認識していない場合」は、クラウドサービス提供事業者は
個人情報取扱事業者に該当しないというのが経産省のガイドラインの立場
逆に言えば、利用者が告知していれば「該当する」ということになる。

更にマイナンバー法では、事務を処理するものだけでなく「事務の全部又は一部の委託を受けた者」も
個人番号利用(関係)事務実施者に該当するため、クラウドサービス提供事業者もマイナンバー法の
責務を負担する・・・・はずなんですが

マイナンバー収集・保管サービスが大流行していますが、多くの事業者の約款では

・利用者のマイナンバー管理業務を行うものではない
・利用者の委託を受けて個人情報取扱事業者の立場でサービスを提供していない
・サポートシステムを提供する立場にすぎない

って、目立たなく記載されているはずです。
見ようによっては、有利誤認に相当しそうな話です。
利用者は、収集と保管の手間暇に加えてセキュリティ上のリスクヘッジをも期待して
高額・・・かどうか知りませんが、利用料を支払っているはずなんですがねえ(苦笑)


約款自体の基本的な骨格を修正させることは多分できないし、
なんでもリスクを引き受けますってクラウドサービス提供事業者が仮にいるとすれば
それはそれで逆に危なっかしい。
通常の委託契約の中でどこまで誠実に義務を履行できるか(させられるか)の目利きにかかっている。


所詮リスクは自己負担の世界。
100%ヘッジしようって考えることが浅はかなのだ。


クライドサービスのセキュリティレベルには相応の信頼が置けるから
現状のサービス水準を保証するものでもなく、将来にわたって担保もしないし
基本無責任で損害賠償なんて夢のまた夢・・・
なんだけど、それでも高額な委託料を支払ってでも、毒饅頭を喰らうってのも判断です。

















2015年9月9日水曜日

偽善者あるいは露悪家もしくは偽悪者



狡猾なくせに善人を装う不逞の徒
心優しいくせに敢えて悪人を装う屈曲した心根の持ち主

いまどきどっちも流行りません。
とりわけ偽悪家に至っては・・・そもそも的に漱石の世界に登場する
人物像。
西洋と東洋の狭間の葛藤での悩める魂が生み出した精神構造
哲学しない現代人には無関係なライフスタイル。
ちょいワルくらいを想像するのが精一杯ってところが、けだし今風(笑)

優しすぎる心の痛みを鎧兜で覆い尽くしって容易に想像がつくが、あえて・・・
連帯を求めずして孤独を恐れず・・・とは、チャンドラー言うところの
ハードボイルドなのです。

ブルックリンに独り住まいのビンセント。
正確には同居人は白猫だけ。
ベトナム戦争の英雄だったが、いまや、酒に競馬びたりの偏屈者
隣人として引っ越してきたのは、いじめられっ子の小学生

分別臭い年寄りにこまっしゃくれたガキと小動物
単体でもおぞましい素材がセットで登場する。
後は、デブの母親に妊婦ストリッパー・・・・
そうそう、十年近く認知症で夫の顔も忘れた主人公の妻も登場します。
ここんところの交流は泣かせます。
張芸謀の「妻への家路」に匹敵する。

異化同化とはよくいったもの。
映画要素として一番嫌いな、笑いと涙と感動・・・・の小品

お勧めはしませんが、ウォームハートになりたいって「偽善者」は映画館へ・・・


2015年9月8日火曜日

マイナンバーで消費税節税のすすめ


税制の基本は「公平・中立・簡素」だとは教科書的には正しいが、
それ以前に適正な国家運営に必要な財源確保とか納税者の理解とかがもっと大切になる。
税制栄えても国家が滅びればなにもならない・・・・


さて、たしか・・・2017年4月から消費税率は10%になるんだった。
税率軽減品目をどうするか?とか所得制限をどうしようとか検討していると思いきや、
財務省の一部関係者だけがこっそりと「奇策」を検討していたらしい。

紙新聞の論調は(読まないもんでよく知りませんが)想像するに、
反対・困惑・疑問のスクラムってことと思いますし、
底流に学歴エリートは下情に通じていない・学力に乏しいなんて意識が見え隠れするのですが、
これはこれで「彼らの本音」そのものの露呈だということです。


マイナンバー制度とは、所詮経済活動を通じての全国民の行動様式の把握という意図だったって事がよくわかります。
勝手な利用目的拡大は法律の規制がかかりますので都度法改正が必要ですが・・・
面倒ですがまあやれば済むこと。

品目適用制限とか所得制限あるいは還付額上限とか細かい制度設計が大変だし
そもそもお買い物の都度「誰がなにを(品目)どれだけ買った(購入額)か」って情報を
ネットワークレジスターから吸い上げる必要がある。
既存レジスターのソフトウエアの改良(あるいはハードウエアも)とか
新規にレジスターの導入とか予定増税時期に間に合うとは思えない。
言い換えれば、予定通り税率はあげますが、軽減策は先になりますってMSG(苦笑)


家業的な小商店にはレジスターの購入原資すらままならない。
補助支援をやるってお国は言ってますが・・・
同じ商品を購入するにせよ、レジスターの有無で還付の有無=すなわち実質商品価額が変わってくる。
つまり、資力のある大型高級食材店が有利で街の商店街はますます疲弊する。
補助金なりをもらってでもレジスターを導入すれば、いままでごまかしていた売上が丸裸になる。
少々消費税還付をやっても、売上捕捉率が上がればこっちのほうがもっと美味しい。


全国民が常時個人カードを持ち歩くって情報管理上危なっかしいので、多くの場合は持ち歩かない。
つまり、還付請求放棄である。
さて、あなたは消費税還付請求を選ぶか個人情報漏洩リスクと国家による経済行動の把握を選ぶか・・・
これって囚人のジレンマみたいですねえ。




2015年9月7日月曜日

クラウドの甘美な「秘密の罠」




何事にも「光と影」がある。
過度に「影」に怯えることはないが「影」の存在認識がなく、リスクの存在に無知ともなれば、
それはヒトザルを辞めた方がいい。
少なくともマネイジングする立場の適性がない。

なんだかよさそうで怖そうでよくわからないのが「クラウドサービス」
なんちゃって、雲の中を探る話なのです。
いろんな「切り口」があるが、
以下・・・「クラウド活用のためのリスクマネージメント本」等々を始め
雑多なネット情報をくぐるに・・・


小規模な情報システムはさておき、とりわけ「基幹システムの再構築」等は、
経営上の重大な判断である。
そのシステム基盤として「クライド」を利用する場合も然り。
情報の消失や漏洩の発生は、内部統制システム上「損失の危険の管理」に
影響をあたえることは確かである。

まず、そのクライドサービスの「合法性」の検討を要する。
データセンターが全球的にどこか不明・・って場合はいささか心配になる。
情報によって、外為法(輸出規制)に抵触するかもしれない。


自社の情報が外部の支配下に置かれるということは、管理に一定の制限が加わることとなり、
ちょっと困った問題が生じる。
不正競争防止法上の営業機密管理性に関して「クラウドの管理権が利用者の管理権に優越するため
秘密管理性に重大な欠陥が生じる」と力説する実務家がおられる。
実際に争いになった事例がないので司法の判断はなんとも言えないが、
契約上なんらかの「縛り・・・縛り方は相当に難しいが、
利用者の管理権はクラウドの管理権に劣後せず相当な・・・」なんて条項を入れないとねえ。

内部統制システム構築義務違反は、そうは言っても社内の話
当然ながら第三者に損害を与える場合がある。
損害発生の理由によるが、クラウドサービスの選定や管理監督上の懈怠があれば
当事者としての責任は回避し得ない。
また、契約上の責任分担の取り決めに齟齬があればリスクヘッジもできなくなる。
所詮は「自己責任」であり、信頼出来ない事業者はそもそも的に
企業の寿命は三十年・・・かどうかはしらないが、休業や廃業は事前予測可能だが
破産や再編なんか突然にやってくる。
機嫌よく利用していたサービスが突然打ち切られる程度はまだしも、
預けている情報等の保全に危険が生じることだってありうるのだ!
予防しようのないトラブルであるが、契約条項でなんとかカバーするしかないが・・・

様々なセキュリティインシデントを100%防止することはできない(キッパリ)

消失
改竄
漏洩  ETC

基本的な防止義務はサービス提供事業者サイドにある・・・はずだが、よく約款を読んでおこう
とんでもない「罠」を仕掛けてある場合がある。

利用者側に一定の義務を負わせる
様々な免責規定を散りばめる
賠償額の制限規定
そもそも「情報の保管」サービスではない

あなたが個人消費者ならともかく、そうでないなら、相対での契約交渉の世界。
法律知識、交渉のレトリック、その他脅迫的言辞を弄して有利条項に持っていくしかない。
条文にすればなんでも通るってことでもなく公序良俗や信義則違反は原始的に無効である。
それをわかっていながら、相手に譲ったようなフリをして、別のところで点を稼ぐって
テクニックもあるが・・・
なにが無効になるかは状況の全般的評価判断による以上、具体化するのは難しい。


なかなか道は険しい。
それでもあなたは・・・確信をもってクラウドを使えますか(笑)











2015年9月6日日曜日

ある新刊書を「酷評」する!


権力者にとって不都合な真実を思想あるいは感情表現として創造的に創作するものを真の文芸という。
おもねって提灯作品を書き散らかさんが如き行状は、作家の名に値しない。
どうせ、かような類は青史に名を止めることはないが、
まれに愚昧な連中から時分の花としてもてはやされるから始末に置けない。

本当の権力者とは「オトナ」なのです。
高額な賠償訴訟や広告掲載拒否に取次廃止等々な言論弾圧のような無粋な真似はしない。
適当なガス抜きとして、内心はともかくも、鷹揚に構えるものです。


正史に登場しない、古事記、万葉集。
勅撰和歌集とはいうものの、古今集の編纂の中心メンバーは、

貫之
友則
躬恒
忠岑 ・・・・いずれもが窓際貴族

文でしか生きる道のなくなった者たち
非主流派のルサンチマンを行間から読み取れないものはよっぽどの鈍感力の持ち主だと思わざるを得ない。
歌学の王道として(文学に真の姿として)悠久の本流を流れるはずが、
子規の「下手な歌詠み」の罵声の尻馬に乗って、愚劣・凡庸・低脳歌と雑言を浴びせた似非芸術家こそ、
今となっては顧みるものはまれである。
立派な全集がでてはいますが・・・売れてるとは思えない。

竹取物語にしても、門前市をなす求婚者たち。
主流派で栄耀栄華を極めていなければ、求婚も難しい。
カネにチカラを背景にしてこそのナンパ師には誠はない。
人物的に時代背景は、8世紀か?
一番の卑劣な車持の皇子・・・は、不比等に比定される。

摂関家の大幹部連がどんな顔をしてこれを読んだか知らないが、
まあ、金持ち喧嘩せずって事なんでしょう。

 
源氏に至っては、ここまでコケにされて(笑)
言論弾圧で焚書の憂き目を見なかったお陰で、豊穣な文藝のアラベスクを享受できている。

女三百人裏切の書

原素材は、パブリックユース。
似て食おうと焼いて食おうと勝手だが、玉もあれば、石もある。
しかし、ここまでのイシは珍しい。
読むべきではないという直感はやっぱり正しかった(苦笑)




2015年9月5日土曜日

「清水の音羽の滝の・・」なんて呪文で探し出せるものならば

本当の自分に出会う旅は長期間の徒歩旅行と相場が決まっている。
古くはエルサレムへの巡礼とかメッカへの巡礼
仏教だって、お遍路さんの旅はそれに匹敵する。
聖地訪問も、エルサレムはいささか命懸けなもんで・・・
いまや、サンティアゴデコンポステーラへの旅。
禁欲的な耶蘇教徒が、千キロになんなんとする街道を歩き続ける。
かつては、膝行で歩き通したという信じがたいことが行われたらしいし、
いまでも、大聖堂の街にたどり着けば、街中では膝行される信心深い方が
おいでになるらしい。

一方、ざっと千四百キロ。四国の八十八ケ所の巡礼も悪くはないが、古式豊かなのは、熊野巡礼
残念ながら、巡礼路の整備が限定的だし、三十三番の札所なる観音巡りに至っては
歩き巡礼はおよそ聞くことがない。
多分ですが、ルート設定がよくないが理由だろう。
お遍路は、四十日程度で八十八ヶ所のお寺めぐりをしますが、若干の例外を別にし、均等にばらまかれている。
他方、観音巡りは近畿一円に拡散しすぎ、数だけ言えば京都市内に偏在する。
一番の札所から二番まではほぼ、紀伊半島の海岸線を半周。
途中でやる気がなくなります。


狭い国土をより早く安全に移動させる近代システムのなかで、忘れ去られた巡礼の旅も、癒しだとか自分探しとか・・・単なる健康志向の流れかよく知りませんが、
多少の商売っ気のさもしさも加わり復興の兆しは慶賀の至りである。


しかし、こういうことにかけては、その徹底さにおいてアメリカンに如くものはない。

PCT

パシフィック・クレスト・トレイルの略称であり、アメリカ合衆国の長距離自然歩道。アメリカにおける三大長距離自然歩道のひとつ。
いずれもが、数千キロの距離と高低差3千メートルなワイルドコース
危険と隣り合わせの野宿と自炊前提の徒歩旅行。
単純に言えば、メキシコ国境からカナダ国境までの山岳地帯を北上する(超上級者コースはそれを往復するとか)
完走すれば、比叡山千日回峰行までは言わないが、それなりに尊敬されるそうです。
毎年数百人が完走に挑戦し、成功率は半分くらいだとか・・・・

ほんとうに悩めるアメリカンは、精神分析医なんかにかからず、
なにもかも断捨離して、PCTに挑むのですよ。

映画「わたしにあうまでの1600キロ」は、あの女性の実話・・自伝の映画化。
絶望のなかで半ばヤケクソでPCTに挑むのですが、たちまちに戦意喪失(笑)
しかし、最後までやり遂げる目標が見えてくると・・・

完走した後のわたしって・・たった20セントしかもってなくてどうするんだ・・・

しかし、心の広い神々は顔を上げて前を向いて進むものには優しい。
彼女はこの経験譚を出版し、大ベストセラーになったのが2012年のこと。
良質な映画製作会社の手で映画化もされましたし、
まずは、順風漫歩な人生航路中・・・なんだろうと思います。


だからこういうのを「予定調和」だと書いたのが先日のブログ。
こういう結末って、プロ映画目線が映画に期待するエレメントじゃないのですよ。


2015年9月4日金曜日

血に飢えたフレンチ






ラ・マルセイエーズ

誰もが知っている仏蘭西国国歌であるが、元来「軍歌」とも言えるものであり、
コンテンツとしては血まみれでR15相当。
だから悪いってことでもないが、いまさら「血抜き」をやっても始まらない。
歴史の勝利は血で闘い取るものであり、事実そうだったという現実の直視である。

軍歌とは士気を高揚させ、軍隊や軍人、更には聖(義)戦への共感を醸成するもの。
中には厭戦気分をかきたて、揶揄するような内容を含む場合もあるが、これはこれである種の
ガス抜きである。
禁止歌なぞと野暮なことは更に士気を低下させる。


勝ち戦、あるいは局面が好転している時にこそ「名軍歌」が生まれる。
敗色濃厚だと・・・歌謡どころではない(苦笑)


戊辰戦争=宮さん宮さん
西南戦争=抜刀隊
日清戦争=勇敢なる水兵
日露戦争=戦友
第一次世界大戦=?(東洋では平和な時代で軍歌なんかが流行らない)
その後=15年間にわたる戦争の時代は「軍歌の宝庫」
戦後=異国の丘(軍歌というべきかどうか?捕虜の歌ですから・・)


自衛隊でも「軍歌演奏」は行いますが、公式式典においての旧軍の「軍歌」演奏とはねえ・・・
牽強付会にも箸の上げ下ろしまで因縁をつける近隣国がよくぞ黙っていることだ(笑)
かの名曲「パンツァーリート」はナチス親衛隊歌謡集に収録されていたというだけで
現代ドイツでは、公式に演奏されることはない(・・らしい)

そう言えば、リストの交響詩前奏曲もナチス提供番組の冒頭に流される定番曲なので
ドイツ国内でのステージ演奏はタブーだとか。
戦車隊の歌に負けず劣らずの名曲なんですが、残念なことです。
大本営発表の場合はこのような場合にふさわしい荘重な近代曲を持ち得なかったこともあってか
勝ち戦では、勇壮な曲、玉砕を告げる場合は「海ゆかば」だったそうな・・・


実際に演奏されたのは、ラスト60秒位です。

2015年9月3日木曜日

探しものはなんですか?






哲学なるものの根源的命題と言えば禍々しいが、

このままでいいのか?
何をなすべきか?
進むべき方向は?

青年は荒野に、旅に出かける。
クックツーリストが出来る前から、
旅行代理店は人類史で最古から三番目くらいな職業だったに違いない。


自分探しの果てに見えるものは、人生四苦八苦。
瞑想による煩悩の超越こそ、唯一最善の道・・・だが、サトリの路は容易に見つからない。
余計ななやみこそが煩悩だと諦観し、
解決の青い鳥は、身近にあると分かる頃にははや黄昏れ時。


さりながら、自分探しに彷徨う主人公ほど感情移入しやすい存在はないもので、
商業主義的芸術の格好のテーマ。

クスリにオトコ
自分壊しに疲れ果てたヒロイン:リーザウィザースプーン
スタートしてすぐに後悔するヒロイン
この旅を思い立った時ヒロインは最低の日々を送っていた。
このままでは残りの人生も台無しだ。
母が誇りに思ってくれた自分を取り戻すために、一から出直すと決めたのだ(WEBの引用)
・・・ってことで、1600キロの徒歩旅行


まあ、この手の話は予定調和的終わると相場が決まっているので、劇場に出かけるまではない。
よくある「自分探しセミナー」と同じ。
世の中、悩める真面目人間がいかに多いかよくわかるし、
その真摯さにつけ込む詐欺師まがいもこれまた多い。

真摯
真面目
禁欲
清貧
律儀

ヒトザルにとって大切な精神性であることを否定はしませんが、
過度に強調することは、短い人生が息苦しくなりそうです。
人生観は様々ですから、どっちがいいとも言いませんが・・・・


泣きながらでもロールスロイスの後部座席に座っているか
笑いながらでも、自転車で坂道を登るか・・・



2015年9月2日水曜日

ボヴァリー夫人・・・それはパン屋だ!



近代小説は仏蘭西の19世紀文学を濫觴とする。

不倫
姦通
強姦
援交
浪費
贅沢
犯罪

現代悪を純粋昇華させた素材満載。
傑作と言われるものの多くが風紀紊乱猥褻図画でお白洲に引っ張りだされたのも当然である。
官憲との長く苦しい戦いのないで勝ち取った文学形式の有り難みを改めて噛み締めながら
半世紀ぶりに読み返しています。
当時と違った新訳ですので、サクサク読めます。
葡萄酒・・・なんて書かれると絶句しますが、いまはちゃんと・・ワイン(苦笑)


いまさらに「ボヴァリー夫人」とはって思うのですが、
仏蘭西で大ヒットしたのが「ボヴァリー夫人とパン屋」
原作にインスパイヤーされた小洒落たフレンチテイスト満載な作品

フランス映画は理屈が多いのが難点ですが、なんちゃって女優さんが素晴らしい。
美人だけならば、ハリウッドにかなわないが、官能性、エスプリ・・・褒め言葉に余りある。
これが

イギリス系=ギスギス(多少の例外有り)
ドイツ 系=ゴツゴツ
イタリア系=ガツガツ
スラブ系 =ブクブク
スペイン系=・・・・表現に困るなあ。とって食われそう(笑)


ここまでお洒落だと、本国で大ヒットするのもわかるなあ
退屈で平凡な現実生活と、
夢見た理想の生活との落差の中で、
夢想・妄想・・・リアルとバーチャルが錯綜し、
足を踏み外せば、末路悲惨なマダム・ボヴァリーの運命・・・


パリでの編集者稼業に見切りをつけて故郷で家業のパン屋を始めた主人公(狂言回し)の平安な日々は、
引っ越しをしてきた英国人のボヴァリー夫妻・・・とりわけ天真爛漫奔放な夫人の
小説さながらの行動で波瀾万丈化してゆく。
ヒロインのジェマ・アータートンが素晴らしい。
実のところは、労働者階級出身な英国人女優なんですが、フレンチテイスト満載に華麗なる変身
ノルマンディの陽光に映えます。


ほぼほぼ原作通りにお話は展開し、哀れマダム・ボヴァリーはって言いたいが
悲劇の二度目は喜劇ってセオリーを忠実に守る脚本の妙味
でも、これだけじゃ眼の超えたフランス人はテアトルに足を運ばない。

妻の不慮の死により、夫は・・・多分英国に帰ったのでしょう
空き家に次の住人が越してきました。
パン屋の主人の息子が、噂話のように告げるのです

凄いブロンド美人なんだけど・・・ロシア人らしいよ
名前が・・・アンナ・カレーニンだって


複雑な表情のパン屋主人のあたりに粉雪が舞います。



2015年9月1日火曜日

グラマスクな金髪はアタマも演技力・・・





若くて美しい女優の登竜門といえば・・・ボンドガールって言いたいが、
凡そ、大成したタマはいないというか限られる。
どうせ、使い捨ての性差別の対象の添え物ですので、磨けば光るタマなんて必要がない。
その後成り上がったのは

ロザムンド・パイク
ジェマ・アータートン    くらいです。

どっちも英国系ですが、ギスギスした英国人女優にあるまじいテイスト
前者はゴーンガールでブレイクしましたが、その後スクリーンに登場しません
後者は、今後の有望株





しかし、ダイバーシティな昨今。多少は風景も変わりました。
JBとそれなりに対等にスクリーンに映えるいっぱしの女性が起用されるようになった。

キャロル・ブーケ(81)
ソフィー・マルソー(99)
ハル・ベリー(02)
エバグリーン(06)     カッコは制作年度

そう言えば、次回作では、レア・セドゥが登場します。楽しみですねえ
その他番外編でも・・・

デボラ・カー
ジャクリーン・ビセット
キム・ベイシンガー    なんかが有名ドコロ


しかし、その中でも最強最大最高な超弩級で絶対に忘れてはいけないのが

 
エリザベス・アレキサンドラ・ウィンザー  

 
2012年版ですがね(笑)案外お忘れかも・・・・