2019年4月11日木曜日

桜の森の満開の下



アタシ的には今年の櫻は終わった。
アタシ的には今生で最後の櫻かも知れないが、今年の櫻は終わった。


好きな花かと問われれば、天邪鬼だから嫌いとは言わないが、
大好きとも言い難い。
思い入れは、

牡丹
桃華
蓮華

に如くはない。
しかし、芦屋に住む蒔岡家の四人姉妹ほどではないが、ミーハーですから
あちこちに足を運ぶ。
彼女たちは、毎年の恒例で二日がかりで京洛の桜狩りを楽しむ。
芦屋界隈でも桜の名所はあるが、
スノブな船場のブルジョワジーなればの所行である。
けだし、谷崎は日本古典の伝統の正統な後継者だ。
秀吉の醍醐の花見や、佐々木道誉の婆裟羅の花見は、
金ピカ長屋の花見に過ぎない。

梶井基次郎は、一体どこの桜を観て、埋もれる屍体を想起したのか?
我が家代々の名のない雑犬惰猫の墓所は、自前の桜の古木の根元。
消え果てたいのちの妄執が、わすれさせてなるものか!と
毎年の桜華に化体するのか?

林立する桜森は恐ろしい。
人を狂わせるとは坂口安吾の言葉通り。
一代の傑作らしいが、
75年の映画版を先に見てしまったもので、読みそこなった。

官能
倒錯
頽廃
耽美

な要素満載なんですが、若山富三郎と岩下志麻では
配役が真面目でこぎれい過ぎたのか?
当時ならば、喜和子さんと吉右衛門て...
今更よみなおすのも....

なもんで、野田版の贋作でも。



結論!

歌舞伎役者は古典歌舞伎には映える


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