敗戦でも終戦でも、、、言葉遊びには与しませんが、あまり語られない歴史的事実だけはしっかりと認識しておきたい。
この「戦いのあと」とは、、、倭國が主権を剝奪されたという事の意味のようです。
知る限り有史以来初めて、東アジア圏の中華の近隣国の中でも冊封体制に組み込まれなかった唯一の完全独立国家であった訳ですから、その「剝奪された日」は国恥の日なんだが、、、いったいいつなんだ?
20年8月15日は単にポツダム宣言受諾日であり、正確には21年9月2日の降伏文書締結日に間接統治とは言え独立国家としての地位を正式に失ったわけである。
であれば、主権を回復したのはいつだったのか?
結構難問でして、27年4月28日のSF講和条約発効により再独立を果たしました(条約締結は26年9月8日)
同日にGHQが解体され、ある意味では「戦いが本当に終わった」という意味での「戦後」ならば、この日付をしっかりと覚えておくべきです。
この臥薪嘗胆的な6年間に憲法制定(法的な正確性は改正じゃない)をはじめ、新しい国つくりをさまざまやったわけですが、、、決して平坦円滑ではなかった。
独立を果たして、たった三日めには大騒擾事件が発生。かの皇居広場前での血のメーデー事件です。
自然偶発的な騒乱かしら?とコンスピラシーに与したくなるようなタイミング(日共が武装革命闘争路線を正式に放棄したとされるのはかなり先の時代)
更に、、、多少風聞にすぎないのですが、その二日後の記念式典(講和条約発効と憲法施行五周年)に、警察予備隊が参列の名目で「武装出動」していたと言われています。
警察予備隊の発足は、25年8月(北鮮の侵攻開始の二ヶ月後)
キナ臭いはなしは、いまに始まったことではなく、
.......平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において......
憲法前文の崇高な平和の理念が絵空事である事を早々と思い知らされた我々は、再軍備を「逆コース」なんて言われても困るし、単なる政治的プロパガンダな非難には狼狽えないって冷静におもうだけ。
そう、憲法の平和主義の大義のライフは、たった三年足らずだったって事実も重要です。ただただ「理念」として生きながらえているだけであり、決して良いとは思わないが、冷徹な現実。
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