主として右派からの批判が激しいが、良識派のパール判事(東京裁判の弁護人)ですら、疑問を持たれているヒロシマの原爆碑の銘文
主として「主語は誰か?」という論争だが、アタシは当然に「日本国民」が正しいと考えます。
むしろ「過ち」とはなにか?について、深く想いを巡らすべきであると考えます。
かの「原爆碑」の存在意義にも関わることだが、単に原爆の悲劇に止まらず「惨敗による全国民的な塗炭の苦しみ」と考えるならば、過ちとは「理性的に考えれば勝てる可能性の低い戦争を選択した政府指導部、追従した議会、国民を煽動したメディア、それらを妄信した国民が行った戦争そのもの」である。
簡潔に言えば「負ける戦争をやらかしたこと」が過ちである。
観念的には戦争は絶対悪かも知れないが、現実的には争いは無くならない。やらない方が良いが、仮にも血を流す争いをやるならば負けることはあっては決してならない、、、事こそが「絶対悪」ある。
昭和16年の敗戦(猪瀬直樹著)にも書かれている事だが、政官學の俊英を集めてのシュミレーションの結果は、原爆投下以外は全て史実は想定通りだったとされる。
彼ら俊英たちがそこまで想定したかどうかはしらないが、報告書に対しての東條英機のコメントは次のとおり
必勝の信念は合理的な計算を凌駕克服する
東アジア文化圏に於いては「文尊軍卑」の良き伝統があるし、これは真っ当な国ではどこでも似たようなものだ。チャーチルだって「戦争のような大事は軍人には任せられない」と言い切ったそうな
だっから、言っちゃうか(^^)
この碑文は書かれていないことを読まなくてはいけない。眼光紙背に照らせば、見えてきます。
安らかにお眠りください。
過ちはくり返しません
仮にも次があれば、次は負けませんから.......!
保守だか右派だかとか称する連中の大言壮語が馬鹿馬鹿しいのはともかく、最近は危惧の念すら
鬼畜鮮露
暴支膺懲、、、、拳を振り上げ挑発や煽動をするのは勝手だが、勝てる(少なくとも負けない)計算もなく、率先して戦火にまみえる覚悟も胆力もない輩ほど騒がしい。
今年の815で、その時の宰相が誰かはさておき、どんな談話を口にするのだろうか?、、、まあ、秘事本音は口にするものではない。
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