アンソロジーを作ることは、自他ともに認める知性と見識の反映であり、馬骨のような素人が手を出すものではない。
小倉百人一首
選者は藤原定家・・・申し分のない和歌史上の最高峰の歌人の一人だが、縁戚に当たる有力鎌倉御家人の依頼で選したもの。
そのコンテンツにはなにかと問題があるものの王朝和歌を身近にした功績は大。
歌人を百人選びそれぞれの一首を選ぶというプロセス。
誰を選ぶ
どれを選ぶ
加えて「歌集」なるものは、全体としてのバランスや統一したフィロソフィーも大事だし、かなりな知力が必要だから、天才に挑戦しようって無謀なことは考えない方がいい。
足利義尚(足利将軍の一人)
文化人のようでしたが、定家の向こうを張っての「新百人一首」私撰は、、、やはり無謀だった。
そもそも、定家が選んだ百人以外の歌人を対象に百首を選ぶって(^^)
残り物にだって福はあるだろうが、やはり百人はしんどい。
その後無謀なことに挑戦する向きはなくなったが「なんとか百人一首」と称しての形式流用は散見される。
あえてというべきか・・・丸谷才一が「新々百人一首」を上梓した。
自らが選んだ百人(定家と重複もすればしない歌人もあるのは見識)による名歌鑑賞論みたいな体裁です。
気に入った和歌の鑑賞の参考にはうってつけなもんで、実のところ拾い読みしかしてません。
自称「昭和の定家」といわれる塚本邦雄さんは「新撰小倉百人一首」
歌人は定家の推薦をそのまま尊重するが、和歌は自分で選ぶ(ごく一部が定家撰と同じ・・・というかどうも和歌の選択肢がなかったようです)
どの百人一首が一番優れているか・・・というような対比論は多分無駄だが、、、、
アタシは、小学生の頃には作者名はええ加減で歌意もろくにわからず、それでも全部暗記していた。
今更ながらに・・・この和歌って誰それの歌なの?
ほかにもっといい和歌があるだろうに、、、とか
後年さほどの役にもたたない雑学だったと言えなくはないし、それに適当に上の句と下の句をつなげば和歌らしくなるケースも多くて困るのよ。
競技カルタを体育の正課にしてほしいねえ。スポーツには知的スポーツという分野もある。
お正月のカルタ取りとは違い
記憶力
瞬発力、、やらを要求されますし、優れて戦略性も高い。つまり「知力と体力」が要求される。
全国大会に登場してくる有力な高校はそれなりの偏差値レベルばかりです。

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