2016年5月14日土曜日

TVカメラを法廷に





ただ命令に従っただけだと弁明した。
考えることをせず、ただ忠実に命令を実行した。
そこには動機も善悪もない。
思考をやめたとき、人間はいとも簡単に残虐な行為を行う。
思考をやめたものは人間であることを拒絶したものだ。


悪・・・不正と言い換えてもいいが「悪とは凡庸あるいは陳腐なもの」である。
大仰な戦争犯罪でなくとも、企業の不正も根っこは同じかもしれない。

会社のために.........
でも、会社は冷たく、、迷惑だ。そんな事をやってくれと頼んだ覚えはない(これって実話)


まあ、◯芝や□菱は、頼んだかも(笑)



シンプルに率直に事実を語るだけで、彼女はいわれなき迫害を受けた。
あの凄惨なホロコーストの主役が、小役人風情ではインパクトがないし
あの時代、知りつつも不作為の犯罪に加担したという不都合な真実を語られると困るマジョリティがいたのであろう。
更に、法治の適正手続とか、勝者の戦争犯罪等、好んで火中の栗を拾うという危険な真似を行った。
しかし、真っ当な歴史感は、それなりに真実を明らかにしてくれる。


イスラエルでのアイヒマン裁判 1961年
ハンナアーレントの「報告書」 1963年
フランクフルトアウシュビッツ裁判 1963年


極東の島国では国論を二分する大論争とは言うものの、結果の見えた
不毛の争いの最中に、西洋では歴史的なイベントが進行していたようです。
この時点で定説とされる歴史が確立された。
もっとも、何事においても、重要な前史なるものはあり、それが「夜と霧」
文学版は46年。
告発本ではなく、人間の尊厳の書てあり、この文脈で語るのは不都合かも
しかし、55年のアランレネの映画版とのタイトルつながりで、触れないわけにはいかない。




長い枕詞が終わりました。
本論の映画批評ですが、短く(笑)


スポットライトの映画版


あの時代、ちゃんとした、真実を映像の力で伝えようとしたテレビマンがいた。
そんな命張った番組なら、視聴料はらってもみます。



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