2016年5月5日木曜日

婆娑羅の時代


バサラと読みます。
今の教科書に登場する歴史用語かどうかは知らないが、歴史的な社会学用語かもしれない。
ありていに言えば、負の概念規定語であり、決して褒めているのではない。
しかし、今時は、あまり否定的に使われることがなく

自由
独創的
華美華麗

というプラスのイメージである。
しかし、南北朝の時代では、

贅沢な衣料に装身具
夜な夜なのグルメ三昧
傾城(六本木のキャバ嬢だと思えばいい)に入れ込み
田楽(能楽の濫觴ですが似ても似つかぬ上海雑技団)三昧
違法カジノでの方外な賭金

に加えて、義理人情もへったくれもない無礼違法等の傍若無人な振る舞いをよしとするアウトローあるいはアウトロー志向だと思われている。
当時の伝統的な中世的価値観からすればとんでもない話なのです。

だから、対極にある吉田兼好や鴨長明的な簡素清廉(・・・かどうか分かったものではないが)な生き様が持ち上げられきた。

今の世相、徒然草や方丈記人気がイマイチとは時代の変化なんだなあ。
古代からの中世的な価値観の転換が太平記の時代であり、それをシンボリックに「バサラ」という。
その時代の雰囲気って、現在まで脈々と肯定的に持ち込まれた・・・
多少振る舞いが矮小だが、江戸の町奴や旗本奴てなものもそういうことなんだ。


さて、現代の婆娑羅大名(いまならサラリーマンとか経営者だなあ)や如何。
一時期のヒルズ族ってそういう存在なんだろうが・・・・太平記に登場する佐々木導誉なんかの
振る舞いと比較すれば、自由狼藉さにおいてチイサイチイサイ(笑)
当時のバサラ大名の狂気的なるふる舞いの背景には、当然財力がつきまといますが、
その原資は、凄まじいまでの皇室や公家の不法な財産の横領によるものと思われます。

お大尽様みたいに何も考えず(なくなればまた強奪すればいい)後先なしに浪費しまくるのと、
床下の壺に小判を隠し、毎夜数えて悦にいる・・・のとどっちがより生き様がスカッとしているのか?
おカネって使うものであり、その気になれば地獄の沙汰だって何とでもなるくらいの威力があるんですから、
リゾート地で預金通帳のゼロの数数えてほくそ笑んでるって・・・なんとも貧しいねえ(笑)


0 件のコメント:

コメントを投稿