2016年5月15日日曜日

連敗街道






ハーバードの校内で聞くと、日米が「戦争」をした史実を知らないと答える若者が結構いたそうです。
あまつさえ・・・でぇ、どっちが勝ったの?
アメリカンらしい冗句とも思えるのですが、実のところ、この設問の捻りはきついのですよ。
つまり、ちゃっんと答えられない。
第二次世界大戦の敗北だけって頭に浮かぶうちは歴史頭脳がない(笑)

最初の絶望的敗北は、江戸末期の通商条約の条文に起因する。
つまり、蒸気船や大砲の威力ではなく、外交力に敗北したのである。
けだし、外交とは血を流さない戦争なのです。
関税自主権の喪失とか様々あるが、超短期的にメガトン級の災厄を被らせたのが「為替交換レート」の不当な設定。

不当というのは言葉の綾に過ぎず、財務能力のあるキャリア外交官がいれば、逆だ。財務能力のあるノンキャリに
外交交渉をさせれば良かっただけのこと。
代々勘定方だけは、門閥にとらわれず財務能力重視の人事制度だった・・・まではいいのですが、
それ以上矩をふみだそうとしれば、キャリアの壁が立ちはだかり、国益を損なう結果となった。


江戸時代の通貨制度はなかなか複雑で、ありていに言えば、金銀銅の三重通貨体制で、当然変動制・・・だったと思われますし、
なんだかんだと批判もされてきましたが、貨幣改鋳を繰り返した結果信用貨幣が流通する近代的な通貨制度が
国内で機能してきた。


アメリカンと開国した際に、通商は行わない約束の・・・少なくとも和親条約にそのクローズはないが、
円ドルの交換レートを決めないわけにはいかない。
倭国内では、一両が四朱銀というのが基準交換レートですが、国際的には四朱銀×3=一両くらいだった。
つまり、国内比較で、銀低金高 だということである。
それを知っていれば、それなりの対策は難しくはないが、無知とは恐ろしいものだ。
今なら誰でもわかることだが・・・金と銀との交換差を利用すれば、それだけで三倍儲かるということ。
短期間で国内の金備蓄が尽く流出する有様となった。
戦前の財政政策上の金解禁問題の遠因とはここにあり、絶えず脆弱な国家財政が国論の行方を歪めてきた。


良い意味で成功体験を覚えている国家と、悪い意味で失敗をすぐに忘れる国家との間での為替問題。
戦後以降の為替の設定なり大幅な動乱とは何であったかよく歴史をつまびらかにすれば初めて理解できるのです。
以降、二、三度は敗戦を繰り返していますが、それを敗戦だと思わない感覚がとっても恐ろしい。


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