多神教なるが故の融通無碍でしょうか、日時や作法は地方地方で異なるようですが、
蝸牛庵のあたりは、終戦祈念日の前ころから始まります。
施餓鬼会を同時にご先祖様をお迎えに行くのが九日あたりで、15日にはお送りです。
別段「施餓鬼」という行事とお盆の行事には関係がないし、ご先祖様には、別に積善の人生でもなかったが、
生前の悪行で餓鬼道に堕ちたものはいないはずだ。
曽祖父だか祖父が菩提寺となにかしら紛糾し、お寺が夭折した秀才(大叔父さんにあたります)の戒名のなずけを拒否するという暴挙に出たが
悪いのは坊主で我が家ではない(・・・・はずだ)
しかし、不幸な人生を送った人々は多々あり、山川草木悉皆仏性というではないか。
赤の他人であっても功徳としての施しは・・・・これ人の務め。
軒下でささやかに、迎え火、送り火
普通迎え火は13日ころって相場が決まっていますが、早めにお迎えして、遅めにお送りするほうが供養でしょう。
しかし、ご先祖様といっても、生身で知っているのは、祖父母まで、その以前は、戸籍謄本なり家系図で知識として知るだけ。
五代くらいは文字上のその記憶にあるが・・・・いったいどういう方だったのか?
お寺の過去帳を紐解けばなにかわかるかもしれないが、知ったところで・・・・歴史上の著名人ならいざ知らず
しばらく前に、古い位牌も一切合財塵芥となった。
しかし、四季折々の祭祀やら行事も億劫になった。
その気になれば古義真言宗徒は楽なもので、高野山に遺骨を納めれば、あとはなにもしなくてもいい(ちょっと極端ですがね)
墓地、位牌、仏壇なし・・・・
たまの夏に涼みがてら山に登ればいい。
足に自信があれば、高野口あたりから夜行軍っていいものです。
朝っぱらには大門につきます。
日々「同行二人」で生きているって思えばいい。
こんな倭国の伝統的な行事っていつまで続くんでしょうか?
街中でもこの時期は、近代的なスーパーですら、お盆のお供えとかお花とか供物一式を商売の種にし、
そこそこ買い求めている若い世代もいます。
家制度の復活めいたことを言い出せば(・・・政権党の憲法改正案はそうですが)確実に唾棄されるだろうが
先祖祭祀といわれれば、古臭いとも封建的ともいわない。
しかし、それも距離感を感じうる範囲に限られるが、その程度でもヒトザルの自然感情ってものでしょう。
百代以上も前の皇祖皇宗を祭祀する「ご一家」ってどんな感じなのか理解を絶するが、どなたかお一人くらい倭人を代表して
御祭りをしていただいているって思っておきたい。
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